鬱蒼と生い茂る森林の内部は、それ以外の場所に比べて格段に冷え込む。ただでさえ寒さの厳しい時期に、落葉樹林の群れへと足を踏み入れる者は皆無に等しい。

 しかし、奥に進んでいくと、一人の青年が木の幹に腰を下ろして分厚い本に何やら書き込んでいるではないか。

 左から右へ、流れるようにペンが走っていく。

 と、数行進んだところで、文字が掠れた。


 青年は忌々しげに舌打ちしつつ、懐から丸いビンを取り出し、ビンの中に入っているインクに羽ペンを浸した。


「もう少し性能の良いペンを買うか。これはインク切れが早すぎる」


 青年はビンを懐にしまうと、独りごちる。

 広げている本には、一寸の隙間も乱れもない文字が並んでいた。


 血の滴るような夕陽を、絡み合った樹木が遮っている。そのため、ここは非常に薄暗い。

もうそろそろランプの明かりを灯さなければと思い、青年は枝にぶら下げたランプに手を伸ばす。



 刹那、彼の尖った耳が不穏な音を拾った。



 素早く体勢を整え、周囲に目を配る。


 ……どうやら、近くの出来事ではないらしい。だが、それでも肌が粟立つ。無意識のうちに冷や汗まで流れる始末だ。


「どこかの王家が滅んだな」


 青年は親指の爪をかじり、これまで培ってきた知識を総動員させて思案に耽る。


「……これは、きっかけになるぞ……」


 最悪の答えを弾き出した彼は、即座に麻袋の中に本と羽ペンを放り込み、口を紐で縛った。

 そして軽やかに木から飛び降りる。むなしく木の葉が散った。

 ――早く情報を集めなければ。

 その思いだけが、青年を突き動かしていた。


 空は真っ赤に染まっている。


 まるで、これから起こる悲劇を彷彿させるかのごとく。




 開幕のベルは、もうすぐ鳴る。

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