第8話 三人目の攻略対象が陰陽師として現れました

 その日の夕方、兄君は大学寮から戻って来た弟君にさっそく、陰陽師の知り合いがいたら邸に呼んで欲しいと言ってくれた。

 弟君は、まだ私から直接事情を聞いたわけではない。そのため、未来から来たということについてはまだ半信半疑なようだが、おそらく大学寮の友人たちに聞けば陰陽寮に伝手を持つ人物がいるだろうと、快く提案を受け入れてくれたのだった。

 そして、二人の会話を聞いていてわかってしまったことがある。弟君の名前は、惟規のぶのりというらしいのだ。兄君がうっかりと私が側にいることを忘れいつも通り呼んでしまったのだが、私がこの時代の貴族の姫ではないということで、弟君も私なら名前で呼んでもよいと許してくれた。そして、「結婚したいという意味ではないです」という前置きをしてから、私も「香子かおること呼んでください」とお願いした。

 前置きをしたのは、もちろん兄君のときの失敗を踏まえてのことだ。

 この流れで、兄君の名前も教えてもらえないかと尋ねてみたが、兄君は首を縦には振らなかった。

「私など、死んだも同然の身ですから。そうですね、もし私が本当に女性で、左大臣に請われるまま出仕したなら、父のかつての官職から“式部”という女房名を使うでしょう。ですから、“式部”と呼んでください」

とだけ彼は言う。

 私の身の上を打ち明けることで距離が縮まったように感じたのに、それは私の思い上がりだったのだろうかとなんだか寂しく感じた。


 その日、もうひとつ驚いた出来事があった。それは、兄弟の父上に紹介されたことだ。

 昨夜もまったく父親の気配などなかったので、てっきり兄弟二人で暮らしているのだと思っていた。式部も父親のことを「前越前守さきのえちぜんのかみ」と呼んでいたので、亡くなったのだとばかり思ってしまったのだ。

さきの」と呼んでいたのは、どうやら現在父上が官職に就いていないため、呼び名としては「前越前守」しか選択の余地がなかったからのようだ。そして、昨日気配がなかったのは、別の邸に住む妻のところへと行っていたためらしい。ちなみに、この妻というのは式部、惟規兄弟の母ではないそうで、二人の母は早くに亡くなっているという。

 また、この父君は、文人として歌会や詩会に呼ばれることが多く、夜は邸にいないことが多いとか。

 ……と、このように聞くと、21世紀の感覚だと「無職なのに子ども二人を放って遊び歩き、仕事もないくせに、若い後妻のところに入り浸っているダメダメな父親」のようだが、この時代ではそういう評価にはならないらしい。ハロワ通いの父、ニートで引き籠もりの兄、弟が大学生という家に居候するなんて、大丈夫なんだろうかと心配したのだけれど、“荘園”があるから官職に就いていなくとも大丈夫なのだそうだ。現代風に言うなら、仕事はしていないけれどマンション経営しているから大丈夫! みたいなものか。

 それに、歌会や詩会に行くのも遊び歩いているわけではなく、和歌や漢詩によってその才をプレゼンしているようなもので、次の官職に就くために行っている就職活動に近いものらしい。

 現に、越前守という職を勝ち取ったのも、父君の漢詩が素晴らしかったためだという。もともとは淡路守あわじのかみに決まっていたところ、「寒い夜に耐え日々漢籍を学んで来たというのに、望んでいた上国の国司にはなれず、悲しさのあまり血の涙が袖を濡らしております」というような意味の漢詩をお主上かみに提出したところ、上国の越前守に代えてもらえたのだそうだ。

 漢詩ぐらいでそんなバカなと思ったが、越前には港があり大陸から外国人がやって来ることもあるので、漢文ができる、つまりは中国語ができるバイリンガルの能力が買われたらしい。兄弟二人、特に式部が漢籍を得意としているのも、父君に小さい頃から教えてもらっていたからなんだとか。

 そんな父上に対し、私のことは、「記憶を失った貴族の姫君。記憶を取り戻すまで保護し、早急に陰陽師に相談する予定だ」と紹介された。

 まあ、無難な紹介だろう。私が、女なのにかな文字よりも漢字の方が得意だということや、『史記』をそらんじることができるという話を聞いて、それは素晴らしいと微笑みながら、

「そのような姫なら、大江氏や菅原氏のような紀伝道に通じた家の姫なのではないか。私も詩会のときなどに、どこぞに姫が拐かされた家などないかどうか聞いてみよう」

とまで言ってくれた。

 もし、姫が行方不明になった家があったとしても、それはもちろん私の実家であるはずはないので、

「お気持ちは嬉しいのですが、自分で記憶を取り戻してみたいと思っています。いまは、自分が自分ではないようで、この世界に居場所がないように感じられ、どうにも不安なんです」

と答えたところ、ますますしっかりした姫だと思われたようで、快く邸への滞在を許可してくれたのだった。

 もちろん私は記憶を失ってはいないし、実際に記憶喪失の人に会ったことなどない。ただ、記憶喪失というのは、マンガやゲームでよく取り上げられる素材なので、適当に記憶喪失の人物が言いそうな台詞を繋げてみただけなのだが。たくさんのストーリーが頭に入っているというのは、咄嗟の出来事に対応するのに実に有利だ。そう思いながら、心の中で「嘘をついてごめんなさい」と謝った。


 そして、その翌日。私がタイムスリップして三日目となる日の夕方。

 大学寮から帰って来た惟規のぶのりさんが、喜色満面といった体で私の居候させてもらっている部屋へとやって来た。

「香子さま、陰陽師が見つかりましたよ。それもなんと、安倍左京権大夫あべのさきょうのごんのだいぶの孫にあたる方です。あと半刻もすれば邸に来てくれることになっています」

と、御簾越しに伝えてくれる。

「さっそく、ありがとうございます!」

とお礼を言いながら、安倍晴明の血筋だなんて、これは期待できるんじゃないかとワクワクした後に、ふと違和感を感じる。

「……ん? 孫?」

「そうですよ、お孫さんです。いまは天文生てんもんしょうとして学ばれている方ですよ。やはり、大学寮で友人たちに聞いてみたら、仲良くしているという友人がいましてね。本当、すぐに見つかってよかったです。安倍の宗家の方になんて、うちの家程度ではおいそれと頼めませんが、その方は長男ではないせいか気さくな方なようで。身分に関係なくいらしてくださるとか。よかったですね、香子さま」

 途中から、惟規のぶのりさんの言っていることが頭に入らなくなってくる。

 そう、私はマンガや映画、ゲームのイメージで、安倍晴明は若くて超美形なんだと勝手に思い込んでいた。孫がいるっていうことは、この時代ではもう晴明はお爺ちゃんなの!? いや、でも、この時代ってきっと早婚だから、イケてるアラフォーぐらいでも孫とかいるのかもしれないし……。

「あの、安倍のサキョなんとかさんって……おいくつぐらい? まだ若いのに、お孫さんがいるとか?」

「おいくつかは、私もはっきりとは……ただかなりのご高齢だったような」

と言う、惟規のぶのりさんの背後から

「齢80は越えていますよ。元気なおじじ様です、うちの祖父は」

という明るい声が聞こえてきた。

「あ、これはこれは、安倍天文生あべのてんもんしょうさま、今日はさっそくいらしていただきどうもありがとうございます」

と、威儀を正して礼をしているらしい惟規のぶのりさんに対し

「かまわないですよ。困っている姫君がいらっしゃるなら、私はすぐに参上いたします。それよりも、挨拶の前に、話に割り込んでしまって失礼しました」

とくだけた調子で答える。そして、そのまま今度は

「はじめまして姫君、どうか遠慮なく私を頼ってくださいね」

と私に声をかけてきた。

 御簾越しなのではっきりとは見えないものの、惟規のぶのりさんよりはかなり背が高そうで、少し日に焼けた肌は、陰陽師というよりは武士のようにも見える。

 陰陽師が来てくれると聞いたときから、勝手にマンガやゲームの中の晴明のような、クールで知的な感じの美形をイメージしていた。それこそ、式部さんとかぶるような感じでメガネが似合いそうなキャラを。

 しかし、いま御簾の向こうから話しかけてくるその声は、クールというよりも、セクシーなイケボ。まさかの、陰陽師が王子様キャラ、もしくはチャラい系キャラなのか!?

 昨日、ここはゲームの世界ではなく現実なのだと認識したばかりなのに、ついゲームの攻略対象かのようにキャラを分類してしまうのは、私の身体に染みついた癖だ。息をするように自然と考えてしまっている。そして、この人に対して適切な台詞は何だろうか、と冷静に分析を始めるのが常なのだが、今日はあまりの驚きに、うまく反応ができない。

 まるで「……」という選択肢を選んでしまったように。

「大丈夫ですか。さぞや不安でいらっしゃることでしょう。私にできることならなんなりと力になりますよ、姫君」

 ヤバイ、腰がくだけそうなイケボ。座っていて本当によかった、立っていたらヘナヘナと座り込んでしまいそうな、少し鼻にかかった甘い声。

 優しくて真面目、でも一生懸命主人公のために奔走してくれる、この先落ち込んだときの心の拠り所になってくれそうな弟系キャラの惟規のぶのりさん。理知的でクール、まだそんなデレたところは見たことないけれど、この先攻略を間違えさえしなければ、絶対にデレる場面が出てくるはずのツンデレキャラの式部。と来たら確かに、そろそろこういうキャラも出てくるよね、と思う。ただ、それが陰陽師だというのは予想だにしなかったけれど。

 ああ、現実は妄想の世界を超えているのかもしれない。

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