第24話:実る『初恋』
あまりに急な状況、というより、事態というべきなのか? そんな言葉を探すような作業にも集中できないほどに、『神父』と呼ばれている中年男は驚いた。
「……茜、本気で言っているのか?」
「当たり前でしょ? 冗談で僕がこんな事を言うと思う?」
「いや、それは思わないが……」
――茜に一体何があったというのだ?
そう彼が思うのも、疑うのも無理はない。現在彼らは病院にいて、普段一緒に暮らす疑似親子――神父と茜と、もうひとり。全く見覚えのない若者が娘同然に育ててきた茜の傍に立ち、彼女の肩に手を置いて微笑んでいる。……この状況自体、男嫌いのような傾向のある茜らしくない、なさすぎる。
「はじめまして、貴方が神父さんですか? 僕は四ノ宮聡と申します。茜さんとは……所謂幼馴染の関係、とでもいいますか。とりあえず、昔はよく一緒に遊び、彼女には助けられてばかりでした。そんな彼女が更に立派になって……。どのような方に育てられたのかと、お会いするのを非常に楽しみにしておりました!」
「……」
第一印象としては、悪くない、どころか完璧と言っていい。確かにこんな異性ならば、いくらあの美人や美少女に弱い茜でもころりと参るのもおかしくない。……だが同時に何か危ない予感がぬぐえないのはなぜだろうか? ただ単に自分が手をかけて育てた茜を取られるのが純粋に嫌なだけなのだろうか? そう自問自答するが、一向に答えは出ない。
そんな育ての親の複雑な心境を察したのか、珍しく弱気な表情で茜が相手――交際の相手の紹介を補足する。その内容も、神父としても「こちらから娘をお願いします」と申し出たいほどの内容だ。
「サトルくんはね、昔から誰にでも親切で、礼儀正しくて、頭もよくて……。僕も学校の勉強を教わってばっかりだったなー。なのに嫌な顔一つしないし、他の子にも一緒に勉強しようって呼び掛けてた。あとは一緒にチョコ食べたり、宿題を一緒にやったり、悪戯した時には一緒に怒られたっけ。……それに、『あの女』のおかしさにも唯一気づいて、心から心配してくれてたんだ」
今時珍しいと言っていいくらい、人として立派な好青年。見た目もしっかりとアイロンをかけたシャツに、折り目のついたスラックス。智也とは違い、ブランドではなく本当に良いものを選んでいるとしか思えない腕時計選びのセンス。
だが神父を感心させたのは、何よりもその澄んだ目だった。誰も疑ったことがない、純粋な者の眼。今までは教会で様々な人物を見てきたが、彼のような澄んだ目をした者など数回出会ったことがある程度だ。
「……四ノ宮さん、でいいのかね?」
「はい。どうぞ気安くお呼びください。その代わり、僕も『お義父さん』と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか?」
「いきなり『お義父さん』は照れるなぁ……」
男同士の複雑な話に割り込んでくるのもまた、宮下茜というこの状況では困った『娘』だった。
「いいじゃん! 僕とサトルくんが結婚したら、どう考えても神父が『お義父さん』なんだから。あ! そういえばサトルくんのご両親って……」
『ご両親』という言葉で神父はいやがおうにも反応してしまう。茜がナチュラルに『結婚』という言葉を口にしたのにも驚いたのだが、それ以上に気になるのは茜が四ノ宮家に嫁いだ時の『義父母』の事だ。
彼は困ったように笑うと意味深に茜の方を見た。
「……我が家もシングルマザーだったんですよ。実は茜さんと同じく、僕も片親育ちです。その母ですが、六月に茜さんが解決した事件の事は覚えてらっしゃいますか?」
「あぁ、あのウエディングプランナーの……もしかして」
茜には四ノ宮の言いたい事が解ったらしいが、探偵でもないただの牧師である神父には当然解らない。二人は一体何の話をしているのだろう?
「……茜さんの推測通りです。新聞にも小さく載ったあの事件ですが、犯人の女は僕の母です」
「……なんだって?」
「やっぱり。あの時に感じた不思議な懐かしさは錯覚じゃなかったんだ……」
この言葉には男性二人がとっさに茜の方を見た。
「いや、ドレスを着せてもらった時に髪を弄ってもらったんだけど、その手つきがやけに優しかったんだ。まるで壊れ物を扱うかのようで……。そっか、僕、サトルくんに悪いことしちゃったんだね……」
「気に病む必要はないよ。母は悪いことをしたんだ。『悪』は裁かれるべき、違うかい?」
「……サトルくん」
そんな二人の様子を見て、神父も確信する。彼の言い分――悪は裁かれるべき、というモノは自分と同じ考えだ。更に自分の母親でも、その倫理観は揺らがない。それほどの『覚悟』のある強い倫理観。
――彼ならば、茜を任せても大丈夫だ。
神父はそう確信する。自分から見ても酷いとしか思えなかった幼い茜の境遇を、蔑むどころか進んで助ける精神が特に気に入った。神の教えは、そのような『無条件の無償の愛』が根底としてあるものだと考える。彼――四ノ宮聡は十分にその素質がある。
『結婚』を前提にした交際を認めてもらうため、という用件でやってきた二人の親しい雰囲気には淋しいモノを感じたのだが、茜も『娘』である以上は、いつまでもこんな男の傍にいてはいけないだろう。本当の意味で茜の幸福を願うのならば、自分はただの邪魔者に過ぎない。
――邪魔な老害はさっさと退散しよう。だがその前に……。
「茜、四ノ宮君、私と三人で話す時間をくれないか? 君には是非とも茜の伴侶になって、至らない部分を助けてやってほしいし、茜は彼を幸福にすべきだ。そのためにはどうしたらいいかを、お前の誕生日に教会で話そう」
十月十六日、それは茜の二十歳の誕生日だ。そして、今までの『未成年』という『庇護者』から外れるということ。それがどういう事なのか、神父は若い彼女によく言い聞かせておくべきだと考えた。……自分の身体は年齢もあるし、長くはもたないかもしれない。用心に越した事はない。
二人は神妙な顔で神父の言う事に耳を傾け、真面目な顔で同時に頷いた。
「もちろん!」
「それはこちらからお願いしてお伺いしたかったお話です!」
その態度は嘘偽りない素直さが見えた。やはり、彼にならば茜を任せられる。若い娘には若い男が傍にいた方がいい。それが『茜という娘の幸せ』だ。
神父はそう信じて疑わない。
「では今年はいつものモノよりも奮発したケーキを用意しよう」
「僭越ですが、僕が手作りしてもよろしいでしょうか?」
「え? 四ノ宮さん、料理がお得意とか……?」
「断言できるレベルではないのですが、茜さんの好物はよく存じ上げておりますので、彼女好みのチョコレートケーキを手作りしようかと考えていたのです」
そう言って、彼はレシピと完成図がイラストになって表現されたケーキの案を書いた紙を数枚、二人に見せた。
「うわ! どれも凄く美味しそう!」
「……ここまで細かいものが作れるとは……。もしや専門職?」
あくまでも謙虚に四ノ宮聡は苦笑い。
「……いえ。茜さんの将来の伴侶になるのなら、このくらいは極めておきたいと思っていまして」
「凄すぎるよ、サトルくん! 大好き!」
そう言って笑顔になる茜。……彼女の笑顔など、ここ最近でいつ見ただろうか?
――四ノ宮さん、どうか、茜を幸せにしてやってください。
神父は笑い合う未来ある若い二人を慈愛の眼差しで見つめていた。その先にある茜の左の薬指には、蒼い石のついた婚約指輪が光っていた。
「……茜ちゃん、君はどうして『探偵』になろうと思ったんだい?」
「……え?」
あの後、身体がすくんで立っている事さえままならない茜を強く抱きしめながら、四ノ宮聡は静かに問うた。茜にとって探偵になる事は自然の成り行きだった。拾われた相手が偶然『組織』に関わりのある人間だった。だからだ。……しかし、本当にそれだけなのだろうか?
「僕は、君はとても頭が切れるし、発想力に優れている。……確かに学校の勉強は苦手だったのかもしれないけれど、本当に『賢い』っていう事は成績じゃないと思うんだ」
「……」
抱き締める腕に力がこもる。
――サトルくん、もしかして緊張してるの?
「だから君が探偵として優秀なのは当然だと思う。でも、僕の本心では危険な目には遭って欲しくないし、もっと自分を大事にして欲しいんだ。……昔はあまりにも幼すぎて無理だったけれど、僕だって身体も鍛えてきたし、得意分野は伸ばしたし、苦手は克服してきた。だから、君を、宮下茜という名の愛する女性を守りたい。一生」
「サトルくん……」
――これは間違いなく、本気で言ってる。
「……『嬉しい』って、普通のひとならいうところなんだと思う。けど、僕は普通じゃないから。ホラ、一人称だって『僕』だし……」
「そんなことは関係ないんだ!」
彼がらしくもなく大声を出したので、茜は何も言えなくなる。昔の女子のような高い声とは違う、男独特の声。男にしてはやや高いけれど、優しさを含む低い声は、混乱している彼女を落ち着かせるのに一役買った。
「君のそういうところが好き、って言ったら怒るかな? ……でも僕は、その『普通じゃない宮下茜』を愛しているんだ」
――サトル、くん……。
その真剣さに、茜は何も言えない。自分の中で自覚した『初恋』の思い出。……よく思い出してみれば、幼少期の彼女の思い出の中には常に彼がいた。ブランコを禁止されるまでは遠巻きに見つめ合っていた。『母親』が禁止しても外に出た時には彼が待っていた。他にも、心当たりは沢山ある。
――これが、『恋』?
六月の事件を思い出す。和也の結婚式、ブライダル専門店の事件。この二つの事件の時、茜の中で何かが目覚めたのかもしれなかった。あれだけ女性服を嫌っていたはずなのに、雰囲気に流されたためだと当時は思っていたが、和也の結婚式で女物のドレスを着たのも、実は自分の中の『本心』が目覚めたからだったのかもしれない。
『結婚は女の幸せ』
犯人はそう言っていた。その意味がやっと理解できた気がする。
――大好きなサトルくんと、ずっと、一生、一緒にいられる……。
それはどれだけ茜を勇気づけてくれる事だろう。二人で一緒にいれば、出来ない事など何もないかもしれない。それに、一生独身というのもよく考えてみれば寂しいものではないだろうか? ずっと『結婚』に抵抗があった茜の価値観は、ここにきて真逆に変わった。
「……」
黙り込む茜の心情を察知したのか、四ノ宮聡は指輪の入った箱を差し出す。その指輪は六月の事件の時に見た、蒼いサファイヤそのものに見えた。
「……僕と、結婚を前提にお付き合いしてください」
静かに、諭すようにそう告げる四ノ宮聡。その表情には優しさしか見えない。
――本当に、このひとは僕を幸せにしたいと思ってるんだ……。
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
既に、茜の頭からは智也が告げた事件の事は抜け落ちていた。『恋は盲目』、この言葉を聞いたことがあったが、まさか自分がそうなるとは、茜は微塵も思ってはいなかった。
……心の中で愉悦に浸る。
――これで僕の『初恋』は実った。
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