第17話:水面下で……。

 目を覚まして、うるさいほどの大音量の元である、目覚まし時計を止める。四月に入ったが、女性にとって冷えは天敵。未だに厚手の毛布を着こんで眠っているのだが、少々汗をかいてしまい、眠れない。……しかし今日は大事な日だ。『仕事』の。

「……またあのジジイたちのご機嫌取り」

 そう低く呟いて、彼女は眠い目を擦り、ベッドから降りる。その足元には一枚数万もする服しか広がっている。どれも名のあるメーカーの服。それらを躊躇いなく踏みつけて、彼女は無理矢理詰め込んであるクローゼットを乱暴に開ける。『仕事』用の服に普段友人と遊ぶ用、着物やドレスなども無節操に詰めてある。その中からいつものスーツを選び、着替える。

 いつもよりもメイクのノリが悪いのは、色々なことがあり過ぎたからだろうか。いつものように決まらない。鏡の中の自分の顔を深く覗き込むと、まるで自分ではない誰かを見ているようで、気味が悪い。

「……こんな朝はスムージーで済まそうかしら?」



 そしてその予告通りに朝食をスムージーで済ませた彼女は、愛車に乗り込み、上司が待つ場所へ向かう。その上司は合計で六人しかいない。あくまでも彼女が把握している範囲でだが。そんな彼らが緊急の呼び出しだといって手紙をよこした。封蝋できちんと閉じられたモノ。それは重大な事態にしか用いられない決まりだった。

「……一体何の用かしら?」

 そう彼女がくさりたくなるのも無理はない。こんな急な呼び出しなど、これまでになかったのだから。車は高速を抜け、小さなパーキングエリアの方へと向かう。そこから先の細道をしばらく走らせて、彼女は車を止める。

 相も変わらずの見た目だけは立派な、本当に小さな洋館だった。茜も智也も自分たちが、こんな小規模の組織に雇われていたのかと思うとやりきれなくなるのは目に見えている。そこへ、割と親しい人物――御神が声をかけてくる。

「久しいですね、長月コーディネーター」

「貴方もね。会えて嬉しいわ。……でも、その『長月コーディネーター』って呼び方はやめてもらえないかしら?」

「なぜです? 私が完璧に集めたデータから、貴女は親しくもない相手に愛称で呼ばれるのを嫌う傾向があると……」

 この洋館も相変わらずなら、この男も相変わらずだ。機械的な口調や、相手の感情の動きを察するのが大の苦手、要は人間関係においては非常に不器用。この男――御神忍はそんな男だと美千代は思っている。

「……貴方だから、に決まってるでしょ?」

 これ以上の事は言われたくないとばかりに、美千代は会話を打ち切り、困惑する彼の案内の元、外観からは想像できない広さの廊下を進む。コツコツと彼女のハイヒールの音が響く。その事に、御神は嫌悪感を露わにした。

「……こだわりを持つのは結構ですが、時と場合のマナーくらいは大人であれば嗜むべきですよ?」

「悪いけれどね、私の主義なんてささやかなモノよ? 多少は見逃してくれもいいと思わない?」

 そんな会話を続けていたのは、金属製のプレートに何やら彫られた跡のある煤けたプレートが飾ってある、比較的大きな部屋。いつもこの手の広い部屋で美千代は依頼を受ける。

「……開けますが、準備はいいですか?」

「もちろんよ」

蝶番が錆びているのか、扉はごくゆっくりとしか開かない。徐々に差し込んでくる光りには、思わず目を覆った。



美千代をはじめ、探偵たちが『上の連中』と呼ぶ者たちは、誰もが一筋縄ではいかない連中ばかりだった。少数派の男性議員、地方の金持ち、カリスマ教師と評判の男性、天才心理学者、有名テレビ局のプロデュ―サー、この五人がいつも話題を出し、それを纏めるのは元首相を務めた老人だ。

 御神はボス格の老人の元に近づき、書類を数束渡す。ちなみに今この場にいるのは『上の連中』の男性が六人、御神は男性、という訳で、男七人に美千代は唯一の女性だ。

「……美千代、例の小娘は? 今の動向を知らせてはくれないか?」

 長である老人の鷹のような鋭い目線に、流石の美千代も固まってしまう。聞いた話によると、彼のバックには恐ろしい組織がついているらしい。……これまで彼にたてついて無事だった者のその後など聞いたことがないので、それを信じている。

「小娘――宮下茜でしたら、ついに例の『男』と戦うことを決意したようです。補足としましては、神木との間に亀裂が入ったこともありますが……」

 美千代の言葉に、それまで無音だった部屋の雰囲気が変わる。ある者は悲しみ、ある者は手を叩いて喜んでいる。なにがそんなに面白いのか、大いに疑問だったが、御神の直属の上司が一言「静粛に」と声を発しただけで、場は再び静かになった。

「御神、お前から見てどう思える?」

「は、この符号の一致は、正直に申し上げれば『奇妙』の一言です。『奴』――あの男は明らかにただの遊び感覚でしょう。新しい情報としては、一色若葉が寝返ったことはご報告申し上げましたが、彼女の動向も不明です。……我々にとって、もっと懸念されるべきなのは、やはり『宮下茜』と『神木修一』の関係の崩壊」

 老紳士は満足そうに頷く。美千代には早口過ぎて聞き取れなかったのだが、今この場で訊くわけにはいかない。彼は再び言葉を発する。

「……長月美千代、お前の任務はあくまでも『監視』だ。それ以上首を突っ込むのではないぞ? ……お前の周囲の者が大事ならば、な」

「それは一体、どのような……」

「それ以上の発言は許されない」

 謎の言葉の真意について問おうとする美千代を、御神が制す。いくらこの場にいるのが多少なりとも好色な連中だとはいえども、これ以上の質問はしてはならないらしい。御神がそう言うのだから、間違いはないだろう。

「私の同僚が、とんだ失礼を。彼女に代わり、私がお詫び申し上げます」

 そう言って、頭を下げる御神によって、この場は収められた。



 廊下を歩きながら、美千代は同僚である御神に問いかける。

「ねぇ、なんであの時庇うような事を言ったの?」

 あれはあまりにも御神らしくない言動だった。

 どんなときにも冷静で、頭の回転が速くて有能。なのに決して自分から目立とうとはしない、変わった男。それが美千代の中の『御神忍』像だった。その御神は上司である老人から美千代のボディガードくらいはしろと命令されて、彼女のすぐそばを歩いている。

「……貴女が知る必要はありませんよ。でも、もうすぐ『刻』が来る、という事だけは言ってもいいでしょう」

「……『刻』?」

 すると御神は悪戯が見つかったような顔をして、少々困った顔をして言った。

「宮下茜にとっての試練の『刻』。そういう意味ですよ。……私としたことが、少々おしゃべりが過ぎました」

 御神は「完璧に会議室を片付けなければ」と独り言を言って、美千代を無理やり洋館から追い出すように見送った。残された美千代は呟く。

「……なによ? 『刻』って?」

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