第14話:聖夜の望まぬ邂逅

 『あれから』、よく考えることがある。自分は何者で、どこから来てどこへ行くのか。その答えを知っているであろう神父はひたすら口を閉ざしたままだ。

 誰か、誰でもいいから、明確な答えが欲しい。あの事件に巻き込まれてから、茜の頭を占めるのはある『男』のことだった。



 今日はクリスマスイブで、クリスマス当日に向けての大掃除の日でもある。傍から見れば十分に綺麗な教会だが、いたるところに埃が散乱している。

 茜と神父は三角巾を被り箒を装備して、手分けして片付けることにした。元々彼女は綺麗好きなので、部屋はそれほど散らかってはいない。読み返した本が山積みになっているくらいだ。埃も特にない。

 このまま手持無沙汰も嫌なので聖堂の掃除に取り掛かることにする。マリア像は純白だが、その裏には埃がびっしりとついていた。

「うわ~」

 ある意味神父のズボラさに感心しつつ、箒で埃を取り除いていく。その時、聞き覚えのある、しかし今は最も聞きたくない者の声が聖堂に響く。

「『俺の娘』ともあろう者が……こんなボロ教会の掃除とはな」

 今この場に神父はいない。茜はゆっくり振り返る。

「……大西隆」

「悲しいな、『娘』にそんな呼ばれ方をするなんて」

 半ばからかうかのように大西は白い歯を見せた。

「元気だったか? ……まぁ、この経済状態じゃ和子と同じく、幸せにはなれないんだろうな」

「僕たち親子を捨てたのは、アンタでしょ!」

 大西は何が楽しいのかけらけらと笑う。

「和子は『俺の子が欲しい』と言ったから抱いてやったまでだ。だが、お前はれっきとした、血の繋がった『娘』だ」

 茜は思わずスタンガンに手が伸びそうになるが、その手も大西によって阻止される。

「せっかくのクリスマスだ。こんなところで灰かぶりなんかしてないで一緒に来い」

 大西の力はあまりにも強すぎた。それにメンタル面でも今の茜は安定していない。更に、何よりも過去を知りたいという欲求には敵わなかった。



「茜? そっちの掃除は終わったのか?」

 神父が礼拝堂に来たのはそれからしばらく後の事だった。三角巾と箒が無造作に散らばっている。普段の彼女ならばちゃんと片付けておくはずだ。

 不審に思っていると、教会のベルが鳴った。本来は休日として休み扱いなのだが、教会という施設の性質上、無視というわけにもいかない。

「はい、今開けます」

 彼は知らない。茜が大西に連れ出されたことを。そしてその結果がどうなるかという事も。

 そこにいたのはまだ子供だった。……正確には高校生だが、年齢的にはまだまだ子供。

「……この寒い中、歩いてきたというのにお茶もないの?」

 少女は不機嫌を露わにして言った。

「……君は、一色若葉君だね?」

「わたくしの事も知らないなんて、ニュースは見てるの?」

 毒舌なこの少女には何か温かいものを出して落ち着いてもらおう。

「チャイはないの?」  暖かい紅茶を出したら、いきなりこんな事を言われた。年配の神父には『ちゃい』とやらが何だか理解できない。

「ちゃい?」

「……もういわ。それで要件というのはね、パパがあの女に関わらない様にして欲しいの」

 あの女、とは多分茜の事だろう。

「関わるも何も、茜は大西の事を嫌っている」

「それが、パパがそうじゃないから困ってるの!」

 バン! とテーブルを叩く若葉に神父は唖然とする。

「……ということは、今も『あの男』が茜に関わっているとでも?」

「だからそう言っているでしょう。全く、だから凡人は嫌いだわ!」

 あの三角巾と箒はそういう事だったのか。神父は慌ててジャケットを羽織る。

「ちょっと、お客様をおいてどこに行くつもり?」

「決まっている。茜を助けなければ!」

 ここで若葉は大きなため息。

「……あんたって本当におバカさんね。パパが本気になればどこにでも行けるのよ。そんな事くらい付き合いの長いアンタなら解ると思うけど?」

 確かにその通りだ。あの男は留置所からも簡単に逃げる。何がしたいのか目的も悟らせずに。

「だが、私には茜を放っておくことなど出来やしない! 何年一緒にいると思っているんだ!」

「あら、奇遇だわ。わたくしもあの女がパパと一緒にいるだけでイライラするわ。……どう? 共同戦線とでもいかない?」

「共同戦線?」

「パパの行きそうな場所くらいは大抵想像がつくわ。パパがあの女に興味を持たなくなるよう協力してくれるのなら、わたくしも協力するわ」

 つまり互いのメリットがあるというわけだ。

「……よし、その作戦に乗った」

 若葉は再びコートに袖を通した。

「車の運転くらいは出来るんでしょ?」



「茜、お前には『探偵』の素質がある。しかし『犯罪者』の素質はもっとある」

 一度も入った事のない、ドレスコードのあるレストランで、大西はワイングラスを傾けた。割と飲んでいるように見えるが全く酔った様子はない。茜はこの手の話を延々と聞かされていた。

 肝心の茜自身の過去については、話そうとしたり、別の話題に持っていったりと決して話そうとしない。

 ドレスコードがあるくらいだから、茜も真紅のカクテルドレス姿だ。本当はスーツが良かったが、過去の話を聴くためには我慢も必要だ、と自分を納得させた。

「……そろそろ来るころか」

 不意に大西が腕時計に目をやった。何かと思っていると、そこには茜と同じくカクテルドレス姿の若葉と、よれよれのスーツ姿あの神父が立っていた。

「……予定通り、だ」

 若葉は大西を睨みつけると、大股で歩きよる。

「パパのバカっ!」

 客たちが二人のテーブルに視線を集中させる。何事かさっぱり解らないが、大西との会話を途切れさせてくれた若葉には礼を言いたいくらいだった。

「どういう事なのよ!? ママへの愛は冷めたの?」

 若葉が一方的に怒鳴りたてているが、大西はどこ吹く風。

「クリスティは愛しているが、お前ほどではないな」

 そう言いながら仔牛のステーキにナイフを入れる大西。「お前ほどではない」という言葉が効いたのか、若葉はそれ以来静かになった。

「僕の 『過去』を教えてくれるって話は?」

 茜はあくまでも義務口調。

「それについてはデザートの時にでも話してやるよ」

 メインを全て食べ終えた茜は、味が舌に合わなかった。高級すぎるのも考え物だ。やはり貧乏人には質素な食べ物が相応だ。

「で、茜は和子の話を聴きたいんだっけ?」

 大西はわざとらしく言った。腕を組む余裕がある分、心理的に茜が不利だ。

「そう。僕の母さんのどこがいけなかった? どこが気に入らなかった? 愛してたから僕が生まれたんじゃないの?」

 淡々と問いかける茜を、大西は笑いで受け入れた。

「和子は代々芸者の家の出身でな。あの日も俺のいた座敷に来たっけ……」

 茜が聴いた話とその辺は合致している。確かそんな大西に母が惚れ込んだと。

「男慣れしていると思いきや、年下の俺にあっという間に夢中になって。あれはお前にも見せてやりたかった!」

 心底母親をバカにする発言だ。母親には複雑な想いがあるが、はっきりと馬鹿にされるのは気分が悪い。

「アンタにだって、誘うようなところはあったんじゃないの?」

 精一杯の切り返しだが、大西はそれすら愉快そうだ。

「そりゃ、俺も男だからな。イイ女がいれば反応せずにはいられないさ」

 本当にあの頃の和子は美しかった、そう呟く大西には嘘は感じられなかった。

「残念な事に、あの艶やかな黒髪がお前に遺伝しなかったのは、惜しいと今でも思う。それにあれだけ白かった和子の肌もな」

「悪かったね」

 ここで再びワイングラスを傾ける大西。

「だが『頭脳』は遺伝した。……お前もその気になれば素晴らしい『犯罪者』になれる。俺の元に来い!」

 ここで若葉と共に来ていた神父は前に出て、大西と茜の間に壁を作った。

「……何の真似だ?」

「この子は、茜は『私の娘』だ。誰が貴様なんぞに渡すものか!」

「……血の繋がりもない癖に、親きどりか?」

「少なくとも、育ての親だという自負くらいはある!」

「俺に妻子を殺された『負け犬』如きが、邪魔をするな」

 次の瞬間、神父の身体は宙を待っていた。

「神父っ!」

 大西はこれで邪魔者はいなくなったとばかりに居住まいを正した。

「さて、どこまで話したっけ?」

 その表情こそ笑ってはいたが、残虐な殺人者そのもので、茜の背筋を冷や汗が流れた。神父はすっかり意識を失ったようだった。

 ホテルマンが寄って来て、軽く調子を見る。この程度ならば後遺症は残らないし、数時間もすれば目覚めるとの事だった。

「俺は手加減くらい簡単なんだよ」

 そう言って笑う大西が、悪魔にしか見えなかった。

「……アンタは一体『何者』?」

 茜の問いに、大西は口角を上げて応えた。

「お前の『父親』だ。和子がお前を授かった時の喜びようったらなかった」

 大西は神父の隣にしゃがむ茜を見下ろしながら、淡々と語る。もちろんワイングラスは持ったまま。若葉は、どこかこの状況を楽しんでいるかのようだ。

「だが、男ではなく女だと知った時の絶望は……俺にははかり知れん」

 この言葉は茜にグサリと来た。

 ――男の子だったら。髪くらい切りなさい!

 母の罵声が無意識のうちに茜を苛む。

「男だったら俺の声で呼んでくれる事だとばかり思っていたようだ。あの女も馬鹿だな」

 またあの頭痛がする。耳鳴りまで聞こえてくる。

 憎むべき相手、怨むべき相手が目の前にいるというのに、自分は手も足も出せないのか。そんな無力感で一杯だ。……このまま何もできないままなのか。自分は、一生この『男』に敵わないのか。

「ほら、かかってこい。俺に勝つんだろう? 俺を捕えるんだろう? ……ならば躊躇うな! 弱みを見せるな! 容赦をするな!」

 大西の声が間近で聞こえる。それでも反論一つできやしない。

「……さて、この辺で帰るか。余興はこれで十分だ。若葉、クリスティは何を用意してるって?」

「サーモンのカルパッチョ。パパ好きでしょ? あとはクリスマスの定番料理かしらね」

 楽しそうに腕を絡め合う、大西と若葉。そんな普通の事も叶わない自分との落差を感じて、茜は密かに悔し涙を飲んだ。

 ――どうして僕はこんなに、これほどまでに弱いんだろう?

 今年のクリスマスは最悪だった。いつか、今日この日を糧に、大西を捕えてやる。茜の胸に来年の目標が強く刻まれる。

 ――許さない、大西。

 悔し涙を流す茜を見かねてか、ホテルマンが寄ってくる。 彼女はそれを手を振るハンドサインで断った。

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