7月17日 陰謀

 そうね。その日は―――朝から何もかもがおかしかった。


 わたしが目を覚ますと、部屋にはもうベルシーの姿がなく(午後の遅い時間から仕事だったはずなのに)、窓の外はすでに明るくて、しかも遠くから大勢の歓声が聞こえてきて……。

 

 体温がひゅんって下がったのを覚えてる。

 

 ちょっと待って。こんなのおかしい。ありえない。

 

 だって、マシューの晴れ舞台の日なのに!!

 

 歴史的快挙が起こるかもしれない、ユービリア国史上でもとびきり重要な一日になるかもしれない日に―――。


 なんでわたし、寝過ごしちゃってるの!?


〈わたしが重要な日に寝過ごした主な原因〉

・クロスタン国の一行が来訪してから、遅番の日が続いて激務だった

・7月16日の夜の衝撃的な出来事のせいで、背中がズキズキと痛んで、何度も寝返りを打ったりして、なかなか寝付けなかった

・7月16日の夜の別れ際、マシューがいった言葉の意味が気になって気になってしかたなかった

・ようやくまどろんでいたら、あの路地裏で遭遇した黒フードの不気味なおばあさんがベッド脇からぬっと出てきて、真っ黒な歯をニヤリとさせて、「死神はついにお前さんを見つけたぞ」とか、言い出す夢を見た(もちろん、あれは夢よ。だってそうじゃないと……夢でしょ??)


 まあ、とにかく、寝過ごしたのは間違いないってこと。


 それでわたしは、驚くべき早さで着替えて部屋を飛び出した。宮廷女中棟も、ユービリア城内も、水の中にいるみたいにしんとしている。歓声は別の世界から聞こえているような感じだった。


 そうね。だって、誰もが親善試合を見に行ってるんだもの。


 城のお偉いさんたちは、親善試合の行方が気になって、使用人たちの仕事が手につかなかいことが分かってた。わたしだって、もし仕事を押し付けられていたら、それこそクビを覚悟で(かどうかは自信ないけど)、仕事を放り出して応援に向かったに違いない。


 この日のために特別に準備された闘技場が、練兵場の近くの、広い敷地に造られていることは知っていた。ユービリア国の色である青と白、クロスタン国の色である赤の幕が風にはためく、平に削られた石を敷き詰めた、特別な舞台。


 その周りをユービリア兵と使用人たちが取り囲み、白銀の鎧を身に着けた近衛兵と、塔の上の弓兵が、他の場所より三段ほど高くなった観客席におられる両国の王族を厳重に警備していて―――。


 というはずだった。少なくとも、わたしが耳にしたかぎりは。


 だから、ふだん使用人が通るとこっぴどく怒られる、主城の前庭に面した吹き抜けの回廊を走り抜けたとき、その目に映った光景はにわかに信じがたかった。


 ちょうど通り過ぎようとした、主城の来賓室へと続く通路に、ユービリア国の兵士服を着た護衛役が二人、倒れている。


 だけど、抜き身の剣を握っているのも、ユービリア国の兵士だった。彼らは、目元を妙な仮面で隠していて、倒れている護衛役をまたぐと、じりじり後ずさりしている少年に近づいていく。


 黒髪の少年は、いかにも珍しい、袖の広がった、ゆったりとした赤と金の豪奢なサテンの衣装を身につけて、つま先が尖った銀色の靴を履いていた。そんな高級そうな衣装を着ている少年が、異国の小姓だと自分をごまかすには―――あまりにも余裕がなさすぎた。


「陛下!」


 わたしの声に、異国の王が驚いた顔で振り向いた。ユービリア国兵士の姿をした―――偽物の兵士二人も。彼らは異国の王を捕まえようと手を伸ばしたけど、異国の王はその手をかろうじてすり抜けて、こちらへ走ってきた。

 

 わたしは陛下の手をつかんで、来た道を引き返した。いま思えば、わたしは―――自分から火の中に飛び込んでいった。逃げることもできた。逃げるべきだったかもしれない。


 でも、わたしは陛下の手を引いて城の中を走っていた。きっと、その火がどれほど熱いのか、理解していなかった。

 

 ベルシーの警告が脳裏をかすめる。こんなときこそ、考えナシに行動しちゃダメだって。

 

 でも……そうは言ったって!!

 

 城内には誰もいない。マシューも、ベルシーも、ロラン隊長も、ニーノも。


 それに、ユービリア国の兵士の中に、クロスタン国の王の命を狙う暗殺者が紛れ込んでいると知った以上―――うかつに助けを求めることもできない。

 

 わたしの行動一つで、異国の王と自分の命運が決まるのだと思うと、正気じゃいられなかった。走っているのに吐きそうだった。足がもつれそう。男たちは確実に追ってきている。

 

 でも―――待って。これって現実?


 田舎からやってきた名もない貴族で、しがない宮廷女中が、恐れ多くも異国の王の手を引っ張って、凶悪な賊に捕まらないように逃げ回っている?


 ありえない。そんなこと。どう考えたって。


 とするとこれは―――第二回目の、特別な襲撃訓練かもしれない。

 

 わたし、今度こそちゃんとユービリア国の宮廷女中として見事な働きっぷりを見せれるかどうか、試されてるのよ。

 

 そう。そうに違いない。かりに追ってきている賊に捕まったとしても、彼らはきっとにっこり笑って、


「コレット=マリー。すばらしい。きみはとても勇敢だった」


 とわたしを評価してくれるに違いない。もしかすると、追いかけてきているのはロラン隊長かも。

 

 もちろん、それを確かめる勇気も余裕も持ち合わせちゃいなかったけど。


 わたしは異国の王の手を引いて、別の道からみんなが集まっている闘技場へ向かうか、それともどこかへ隠れて、異国の王がいなくなったことにみんなが気づいてくれるのを待つか、考えた。


 ううん、それより―――思い出した。


 わたしは、もう見つけていたのよ。


 こんな非常事態が起こったときのための、秘密の通路を!


 そう。6月25日。わたしはとある理由から(説明は割愛。想像以上に非常事態だったから)、ユービリア城からこっそり城下町へと抜け出すための秘密の通路を探していて、しかも見事にそれを発見した。


 それで、迷わず装飾品室へと向かった。異国の王は抵抗もせずにわたしに手を引かれていた。ユービリア国の兵士に剣を向けられたことで―――そうとうな衝撃受けていたのかもしれない。


 でも、あれは本当のユービリア国の兵士じゃない。それをどうやって説明しよう。クロスタン国が激怒して、ユービリア国と戦争にでもなったりしたら?


 わたしは真っ青になりながら、装飾品室へ王と駆け込むと、宮廷画家が描いたユービリア城を正面から描いた見事な絵画をはずして、その裏の壁に隠されている扉を押し開けた。


 中は暗かったけど、たしかに通路になっていた。わたしや異国の少年王なら、四つん這いになって進めば通り抜けられる。でも、あの追いかけてきた男たちは―――わたしたちよりずっと体格が良いから、四つん這いになっても入って来られないはず。


 わたしは異国の王を促して、急いでその通路に入ってもらった。絵画の裏には折り畳みができる取っ手がついていて、秘密の通路に入りながら、絵を元の壁にかけることができた。そしてゆっくりと扉を押して、入り口を閉めた。


 外の光を締め出して、通路の中は真っ暗になった。

 

 扉を閉めたあとすぐに、バタバタと慌ただしい足音が装飾品室に響いた。


 まさに、間一髪。

 

 かりに連中がこの秘密の通路を見つけたとしても、中には入ってこれない。そうだと分かっていても、簡単には動悸がおさまらなかった。


 振り向くと、異国の王がすぐそばにいるのが分かった。まだ暗闇に目が慣れていなくて、どんな顔をしているのか分からなかったけど、わたしは弱々しく笑ってみせた。


「あの、ええと……アラ・トイレ・ペルレ」

 

 そうね。もっとちゃんと、クロスタン語を勉強しておけばよかった。


 でも正直、こんなにクロスタン語を話す必要に迫られる機会に恵まれるなんて、予想だにしていなかったんだもの。

 

 異国の王がくすっと笑うのが分かって、ほっとした。

 

 わたしたちはひとまず手探りで通路を進んだ。先に何が待ち受けているのか分からなかったから、わたしが彼を先導したかったのだけど、通路が狭くてすれ違うこともできずに断念……。

 

 秘密の通路はしばらくまっすぐ続いていた。途中、二回右に曲がり、そのあと三回ほど左に曲がったせいで、わたしは方向感覚をすっかり失った。もしかして、これは小柄な侵入者を迷わして捕らえるために造られた通路なんじゃないかって思った。城下町になんか、続いてないのかも……。

 

 しばらくまっすぐ進むと、目の前を進んでいた異国の王の姿がふっと視界から消えた。


 わたしは冷たい井戸の水をかけられたような衝撃を受けた。


 この先で、異国の王が、鋭い槍が突き出た落とし穴か何かに、はまってたら?

 

 わたしも覚悟を決めて飛び込むしかない。


 異国の王を間違って、賊を捕らえるための通路に追い込んで暗殺した罪で。

 

 わたしはおそるおそる床を探りながら進んだ。手を伸ばすと、道の先がなだらかに下っていて―――。

 

 伸ばした手を、そっと誰かに捕まれて、「ひっ」としゃっくりのような悲鳴が出た。

 

 わたしの手をとったのは異国の王だった。彼が微笑んでいるのが分かったのは、どこからかほのかに光が射し込んでいて、少し明るくなっていたからだ。


 わたしは異国の王に手を貸してもらいながら、通路の先に広がっていた空間へと降りた。そこはひんやりと涼しく、まるで円塔の地下室を思わせる場所で、ぐるりと周囲をめぐるごつごつした石壁に、地上へと続く梯子が備え付けらていた。吹き抜けの小さな採光窓は天井の近くにあった。


 侵入者を捕らえるための通路なんかじゃなかった。やっぱりこの秘密の通路は、緊急時の逃げ道だったのよ。


 わたしはようやく安堵して、へなへなとその場に崩れ落ちた。異国の王が驚いてしゃがみこむ。わたしは大丈夫だということを示すために、彼の手をぎゅっと握った。

 

 そうだ。まだ、座りこんじゃダメだ。外がいったいどこにつながっているのかを確認して、助けを呼びに行かなくちゃ。

 

 わたしは異国の王の手を借りて立ち上がると、梯子を指さし、天井を指さし、自分の胸を叩いて、わたしが先にようすを見てきますという意思表示をした。

 

 すると、異国の王が首を振った。自分の顔を指さし、天井を指さし、もう一度自分を指さした。

 

 自分で見にいくってこと?

 

 まかり間違っても、そんなことさせられない!

 

 わたしは「ノーレ」と言って異国の王の無謀な行動を制すと―――何かを言われる前に梯子に手をかけた。そうね。わたしにしては、涙が出るくらい勇敢な行動。

 

 それなのに、ぐいと後ろに引っ張られて―――そのまま後ろから、強く異国の王に抱きしめられた。

 

 もう、わたしは、大混乱。


 異国の王ったら、どうしちゃったの??

 

 怖くなっちゃったの??血迷ったの???

 

 わたしは石像みたいに固まって、異国の王が解放してくれるのを待った。下手に彼を振りほどいて、ケガでも負わすか、彼の高貴な名誉を汚したなんて知れたら―――たとえこの場を無事に切り抜けて助かったって、行く先は処刑台だから。

 

 不謹慎なのを承知で書くと、そうね、異国の王からは、なんというか、その……頭がぼうっと、うっとりとするほど、甘い香りがした。異国の香水か何かだと思う。太陽の光をたくさん浴びた、咲き誇る鮮やかな花の匂い。


 わたしの頭の中に、マシューの顔が浮かんだ。


 異国の王に抱きしめられている光景を見たら、彼、なんて言うのかしら。


 まあ、何も言わないかもしれないけど。


 異国の王はようやくわたしから離れた。わたしが恐る恐る振り向くと、彼は微笑んで、首から下げていた首飾りをはずいた。革紐の先には、鮮やかな柘榴色をした石がついていた。彼は黙ってその首飾りをわたしの首につけた。


 驚いて声も出なかった。わたし、異国の王からほうびをもらってしまった。

 

 いや、でも、落ち着いて。

 こんな高級そうな石がついた首飾り、とうてい賜ることなんてできない。


 わたしが首を振って、お返ししようとしたけど、彼は両手を上げて、返してもらおうとはしなかった。

 

 ひぇぇぇぇ――――!

 

 異国の王様から、高そうな首飾りをもらっちゃった!

 

 正直にいうと―――そうね。めちゃくちゃうれしかった。だって、これ、絶対に高い。もし町で売ったら―――マリー家の借金も返済できるかもしれない。


「あの、マウロ国王陛下、ありがとうございます。本当に」

 

 ユービリア語でお礼をいうと、異国の王はもちろん、首を傾げた。まあ、あとで、クロスタン語でお礼をいえばいいのよね。

 

 わたしは宝物のおかげで、気持ちが高揚していた。もう、なにもかもわたしにお任せくださいといわんばかりに胸を叩くと、地上へと続く梯子に手と足をかけて、上っていった。

 

 梯子の先の天井を押し開けると、ようやくそこがどこか分かった。


 ユービリア城の、見張り塔。あの通路は、見張り塔の地下へと抜ける道だった(まあ、あの距離だったし、城下町に出るとは思っていなかったけど……)。

 

 とにかく、見張り塔からなら、城内を通らずに闘技場まで行ける。


 異国の王には地下でこのまま待機してもらって、急いでマシューたちを呼びに行けば―――。


 なにもかも大丈夫だと思った。


 首の後ろに強い衝撃を受けて、視界が真っ暗になるまでは。

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