わかがえる 六

 もう一度目を覚ましたとき、一番最初に視界に飛び込んできたのは、私を指さしながらワナワナとアゴを震わすギンジさんの顔であった。そのままギンジさんとシズさんとで、いくつか言葉を交わしていたようなのだけれど、その時の私は意識が薄ぼんやりと霞んでいたものだから、二人の声を意味のある言葉として認識できるわけもなく、ただ……。

「……んで……これあ……ミレ……」

「キヨさまが……でも……」

 とかと、断片的に言葉が聞こえてきたに過ぎなかった。

 どうもこの……とりあえずは「夢」と呼称するか……を、見たあとというのは、通常の寝起きよりも意識がはっきりしないものらしい。夢を見ていた自分と現実に生きる自分との切り替えが間に合っていないと言えばいいのか……私自身の意識ははっきりしているのだけれど、どうにも世界を、この村を、やるべきことを思い出せなくなってしまう。

 ギンジさんが私を、シズさんと協力して背中に乗せていくれている間も、なんだか体が他人に操られているかのごとくに自意識が希薄であった。魂が体に染み付かないこの感じ……最初におばあさんの屋敷で目覚めたときもこんな感じだったか。

 そんな私も流石に、階段を下りる度にガツガツ感じる振動に頭を揺すぶられていくうちに、私という小さな入れ物の中に魂がゴツゴツ叩いて押し込まれいくような感じで、徐々に徐々にと意識がはっきりとしてきた。

 今しがた見たばかりの夢を、現実の頭で、追憶する。

 雨の唄……。

 イナミに淡く恋慕れんぼの気持ちを抱く、イチロウとソウヘイ……。

 考えたいことは山ほどあったけど……。

 階段を下りきったところで、ギンジさんは立ち止まる。

 特に疑問に思ったわけではなく、ごくごく自然な反射として、私は顔を上げて前を見た。

「わっ」と、驚いて漏らしかけた声を飲み込む。

 場所は村の中で、おばあさんの家に次いで高いところにある家の近く。

 そこにズラッと、まだ会ったことのなかった村の人たちの顔が並んでいた。

 皆私の方を見ては、目を口ほどにパックリと開いて黙っている。

 どちらを向いても、深刻な表情が睨み返してくる。

 思わず目を伏せた。怖かったから。

 ギンジさんの背になるだけ身を隠しながら、もう一度恐る恐るに周りを見渡す。

 さっき神社にいた二人を含めて、男の人が五人いる。女の人は四人ほど。うち一人は人形作場で仲良くお話ししていたマキさんだ。そのマキさんですら口に手を当てて、何やら大変に驚いている様子である。

 ……なんだろう?

 急なことでドキッとしたものだから、鼓動が余韻のようにバクンバクンと脈打っていたのを、こっそり息を吸い吐きして落ち着ける。

 あぁ、びっくりした。こんなに集まって、いったいなんだっていうんだろう。みんなで神社に行くところだったのだろうか。

 ……それとも、もしかして私を見に来たのか?

 あの時、男の人が二人、神社から走って逃げていったのを思い出す。名前はなんだったか……ケイゴさんだっけ? みんなもしかして、私のことを知らなかったのかな? いやいや、私は何日かはこの村で眠っていたわけだし、昨日だって出歩いていたじゃないか。その時だって、私はクダンさんと、それにマキさんくらいにしか会わなかったけれども、ジロジロと視線は感じていたし……。

 じゃあもしかして、この髪か。

 急に短くして、みんなびっくりしているのか。

 そういうことかと、納得する。

 納得すると、なんだか変に気恥ずかしくなった。

 髪の毛切ったくらいで、そんな、そんなに睨むことないんじゃないかな……。

 どっちを向いても目玉ばかりなのって、すごく落ち着かない。

 もしこの人たちが、私を見るために集まってきたということならば、さっき神社から逃げ出した二人が、私の髪が短いぞと言いふらして回ったってことで……そう考えるとムクムク腹が立ってきたけど、今はそれよりも、村の人たちの視線がヒリヒリして仕方が無かった。

 またちょっと涙がこぼれそうになる。私はどうも泣き虫らしい。

 なんだか馬鹿にされているような、責められているようなムズムズ感にいたたまれなくなり、何が何やらわからない不安を感じながら、そっとギンジさんの顔を盗み見た。彼もまた少し困っているようで、どう進んだらいいかわからず歩が止まってしまっていた。シズさんも肩を震わせながら、申し訳なさそうに顔を伏せて黙っている。

「……どういうことだ」男集団の一人、野太い声の、居丈高で、一際ひときわ眼光の鋭い男がギンジさんに歩み寄る。「俺ぁこんなこと聞いてねえぞ」

「タツミ、ひとまず落ち着いてくれ……」ギンジさんが片手でその、強面の男、タツミさんを牽制する。「な、な?」

 食らいつくようにギンジさんを睨んでいたその人の目が、私に向く。「スミレって……名乗ったそうじゃねえか?」

「あぁ……だが、他は何も……」私が何か言うよりも先に、ギンジさんが早口で答える。

「顔見せろ」

 ギンジさんの返事など聞く耳持たずといった面持ちで、グッと、タツミさんは私に腕を伸ばしてきた。

 反射的に首を引っ込める。

 だって、ちょっと乱暴すぎやしないか。

 当然私は、この人を知らない。今日、初めて会った人だ。それなのに、いきなり頭掴んでこっち向かせようだなんて……クダンさんだって、もうちょっとは優しかったのに。

 私の不満を知ってか知らずか、ギンジさんはさっと身を引く。「た、タツミ、落ち着いてくれ!」

「なんでぇお前、女子おなごがよぉ……おい?」

 それが怒気なのやら、驚愕なのかは知らないが、少なくともただならぬ響きを含んだ声を上げながら、タツミさんはギンジさんと、私の方へとにじり寄る。ギンジさんが躊躇ためらいがちにそこから身を引いていくなかで、一方の私は内心「んべっ」と舌を出してやりたい気持ちで、その背中へ潜りこむように身を縮めていた。

 ……それに、ちょっとだけ怖かった。

 いや、ちょっとじゃないな。

 認めたくないけど、正直かなりビビっていた。

「タツミさん! どうかどうか……」と、マキさんが恐る恐るにとどめる声。

 恐ろしきは、彼女以外に続くものが現れないことか。

 この事態を、私に襲いかからんとする彼の手を、見ている誰もが静観しているのだ。

 抵抗もたどたどしいギンジさんの背中に、どうか諦めないでと祈りながら、必死の思いでしがみつく。

「うるせえ! 記憶がねえだぁ? なめやがって……それはお前ら……」

「やめい!!」

 ハッと、全てが一瞬、静止した。片手を離してタツミさんを振り払おうとするギンジさんも、私の頭に触れたその彼の手も、触れられた刹那、カエルが飛びかかってきたかのごとく跳ね上がった私の鼓動も、全てがほんのひと時だけ動くことを忘れた。

「タツミ、なにをしておる」

 人形師、クダンさんの声が峻厳しゅんげんに響く。

「みな戻れ戻れ。この子の処遇はすでに決定している。記憶の戻るまで、この村の子として世話すべしとな。さぁさぁ、戻った戻った」

「クダン様……しかし」

 タツミと呼ばれたあの人の、食い下がる声。

 対するクダンさんの返事はひとこと、「タツミ」と名前を呼ばわったに過ぎなかったけれども、それだけでタツミさんは口惜しそうに、私を睨みつけながらも引き下がっていった。

 クダンさんは、どうやらこの村では大変に偉い人の一人であるらしい。彼の一声で、集まってきていた村の衆が皆、納得いかずという表情ではあったけれども、散り散りに村の中へと戻っていくのを見て、恐れが急速に和らいでいくのを感じた。

 あぁ、助かった……。

 クダンさんが、私を見る。「ほう、髪を切ったのかね」

「あ、はい……」少しだけ、文句でも言われるんじゃないかと思って身構えたけれど、クダンさんはただニッコリと私にほほ笑みかけて、

「ふむ、良いじゃあないか」

 と言っただけだった。

 ホッとした私は、ギンジさんに背中から下ろしてもらってから、クダンさんに頭を下げる。「あの、ありがとうございました」

「よいよい、悪かったのは村の衆でな」

「ギンジさんも、またおぶってくれて、どうもすいませんでした」

「い、いやぁ……」

 照れくさそう……というよりも、バツの悪そうに頭を掻くギンジさんを尻目に、私は散り散りと去っていた村人の中で、一人だけ残っていたマキさんの方へと駆け寄る。「マキさんも、どうもありがとうございました」

「あ、そ、そんな……」弱々しく首を振るマキさんの顔は、だけどやっぱり戸惑いがにじみ出ている。

 ……やっぱり髪のことなのか。

「あのぉ……この髪、そんなに変でしょうか?」正直に聞いてみる。

「え? あ、いえ、そういうわけでは……」マキさんは慌てて首を振る。「ただ、少し見慣れなかったものですから……でも、とってもお似合いですよ」

 そう言ってニッコリ笑ってくれたマキさんを見て、私もまた笑い返した。「ああよかった……やっぱり、短いほうが楽ですよね」

「え、ええ……あの、それよりも……」マキさんの表情が、また心配そうな雰囲気に戻る。「お休みになられたほうが……よろしいのでは?」

「え?」

「顔色が、なんだかとても……」

 なんのことがわからずポカーンとしてしまった私は、特に意味もなくギンジさんと、シズさんの方へ振り返る。

 その時、視界がぴょーんと跳ねた。

 ひざからガクッと、力が抜ける。

「あ、だ、大丈夫ですか!?」

 あ~れ~……?

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