第三章 そりかえる

そりかえる 一

「私ほんっっとにヤキチ嫌い!」

 暗い部屋で、カイリが口を盛大にひん曲げながら文句を言っている。

「え、ヤキチが?」腹這いのイナミが、不思議そうに首をかしげる。「なんで?」

「きもっっちわるい! 触ってこないでほしい!」

「カイリは相変わらず厳しいなぁ……」ヨシが苦笑い。

 ここはどこだろうか……家の中っていうのはわかるんだけど。どうやら女の子たちがみんな、夜中にひとつ屋根の下に集まってこそこそお話ししているようだ。軒先の障子は闇夜に大きく開かれているが、空は曇っているのか、月明かりは無いも同然で、部屋の中に置かれた小さな灯りだけがゆらゆらと、みんなの顔を照らしながら揺れている。

「うーん、どうしてそんなに嫌いなの?」寝ているリンをひざに抱えている最年長のカヤが、真面目な顔でカイリに聞く。

「だって私が遊んでんのに、いっっきなり後ろから寄りかかってきてじまん話始めるのよ! 信じらんない! アマコもヤじゃない!?」

「……うーん」ひざを抱えて一番暗い所に座っているアマコは、困ったように眉をひそめる。「私は、あんまり話しかけられたことない……」

「えーうそー? あんなに面倒くさいのに?」

 カイリの声はキンキンする。だけどやっぱり妹のリンは慣れているのか、カヤのひざの上でヨダレを拭かれながら、気持ちよさそうに寝息を立てている。

「うーん、そっか、そんなに嫌がってたのね」ヨシが腕を組んで、ため息。「ヤキチって私のこと避けてるからなぁ……知らなかったよ」

「そーなの!」カイリはまた、ここぞとばかりに身を乗り出す。「あいつヨシねえがいる時は突っ込まれるのわかってるからだまってんの! そういうとこもホンっっトきらい!」

「あはははは……」あんまりの剣幕に、他のみんなは苦笑い。

「ヤキチってそんなにいやかな?」さっきからいまいちピンときていないイナミが、可愛い目を「の」の字にしてつぶやく。「たしかに暗いけど……でも、ゲンにいだって暗いよね?」

「ヤキチは暗いんじゃなくて、なの!」と、カイリは返す。「それに、ゲン兄はかっこいいもん」

「まあでも、ゲンもゲンだけどね」ヨシがアマコの方を見ながら、ため息。「あいつは周りのこと省みなさすぎよ」

「うーん、でもほら、ゲンって忙しいから」と、年長のカヤ。「修行は厳しいみたいだし、ゲンもゲンでそれが好きなんだもん」

「ゲン兄って器用だけど、何考えてるのかわからないよねー」カイリがアマコのほうへくるっと体を向ける。「アマコはわかるの?」

「え? うーん……」アマコはまた困ったような顔をしたと思ったけれど、アマコってそもそもいっつもそんな顔しているようだ。「ゲン兄ちゃんは……好きなことしてるだけ、だと思う……」

「それはいいんだけど、でも限度があるって」またヨシが苦言を吐く。「ゲンさぁ、どうせ寝てないんでしょ?」

「寝てない」アマコはうなずく。その熱心さを見るに、相当気にしていることのようである。「いつもずっと起きてるの……」

「だから目つきも悪いのよね」イナミがカイリと一緒に、クスクスと笑う。「私なんか、布団入ったらすぐ寝ちゃうのに」

「ゼンタとリンもひゅーすとーん! よ」独特の表現で、その二人の姉のカイリはふざける。「リンなんかほら、こんなにうるさくてもスースーなのよ」

「あと、ゲンの邪魔するなって言う大人も大人よねぇ……遊びにも気軽に誘えないじゃない」ヨシはまだ文句を言う。

「ゲンも遊びたがらないしね」と、カヤ。

「うーん、どうしたらゲン兄、外にひっぱって来られるかな?」イナミが仰向けになりながら、姉のヨシの方を見る。

 ヨシはそんなイナミの着物のえりを直しながら苦笑い。「さぁ……私けっこう誘ってるんだけどなぁ」

「イチロウたち……は、やっぱダメ?」カイリが聞く。

「あの二人ゲン兄いてもおもしろくないって言うんだもん」イナミが答える。「そんなことないのに」

「ほら、イチロウもソウヘイも体動かすの好きだからさ」と、ヨシ。「この前だってまだ水冷たいのに、あいつらもう泳ごうとしてたじゃない。ゼンタがマネするからやめなって言ってんのに」

「ゲンとヤキチは泳ぐの嫌いだったね」カヤが笑う。「私は泳ぐの止められてるけど、見てるのは楽しかったな」

「ゲンはそんな風には思わないでしょーね」腕を組んで、ヨシはため息。「見てるくらいなら帰るって言い出すだろうな、あいつ。ほら、昔アマコが溺れかけた時さ、ゲンって近くにいたくせに全然気がつかなかったことあったじゃん」

「ゲン兄ちゃん、考えごとしてると周り見えなくなっちゃうから……」と、アマコは笑う。

「しかもゲン、私がそれを怒ったら、あぁ、ごめんとか言ってまた下向いて指動かし出すんだもん。あれは呆れたわ」

「ヨシも十分厳しいんだから……」リンの髪を撫でながら、カヤが苦笑いで呟く。

「ゲン兄って目をつぶって手を動かしてること多いよね、こんな感じに」起き上がってからヨシに寄りかかったイナミが、グーにした手をゆらゆら動かす。「そういう時って話しかけても全然返事くれないの」

「そうそう」カイリが笑う。「私、そのまま歩いてて壁にぶつかってるの見たことある!」

 あははははと、みんなの笑う声。

「うーん、私らってみんな、何かあったらヨシ姉とカヤ姉に頼っちゃうよね」笑いながら、イナミが言う。「やっぱゲン兄やヤキチよりも頼れるもん」

「ほんと、男ってみんな情けないんだから」カイリものっかる。

「私はそんなじゃないよ、迷惑もいっぱいかけてるし」と、カヤは謙遜する。「それに、ゲンは本当にすごいのよ? あんなにキレイに作れるの、ゲンしかいないもの」

「あぁ、それはホントに」ヨシもうなずく。「才能はすごいよね。さすがは跡取りって感じ」

「いいなぁ、私もうまくできたらなぁ」イナミがまた寝そべって、ゴロゴロする。

「でもどーせ男じゃないと作らせてもらえなくなるんでしょ?」カイリが口を尖らせる。「いやになっちゃう。あーあ、私も髪短くしたいなぁ……」

「あははは、私にそこまでの勇気はないなぁ」と、ヨシが笑った。「でもそうだね、男ってだけで理不尽だよね」

「男の方がダメダメなの多いのに」口悪くカイリは文句を続ける。「ヤキチなんて最低だし、イチロウとソウヘイはケンカばっかだし、ゼンタはバカだし、ジロウはだんまりだし……」

「そ、そんなことないよ」抱えたひざに顔を埋めながら、アマコがつぶやく。「ジロウは自分からはしゃべらないだけで……話しかけたら答えてくれるもん」

「え、そうなの?」カイリは意外そうな顔。

「あー、イチロウがそんなこと言ってたかも」と、イナミ。「なんか、口ゲンカになるとジロウってすごく強いとか」

「ジロウって頭いいしね」ヨシも頷く。「でもまぁ、やっぱりイマイチ自分から動こうとしないのよね……そういうところちょっとゲンに似てるもんなぁ。ゼンタはまだちっちゃいし、元気があるイチロウとソウヘイはバカ丸出し……」

「じゃあ、頼れるのってタケマル兄くらい?」また、イナミ。「やっぱもう大人だし」

「タケマル兄なら、ゲン兄無理やり外に引っぱって来てくれるんじゃない?」カイリが提案。

「そ、それは悪いよ……」アマコが控えめに、抗議する。

「だからアマコが気を遣わなくてもいいんだって」髪をかきあげながら、ヨシはアマコを小突く。「たまにはこっちの言うこと聞かせてやっても祟られないって、あっちが兄ちゃんなんだから。だって、たまには一緒に遊びたいでしょ?」

「…………」

 なんと答えたらいいかわからずうつむいてしまったアマコを見て、カヤがふふふっと小さく笑った。

「ん、どしたのカヤ姉?」イナミが聞く。

「なんだか、ちょっと嬉しくって」相変わらず起きる気配のないリンの頭をひざに乗せて、カヤは微笑む。「ゲンってみんなに好かれてるんだなって」

 そう言われてとき、ちょっとだけ空気がキョトンという感じに、柔らかく固まった。

 そして各々に顔を見合わせて、照れるでもなしに頷き合う。

「だって、ゲン兄いるとお絵描き教えてもらえるもん」と、イナミ。

「なんか、いてくれるとうれしいよね」カイリも続く。

「まぁ、私とカヤはだって、昔はタケマル兄たちに連れられて三人でいっつも遊んでたじゃない」ヨシも当たり前といった顔で笑う。「あいつ、男で私より年も上のくせに、あの頃は私より相撲すもう弱かったんだよね」

「それはヨシが強かったのよ」カヤも笑いながら、優しい目でアマコの方を見た。「アマコが生まれてから、私たちで順番におんぶしてたの、覚えてる?」

「うん」アマコは当然のように頷いたけれど、それって赤ん坊のころって意味だし、結構すごいことなんじゃないだろうか。

「そうそう、やってたやってた」ヨシは思い出に浸るように、目を閉じた。「懐かしいなぁ……アマコってゲンの背中じゃないと寝なくてね」

「うわー、リンとは大ちがいだ」

 カイリの言葉で、みんなハハハと笑う。

「……で、結局どうしたらゲン兄を遊びに誘えるかな?」と、イナミ。

「うーん、どうやったら連れ出せるかじゃなくて、どうしたらゲンが喜ぶかって考えたほうがいいかも」カヤが、リンの口元に乱れた髪の毛を払いつつ、つぶやく。

「ん、どういうこと?」カイリが聞く。

「ほら、ゲンってきっと私たちと遊んでても、あんまり面白くないのよね」カヤは言う。「だから、どうしたらゲンも楽しめるかなって、そう考えてもいいと思うの」

「んー、私たちにできてゲンも楽しめそうなこと……」ヨシが頭を掻く。「それ難しいなぁ……アマコ、なんか思いつく?」

「…………」口元に手を当てて、アマコが考え込んでいた、その時である。

 ガサガサっと草むらが揺れたかと思うと、小さく、確かに誰かが「あっ」と呟く声。

「……ん?」耳ざとく、ヨシが立ち上がる。「誰かいるの?」

 またガサゴソっと、草葉を揺らす音がしたかと思うと、同時に「いてっ!」と、確実に誰かがうなる。

「こらー!」ヨシが機敏な動きで、軒先からダッと駆け下りた。

 すると近くの草むらの中から、慌てたイチロウとソウヘイが立ち上がって逃げ出したが、イチロウがソウヘイにぶつかって、二人して転んでワチャワチャしているうちに、あっという間にヨシにつまみ上げられてしまった。

「……盗み聞きとは、いい度胸してるね?」

「や、あはははは……」草むらの中で首根っこを掴まれながら、ソウヘイがごまかし笑い。「た、タケマル兄がのぞきに行こうぜって……」

「え?」

「お、おい、隠れてないで出てきてくれよー!」イチロウが叫ぶ。

 軒先まで出てきていたみんなが、キョロキョロと辺りを見渡す。

「お前……こういう時は黙っとくもんだろ!」と、声だけ怒ったタケマルが、満面のニヤけづらで軒の下から這い出してきた。

「うわ、どこ隠れてんのよ!?」カイリが驚いてるんだか呆れているんだかわからない顔で叫ぶ。「え、なに、ずっとそこで聞いてたの?」

「いやぁ、来たばっかだよ」そう言ってタケマルは、のっぽな体をしならせるようにスクッと立ち上がった。「しかし、ここまで這ってきてバレないとは、流石俺」

「盗み聞きなんてひどーい!」と、声とは裏腹な笑顔で、イナミが怒る。「で、三人で来たの?」

「いちおうゲンとヤキチも誘ったがな」まるで悪びれることもなく、タケマルは軒先に腰を下ろす。「ヨシやーい、もう二人とも離してやれや」

「まったく……タケマル兄、もう大人でしょ?」ヨシはすっかり呆れたのか、ガクッとばかりに肩を落として、イチロウとソウヘイから手を離す。「あーもう、男ってなんでこうなの……」

「そう言うなって」

「……言いだしたのはタケマル兄なのね?」

 イチロウとソウヘイは二人して、作り笑いで首をブンブン縦に振る。「そうだそうだ、俺らはだまされたんだ!」

「騙しちゃいないだろうが。面白いとこ連れてってやるって言ったんだから」やはりタケマルは悪びれない。年長の余裕というやつだろうか。行動は十分すぎるくらいに子どもらしいと思うのだが。

 そんな彼を叱るに叱れずにヤキモキしていたヨシは、しかしどうやら何か思いついたらしく、まるでタケマルのようにニヤリと口元を引き釣らせる。「じゃあそんなタケマル兄には……」

「……ん?」

「くすぐりの罰だ、それ!」

 と、ヨシが号令をかけた途端、申し合わせでもしていたようにイナミとカイリがタケマルに飛びかかって、彼の脇や首元をくすぐった。

「おわ!? だ、や、ひゃははははは、ま、まて……ちょちょ……あっはっはっはっはぁー!?」

 二人がかりでのしかかられて、悶えながら転げ回るタケマルを見て、みんながお腹を抱えるほど笑っている。そんな中でリンが泣きながら目を覚ましたのを、慌ててカヤがあやしている。

 ……みんなの空気に誘われてか、珍しく体を縮こまらせて笑っていたアマコが、しかし何かに気づいたように、はっとしてタケマルの方とは反対側の、ふすまの方を振り返った。

 釣られてそちらを見た……ような気がした。

 なぜだろう。

 今、誰かに見られていた気が……。

 誰だ?

 ……と、意識を集中させてしまった途端、その微笑ましき情景は跡形もなく溶け去って、私はいつもの部屋の布団の中で、日の出前の薄青い光を眺めているのだった。

 ……あぁ、もったいない。

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