転校生は金髪少女

 ――翌日。


「やっばい! 寝坊したー!」


 朝のホームルームを告げる予鈴の鐘が鳴り響く中、春市は高等部の校舎へと走っていた。それもかなり本気の全力疾走でだ。

 陸の孤島などと外部から密かに言われている風花学院の敷地規模は一般の学校と比較して、その平均面積は四倍以上。春市の居る男子寮から高等部校舎までは、徒歩で優に半時間以上を要する距離だ。


「やばい、やばい……」


 走る足を止めることなく、パーカーのポケットにあるスマホで時間を確認。ホームルーム開始まで残り三分。

 ラストスパートと自らに喝を入れ、乱れた息のまま校舎へと突貫。その勢いで階段を駆け上がり、自分のクラスである『一年C組』と書かれたボードが吊るされた教室の扉を力任せに開く。

 力余って扉を破壊しかねない震えが起きたが、今さらそんなことを気にするクラスメイトはいない。このクラスになって、もう三ヶ月。春市が毎朝のように、こうしたダイナミックエントリーをすることはクラスメイト全員が承知済みだ。


「……セーフ?」

「ギリギリだがな」


 苦笑混じりで、先に部屋を出ていた一成が告げてくる。春市は安堵の息を吐いた。


「まったく、ルームメイトとして恥ずかしいぞ黒乃。弛んでるのではないか」

「毎朝五時起きして、二十キロ走ってるおまえと一緒にするな」


 一成は朝の鍛錬として、毎朝二十キロのランニングを日課としている。出会って直ぐの頃に数回だが付き合ったこともあるが、そのどう見てもインテリな外見に似合わない底なしの体力について行けず途中ギブアップしたのは記憶に新しい。


「おはよ、春市ハル


 全力疾走後で乱れた息を整え、自分の席に着こうとした春市の背後から浅い衝撃が襲った。背中をトン、と叩かれたので反射的に振り返ると、クラスメイトの女子生徒の姿が眼前に映る。


「朝っぱらからマラソンしての登校なんて、鍛錬に余念がないわねー」


 ニヤニヤと人をからかうような笑みを浮かべながら女子生徒こと、神城凪沙かみしろなぎさが言ってくる。

 華やかな髪型と、それを引き立てる鮮やかなブラウン色の髪。それに加えて、校則なんて知ったことかと言わんばかりに飾り立てられた派手な制服。それなのにけばけばしいイメージは不思議と一切なく、人見知りしない気さくな性格は男女問わず人気がある。とにかく目立つが、気安さを感じる女子、というのが神城 凪沙の第一印象だ。


「ほっとけ。ていうか、なんか眠そうだけど大丈夫か」

「大丈夫じゃないわよ。ここ最近やたらと固有武装ギア調律チューニングの依頼が多くてさ。舞闘会コンクールが大事なのはわかるけど、こっちの都合も考えろっての」


 目の下のくすみが気になるらしく、手鏡を覗きながら凪沙が愚痴をこぼす。


「割のいいバイトだから始めたけど、さすがにキツイわ」

「なんか大変だなお前も。ところで、凪沙は舞闘会コンクールには出ないのか?」

「ん、出ないわよ。興味ないもん」


 きっぱりと凪沙はそう言い切った。進路に大きく関わる上級生からしたら信じられない発言だが、一年生の自分たちからしたらこれが普通の反応だ。


春市ハルもそうでしょ?」

「まあなー……一成にも出ないのか、って聞かれたけど、ぶっちゃけ面倒くさいし」


 春市はやる気のない口調で答えてから自分の席に座った。基本的に春市は学校行事を面倒だからの理由であまり協力的に参加しない性格だ。その事は当然凪沙も理解している。

 やれやれ、と落胆したような態度で凪沙が息を吐く。


「相変わらずいい加減ねぇ。実技の成績だけは良いのに、勿体無いわよ」

「だけは余計だっての」


 お互いに軽口を叩き合いながら会話を弾ませていると、不意打ち気味に聞き慣れた声が教室内に響き渡る。声の主は担任の水無瀬 麻耶だ。


「席に着け。ホームルームを始めるぞ」


 いつの間にやら、黒いスーツを着た麻耶が教壇に立っていたことにクラス中が驚く。そんな中で麻耶は、ぱんぱんと手を叩き、席に着いていない生徒たちに座るように促す。慌てて凪沙も自分の席――春市の席の前に座る。

 全員が着席したのを確認してから、麻耶は生徒の人数を数え始め、


「欠席者は……見たところ黒乃一人だけか」

「って、ちょっと待て! いるよ!  ここに!」


 バンッと机を叩きつけて立ち上がると、麻耶は心底驚いた様子で春市を見た。

 そして悪びれる様子もなく何食わぬ顔で、


「なんだ。いたのか」

「教師にあるまじき発言だな、オイ!」

「安心しろ。お前限定だ」


 クスクスとクラスに笑いが溢れる。

 朝からなんで自分は担任教師とこんなコント紛いの事をしなければいけないのだろうかと春市は嘆息。


「冗談はこれくらいにして、だ。今日は五限目に実戦形式の授業があるから、昼休み後に第三アリーナに集まるように……それと」


 軽く咳払いをして、麻耶は言葉を切った。


「夏休み前ではあるが、このクラスに転校生が入る。後天的に特異能力に目覚めた都合から、この時期の転入になったので何かあれば面倒を見てやれ」


 クラスの空気が途端に熱を帯びる。ざわざわと騒がしくなる教室。春市の席から少し離れた席、普段から冷静沈着な堅物がよく似合う一成も突然の転校生には驚いているらしく、その顔を驚愕に染めていた。前の席なので顔は見えないが、おそらくは凪沙も一成と似たような表情を浮かべているに違いない。

 そもそも風花学院の入学条件は恐ろしいほど簡単だ。特異能力者には産まれた時から能力に目覚めている『先天的特異能力者』と、ある日突然、能力に目覚める『後天的能力者』の二パターンが存在する。そして、風花学院の入学条件は『特異能力者』であること。ただそれだけだ。

 そのため一成のような『先天的特異能力者』の中には初等部から在学している者も大勢いるし、春市や凪沙のように『後天的能力者』たちは中等部や高等部から入学なりし編入をしている。高等部のこの時期からの転入ということは、かなり遅咲きで特異能力に目覚めたということなのだろう。前例が全く無いというわけではないが、間違いなく珍しい部類に属する。


「とにかくまずは紹介からだな。入れ」


 麻耶の投げやり気味な言葉の後に扉が開き、風花学院の女子制服を着た少女が入ってきた。

 金色の綺麗な髪をした、小柄な少女。緊張しているのか、その表情はややひきつっている。きょろきょろと忙しなく金の瞳が泳ぐ中、偶然にも春市の視線と少女の瞳が重なり――


「あっ! 黒乃さん!」


 春市が口を開くよりも先に、少女から知り合いを見つけたことによる喜びの声が上がった。自然、集まる教室中の視線。


「ねぇ、春市ハル。誰なの、あの子? なんか春市ハルのこと呼んでるけど」


 前の席に座る凪沙が小声で聞いてくる。

 なんと答えるべきか悩む春市だったが、春市自身もこの状況に頭が着いていってなかった。


「昨日……ちょっとな」

「ちょっとってなによ。ちゃんと教えなさいよね」


 曖昧な返答に凪沙は痺れを切らすが、今の春市にそこを気遣う余裕はない。少女の名指しからずっと、教室内の男子生徒たちが殺気立った目で春市を睨んでいるのだ。今すぐにでも教室から逃げ出したい、と春市は切に思った。


「おはようございます。一緒のクラスなんて嬉しいです」

「あ、ああ……おはよ」


 ――しまった。


 反射的に挨拶を返してしまったことに心底春市は後悔する。おかげでクラスメイトたちの殺気が三割増しになってしまった。


「ほう。手が早いな黒乃。昨日来たばかりの転校生にもう唾を付けているとは」


 一連の会話に、麻耶が茶々を入れてくる。これ以上状況をややこしくするのは止めて欲しい。


「……昨日、寮のそばで会ったんですよ」


 狼狽した春市が力無く答えた。


「なるほど。まあ、なんにせよ知り合いがいるならこちらとしても都合がいい。さて、あの黒乃バカはともかくとして他の連中はお前のことを知らないのだから、自己紹介を頼むぞ」

「あ……は、はい」


 姿勢を正した少女が壇上で頭を下げる。


「フィア・ハーネットと言います。イギリスから来ました。色々と不慣れなことも多いかと思いますが、よろしくお願いします」


 ぽん、と麻耶が少女の肩を叩いた。


「一限目までまだ時間があるな。何か質問がある者は今のうちに訊いておけ」


 そう言われ、勢いよく手が上がる。一年C組の学級委員こと火野 一成だ。


「何故風花学院に? イギリスなら近くにあるイタリアの幻想を砕く者ブレイカー育成学校に行くのが普通だと思うのですが」


 その問いに少女は言葉を詰まらせ、隣に立つ担任教師と目を合わせた。


「あ……あの……母が日本の生まれでして」


 口を開けたままの少女に、麻耶は助け船を出す。


「ハーネットの母親は日本人でな。本人も以前から日本への留学を強く希望していたそうだ」

「は、はい!  だから日本語はバッチリです。小さい頃からずっと勉強してたので」


少女が言う通り、その日本語はとても流暢なものだ。


「あれ? って事はハーネットさんってハーフなの?」

「あ、はい。母が日本人で、父がイギリス人……だと思います……それで、その……」


 次第に声が尻窄しりすぼみに小さくなっていく。


(まあ、転校したばっかりで緊張してるんだ。仕方ないか)


 頬杖をついたまま春市はパニクるフィアを見ていた。


(そんなことよりも当座の問題は……)


 あらぬ誤解をし、軽蔑の眼差しを向ける目の前の友人に、どうやって誤解を解くべきか春市が頭を悩ましたところで、ホームルームの終了を告げる鐘の音が鳴り響いた。

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