第一章 赤と金の邂逅

放課後の教室

 《ファントム》と呼ばれる伝承や神話に存在するものたちの姿を模った異形の怪物たちが現れたのは、今から半世紀以上前のことだった。

 発生の原因やその目的は未だ謎とされるファントムは現代の科学や常識では測りきれない力を持っており、もっとも力の弱いファントムでさえ、銃やミサイルといった近代兵器では太刀打ちできないほどの戦闘力を持つ。最高クラスともなれば、その存在自体が厄災とされているほどだ。

 ファントムを滅する方法はただ一つ。

 ファントムとは異能の力の集合体の総称。故に、同質またはそれを上回る異能の力をファントムに打つけることでファントムたちはその存在を維持できなくなり、文字通り幻影となって消滅する。

 長年の研究結果からようやく得たファントムへの対抗策。国連は、人類は血眼になって異能の力を持つ存在を探し続けた。これが今から約三十年前。

 それから更に数年後、人類はファントムに対抗しうるすべを手に入れた。

 《魔法使い》あるいは《魔女》と呼ばれていた己が魔力を操ることで、様々な異能の力を操ることのできる特異能力者。


 幻影を砕く者ブレイカー


 人の身でありながらも人を超えた力を持つ彼らは、発見から三十年が経った現在の社会において非常に重要な立ち位置にいる。

 あらゆる厄災を招くファントムに唯一対抗できる存在の幻想を砕く者ブレイカーが国家に与える影響力は大きく、今や、警察や軍隊といった国家組織も彼らなくしては成り立たない程だ。

 しかし、大き過ぎる力には相応の責任や規則が伴う。そのため政府は幻想を砕く者ブレイカーのライセンス制度を導入した。

 国際機関の認可を受けた幻想を砕く者ブレイカーの育成を専門とした学校を卒業した者のみが取得できるライセンス。ライセンス制度とは、それを持つ特異能力者だけが、ファントムの討伐と公の場での特異能力の使用が認められるというものだ。

 そしてここ、風花学院は世界で七校、日本ではたった一校しか存在しない幻想を砕く者ブレイカー育成学校である。

 ここでは、若き特異能力者たちが未来の幻想を砕く者ブレイカーを目指して日夜修練に励んでいる。

 そんな風花学院の高等部クラス『一年C組』に黒乃春市くろのはるいちは在籍していた。


「納得いかねぇ……」


 陽の落ちかけた教室で、春市は自分の座る机に高々と積まれたレポート用紙の山を親の仇でも見るかの如く睨みつけた。無論それで目の前のレポート用紙が減るわけもないのだが、その事実が春市の機嫌を更に悪くする。


「やっぱ、おかしいだろ。この状況は……」


 放課後に補習を受けている制服姿の男子高校生。もしもこの場で春市を見る人間がいれば、大抵そんな感想を抱く。そしてそれは概ね正しい。

 夏も近い七月だというのに季節外れな赤いパーカーを羽織り、首元には鎖のチェーンで繋がれたネックレスが巻かれていることを除けば、特徴と呼べるようなものは余りない普通の男子生徒。比較的整えられた造りのいい顔立ちではあるが、猛獣を連想させるような鋭い目つきのせいで常に不機嫌そうな印象を受ける。


あちぃ……」


 七月最初の金曜日だった。本来なら稼働する筈のエアコンが沈黙を貫いているせいで室内温度が右肩上がりな放課後の教室内は、夕焼けが広がっていく時間帯になっても、いっこうに気温が下がる気配が無い。カーテンを閉めていても遮断しきれない熱波。本来なら学生席ベストポジションであるはずの窓際最奥の席に座る春市は、その殺人的な熱波を直に受けている。

 初夏というにはあまりにも暑い。最早ここまでくれば熱いと喩えていいかもしれない。


「なんだ? 不満があるのか黒乃」


 額から流れる汗で張り付いた前髪を鬱陶しそうに手で払う春市を咎めるように、離れた場所から高い、それでいてよく通る女性の声が聞こえた。力無く項垂れていた顔を上げれば、教壇に陣取る女性が一人。

 この終わりなき拷問を春市に強要させた張本人、風花学院教師・水無瀬麻耶みなせまやが呆れた表情でこちらを見ていた。背中まで伸ばした艶のある黒髪ときっちりと着こなしたスーツ姿は正に麗人と呼ぶに相応しい。

 本来なら一言「なんでもないです」と応えて、さっさと目の前のレポートの山を片付けるのが正解なのだろう。しかし、サウナとなった教室にたった一人だけ残され、挙句大量のレポート――平たく言えば反省文や課題を強制させられている春市は無謀にも麻耶に反論の意を唱えたのだった。


「いや、そもそもなんで俺だけこんな大量の補習と反省文やらされてるんだよ。明らかにおかしいだろ」


 春市の悲痛な叫びを聞いて、麻耶は教室中に聞こえるくらい大きな溜め息を吐き出した。彼女の表情には、本当にわかっていないのか、と呆れと若干の怒りの色が見えている。


「……なら黒乃、先日のDランクファントム討伐の際に起きた被害状況を言ってみろ」

「うッ……」


 担任教師からの質問に、春市は苦虫を噛み潰した様な顔になった。

 先日起きたファントムの出現。Dランク。被害状況。今の春市には心当たりがありすぎた。と、いうか当事者だった。何故なら、その被害を作ったのが他でもない自分自身だからである。

 そんな春市の内情を見透かした麻耶は、


「発現場所は風花学院初等部の東棟。確認されたファントムはDランク相当の『インプ』が一匹。これはライセンス持ちなら歯牙にも掛けないレベルのファントム、はっきり言って雑魚の部類だ」

「いや、Dランクとはいえファントムを雑魚なんて言えるの麻耶先生くらいだから……」

「ふん。私からしたら、Dランクごとき雑魚以外のなにものでもないさ」

「さいですか」


 ファントムは強さによって明確な格付けがされている。その強さの源こそ不明ではあるが、伝承の生物を模した姿を取るファントムはその神聖度によって強さが比例するのは有名な話だ。

 『竜』や『不死鳥』の様な伝説級の生物を模したファントムはAランク。つまりは災害レベルのファントムと認識されている。逆に知名度の低い『インプ』などのファントムはDランクとされていて、基本的に人々に危害を加えるのはDランクのファントムが多い。

 また、麻耶が言う通りDランクのファントムは頻繁に出現はするものの、その力自体は他のファントムと比べて低く、ライセンスを持つことを認められた一人前の幻想を砕く者ブレイカーであれば、充分に対処が可能なレベルである。

 無論、麻耶が言うように歯牙にも掛けないレベルと言うのは少々語弊があるのだが。


「で、だ。私はその雑魚を一匹片付けろとおまえに言ったはずだ。それなのに、事後報告書には『初等部校舎の一部が半壊した』と書いてある。これはどういうことだ? 黒乃」

「あ……いや、だから、あれは不可抗力だったんだよ。偶々ファントムをぶっ飛ばした先に飼育小屋があったわけで、意図的にぶっ壊そうと思ったわけじゃ……」


 若干苛ついた口調で春市は言い訳をする。そもそも学生であり、ライセンス未取得者の自分に無理矢理ファントム討伐を命じたのは他でもない麻耶であった。

 一応、学院内であれば例外的にライセンス未取得者でも能力の使用とファントム討伐が認められる場合もあるが、それでこの仕打ちはないと春市は主張する。

 しかし麻耶は、そんな春市に少々強めの口調で、


「我々幻想を砕く者ブレイカーに求められるのは常に結果だけだ。その過程に何があったのかは問題ではないし、誰が討伐したのかも、さしたる理由にならん」


 一刀両断。ばっさりと春市の言い訳を麻耶は言葉の刃で斬り伏せた。


「確かにファントムは討伐した。その成果は純粋に評価しよう。だが、たかだがDランクのファントム一匹倒すのに一々校舎や施設が半壊したのでは割りに合わん」

「おっしゃる通りで……」


 ぐうの音も出ない正論に春市は力無く項垂れる。


 事の原因は今から二日ほど前。


 春市は麻耶からの命令で先ほどから話題になっているDランクのファントム・『インプ』を討伐した。それも本来なら複数人でチームを組んで挑まなければいけないところをたった一人で。

 初めは何の冗談かと自分の耳を疑ったが、麻耶本人から「お前だけで充分だ」とまったく有難くないお墨付きを頂いたので、それがタチの悪い冗談などではないことは春市も直ぐに理解できた。

 ともあれ。

 結果だけを言えば春市は単騎でのファントム討伐という無茶振りを見事完遂させた。

 風花学院初等部東棟校舎の一部及び飼育小屋を半壊という犠牲の元ではあるが。


「理解したならさっさとその反省文と課題を片付けろ。私も暇ではない」

「あの……これ出したの麻耶先生じゃあ……」

「何か言ったか?」

「ナンデモナイデス……」


 引き攣った表情で返事をする春市。ここで下手に逆らってはいけない、と春市は本能的に判断する。人間は学ぶ生き物なのだ。同じ鉄は踏まない。


「にしても……暑くないのか、麻耶先生は?」


 汗を額から背中までびっしりと流す春市とは対照的に、教壇前で麻耶は涼しげな表情で立っている。

 室内温度は体感で三十度は軽く超えていそうなのに、何故この担任教師は汗ひとつかいていないのだろう。

 そんな春市の疑問に麻耶はしれっと、


「魔力で私の周りだけ気温を下げているからな。まあ、冷却魔法の応用というやつだ」

「うわ、ずりぃ」

「煩いぞ、馬鹿弟子が。なにが楽しくて週末の放課後に馬鹿弟子一人の為だけに追試監督なぞやらされている私の身にもなれ」


 春市がそうであるように、麻耶もまた特異能力者の一人だった。

 しかも幻想を砕く者ブレイカーとしてのライセンスを持つ一流の特異能力者だ。

 そんな麻耶に春市は四年前、中等部入学以来からずっと師事を受けている。師弟関係、というのが一番しっくりくる表現だろう。


「そんなことよりも、黒乃」

「あ? なんだよ?」


 刹那、風を切る音が聞こえた。普通の人間なら間違いなく反応できない速度で、教壇から教室最奥の席までの距離を一瞬で詰めた麻耶は春市の額が陥没しかねない一撃を放つ。


「あ痛っ⁉︎」


 それがデコピンによるものだと春市が理解したのは額を襲う激痛に椅子から転げ落ちた後だった。春市を見下ろしながら麻耶は鼻を鳴らす。


「教師にタメ口をきくな!」


 背中まで伸びた黒髪を翻し、麻耶は春市が書き終えたレポート用紙を持っていく。さりげなく追加分を机に置いていくのも忘れない。


「へーい。すいませんでした……」


 痛む額を押さえながら、力無く天井を見上げた春市は弱々しく呟いたのだった。

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