第6話 特別捜査本部

 2日前に発生した高級官僚3名の連続殺人事件は、翌日の19日、神田署に特別捜査本部設置された。

 捜査の中枢を神田署に置きながら、麹町署が捜査協力を行う合同捜査本部である。


 本庁からは捜査一課の精鋭たちと共に、広域捜査の現場を指揮するため、次代のエースと目される刑事部管理官の田井利明が乗り込んできた。


 吉松と三田村は、事件の最初期の対応を行ったという理由から、当たり前のように特別捜査本部に組み入れられた。


 捜査員たちは解き放たれた猟犬のごとく、それぞれの現場に走った。


水道橋駅、御茶ノ水駅は両駅を所轄とする神田署が、九段下駅は麹町署が現場検証を行った。


 8月20日は神田署の講堂で、早朝から全捜査員を集めての捜査会議が行われた。初動の時点で、それぞれが集めてきた情報を共有し、捜査方針を徹底させるためである。


 200人を越える捜査員たちと向かい合うように、最前列には捜査幹部のテーブルが設置され、その中央に田井が陣取った。


 講堂の前方左手には、大スクリーンが設置されていた。


 田井は捜査員たちが全員着席したことを確認すると、テーブルの上の卓上マイクのスイッチを押した。


「まずは監視カメラで捉えられた犯行の瞬間を見てもらう。皆これからスクリーンに映る光景を、全て頭に焼きつけろ。

 特に、現場周辺にいる人間全ての顔は1人残らずだ。犯人と目される人物以外にも協力者がいる可能性がある」


 田井が目配せをすると、一人の男が席を立ち、スクリーンの側に寄った。


         ※


「科捜研の椎橋です。これから九段下駅、御茶ノ水駅、水道橋駅の順に犯行の瞬間を見ていただきます。

 3人の被害者は全員が倒れる直前に、判で押したように同じような行動が記録されています」


 椎橋がリモコンを操作すると、スクリーン一杯に映像が映しだされた。


 編集の段階で映像には、被害者が分かりやすいように、小さな三角形のマーカーが合成してあった。


【金箱昇吾の場合】

――九段下駅――

――1番ホーム監視カメラ――


 電車待ちのホームで、誰かに声を掛けられたように、不意に左後ろを振り返る金箱。


 その瞬間、右手から現れた黒いTシャツを着た別の男が、金箱の首筋に一瞬手を伸ばしたように見え、そのまま立ち去って行く。


 金箱は振り向いた視線の先に誰も見知った顔がいなかった様子で、不審そうに少しだけ辺りを見回す。そして首筋に違和感を覚えた様子で、片手でその部分を触る。


 ホームには東西線の電車が入ってくる。そして停車。扉が開く。


 金箱は電車に乗ろうと前に進み、数歩歩いたところで、突然に膝を折って前のめりに倒れる――。


【渡邊浩行の場合】

――御茶ノ水駅――

――改札口監視カメラ――


 雑踏の中、左手からフレームインしてくる渡邊。


 改札の手前で急に立ち止まって、左後ろを振り返る。その瞬間、黒いTシャツの男が右手に現れ、カメラから見た渡邊の手前を通り過ぎる。


 一瞬姿が遮られる渡邊。男が通り過ぎた後も歩き続ける渡邊。首に手を当てるような仕草をした瞬間、膝から崩れ落ちる。


 女性の悲鳴。


【山田隆正の場合】

――水道橋交差点――

――信号機の交通監視カメラ――


 信号待ちの雑踏。ロングで撮影されているために、顔は鮮明には映っていない。マーカーが山田の存在を示している。


 信号が変わり、前方から順に動き始める人々。


 山田は動き始めた途端に、一瞬立ち止まる。雑踏の動きとは逆方向に、山田の脇をすり抜けて行く黒いTシャツの男。


 数歩歩いて、崩れ落ちる山田。倒れた山田を中心に人々が後ずさり、ぽかりと空いた空間。


 うつ伏せに倒れている山田を気遣い、スーツ姿の男性2人がしゃがみ込む。


 科捜研の椎橋は映像をそこで止め、田井に目で合図を送った。


         ※


 田井は再び、卓上マイクに手を掛けた。


「見ての通りだ。犯人は同一犯の二人組だろう。まずは一人がターゲットの名前を呼んで、振り返らせ、その動作で本人を確認。

 実行役の黒いTシャツの男がターゲットに近づき、首筋に毒針を打つ。2秒と掛かっていない」


 あまりの手並みの良さに驚いたのか、捜査員は皆沈黙した。


 そんな中でただ一人、「発言してよろしいでしょうか?」と手を上げた捜査員がいた。


「何だ?」

「麹町署の大杉と申します。映像を拝見したところ、どうみてもこれはプロの仕業に思えます」


「そんなことは素人にだってわかることだ。何が言いたいんだ?」

「私が言いたいのは、プロと言っても、ただのヒットマンとは訳が違うということです。暴力団や過激派のような反政府勢力の中には、こんなに腕の立つやつらはいません」


「では、犯人は一体誰だと言うんだ?」

「もっと特殊な訓練を受けた……、工作員というか……、諜報員というか……。半島からは特命を受けて、日本人に紛れて浸透している人間がいると聞いております」


 大杉と名乗った捜査員は、決まりの悪そうな顔をしてうつむいた。


 余計な事を言わないようにしなければ自分の業務査定に響くが、しかしながら訊きたいことは訊いておかなければ操作が円滑に行えない。


 捜査員の多くが思っていたことを、大杉が勇気を持って代弁したのだった。


「その可能性は十分にある。しかし今の時点で言えるのは、それ以上でも以下でもない。

 被害者は3人とも金融経済畑の人間で、北朝鮮関係の拉致問題や、経済制裁には携わっておらず、同国との関連性は何も認められていない。

 今の段階で唯一確かな事は、本件が重大犯罪であるということだけだ」


 田井は大杉の質問に正面から答えはぜず、いささかはぐらかしたような回答をした。しかし捜査員たちにとってはそれで十分だった。


 上層部から否定されないということは、肯定と同義であるからだ。


         ※


 田井からの目配せを受け、椎橋がまた話を始めた。


「今ご覧になった通り、黒いTシャツを着た男が殺害の実行犯です。この男の顔を鮮明化したCG画像をこれからお見せします」


 椎橋がもう一度リモコンを操作すると、男の顔の特徴点を抽出してCGで再構築された顔が画面一杯に表示され、水平方向にゆっくりと回転した。


 眉毛が濃く、ややエラの張った顔。肌は浅黒く、瞳は濃い褐色。朝鮮系の顔つきと言えば言えなくもないが、典型的とまでは行かない顔だ。


 唇の右側がやや引き攣ったように持ち上がっていることが、唯一かつ最大の特徴と言えた。


「このCGの実物との符合率はそれくらいですか」

 捜査員の中から声が上がった。


「99.8%です。ほぼこの映像通りと思っていただいて構いません」

 椎橋は自信ありげに答えた。


 写真からのCG再現では50%程度の符合率しかないが、1秒につき30フレームで撮影された動画であり、且つ3つの異なる視点で捉えられたデータがあれば、ほぼ本人と相違の無いCG画像を構築することができる。


「共犯者のCGもあるのですか? この男とコンビの、被害者に声を掛けた人物の方です」

「もちろんあります。3つの映像データを附合させたところ、全てに映りこんでいる人物がいました。この人物です」


 椎橋のリモコン操作で画面が切り替わった。


「女か……」

 捜査員の何名かが同時に声を発した。


 細面で黒のショートヘア。女優かモデルと見まごうほど整った顔。目は切れ長で瞳は黒く、その目つきは異様に鋭い。白いブラウスを着ている。


「この者達の素性と犯罪歴は?」

 捜査員から質問の声が飛んだ。


「過去10年の犯罪記録には符合しません。また海外からの訪日者の記録とも符合しません」


「すると、犯人は犯罪歴の無い日本人ということですか?」

「その可能性に加え、過去に海外への渡航歴のない在日外国人と、日本への密入国者です」


 椎橋の言葉は、明言は避けているものの、警察の上層部が日本人以外の犯行を疑っていることを匂わせていた。


         ※


 大講堂の後列で、会議に参加していた吉松は、不意に肘でつつかれて、横に座る三田村の方を向いた。


 三田村は黙って、大講堂の一番後の壁面を顎で示した。

 そこには目つきの鋭い男が3名直立していた。


 吉松はその男達の醸す雰囲気から、ピンときた。

「公安ですか?」

 吉松は三田村の耳元でささやいた。

「そうだ、左端の男には見覚えがある」


「じゃあ、やっぱり北朝鮮が絡んでいるのは確実って事ですか?」

「恐らくな」

 三田村はゆっくりと頷いた。


 吉松と三田村が背後を気にしている間に、捜査会議の議題は、被害者3人の現場までの足取りの報告に移っていた。


 各駅周辺の監視カメラの映像と、現場周辺の目撃者への聞き込みから、被害者たちの足取りを遡った結果をまとめたものだ。


 金箱昇吾は笹塚行きの都営新宿線を九段下駅で下りて、東西線に乗り換えようとしていたところで犯行に遭っていた。


 渡邊浩行は駿河台方面から徒歩でJR御茶ノ水駅に来て、改札を入ろうとしている時。


 山田隆正は西高島平行の都営三田線を水道橋で下りて、JR水道橋駅方面に向かう交差点。


 犯人が同一人物であれば、被害者達には何か接点があるはずだった。しかし勤務する役所も違えば、入省、入行した年次も違う。

 共通する勉強会に出ている訳でもない。


 19日を丸一日使って多数の捜査員を投入し、3人の勤務先で聞き込みをしても、共通項は何も見つからなかった。


「事件の鍵は、神保町に在りか……」

 三田村がぼそりと言った。

 吉松もその言葉に、我が意を得たりと言いたげに大きく頷いた。


 この日、被害者3人の行動が重なる場所と言えば、都営新宿線と東京メトロ三田線が交わり、JR御茶ノ水駅まであるける所――、それは本の街であり、出版の街で有名な神保町駅周辺だった。


 一見、政治や経済と縁遠い街――神保町。そこに何かがありそうだ。


 そう考えたのは、吉松や三田村だけでなく、この日捜査に加わった刑事たちは皆がそう直感していた。


 しかし同時に全員が、この事件は一筋縄ではいかないだろうとも考えていた。


 何故、職務時間中に3人は外出したのか? 何故、わざわざ神保町の界隈まで出向く必要があったのか? 


 何故、別々の場所で、時間を開けて殺されなければならなかったのか? 


 そして――、北朝鮮の関与はあるのか?


「しかし、上が北朝鮮の関与を疑っているのなら、なぜ公安を前面に出さないんでしょうね?」

 吉松は三田村に訊いた。


「2つ可能性があるな。1つ目は、北朝鮮を疑ってはいるがまだ半信半疑で、日本人の犯行の可能性の方が高いと踏んでいる場合……」


「もう1つは?」

「北朝鮮にまず間違いないと確信している場合だ。向こうに自分達が疑われていると悟らせないように、刑事部を使って日本人の犯人を追っていると見せかけるんだ。そして裏では公安が動く……」


「僕たちは囮ってことですか?」

「そうだ。味方をも欺く陽動作戦ってところだろう」


「気に入りませんね」

「いいじゃないか、理由はどうあれ、俺たちは最前線に立ち会えるんだから。こいつは一生に一度の大きなヤマだぞ」


 三田村は、まるで込み上げてくる嬉しさを押さえきれないとでもいうように破顔した。


 講堂の正面では田井が立ち上がり、捜査会議の締めくくりに、捜査員たちに激を飛ばしていた。


「いいか、犯人がどこの誰であろうと、諸君に課せられた使命は同じだ。先入観を持たず、あらゆる可能性を当たれ。以上だ!」

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