第4話 「君はリリーを知っているか?」

 騒動から一夜明けてそろそろ正午という時刻。警察の事情聴取を終えたリリアンがハイストリートを歩いて行く。


――いやぁ、貴重な体験したなぁ


 事情聴取なんて20年生きてきて初めての経験だ。少し気疲れしてしまったが、良い話のネタになるだろう。

 昨日吐血した3人はすぐに死亡が確認され、薬物中毒と判断された。もともとジャッキー・ボーモントの救命措置をしただけだったリリアンは事情聴取に大した時間も要さず、こうして帰路についている。

 生憎の曇り空で、湿った空気の匂いがした。太陽は灰色の雲で隠れており、昼間だというのに薄暗い。

 赤い二階建てバスが通り過ぎるのを見送って道路を横断し、チョコレート色の外装が目を引くスイーツショップで立ち止まる。ウインドウに色とりどりのスティックキャンディが飾られていた。ブリキのバケツに入ったキャンディは生花のように見える。目に楽しいディスプレイをしばらく眺めてから、彼女は人ひとりがギリギリ通れるくらいの通路に入っていった。道と言うより建物と建物の隙間といった感じだ。ただでさえ太陽の光があまり入ってこないうえ、今日は曇り空なので余計に薄暗い。正午なのに夕刻のような影ができている。錆び付いた排気パイプを頭上に見上げてくたびれたレンガの隙間を通っていく。向かい側からスーツを着た男がふたり並んで歩いてきた。イタリア人のようだ。観光客だろうか。

 リリアンは少し迷ってから、男ふたりが道を通れるようにギリギリまで左に寄った。はずみで左手の甲がレンガに触れる。ざらざらとした感触が残った。男たちはリリアンが道を譲っても仲良く横一列に並んで歩いている。このままでは左側の男とリリアンが正面衝突してしまうだろう。


――ちくしょう仲良く並びやがっておまえらホモかよ。


 リリアンがその場で立ち止まる。男たちはまったく気にした様子もなく狭い路地を直進してきた。彼らの目線が路地の向う側ではなくリリアンに向いているようだ。けれど彼女がおかしいと思ったときには、すでに男の1人が女の腕を掴んだ後だった。

 険しい表情の顔を思いきり近づけられ、リリアンは思わず声を上げる。


「えっ」


 ガチャリと金属音がした。脇腹に硬い感触がする。顔をリリアンに近づけた左側の男が低く呻った。


「騒ぐんじゃねぇぞ」


 ウソだろ、とリリアンは思う。

 オックスフォードはイギリスでも治安の良い場所だ。そもそもイギリス自体が銃の携帯には非常に厳しい。路地裏で銃をもった男2人に脅されるなどハリウッド映画の中だけで充分だ。

 女の脇腹に銃を突きつけた男が、彼女の耳元に口を近づける。


「君はリリーを知っているか?」


 左側の男と違って穏やかな口調だ。リリアンは脇腹の銃口に目線を移す。


「昔はよくそう呼ばれてたよ」


 左側の男が彼女の肩を掴む腕に力をこめた。ギリギリと痛みが走る。


「ごまかすんじゃねぇよクソアマァ」


「そんなこといわれても、それ以外は知らないよ」


 右側が女の脇腹に銃を強く押しつけてくる。鉄が肋骨の間に入り込んだせいでひどく痛い。

 男が穏やかな口調で諭すように言う。


「質問をかえよう。ネズミが空を飛んだとき、君はその場にいたんだろう?」


 リリアンの肩がビクリと揺れた。男たちはそれを確認して口元を歪める。

 反対に、女の額には冷や汗が浮かんでいた。声が震える。


「あんたら、そんなこと、どこで……」


 ――なぜ、この男たちはネズミのことを知っているのだろう。

 空を飛んだネズミの事は、自分とルーベンしかしらないはずだ。

 偶然見られてしまったのかどこかから情報が漏れたのか。

 

 銃を持った男が落ち着いた口調で答える。


「さあてね。こういうことに興味のある連中は多いから」


 リリアンが男を睨みつける。


「まさか、あんたらが……!」


 すると男は肩を竦めてみせた。


「おっと、勘違いしないでほしいな。それは濡れ衣もいいところだよ」


 わざとらしく笑い声を出してから、彼は女の肩に手を置く。


「とにかく、君は『リリー』を知っているはずだ。一緒に来てもらおう」


 右側の男が強くリリアンの腕を引っ張った。そのせいでまた腹に銃口が食い込む。彼女にこういう時抵抗する術はない。2ヶ月前に見たルーベン教授の部屋が脳裏を過ぎった。

 ひっくり返された椅子に割れたコーヒーカップ。散らかった本。乱れた書類。

 床に広がる、赤黒い水――


「ひっ……!」


 女の口が悲鳴を形作ると、右側の男が大きな手で塞いでしまった。


「騒ぐんじゃねぇっていったろ。腹に穴あけられてぇのか」


 男の顔が真正面にある。リリアンは目線を上にずらした。金物屋。緑の下地に黄色い文字で店の名前が書いてある。

 ふと、彼女の視界に影がうつりこんだ。男たちはリリアンと向かい合う形になっているため影に気づかない。


「楽しそうなことしてるじゃねぇか」


 低い声がした。右の男がリリアンに突きつけた銃を大きな腕が掴み、腕ごと捻りあげる。


「なっ、なんだ!?」


 スーツを着た男2人よりも背の高い男が立っていた。口にタバコを咥えている。


「俺もまぜてくれよ」


 西野隆弘。

 昨日ナイトクラブで女にフラれていた『ハウス』の色男ロメオだ。ジャッキー・ボーモントが倒れたとき一番に気づいた人物でもある。彼も事情聴取の帰りなのかもしれない。逃走しようとした男3人を取り押さえたのは彼なので、リリアンより長引いたのだろうか。


「手間ぁかけさせやがって」


 西野隆弘が咥えた煙草にそのまま歯を立て、ブチリと噛みきった。男はポケットから取り出したティッシュで口元を拭う。

 

「歯ぁくいしばりやがれ!」


 隆弘は銃を持った男の腕を壁に叩きつけて武器を手放させた。反撃しようとのびてきた反対側の腕も掴んで壁に縫い付ける。無防備になった腹部に膝を3回叩き込んだ。相手の男が身体を動かせる精一杯まで身を捩らせる。


「ぐっ、えぇえっ!」


 哀れなほど情けない声だ。隆弘がリリアンの肩を掴んでいた男に向けて敵を蹴り飛ばす。仲間に受け止められた彼は唾液をまき散らし、必死に浅い呼吸を繰り返した。痛みのためか口からゼェゼェと妙な音が漏れている。

 仲間の吐いた唾液でスーツの肩口を汚された男が隆弘をまっすぐ睨みつけた。


「ち、ちくしょう!」


 だがこれ以上の騒ぎを恐れたのか、単純に隆弘と喧嘩をしたくないと思ったのか、男は吠えるだけ吠えると仲間の身体を引きずるようにして路地の反対側へ逃げていく。

 当然隆弘が後を追った。


「待ちやがれテメェ!」


 妙な呼吸音を響かせていた男も体力が回復したらしく、隆弘の声から逃げるように2人で走る。タイミングよくT字路に横付けされた車の後部ドアが開いて、男たちがそれに滑り込んだ。

 車を見失った隆弘が苛立った様子で地面を蹴る。


「クソッタレが!」


 路地に取り残されたリリアンは地面に落ちた拳銃を拾い、それがモデルガンであることを確認して一息ついた。万が一本物だった場合、また警察へ行くハメになっていただろう。彼女は騙されてしまった気恥ずかしさも手伝って多少派手にモデルガンを投げ捨てた。

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