第29話 「うん! 喜んで!」

 リリアンが目を覚ますとそこはベッドの上だった。嫌味なほど白い壁とシーツ。右腕には点滴が刺さっている。窓はカーテンが開いていて、外にチラチラと雪が降っていた。地面が白に塗りつぶされている。しばらく雪が踊るのをみていた女はそのうち飽きて室内へ視線を戻す。個室のようだ。テーブルの上にガーベラや黄色いバラの入ったフラワーアレンジメントが飾られている。

 リリアンは首を傾げた。隆弘にいわゆるお姫様だっこでスラウの屋敷から連れ出されたのは覚えているが、救急車に乗せられてからの記憶がない。

 彼女がうすぼんやりとした記憶を引きずり出そうと奮闘している最中、病室の扉が開いた。現れたのは女性看護師だ。女はリリアンと目があった瞬間にこりと笑い、穏やかに話しかけてくる。


「あら、おはようございます。目が覚めたんですね」


「ええ……あの、私どのくらい寝てました?」


 彼女が尋ねると、看護師が少し驚いた用にあら、と声を上げた。


「1時間前も同じことを言ってましたよ。昨日も3回くらい聞いてたし……今日で貴方が入院して3日目ね」


「3日目?」


 リリアンが聞き返すと、ナースがコクリと頷いた。


「そう、3日目」


「……3日も寝てるなんて、漫画の中だけかと思ってました」


「入院当日にも同じ質問してたから、厳密には丸3日寝てるわけじゃないんだけどね。その調子ならもう大丈夫かしら」


「はい」


 女が頷くと、看護師も頷いた。


「今担当医をお呼びしますね」


 病室から出ていこうとするナースをリリアンが呼び止める。


「あ、あの……」


 ナースが振り返った。女は机に置かれたフラワーアレンジメントを指差す。


「あの花、誰が持ってきてくれたんですか?」


 家族が見舞いにくるとは考えにくい。仮に来たとしたら両親にまた小言を言われるのが容易に想像できるのでひどく憂鬱だ。

 看護師は


「ああ」


 と声をあげ、笑みを深めた。


「隆弘さんよ! 今日も来るっていってたわ。カッコイイ彼氏ねぇ。羨ましいわ」


「あいつは、入院しなかったんですか?」


「1日だけ大事をとって入院したけど、翌日の昼には退院しましたよ」


 まじか。うすうすわかってたけど人間じゃないな。

 リリアンはあんぐりと口を開けた。花粉症をこじらせてエスパーになってしまった自分のことは棚にあげる。

 今度こそナースが病室からでていった。扉の向うで


「あら、隆弘さん。彼女さん目を覚ましましたよ。今日は意識もはっきりしてるみたいです」


 と声が聞こえて、リリアンは思わず扉のほうを見る。

 バタンッ! と勢いよく扉が開いていやにガタイの良いイケメンが現れた。服は子犬の写真プリントで手にはパステルピンクを基調にしたフラワーアレンジメントを持っている。


「リリアン! 目ぇ醒めたのか!」


 必死な形相の男に、リリアンは手を振って答えた。


「おかげ様でこのとおりだよ」


 彼の表情が安堵にかわる。すぐいつものすまし顔になった。扉を開けたときの慌てようがウソのようだ。歩いてくる動作もやたらゆっくりしている。わざとらしいまでに余裕があった。たぶんわざとだ。


「調子はどうだ」


「べつにどこも痛くないし鼻血とかも出ないから平気なんだろうね。隆弘こそもういいの?」


「ああ。傷はなかったからな。ちょっと寝たらすぐにいつもとおりだ」


 男の顔が赤くなった。口を真一文字に結んで目を逸らす。


「隆弘、照れてんの?」


「照れてねぇよ」


 否定した隆弘の顔は真っ赤だ。


「前から思ってたけど、隆弘ってウソつくのへったくそだよね」


 男の顔がますます赤くなる。


「だから照れてねぇよ」


「はいはい」


 隆弘の口が真一文字からへの字に変わった。バツが悪そうにリリアンを見て、花かごをテーブルに置く。ビタミンカラーとパステルピンクのフラワーアレンジメントがちんまりと並んでいた。


「お前の目が覚めるってわかってたら白いユリでも持ってきたのによ」


「隆弘サン、お見舞いにユリはダメですヨ」


「いいじゃねぇか個室なんだから」


「それに私しばらくユリ見たくないよ」


「見たくないのは黒ユリじゃねぇのか?」


「どっちだって一緒だよぉ!」


「そうでもねぇと思うがな」


 隆弘がガリガリと乱暴に頭を掻く。あー、とかうーとか彼にしては珍しく言葉を濁した。それから意を決したようにリリアンを見る。


「……ずっと思ってたんだけどよ。お前に黒ユリなんざ似合わねぇぜ。マドンナ・リリーのほうがよっぽど似合う」


 部屋の空気が変わった。少し重たい緊張感と期待感に包まれる。

 リリアンはベッドの上で姿勢を正した。隆弘の言葉を予測したからだ。

 男がすらりと高い足を曲げ、ベッドの横に片膝をつく。ベッドに座るリリアンの右手をとり、白い手唇を押し当てた。

 女が笑う。


「めっちゃキザ!」


「うるせぇ、黙って聞け」


 リリアンが肩を竦める。部屋の空気はもう、プロポーズでもするんじゃないかというくらいの緊張感に支配されていた。


「俺と一緒に暮らさねぇか」


 女が笑顔で頷く。


「……うん! 喜んでっ!」


 ちょっとヒネリがないなぁ、とか花束とかあれば素敵だったのになぁ、とか色々考えるところはある。それでもその色々な要素など取るに足らないと思えるくらいに嬉しかったのだ。


 ふたりで顔を見合わせ、笑い合う。

 外ではいつのまにか雪がやみ、久しぶりに日がさしていた――

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君はリリーを知っているか? うすしお @sigyn

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