六 亀裂

 その頃、王都から全国百二十箇所の検問所建設予定地まで、軍の者たちがえっちらおっちら検問所組立用の木材を運んでいた。

 その間、化物と化してなお王座に君臨する女王はどんどん機嫌が悪くなっていき、女王の服にぶどう酒をこぼしてしまった奴隷をぶどう酒に三日間漬け込んで紫色に染め上げたり、意味もなく半紙に「因果応報」と書き付けたりした。

 女王が怒りに身を焦がすたびに女王の肌は少しずつ硬質化していき、背中の肩甲骨のあたりが少しずつ膨らみ始め、角はますます捻れていった。もはや女王に昔年の面影はない。そして、その女王の怒りの矛先は、可愛さ余って憎さ百倍、無能な部下からアダムへと向けられつつあった。

 そのアダムが現在立ち尽くして呆然としているのは、盛り盛り森を抜けた先にある小高い丘の頂上である。そこはデップリ王国の国境線の外、未だ嘗て誰も足を踏み入れたことのない場所であり、従ってこの丘にも名前は付いていない。アダムの部下の一人、地理学者のコクド・チリーンは目測で誤差100μm以内という性格な計測ができるという優れた男であり、アダムはその男を呼びつけて「デップリ王国の国境線から先の地図を作成せよ、お主に地名の命名権を与える」と命じた。コクド・チリーンは喜び勇んでその命令に従い、丸一日かけて測量を行った後、盛り盛り森を抜けた先にあるこの丘を、夜に星がたくさん見えることから「スターライト・ヒル」と名付けた。盛り盛り森自体が丘になっているのだが、生い茂る木々に阻まれて景色など何も見えない。その点、この丘には草木が一本も生えていないため、頂上に立つとその先がはっきりと見渡せる。

 アダムは呆然として呟いた。

「この先に進むのは大変困難なことであるな」

 傍のコクド・チリーンも頷く。

「まさかこうなっていようとは、思いもしませんでした。あの亀裂の幅は目測ですが数キロはあります、深さに関しては底のほうが見えませんので目測できませんでしたが」

「よいよい、お主はよくやってくれた。さて、どうすべきか」

 スターライト・ヒルから後ろ、つまり南を見渡せば盛り盛り森の先にデップリ王国が遠く霞んで見え、くるりと振り返って北を向くと、なんたることか、真っ黒で深い亀裂がぱっくりと口を開け、その先に進むのを困難にしているのだ。迂回しようにも、亀裂は果てしなく横に長く続いている。亀裂の先には薄ぼんやりと森が見え、つまりは亀裂をどうにかして超えればその先に進むことは可能だということである。

 実はこの亀裂、神の焼いたパンが冷蔵庫の中に突っ込まれた際に生じたものであり、パンそのものが裂けているため、この世界がパンの中にある以上、原理的に穴の底というものは存在しない。つまり、穴の中に落ちた者は永久に落ち続けるということである。

「プリンプリンを呼べ」

「はっ」

 連れてこられたプリンプリンは、眼前の亀裂を見て、全てを悟ったようであった。

「アダム殿、エンジンは三日前の衝突でほとんど壊れてしまったのじゃ……とてもとても、この人数を載せて飛ぶことなどできはしまい」

「飛ぶことはできなくても、浮くことならできるのではないか?」

「それじゃ!」

 プリンプリンは飛び上がり、ぽんと手を叩くと「四日ほどお待ちくだされアダム殿、あの荷馬車をUFOに改造してみせますぞ」と叫びつつ老人とは思えない素早さで丘を駆け下っていった。

 その四日間の間にコクド・チリーンは盛り盛り森の調査まで済ませてしまい、世にも正確な地図が出来上がってしまった。彼は地図作成のエキスパートとして、近い将来ガニマタ王国に国土地理院なる組織を立ち上げることとなるのである。

 四日の後、デップリ王国ではようやく国中の道路に検問所が完成し、「建設お疲れ様パーティー」が開催された。これを見た女王、「のんびりパーティーやっとる場合か」と叫び、いよいよ我慢の限界に達し、自らアダムを捕まえに行くべく肩甲骨のあたりの骨格を変質させ、ばさっと翼を生やしてしまった。さらに女王の皮膚は高速飛行に耐えうるよう硬質化して鱗に覆われ、女王の尻からは服を突き破って棘に覆われた尻尾が生えた。女王を覆っていた上等の服は千切れ、破れ、弾け飛び、女王はとうとう全裸体となり、その外見は雄々しい竜以外の何者でもなく、それを見た者は奴隷も大臣も関係なくとうとう全員が逃げ出した。

 竜と化した女王は逃げる大臣を追いかけて捕まえ、髭を約束通り引っこ抜いてからぎゃおうと咆哮し、羽ばたいて空へと舞い上がった。デップリ王国の空を舞う一匹の竜は、伝説となって今日でも語り継がれている。

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