十四 アダムとイヴ

 空き地に並ぶオカメ鳥の顔を見ないように、アダムは下を向いた。

「みなさん、こんにちは」

 イヴはそう言うと、オカメ鳥の群れに向かって平然と歩いていく。そう、平然と。一目見れば誰もが吹き出さずにはいられないオカメ鳥、しかも複数、そのはずなのにこの娘には何かを我慢しているような様子はまったく感じられない。アダムは驚愕してそれを眺めた。

「今日の野菜はサツマジャガサトイモとキャベトマトですよ」

 オカメ鳥の中から一匹が進み出て、肉のようなものが入ったバスケットをイヴに渡した。イヴが自分の籠をそのオカメ鳥の首にかけ、一礼して足で地面を三回とんとんとんと叩くと、オカメ鳥も足で地面を三回とんとんとんと叩いた。それからイヴはくるりと振り返り、アダムのほうに歩いてきた。

「済みました。さあ、戻りましょう」

 オカメ鳥の空き地から出て森を抜けたところで、アダムはイヴを呼び止めた。

「娘さん」

「はい」

「名は、何という」

「私ですか? 私はイヴです」

「では、イヴさん。先程のあれは、オカメ鳥ではないのか」

「ええ、オカメ鳥の方々ですよ」

「では、オカメ鳥の顔を見ても笑わないのはなぜだ」

 オカメ鳥の顔を見ると吹き出さずにはいられないが、オカメ鳥の顔を笑うと攻撃を受け、オカメ鳥化してしまう。そのはずだった。しかしイヴは笑いを堪えている様子さえ見せなかったのである。

 イヴは家の裏手に回り、木に生っているコンニャックの実を摘み始めた。ぽつりぽつりと語るその声は小さく、アダムは聞き取るために耳に全神経を集中せねばならなかった。

「私は貧しい家庭に生まれ育ちました。そして、生活がどうしようもなく困窮したとき、とうとう私は口減らしに捨てられたのです。売られなかったのは、私の顔が醜く、売り物にならなかったから。そして私はこのような山奥に捨てられ、もう少しで凍えて死ぬところでした。それを救ってくださったのが、オカメ鳥の方々だったのです。あの羽毛のおかげで私は寒さを逃れ、彼らが与えてくれた食料で私は飢えから逃れることができました。命を救ってくださった方々の顔を見て、どうして笑えるでしょうか?」

 アダムは黙して次の言葉を待った。

「あの方々には知性があり、社会があり、文化があります。人間と同じか、もしかしたらそれ以上の文明があります。ですから、私たちの言葉は通じないけれど、さっきのように地面をとんとん叩けば『次は何日後に』というやりとりぐらいはできるのです。そして」

 イヴはあまりにも衝撃的なことをさらりと言ってのけた。

「人間をオカメ鳥化する行動は、攻撃ではありません。求愛です」

 アダムは口をぽかんと開けた。

「純血のオカメ鳥はすべて雄なので、繁殖が不可能だそうです。そのため、自分に笑いかけた人間は自分に好意を抱いているものと認識し、唾液を流し込んでオカメ鳥とすることで、夫婦となり、子どもを産んでもらうのです。ですから、オカメ鳥化されると元の性別に関係なく雌になります」

 世界中のオカメ鳥研究者が聞いたらひっくり返って発狂しかねない事実であった。第一次人鳥戦争から第四次人鳥戦争に至るまでに人間の積み上げてきた常識が、がらがらと音を立てて崩れ去っていった。

「で、では、オカメ鳥化された人間を元に戻すということは」

「あの方々にとっては、伴侶を奪われることと同等なのです。それは怒りもするでしょう。だから戦争にまで発展したのです」

 アダムは混乱し、何が真実かわからなくなってしまった。

「私が知っていることはこれだけです。他の人は皆、最後まで聞かずに私を嘘つきだと非難して帰っていったのですが……最後まで真面目に聞いてくれてありがとうございました。そういえば、あなたのお名前をお聞きしていませんでしたね」

「あ、ああ。私はアダムだ」

「アダムさんですか。では、せっかくですので昼食を召し上がっていってくださると嬉しいです。ああ、人と会ったのなんて何ヶ月ぶりでしょう! こんな北の果ての、それも山奥に来る人なんて、めったにいないのですよ」

 こうしてアダムはイヴの家に招かれ、昼食をご馳走になった。

「あの方々からもらうお肉とこの畑で採れる野菜、森に入れば果物もあります。食べ物には困りません。でも、話し相手がいないと、やはり寂しいのです」

 イヴは嬉しそうに笑いながら昼食を並べ始めた。

「これはサツマジャガサトイモの煮付けです。この芋は部位によって食感が違うので食べていて楽しいですよ。それからこちら、あの方々にもらった干し肉はパンに挟んで食べましょう! 一緒にこのキャベトマトの薄切りを挟むともっとおいしいですよ。さっき摘んだコンニャックの実は、そのまま食べてもおいしく、絞れば果汁は上等なコニャックになります。ぷるぷるしていて歯ごたえもありますし、鍋に入れてもまた違った味わいが楽しめます。殿方はあれの中央に穴を開けて遊ぶそうですが、私にはよくわかりませんね」

 楽しそうに話すイヴを見ていると、アダムの心も鎮まってきた。それと同時に、このイヴという娘の素晴らしさに気づき始めた。オカメ鳥の生態をよく知っていて、オカメ鳥との交渉ができ、ずっと一人で暮らしてきたことから食料の知識も豊富、これは是非とも我が新国の要として迎え入れたいものだ、そう考えたアダムはイヴに問いかけた。

「イヴさん」

「はい、なんでしょう」

「私と共に来てくれないか」

 イヴは持っていた食器をがしゃんと取り落とした。

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