第2話 やり方が分からない

「もうちょっと居ても良かったじゃん……」

 後ろで押してくれている和兄に向かって言う。

「おばさん、毎日のように通ってたみたいだし、下手に気を遣わせると悪いだろう」

 和兄と柚葉になっている自分が居ても気を遣わせるだけ。分かるけど、でも。

「それに、看護師さんとすぐに戻るって約束だろ?」

「うーん……そうだけど」

 それでも、もう少しくらい……。

「それよりさ、俺以外に入れ替わりのこと言うのやめないか?」

「え?」

 突然切り出されて、変な声が出る。いきなりどうしたの。

「多分、普通は信じないぞ。それどころか、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。だから、このことは誰にも言わないで、その……俺以外が居るときはさ、柚葉みたいに振る舞ってくれないか」

 信じて貰えない。それは何となく分かる。自分ですら、入れ替わっているという事実をすぐに受け入れられなかった。いや、今でも現実とは思えてないのが正直なところだ。当事者でもこうなのだから、周りが信じるはずがないだろう。それなら、変に思われるよりは柚葉として振る舞っていた方が良いかもしれない。元に戻るまでの辛抱だ。

「分かった。柚葉っぽくする。それにしても、普通信じないとか言いながら、和兄は一応信じてくれたよね」

「馬鹿にしてんのか?」

 にかっと笑って言うと、和兄にじとーっと睨まれた。

「ううん、感謝してる」

 誰か一人でも信じてくれるなら、少しは気が楽だ。少なくとも和兄の前では悠輝で居ても良いんだから。

 そのまま病室に戻ろうというところで、とある感覚に襲われた。この感覚は間違い無くあれだ。男女でもそんなに変わらないらしい。尿意だ。

「和兄、トイレ行きたい」

「分かった」

 すぐにトイレの所まで連れて行ってくれる。入り口のところまで来たので車椅子から立ち上がる。まだふらつくが、少しの距離なら問題ないだろう。

「ありがとう」

 標識を確認する。赤い人と青い人の標識。青い人の男子トイレに入ろうとする。

「ちょっと待て!」

 後ろに居た和兄に首の裏襟を掴まれて、引っ張られた。

「ちょっと、どうしたの和兄? 漏れそうだから放して欲しいんだけど」

「さっき柚葉っぽくするって言ったのもう忘れたのか? お前の性別は今どっちだ?」

「え? あっ……」

 そうだ。今は柚葉なんだから、男子トイレではなく女子トイレに入らないといけないんだった……。

「あはは、忘れてた」

「分かったら、そっちいけ」

 頷いて今度は女子トイレの方に入る。少し照れくさいが柚葉の体で男子トイレを使うわけにはいかない。恥ずかしさで顔が熱くなる。

 幸いちょうど誰も居ないようで全部の個室が空いていた。あるものを探して中を見回して気づく。

「そういえば、女子って立って出来ないから、小便器ないのか。あれ?」

 呟いてから気づく。女子の体で用を足した経験なんて勿論ない。つまり、やり方が分からないのだ。

 えっと、座ってするんだっけ? 小便器が無いし多分そう。えっとそれで……。それで……?

 どうすれば良いか分からなくなり、トイレから飛び出す。和兄がトイレの前の壁に背を預け待機していた。

「和兄!」

 和兄に飛びつく。勢いが付いていたせいか、ややタックルのようになり、和兄がぐふっと呻いた。

「やり方が分からない!」

「は?」

 和兄を見上げて叫ぶ。和兄は要領を得ない感じだ。

「だから、女子のトイレの仕方が分からないの!」

「……ん? あっそうか」

 言い直すと、ようやく和兄も理解したらしい。少しだけ顔を赤くされる。

 今にも漏れそうな状態だが、しようにも仕方が分からない。自分にとっては一大事だった。

「えっと……座ってする?」

「それくらい分かるよ!」

 即座に言い返すと和兄が困り顔で頭を掻いた。

「そう言われても、俺も男だし、分からないぞ」

「自分の妹のことじゃん! 分からないの?」

「そんなに事細かく分かってたら、それは変態な兄貴だな」

 自分で言ってて思ったが、和兄に聞いたって分かるはずがなかった。かと言って他の人にも聞けない。入れ替わりのことが話せない以上、聞いたら今までどうしていたのかということになる。

「その、何となくで出来ないのか?」

「……何となくでって」

 出来なくも無い気もする。性別が違っても同じ人間なわけだし、最初は気づかなかったくらいだし、ほとんど感覚も一緒だろう。そもそも、一人で何とかするしかない。

「……頑張ってくる」

 決心して、もう一度トイレに向かう。今度は間違わずに女子トイレに入って、何となく一番奥の個室に飛び込む。

「……落ち着け。一つ一つやっていこう」

 さっさとこの尿意から解放されたいと、はやる気持ちを抑えて少しずつすることを確認する。

「えっと……とりあえず脱がないと」

 ズボンを下ろして、それからパンツに手を掛ける。

「っ」

 必要だとはいえ、さすがに申し訳ない気持ちになる。だが、ここで止めるわけにはいかない。

「……ごめん」

 小さく呟いてから、覚悟して一気に降ろした。

 露出した下半身を見ないようにしながら、便器に座る。とりあえず最初の関門をクリア。

 問題はここからだ。このまましてもいいのか。何か必要な行動があるのか。

「…………分かんない」

 考えても必要そうなことは分からない。まあ、このまま済ませても問題ないだろう。きっと、多分、そう。大丈夫だよね?

「んっ……あっ」

 息むとすぐに開放感と同時にじょぼじょぼという音が聞こえてくる。

「んむっ…………」 

 男の時と違いあれなしで、股の所から直接出るような感覚が不可思議でむずむずする。いつもと同じようで少し違う感じのせいでどうにも落ち着かない。

 うー。何だか凄く恥ずかしい。幼馴染みの体で勝手に用を足している。その申し訳なさと、ようやく出せたことでの心地よさでおかしな気分だった。

「…………んー」

 今自分がどうなっているのか、どうしているのか気になるが、さすがに見るわけにもいかない。

 しばらくして、出なくなったので立ち上がろうして、一つ思い出す。

「あ、女子は拭くのか」

 浮かしかけた腰をもう一度下ろして座る。トイレットペーパーを適当な量取って、慎重に拭く。

「うー……ひゃうっ」

 紙越しとはいえ、触ってしまった申し訳なさと恥ずかしさでで変な声が出た。顔がますます熱くなる。拭いていると伝ってくるついていない感覚に気が遠くなりそうになった。

 パンツとズボンを履き直してそそくさと個室から出る。手洗いスペースに向かい、気を落ち着かせようと力を入れて手を洗っていると、鏡の中の顔を真っ赤にして恥ずかしそうな柚葉と目が合った。




 戻れないと、ずっとああ何だよなぁ。

 病室に戻ってからも中々恥ずかしさは収まらなかった。

 先生に診て貰ったあと、和兄は柚葉の両親に電話するために少し席を外している。一人になると、あれこれと考えてしまう。

 でも、自業自得かな。入れ替わったのって自分のせいみたいなところあるし。柚葉もいい迷惑だよなぁ。自分の体で使われて、勝手にトイレ行かれて。男子トイレにも突っ込んじゃったし。

「はぁぁぁ」

 思わず溜息が出る。本当に何でこんな事になってしまったんだよ。

 そんなことを考えていると和兄が戻ってきた。

「ただいま」

「おかえりお兄ちゃん。遅かったね」

 帰ってきた和兄に返事をする。うわっ違和感が半端無い。

「だから、二人の時は良いって……」

「だって、普段から使ってないと、言い間違えそうなんだもん」

 トイレから戻ってから、一応言葉遣いをどうにか柚葉っぽくしようとしてみている。呼び方も和兄から、柚葉が呼んでいたようにお兄ちゃんに変更だ。

「お父さんとお母さん来るって?」

「ああ、どうにか来るらしいよ」

 今言っているのを柚葉の両親のこと。今は柚葉だから、そう呼ばないといけない。母さんのことはおばさんと呼ばないと。何かややこしい。

「お父さんとお母さんじゃなくて、パパとママな」

「和兄はお父さんお母さん呼びじゃん」

「母さんが、娘にはママっ呼ばれたいって言って、直させたんだよ。ていうか、柚葉がそう呼んでたの覚えてないのか?」

「ああ、そうだっけ……」

 特に気にしていなかったので覚えていなかった。

「それと、和兄に戻ってるぞ」

「あっ」

 急に呼び方を変えるというのも、やっぱり難しい。話すときは間違わないように気をつけながら話さないといけないかもしれない。癖が付く前に戻りたい。

「後でまた悠輝の病室行ってもいいかな?」

 自分たちの呼び方も、体で統一することにした。話していても、どっちのことを言っているのかややこしいし、これなら他の人に会話を聞かれても問題ない。

「今日は止めておけ。また明日とかに行けよ」

「うーん、分かった」

 気になって仕方がないが、そう言われてはしょうがない。今日の所は諦めることにする。

「それより、ほら」

 和兄が持っていた袋を差し出してくる。受け取って中身を確かめるとお菓子がいくつか入っていた。

「これ買ってたから遅かったの?」

「まあな」

「ふーん。ありがとうお兄ちゃん!」

 出来る限りの笑顔でお礼を言ってみると、和兄が恥ずかしそうにした。

「柚葉にお礼を言われるって変な気分だ」

「え、そう? 柚葉普通にお礼を言うタイプだと思うけど」

「いや、俺には言わないし……」

 そういえば、柚葉が和兄にお礼を言っているところを見たことがない。きっと照れくさかっただけだと思うけど。

「えっと、ごほん。べっ別にありがとうじゃないよお兄ちゃん」

「それ何か違うだろ……」

 違ったか。他の人を真似するって難しい。きっと役者とかは向いてないな。

 袋から取り出して、お菓子を並べる。甘い物からしょっぱい系まで揃っている。ペットボトルのジュースもあった。

「水分を取るとまた……」

「飲み食いしないわけにはいかないだろ。そっちは、まあ諦めろ」

「……うん」

 現実を受け止めつつお菓子の袋を開けた。

「あっ美味しい」

 体感ではそんなに経っていないが、実際には一ヶ月ぶりのチョコ菓子はとても甘くて美味しく感じた。




 面会時間終了ギリギリになって、柚葉の両親がやってきた。二人とも仕事をしているので、それで遅くなったのだろう。何の仕事かまでは知らない。

「柚葉ぁぁぁ、良かったぁぁぁぁ!」

 おばさ、おっとママが抱きついてきて、泣きそうな声を出す。喜んでくれてるところ申し訳ないが、中身が違ったりする。

 ママの後ろでパパも目元を赤くしている。二人とも柚葉を凄く心配してるのが伝わって来た。繰り返すようだが、中身が違う事が非常に申し訳ない。

「えっと、心配掛けてごめんなさい」

 こういうときに柚葉が言いそうなことを考えるが分からなくて、無難な言葉を口にする。自分の発言が柚葉が言ったことになるというのは、何となく重い。責任を感じてしまう。

「気にしなくていいのよ。柚葉が無事なだけで、ママ達は満足なんだから」

「本当に、目が覚めて良かった……」

 ママとパパが続けて言う。体はそうでも、中身は本物の柚葉じゃない。それが本当に申し訳なくて、胸がチクリと痛んだ。




 面会時間が過ぎて、3人とも帰って行った。和にっ、お兄ちゃんはともかく、両親がいると落ち着かないので、少しほっとした。

 悠輝は、本当の柚葉は、いつ目覚めるのか、目覚めたとして、ちゃんと元に戻れるのか。先のことを考えると不安で胸が一杯になる。

「柚葉……」

 小さく呟く。彼女の体で横になると、どこか寝心地も違う感じがしてくる。見下ろすと視界に入る手も足も、体の全てが男の子のそれとは異なった華奢な女の子のものだ。それを見たくなくて、布団を被って光を閉ざす。今度は女の子の、柚葉の匂いを感じる。不思議と心地よくてぐるぐるとしていた思考が落ち着いた。

 そのままでいると、いつの間にか眠り落ちていた。



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