別離


 テュランの実力は、既にサヤとほぼ互角だった。それに、脇腹の傷がじくじくと熱を持ち、再び開いてしまうのも時間の問題だと思っていた。

 構わない。彼を止められるなら、こんな命など。そんな決死の覚悟で、渾身の力で刀を振った。一際眩い火花が散らせた刃に、両腕がもう耐えられなかった。刀が手を離れ、数歩離れた所まで飛んで行ってしまった。

 だが、それはサヤの刀だけではなかった。凄まじい力で弾かれた大剣もまた、テュランの手を抜けて背後へと飛んだ。それも、眼前にあるガラス窓へ勢いそのままに打ち当たり、粉々に粉砕して地上へと落下したのだ。


「……あはっ、結局……俺の負けか」


 悔しそうに、しかしそれでいて清々しささえ湛えた表情で、テュランが負けを認めた。彼は剣を失くしたが、サヤの刀はすぐ近くにある。

 それでも、サヤ自身も限界だった。


「あーあ、本当……強いよ、おねえちゃんは」

「……トラちゃん」


 これから、どうすれば良いのだろうか。テュランを殺せば良いのか。そんなこと、サヤに出来るわけがない。

 この後に及んで、テュランの死を誰もが望んでいるにも関わらず、サヤだけはどうにか彼を逃がす方法だけを考えているのだから。どれだけ虚勢を張っても、心を押さえ続けてもそれだけは変わらなかった。


「……大丈夫だよ、おねえちゃん」


 不意に、テュランが言った。それは、今までサヤを苦しめた殺戮者の声ではなかった。はっとして顔を上げようとした時、展望台のエレベーターからサヤの名前を呼ぶ声が飛んできた。


「サヤ!!」

「ッ、トラちゃん!?」


 アーサーの声が聞こえた瞬間、テュランが割れた窓に駆け寄り、あろうことか窓枠に片足をかけた。

 ここは地上から八十メートル上空にある展望台である。生身の人が落ちれば、たとえ人外であっても怪我では済まない。


「来るな、ヒーロー!! そこから一歩でも動いてみろ、アンタの大事な人の頭をぶち抜くぞ!」


 こちらへ走ってきたアーサーが、テュランの声に足を止めた。だが、彼は銃を構えようとすらしない。

 アーサーとの距離は十分にある。


「……ねえ、おねえちゃん。この前の、俺との約束……アレ、まだ有効?」


 吹き荒れる風に、金髪を靡かせながら。悲しげに見える表情は、やはり演技なのだろうか。

 でも、たとえそれが作り物の感情だとしても。騙されるとわかっていても、


「……もちろん、私はトラちゃんとの約束を守るよ。もう二度と、裏切ったりしない」


 裏切る痛みに比べれば、ずっとマシだ。サヤが力強く頷けば、テュランが厭らしく口角をつり上げた。


「そうか……だったら、今度こそ……この手を離さないでいてくれる?」


 そう言って、左手を差し出した。ああ、なる程。彼は、サヤを地上へ突き落とすつもりなのだろう。その手をサヤが握れば、テュランに手を引かれ、そのまま落下する。それで終わり。

 それとも、まさか道連れに死のうとしているのか。どちらだとしても、サヤは死ぬ。


「……当たり前よ」


 彼がそうしたいのなら、応じよう。サヤだけが突き落とされたとしても、近くにはアーサーが居る。彼ならテュランを止めてくれる。

 自分が復讐の終止符になれるのなら、これほど嬉しいものはない。


「――止めろ、サヤ!!」


 アーサーが叫ぶ。しかし、サヤの決意は揺るがなかった。


「トラちゃん!」


 テュランの元に駆け寄り、差し出された手を掴む。あの日、振り払ってしまった手を。ボロボロで、血塗れになった冷たい手を。今度こそ、二度と離さないように。


「……あははははは! 本当に、人間ってバカだなぁ」

「え……」


 違う。サヤは、やはりテュランに騙されていた。彼の表情が、声が、全てを物語っていた。


「ありがとう、もう……十分だよ」


 そう言って、一度だけ力強く、痛い程に握り締められて。泣きそうな顔で笑った表情は、幼い頃の彼と何も変わらなかった。


「ト、ラちゃん?」

「ごめん。でも、その言葉が……何よりも嬉しかった。ありがとう、おねえちゃん。それだけで俺は十分……だから、自分で終わらせるよ」


 ――さようなら。



 その言葉と、握っていた筈の手に痛みを残して、テュランはサヤの目の前から消えた。

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