命令

 例えば。すっ、とジェズアルドが優雅に腕を上げて一人の軍人を指差した。運悪く、指名された中年の男がびくりと身体を震わせる。


「な、何を……」

「貴方、ナイフを持っていますよね? 命令です。それで、今すぐ自殺しなさい。ああ、方法は……そうですね、自分のお腹を十字に切り裂く、というのは如何でしょう?」

「……は、え……え?」


 ジェズアルドが言い終わるや否や、男が腰元から大振りの軍用ナイフを取り出して、自らの腹に突き立てて見せた。


「うわああ!?」

「な、何をやっている! 止めろ、止めるんだ!!」


 男の両脇に居た軍人が驚愕に目を見開き、凶行を止めようとその腕を掴む。しかし、男の腕は頑なにナイフを離そうとせずに、己の腹をさばくことに全ての力を注いでいた。

 それでいて、口からは救いを求め続けるのだから。見ているだけでも、気が狂いそうな光景にテュランも吐き気を覚えた。


「うう……嫌だ、嫌だいやだイヤだ死にたくない死にたくない助けてたすけてタスケテ……」


 やがて男は大量の血液と、生臭い臓物を零しながらその場に倒れ込んだ。目の前で行われた惨劇に、軍人達は完全に正気を失い、辺りは瞬く間に混乱へ陥った。

 漸く、人間達は思い知ったのだ。ジェズアルドの能力、言葉で『支配』する魔法を。それがどれほど絶対的で、抗いようのない恐怖であるかを。


「うわ、エグい……」

「おや、こういうのがお望みなのかと思いましたが」


 意外だと言わんばかりに、ジェズアルド。ふと、テュランは足元で蹲るサヤを見下ろす。ただ、その姿勢を維持することだけで精一杯なようで、此方を見上げる様子はない。

 更に視線を上げて、ローランとアーサーを睨む。ローランは既に放心状態で、その場にへたり込んでいる。アーサーだけは何とか正気を保てているようだが、機械仕掛けの脚が損壊したようで動くこともままならないようだ。


「さて、テュランくん。そろそろ行きましょうか。本当の『終末作戦』が始まってしまう前に」

「……ああ、そうだな。流石に、ちょっと疲れた」


 大剣を担いで、テュランが頷く。正直なところ、剣の重さでもふらついてしまいそうなのだが。精一杯に強がってみるも、どうせジェズアルドにはバレてしまうのだろう。

 ならば、せめて人間達には弱さを見せたくない。


「本当の、終末作戦……だと?」

「ええ、すぐにわかりますよ。君たちが必死に止めようとしているものが、一体何なのか。本当の『地獄』がどういうものかをね」


 わざと含みのある言い方をして、ジェズアルドが猫のように目を細める。


「僕は、貴方達を絶対に許しません。テュランくんやヴァニラさん、そして……僕の大切なを傷付けた、その罪を身をもって償いなさい」


 最早、軍人達には言葉さえも必要無いらしい。ジェズアルドが目配せすれば、軍人達は怯えた表情で道を開けた。ローランは何も言わない。目は開けているが、瞬きをしていない。気を失っているのだろうか。

 殺してやりたかったが、まあ良い。これから、死んだ方がマシだと思うような『地獄』を見せつけてやる。


「ま、って……とら、ちゃ……」


 不意に、か細い声が鼓膜に届いた。見れば、サヤが真っ赤に濡れた手をテュランの方に伸ばしていた。


「……お、ねえちゃん」

「行か、ないで……私……やくそ、く……まもらなきゃ………」


 双眸は虚ろで、テュランが見えているのかどうかも怪しいが。それでも、傷口が開いてしまうのも構わずにサヤが手を伸ばしていた。

 ただ、テュランとの約束を果たすために。


「……約束か。ねえ、おねえちゃん。俺達、子供の頃にもう一つ約束したの覚えてる?」


 それは、約束と呼べるものかどうかも怪しい代物だったが。彼女なら、きっと覚えている。忘れてしまっているとしても、思い出してくれる筈。


「その約束……明日ちゃんと果たしてくれよ。待ってるからさ?」

「と、らちゃ……」

「ジェズ、頼む」


 それだけを彼女に言い残すと、テュランはジェズアルドを見た。ジェズアルドはやれやれと肩を落として、サヤの方を向く。


「サヤさん、でしたっけ? それ以上喋っては、出血多量で死んでしまいますよ? 命令します、今はゆっくり眠ってください」

「うっ、うう……」


 ジェズアルドの一言で、サヤが目を瞑りそのまま倒れ込んでしまう。ただ、肩が規則的に上下している。

 眠ってしまっただけだ。すぐに死ぬことはないだろう。


「……ああ、そうだ。忘れていました」


 そのまま立ち去ろうと思ったが、今度はジェズアルドが立ち止まった。そうして、どこから持ち出してきたのか。腰元のホルダーに収まっていた一振りのナイフを抜くと、おもむろに床へと放った。

 柔らかく、弧を描くように投げられた赤黒い刀身のナイフが一度跳ね、困惑の表情を浮かべるアーサーの前に落ちる。


「あ、ああー! 何ということでしょう、僕としたことが落し物をしてしまいました。大失敗ですー!」

「何だ、その下手な芝居」

「まあ、気にしないでください。さ、僕の用は全て終わりましたが……テュランくんは大丈夫ですか?」


 ジェズアルドの問いかけに、テュランは無意識に足元へ視線を落とす。ヴァニラ、まさか恋人であるテュランに殺されるとは考えもしなかっただろう。


「……ああ、大丈夫だ」


 愛する人との別れ。だが、感傷に浸る余裕も無ければ、権利も持っていない。だから、何も言わないし考えることもしなかった。


「じゃあな、人間サマ達。精々、俺が与えた地獄の中で無様に苦しんで、そして死んでくれ」


 発砲されることも、取り押さえられることもなく。テュランはジェズアルドと共に、堂々と大統領府から脱出した。


 そして、アルジェント全域に異常事態が起こったのは、それから約五時間後のことであった。

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