紅いナイフ


「リーダー!?」


 ジェズアルドの意識が一瞬、アーサーから大きく逸れた。アーサーもそちらを向けば、剣を取り落とし静かに眠るテュランと、脱力したように膝をつくサヤの姿が見えた。どうやら、無事に目的を果たせたらしい。


「このッ、人間風情が!!」


 忌々し気に吐き捨てる。またとない好機だ。アーサーはテュランに駆け寄ろうとしたジェズアルドの腕を掴み、その腹部に渾身の力を込めて膝を打ち込む。


「ぐあぁ!?」


 吸血鬼は人外の中でも一番人間に近い生き物だ。肉体への打撃も、脂肪や筋肉量によって左右される。ジェズアルドの服装は洒落っ気はあるものの防御性は無いスーツであり、脂肪や筋肉もそれ程無い。お陰で、サイボーグであるアーサーの打撃が相当応えたらしい。

 アーサーは立て続けに鳩尾に拳を叩き込み、長身の身体をなぎ倒す。激しく咳き込むジェズアルドを床に押さえ付ければ、真紅の双眸がこちらを睨んだ。


「このッ、人間の小僧が!! 貴様なんかに、このオレが負けるわけないだろう!?」

「そうだな……このまま殴り続けても、貴様を屠るまでに日が暮れそうだ」


 吸血鬼は不老不死。それも真祖となれば、きっとアーサーが殴り続けようとも、それこそ肉体が粉々になろうとジェズアルドが息絶えることはないだろう。

 だが、アーサーには考えがある。暴れるジェズアルドに全体重をかけて押さえつけながら、ズボンの右裾をたくし上げる。

 元々、アーサーの四肢には小型のナイフや拳銃を仕込めるような設計になっている。しかし、今回の作戦にあたっては馴染みの技師に無理を言って、右脚だけを更に改造して貰っていた。

 高揚と焦燥。二つの混ざり合った感情を何とか抑えながら、たった一振りだけ隠していた大振りのナイフを思い切り振り上げる。

 鮮血を固めたかのような刃が、光を浴びて妖しく煌めく。


「……これで終わりだ、カイン!」


 そう言って、アーサーは手にしたナイフをジェズアルドの胸に力一杯に突き立てた。硬い胸骨を力任せに砕き、鋭い刃が彼の心臓を貫く。

 くぐもった悲鳴。だが、普通ならば吸血鬼がこの程度の負傷で死ぬことは有り得ない。痛みに表情を歪めながらも、ジェズアルドが口角をつり上げる。


「……くくっ。吸血鬼が、たかがナイフ一本で死ぬわけないだろう」

「ああ、そうだな。だが、このナイフは貴様が最初に殺した『弟』の遺品だとしたらどうだ?」


 その言葉を聞いた瞬間、ジェズアルドの表情から完全に笑みが消えた。正直今まで半信半疑の代物であったのだが、彼の反応から確信に変わった。

 カインが最初に殺した、弟のアベル。通称『アベルのナイフ』と呼ばれるこの紅の刃を持つナイフはアベルが愛用していた代物で、彼の血で刃が紅く染まってしまったらしい。それ以外の見た目はただの古びたナイフだが、これは吸血鬼の中では唯一とも言える恐怖の代物らしい。

 神に愛されたアベルの血に染まる刃は、カインの血を分けた吸血鬼にとっては必殺の剣。たとえカイン本人であろうとも、吸血鬼ならばこの刃にもたらされる死から逃れる術は無い。


「ぐ、が……ニ、ンゲンが……こんな、こんなナイフなんかで――」


 ジェズアルドが胸に刺さったナイフを抜こうと手を伸ばす。だが、それは叶わなかった。細身の身体がびくりと痙攣し、口からどす黒い血が零れる。不思議なことに、それは床に溜まることはなく見る見るうち灰色の砂に変わっていく。

 以前に吸血鬼を屠った時も、彼等の亡骸は生前の美貌を残さず砂となって消えた。最早押さえ付けていなくとも、ジェズアルドに抵抗する体力は残っていない。


「う、そだ……こんな、きいていない。か……さ、ま」


 アーサーはゆっくりと立ち上がり、恐る恐るアベルのナイフを抜く。さらさらと紅い刃を砂が伝う。苦痛に呻き、僅かに身じろぐ。哀れな吸血鬼の最後を見届け、アーサーはサヤの元へ向かう。


「サヤ!」

「アーサー、大丈夫?」

「ああ、問題無い。きみは?」


 大丈夫、と言ってゆっくりと立ち上がるサヤ。目立った外傷は見当たらないが、かなり疲弊してしまっているらしい。ひと先ず彼女の無事がわかったからか、胸がすっと軽くなるように思えた。


「……テュランは、麻酔薬が無事に効いたようだな」


 アーサーが膝を着き、テュランの掌を軽く抓る。意識があれば、噛み付いてきてもおかしくはないが。反撃してこないところと、安定した呼吸を繰り返している様子からちゃんと眠っているようだ。


「一応、予備の薬もあるが……追加する必要は無さそうだな」

「ええ、良かった。本当に……」


 小さく息を吐いて、サヤ。無事にテュランを捕獲することが出来て、安堵したのだろう。久しぶりに、彼女の表情が和らいだところを見る。

 そんな彼女に安心を覚えるのと同時に、釈然としない思いもあるのは何故なのだろうか。考えても仕方ないと悟ると、アーサーはそれらをまとめて忘れることに決めた。


「ところで、アーサー。そのナイフは……」


 サヤがアーサーの持つ、紅のナイフを指差す。一撃でジェズアルドを亡き者にした、アベルのナイフ。暫し考えるも、今はまだ戦場の真っただ中にいるわけで。


「詳しい説明は後でする。人外達の加勢が来ない内に、テュランを運んでしまおう。サヤ、アクトン隊長に連絡を」

「わ、わかったわ」


 今は私情を控えるべくだとわかっているからか、それ以上食い下がることはせずにサヤが無線機を取り出す。アーサーはもう一度ジェズアルドの亡骸を振り返りながら、アベルのナイフを右の義足にしまう。


「ランサーの方も、校舎内の捜索任務はほとんど完了したみたい。十分後に後続の部隊に引き継ぐ予定だから、さっさと合流しろって」

「わかった。後は後続部隊に任せよう。サヤは人外の襲撃に備えて警戒してくれ。俺がテュランを運ぶ」


 そう言って、眠るテュランを肩に担ぐ。刀を手に先行するサヤに続いて、アーサー達は体育館の外へと向かった。

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