再会


 弾丸のように駆けて行ったヴァニラの姿を見送って。テュランはベンチから立ち上がり、気配のする方を振り向く。こんなゴーストタウンでなければ、恐らくテュランでも気がつくことが出来なかっただろう。人間にしては、かなりの手練れらしい。

 不意打ちを仕掛けてくるかと思いきや、意外なことに敵は堂々とこちらに向かって歩いてきた。ヴァニラが離れるのを待っていたのだろうか。そうだとしたら、舐められたものだ。

 長い黒髪を埃っぽい風になびかせ、腰元には細見の剣――確か、東の島国特有の剣で『刀』と呼ばれる代物だった筈――を差しているスーツ姿の若い女が一人。感情の読み取れない面立ちは大人っぽく、ヴァニラには悪いが……超タイプだ。

 年齢はテュランより二つか三つ程しか違わないだろうと、何となく思う。


「俺に何か用か、人間のお姉さん?」


 テュランが問う。女は十歩分程離れた場所で立ち止まり、一度目蓋を堅く瞑った。僅かに、彼女の肩が震えた気がするが、理由はわからなかった。


「…………」


 女は何も言わない。再び目を開き、テュランの姿をじっと見つめている。敵を観察する、というのとは微妙に違う。珍しい人外を見る好奇の目、でも無いような気がする。

 とにかく、今までに感じたことのない居心地の悪さを感じた。


「な、何だよ……もしかして、俺に惚れたか?」


 茶化してみるも、返事は無い。しばらくの間、奇妙な沈黙が二人の間に流れる。

 何だか、言わなければならないことがあるような気がして。しかし、何を言うべきなのかわからない。どうすることも出来ないまま黙り込んでいると、先に女が気まずい沈黙を破った。


「……私は」


 掠れる声。刀を抜いて、構える。銀色の波紋が鈍く煌めく。片刃の刀身はなるほど、確かに芸術品のように見事だ。

 テュランが刀に、そして刀を構える凛然とした姿に見惚れていると、女が言った。


「テュラン、あなたを……殺しに来た」


 女の瞳に、氷のような凍てつく殺気がみなぎる。敵に一瞬でも見惚れてしまったことに苦笑しながら、テュランも答える。


「アッハハ、良いね。わかりやすくて……俺も丁度、そろそろコイツの試し切りしたいと思ってたし」


 大剣を鞘から抜く。ずっしりと重い感触。刀よりも眩い銀色に輝く刃は鏡のよう磨き上げられ、博物館で見つけた時とは見違えるようだ。


「でも俺は、女でも人間相手に手加減なんかしねぇから」

「…………」


 再び、沈黙。女はテュランが構える剣に目をやり、次いでテュランの目を見た。何だか、やりにくい。

 真っ直ぐな瞳。なぜか、剣を握る手がちくりと痛んだ。


「一つだけ、訊かせて。あなたはなぜ、こんなことをしたの? やはり、人間を恨んでいるから? それとも……」


 女は何事か言いかけるも、そのまま口を噤んでしまう。それ以上、続けようとする素振りはない。なぜ、こんなことをしたか。決まっている。


「……何を、今更」


 テュランは答える。


「人間なんか……大っキライだ。テメェら人間を、絶対に皆殺しにする……それが、俺の目的だ!!」


 湧き上がる激情に身を任せて、テュランが女に斬りかかる。どれだけ美人だろうと、この女は人間。殺すべき敵なのだ。

 勢い良く振り下ろす大剣を、女が刀で受け止める。だが、テュランの方が体格も腕力も上なのは明らかである。


「くっ……」


 苦しそうに呻く女。このまま押し切ってしまおうか。間近に見下ろす瞳に、テュランの姿が映る。

 刹那、左手に鋭い痛みが走った。


「――ッ!?」


 反射的に、女から距離を取る。指先まで痺れ、感覚が薄れた手ではそのまま剣を構え続けることだけで精一杯だった。

 どうしてこんな時に、この痛みを思い出すのか。


「……私は、きみを止めなければならない。どんな手段を使ってでも、何を犠牲にしてでも」


 女がテュランに、否、まるで自身に言い聞かせるように言った。きっ、とテュランを睨み付け、刀を構え直した、次の瞬間。

 女の姿が、視界から消えた。


「な……」


 一体何が起こったのか、わからなかった。気配さえ、消えた。辺りを見回しても、女の姿はどこにも見えない。逃げたのか、こんな一瞬で?

 左手の痛みが思考の邪魔をする。冷静な判断が出来ない。


「――ここよ」


 それは、まるで風のようだった。声と同時に、凄まじい衝撃がテュランを襲う。咄嗟に大剣を盾のように構えるも、完全に遅れを取ってしまった。


「ぐ、ああぁ!?」


 右腕と、左の太腿に鋭い痛みが走る。皮膚が裂け、服に血が滲む。傷を負わなかっただけで、コートやズボンに幾つもの斬撃の跡が刻まれている。

 視界の中に、女の姿が戻ってくる。黒髪がハラハラと風に靡く。

 その光景に、テュランの脳裏にある記憶が過った。


「……なる程、テレポートか。久しぶりに見た。ということは……あんたは、超能力者ってやつ?」


 女は何も言わなかったが、テュランはその沈黙を肯定だと受け取った。人間どころか、人外さえも凌ぐ移動速度。計算された動きに、このままでは翻弄されることもなく瞬殺されてしまうだろう。


「きみは、私には勝てない。それ以上怪我をしたくないなら、大人しく剣を置きなさい」


 勝ち誇った素振りは見せないものの、女が堂々と言い放った。ぽたりと、腕から指先まで伝った紅い雫が地面に落ちる。

 これは、ピンチだ。


「……ハア? そんな使い古した説得なんかに、俺が従うとでも思ってんのかよ?」


 出来るだけ、平然を保つ。新しく負った傷の痛みが、記憶の痛みを掻き消す。空気に触れる度にびりびりと痛む傷が、嫌でも過去を思い出させる。もう、見なかったことには出来ない。

 彼女と同じことが出来た存在を、テュランは


「アンタは俺を殺しに来たんじゃねぇの? さっきまでそう言ってたじゃん」


 でも、出来ることならこれ以上思い出したくない。


「大人しく投降し、負けを認めるなら……命までは取らないわ」

「命までは取らない、か」


 女の目を見つめたまま、テュランが口角をつり上げる。


「こういう立場だからわかるけど、もし俺があんたに負けたら死ぬしかないんだよな。ここであんたに殺されるか、捕まって人間の前で公開処刑か。その程度の違いしかないと思うんだけど」

「……人間は、人外とは違うわ」


 女が言った。言葉一つ一つを大事に噛み締めるように言う様子に、思わず嘲笑が零れる。


「そうだな。人間サマは俺達とは違って、それはそれは高尚でお偉い生き物だからな」

「違う……違うのよ」


 髪を左右に揺らしながら、女が言う。そんな姿に、テュランの中で沸々とどす黒い感情が湧き上がる。

 これは、憎悪だ。それも、今までに人間に抱いていたものとは桁外れな程に濃い。


「違う……何が違うって言うんだよ。人間なんか結局、人外を踏み台にしなければ生きていられない、ずる賢いザコじゃねぇか!!」


 痛む身体を押して、女に向かって剣を振り上げる。傷口から血が噴き出すのも構わず、駆ける。激昂した、演技で彼女を騙す。


「……無駄よ」


 再び女の姿が消える。彼女は今度こそ、テュランを殺すだろうか。

 もし、そうならば……だ。


「そうだった……だから、あの子もあそこに居たんだよな」


 思い出した。思い出したくなかった。こんな仕打ちがあるのか。

 でも、もう良い。


 勝つ為なら、手段は選ばない。


「くッ――!!」


 テレポートと組み合わさった剣技を見切ることは、今のテュランには難しい。

 鎌鼬の如く、見えない幾つもの斬撃が再び身体を刻む。地面に紅い飛沫が散る。結構痛い。しかし、このくらいなら死ぬことはない。

 相手は人間の女。ヴァニラのような人外ならばまだしも、彼女は細身だから腕力は低い。それは彼女程の実力者なら自覚しているだろうし、それを補う戦い方をする筈。否、この鎌鼬がそれを証明している。

 威力の低い斬撃で対象の気を逸らせた隙に、必殺の一撃を叩き込む。それさえ防げればいい。たった一撃を見極めることくらいなら、テュランにだって可能だ。

 腕力の無い女が、他人を一撃で殺すならどうするか。彼女よりも高い位置にある上に、的が小さい頭や首は思い切って除外する。腕や脚を一本切り取ったところで死ぬ程のダメージにはならないし、反撃だって可能だ。だからきっと、猟奇的な趣味が彼女にない限りこれもない。

 それならば。テュランは自分の勘に賭けた。大剣を振って、見えない一撃に備える。端から見れば、空振りしたようにしか見えない。


 ――だが、手応えはあった。テュランの嘲笑が深まる。


「なっ!?」


 腹を狙った刀が、脇に逸れる。やはり、彼女はテュランの思惑通りだった。

 女はテュランの腹を突くような形で向かってきた。しかし大剣で払ったことにより、必殺の一撃は何の意味も成さなかった。むしろそれが、僅かながらも彼女に隙を作らせてしまった。

 女が体勢を整える前に、テュランが彼女の腕を掴む。黒い双眸がテュランを睨み付ける。

 自分が彼女に対して何を思っているのか、テュラン自身にもわからなかった。だから、彼女の腕を掴んだのも、そのまま引き寄せたのも無意識だった。


「な、何を――」

「なあ、せっかく会えたんだからさ。理由を聞かせてくれよ? あの日、あの時、あの瞬間。どうして、約束を破ったんだ? 何で、俺のコトを裏切ったんだ?」


 女の目が動揺に揺れる。最低なことをしている、という自覚はあった。

 でも、歯止めが利かないのだ。


「絶対に、護ってくれるんじゃなかったのか?」


 女の耳に唇を寄せて、囁く。

 彼女に聞こえるように、彼女だけを惑わす為に。


「……『おねえちゃん』」


 二度と呼ぶことはないであろう名前で、彼女をそう呼んだ。

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