思い出

「おねえちゃんは、俺がまだガキの頃に一緒に居た女の子だ。ちょっと年上の、血は繋がってない」

「その子のこと……好きだった?」


 恋人を横目で見ながら、つい訊ねてしまう。そんなヴァニラに呆れたのか、テュランが溜め息を吐きながら肩を落とした。


「おいおい、子供の頃の話だぞ」

「子供の頃でも! ほら、テュランって結構引きずる方じゃん!?」

「そうでもねぇと思う、ケド……」


 いや、絶対に引きずる方だ。いつまでも根に持つタイプなのは、付き合い始めてから数か月で嫌というくらいに思い知った。


「んー……好きっていうよりは、憧れてはいたかもな。よく覚えてねぇケド」


 顔も、名前も。どんな声で話したか、何が好きかも全然覚えていない。そう話すテュランは、どことなく寂しそうで。


「……その子は、どうしたの? まだ生きてる?」

「さあな」


 素っ気ない返事。そして、再び沈黙が二人の間に流れる。

 何も話さないまま、彼と過ごす時間は嫌いじゃないが。この静寂は、少々気まずい。


「……裏切られたんだ」


 やがて、ぽつりとテュランが言った。それは冬の香りを纏い始めた風に掻き消されてしまいそうな程に小さなものだったが、耳が良いヴァニラにはちゃんと聞こえた。


「裏切られた?」

「一度だけ、二人で研究所から逃げようって話になったわけ。でも、結局はその子だけが逃げた」

「その子だけって……テュランは?」

「情けねぇコトに、途中で転んで立てなくなった」


 己の手に視線を落とすと、テュランが自嘲気味に言った。そういえば、彼は情緒不安定なところがある。その中でも特に、手を痛がることが非常に多い。ジェズアルドが言うには、ファントムペインという原因不明の痛みであるらしく、薬などは気休め程度にしかならない。

 悔しいことに、ヴァニラにはどうすることも出来ない。

 本当に、悔しい。


「あー、でも……裏切られたってのいうのは、流石に被害妄想だな。俺が逆の立場でも、多分同じコトするし」

「あ、アタシは裏切らないから!」


 気がついた時には、そう叫んで立ち上がっていた。テュランが驚いた様子で、ヴァニラを見上げてゆっくりと瞬きをした。


「アタシは、テュランのことを絶対に裏切らないから! いつでも、どこでも一緒に居るよ? テュランのこと護るから。テュランが怪我したら、おんぶしてでも護ってあげるから!」

「いや……流石にそれは無理だろ」

「だいじょうぶ! テュランはひょろひょろしてるから、アタシでもお姫さま抱っこ出来ると思う。なんなら、練習する!?」

「お前は俺の心の傷を抉って楽しいか?」


 どうやら、ジェズアルドにお姫さま抱っこされたことが余程堪えているらしい。倒れたところをわざわざ運んでもらったくせに、変にプライドが高い。

 でも、今はそんなことはどうでも良くて。


「とにかく、アタシはテュランを絶対に裏切らないから」


 テュランの両手を掴んで、彼の目をじっと見つめる。冷えたのだろうか、彼の手がひんやりと冷たい。


「アタシは、テュランを裏切らないから。ウザイって言われても、ずっと一緒に居るから。テュランの為なら、何でもする。絶対に、独りになんかさせないから!」


 彼が喜んでくれるなら、何でもしてあげたい。いや、何でもしてみせる。そう決めたのだ。

 テュランの隣は誰にも譲らない。


「……なんか、さ」

「ん?」


 珍しく、テュランの目がヴァニラを見ていなかった。気まずそうに、明後日の方を向いてぼそぼそと喋っている。


「プロポーズ、みたいだな」

「へ……?」


 あ、確かに。そう思った時には、既に遅く。幸いなことは、周りに誰も居なかったことだろうか。

 そこまで冷静に考えていた思考が、一瞬で沸騰した。


「ぷ、プププロポーズって! そそそ、そんなんじゃないから!!」

「……ヴァニラ」

「て、ていうか! プロポーズって普通、男の方からするものでしょ!? 今のは、なんていうか……とにかく、そういうことじゃ――」


 なくて、という言葉は声にはならなかった。今度はヴァニラが、金色の瞳に捕らえられる。


「ありがとう」


 くすぐったそうに、テュランが笑う。滅多に見せることのない、十七歳という歳相応の表情に耳まで熱くなる。いつもは下ネタやらセクハラやらを駆使していじってくるくせに。

 どうしたら良いかわからず、慌てて誤魔化すしかなくて。


「あ、その……アタシだけじゃないからね! ちゃんとジェズさんも一緒だからね? あと、この国に居る人外は皆、テュランの味方だからさ!」

「……そうだな、あいつら皆お人好しで心配性だし。今は独りになる方が難しそうだな」


 苦笑して、テュラン。しかし次の瞬間、真顔になってはっきりと言った。


「でも、ジェズはどうでも良い」


 喧嘩でもしたのだろうか。


「そ、そういえばさ。そのおねえちゃんって種族……何?」


 手を握ったまま、再びヴァニラがテュランの隣に腰を下ろす。擽ったい空気が耐えられず、咄嗟に話題を変えようとして。

 深くは考えなかったから、心の底から気になっていたことがそのまま口から飛び出してしまった。


「種族?」

「そう、種族」


 果たして、テュランが憧れたという少女の種族は何だったのか。それはもしかすると、彼の好みのタイプということになるのではないだろうか。

 流石に生まれ持った血筋をどうこうすることは出来ないが。参考に、あくまで参考にだ。


「あー、種族か……」

「うんうん、覚えてない?」

「確か……人間だったかな」

「そっかー、人間かー……は?」


 あれ、空耳だったのだろうか。しかし、混乱するヴァニラに構わず、というか全く気がついていない様子でテュランが続ける。


「うん、人間だったな。耳も牙も無かったし、お前みたいに変身出来なかったし」

「ちょ、ちょーっと待って。な、なんで人間?」


 実際に見たことはないが、テュランが生まれ育ったというアルジェント国立生物研究所は人外の収容所であった筈。

 科学者や警備員だったのならわかる。でも、彼が言うには件の人物はテュランより少しだけ年上の女の子だったという。


「……な、なんで人間が研究所に?」

「さあ?」

「いや、さあってアンタ」

「別に、種族とかどうでも良くね?」

「良くない! 超絶重要だから!!」


 恐らく、テュランがよく覚えてないだけに決まっている。ということは、そのおねえちゃんは恐らく人間に近い姿をした種族であったのだろう。

 いや、でも。もし、おねえちゃんが本当に人間だったとしたら。彼が人間に抱く憎悪は彼女のせいだと解釈出来る。

 どちらにせよ、今となっては確かめる方法がない。何より、ヴァニラはあまり考えることが得意ではないわけで。


「まあ、何でも良いかー。今のテュランの彼女はアタシだもんね?」


 大事なのは過去ではなく、今なのだと思うことにした。傍らにある金髪に手を伸ばして、触れる。きっと彼は気がついていないが、こうする度に目を細めて気持ちよさそうにするのだ。

 本当の猫のようで、非常に可愛らしい。


「ていうか、黙ってれば格好いいのに」


 うん、テュランは線が細いものの見た目はなかなかに良い。じっ、と整った容姿を見つめていると、突然目の前の猫が不敵に微笑した。


「何だ、惚れ直したか?」

「へ? わ、わわ!」


 明らかに何事か企んでいる腕が、ヴァニラの肩を抱き寄せる。直に触れる彼の温もりに、不覚にも心臓が大きく跳ねた。


「そ、そういうところがイヤだって言ってるのよ! この変態トラ! 時と場所を考えろー!!」

「なんだよ。もっと格好良い俺、見たくねえの?」


 どんな自信だ。しかし、彼の言うこともあながち間違ってなかったりするので性質が悪い。しかし、廃墟と化した街とはいえここは屋外である。


「いや、でも……や、やっぱり」

「ヴァニラ」

「そ、そのぉ……ど、どうしてもって言うなら……考えてあげなくもないけど。いや、別に誘ってるわけじゃ――」

「……誰か、居るな」


 へ? と間抜けな声が出た。テュランより数秒程遅れて、ようやく気がついた。


 ――何者だれか、居る。

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