二章 襲撃

休息の時間

 人質の交換が開始された、二日目のことだった。自由を待つだけだと思われた人間達から、想定外にも面白い提案があった。


『ミイア、こんな身体のおれと結婚してくれてありがとう……。セリオ、お母さんのことを頼んだぞ。二人共、今まで本当にありがとう……』


 病衣姿の中年男が、画面の向こうでそんなことを言いながら涙をぼろぼろと流した。首には天井から降りる輪っか状のロープが絡まっており、巨体で腕力自慢の人外が男より少し低い位置でニヤニヤと笑っている。男は背もたれの無い丸椅子の上に立っている為、人外よりも頭の位置が高いのだ。

 さようなら。そんなありきたりのお別れを言うと、人外が嬉々として椅子を蹴飛ばした。一瞬の内にロープが男の首を絞め、足場を無くした足が必死にもがく。首をばりばりと引っ掻くも、ロープを血に染めただけ。呆気なく死んだ。


「人間はもっと、生に執着する生き物だと思ってたんだケドなー……」


 もごもごと。ハンバーガーを頬張りながら、テュランが言った。ヴァニラも、人間の行動には驚いた。


『自分は身柄の交換には応じたくない。何でもするから、家族にそのことを伝えて欲しい』


 主に、先の短い老人。それと、助かりようが無い程に重病の患者が、身柄の引き換えには応じたくないというのだ。短い命の為に、誰かを困らせたくないという美しくもバカバカしい自己犠牲というヤツだ。

 そんなワケで、今のような放送が始まった。端的に言うならば、『大切な誰かに別れを告げる権利を得る代わりに、その場で苦しみ死ぬ姿を国中に垂れ流す』というものである。最初は面白かったものの、もう二十人以上が似たような台詞と似たようなリアクションで死んでいくのだ。


「飽きたな」

「飽きたね」


 二人の声が綺麗に重なった。流石に飽きる。


「次はガソリンでも掛けて火ダルマにするか……でもガソリンが勿体ないしな。毒ガスは扱いが厄介だし、銃弾もこんなことで無駄遣いしたくない。いっそ高いところから突き落とすか、でもあれって意外と生き残ったりするしな」


 ぶつぶつと、テュラン。隣に自分が居ることを忘れているのだろうか。リーダーとしては立派だが、恋人としては如何なものか。


 カリカリに揚がった白身魚のフライとか、皮がパリパリでも中は肉汁たっぷりな焼豚とか、ホクホクのコロッケとか。彼が食べていたハンバーガーは、昨日色々と食べ歩いて見つけたヴァニラが一押しの品だった。

 で、あるにも関わらず。テュランは特に美味いとも不味いとも言わずに、食べることが苦行だとでも言いたげな表情で無理矢理胃に押し込んで、ジュースで流し込むだけ。

 正直、殴りたい。


「はあー……」


 溜め息を吐いて。一体どうしたら、何をしたら彼の為になるのだろうか。喜んでくれるのだろうか。テュランはヴァニラにとって初めて出来た恋人だし、異種族の青年なのだ。

 何もわからない。いっそ、自分は彼にとって相応しくないのではという自虐にさえ走ってしまう。


「オマエな、カレシの隣で溜め息吐くなよ」

「……誰のせいよ、誰の」


 もう、今日はこのまま帰ってしまおうかな。自殺志願者はまだ残っているだろうか、この手で嬲り殺したら少しは気が晴れるかもしれない。そんなことを考えて、立ち上がろうとカウンターに手をついた。

 その手を、一回り大きい手が掴む。


「ちょっと、来い」

「え……ちょ、ちょっと!?」


 ヴァニラを引っ張って、店を出るテュラン。彼の背中で揺れる大剣を戸惑いの瞳で見つめながら、大人しく従うしかない。

 テュランは何も言わない。怒っているのだろうか、具合が悪いのだろうか。いつもの軽口を叩いてくれれば、こちらも言い返せるのに。

 何も言わないから、どうすれば良いかわからない。

 わからないから、彼に従うしかない

 好きだから、嫌われたくないから。


「……ッ」


 やばい、泣きそう。熱くなる目頭に、思わず唇を噛んで堪える。いつの間にか、冷やかしどころか喧騒さえも聞こえない廃墟の通りへとやって来た。

 そこでようやく、テュランが立ち止まる。


「……ヴァニラ」


 名前を呼ばれて、びくりとヴァニラの肩が跳ねる。

 しかし、振り向いたテュランの表情は怒ってなどいなかった。


「オマエ、何か俺に言いたいことあるだろ?」


 困ったような、そんな顔で。きょとんとしたのは、ヴァニラの方だった。


「……え?」

「いや、何か……無いのか?」

「いや……ある、けど」


 食べ物はもう少し美味しそうに食べろ、とか。イチャイチャする場合は時と場所を弁えろ、とか。色々と文句はあるけれども。


「……言っても、怒らない?」

「内容による」

「じゃあ、言わない」

「冗談だって。言ってみろ、怒らねーから」


 苦笑して、テュラン。訊いてみたかったことは、確かにある。この襲撃をしてからずっと、気になっていたことだ。

 訊いたら、絶対に怒ると思って黙っていたが。彼の方から促したのだから、意を決して訊いてみることにした。

 一度、深呼吸をして。


「その……『おねえちゃん』って、誰?」


 ハルス病院を奪ってから、今日までずっと。ヴァニラが知る限り、夜はもちろん昼寝の時でさえテュランはずっとうなされていた。恐らく彼自身も気がついていないだろう。

 案の定、テュランがきょとんと見返してくる。


「……おねえちゃん?」

「そ、そう……おねえちゃん」

「お前には言ってなかったっけ?」


 テュランが苦笑した。怒り出す様子はないが、訊かれたくない話だったのは確からしく。彼の足が廃墟と化した街の、更に奥へと向かう。荒々しく吹きすさぶ空気が埃っぽく、あちらこちらに瓦礫が転がっている。

 しばらく、無言が続く。枯れ果てた噴水が目印の、ちょっと大きな公園へとやってくると、ようやくテュランが口を開いた。


「……俺が研究所で生まれ育ったコトは話したよな?」


 テュランの問い掛けに、ヴァニラが頷く。無事な姿で残っていたベンチに腰掛ける彼の隣を、横取りされないようすかさず陣取る。最も、今は邪魔をする者など居ないのだが。

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