第27話

「宿題なんて持ってきてないよ!」

 宿題のことに触れたとたんに、こんな風に反応した浅葱が宿題に対していい感情を持っていないことは分かったが、エルがどこからか宿題のドリルなどを纏めたトートバッグを持ってきた。

「何でそんな所に⁉︎」とでも言いたげなその姿からすれば、彼女が持って来ていないのは決して嘘ではなく、白い使い魔がコッソリと紛れ込ませていたらしい。

 浅葱はエルを睨みつけていたが、「ニャー」と一声鳴いてから身を翻しドアの向こうにに消える。

「何か言ってたのか?」

「『勉強はしとかなアカンで』だって……」

 エルって関西弁なんだ、と思ったが機嫌の悪そうな浅葱には聞くことができなかった。

 浅葱はテーブルに肘をついて項垂れていた。

「藤吉は宿題はどれだけ終わったの?」

「……まだ全然だけど」

 頬を膨らせながら言う。

「じゃ、このドリルからやってみたら?」

 一つを何となく取り上げてペラペラとめくると案の定新品同様に真っ白だった。

「藤吉……」

 本当に全く手をつけていない事が驚きだった。

「だって、家出の準備で忙しいかったんだもん」

 そんな事を言ってもダメだ。

 誓ってもいいが、間違いなく家出をしていなくても真っ白だろう。

「えっと、このページからすると……」

 頭の中で暗算して、一日当たりの消費量を計算する。

「大体、一日五ページくらいか……」

 五ページ。それは、毎日が自由に使える夏休みなら決して出来ない量では無い、

「ちょっと待ってよタダヤス君! まさか君は私に毎日しろとでも言うの?」

「あのねぇ、藤吉。もし毎日していればもっと少なくても済んだんだよ」

 なおも食い下がろうとする浅葱を一蹴する。

「それよりも問題はドリルなんかよりも応募するヤツだなぁ」

 忠泰はそう言って、一緒に入っていたプリントを眺めれば、多くの課題がズラリと並んでいる。

「そんなのどうしたらいいのさ?」

「適当に何か絵を描いとけば?」

 芸術ってワリと寛容だから、とさり気なく手抜きを示唆する。

「それよりも問題なのは自由課題だろう」

 そう言って、プリントを見せつける。

「自由って言われると困るんだよねー」

 自由の関係なしに困っているだろうにそんな事を言った。

「私はさ、魔法使いの家に生まれて、自分で言うのは何だけど魔法ってヤツに恵まれててさ、私には魔法使いになるしか道はなかったんだよ」

「藤吉?」

「ねぇ、タダヤス君。私から魔法を奪ったら何が残るの? 何があるって言うの?」

 縋るような言葉に忠泰は何も言う事はできない。浅葱もそれを期待していない。

「魔法がもし無かったら、どうなってたのかな?」

 その答えに忠泰はゆっくりと口を開く。

「藤吉はさ、何で勉強がキライなの?」

「何? 突然」

 突然の言葉に訝しむが、忠泰は「いいからさ」と言って答えを促す。

「何でって……楽しくないし、面白くないし、大変じゃない」

 他にやりたいこともあるしね、と浅葱は続けた。

「僕はさ楽しいよ」

「楽しい?」

 その言葉にピンと来ていないようで、浅葱は首を捻った。

「そう、楽しい。いろんな学びがあってさ、今までの自分が知らない自分になれるんだよ。ねぇ、これって凄く楽しいことじゃないかい?」

「今までの自分が知らない自分?」

 未だよくわかっていない様子の浅葱に自分なりの言葉で語り始めた。

「今、僕は英語を喋れない」

「突然どうしたの?」

 忠泰は「まあ、聞きなって」と取りなす。

「でも、例えば英語が話せるようになったら、僕は英語しか話せない人とコミュニケーションが取れるようになるだろう」

「まぁ、そうだよね」

「つまりは、学ぶ前の自分とは別人……とまでは言いすぎだとしても、

 少し複雑な話になって来た。

「でも、藤吉が望もうと望むまいときっと何かを学んでいると思うんだ」

「……何が言いたいの?」

 焦れたように浅葱が聞いた。忠泰も自分で思うが確かに言い回しが回りくどくて耳につく。もっとスマートに言えたらいいのに、と思うも自分では難しいことは忠泰は自覚している。

「藤吉。君が出会った人が魔法使いだけじゃなかったハズだし、君が出会った魔法使いが君に見せたのは魔法以外にもあっただろう」

 例え、浅葱が「違う」と言ってもそんな事はない。少なくとも天津には非人間的なものでは無く、"俗っぽさ"という印象が確かにあった。

「藤吉が魔法以外に何も持ってないだって? 冗談がキツイな」

 そんなハズはないだろう。

「藤吉がもし何も識らないなら、これからどんどん伸びていくってことだろ?」

 先程、浅葱が縋るような目をした時に『忠泰は何も言えなかった』。

 しかし、それは言うべき事がないからなどでは断じてない。

 適当な言葉では浅葱の胸には届かなかったからに過ぎず、自分の胸に何も感じないハズもない。

(とは言っても、言ってみると何か恥ずかしいな……)

 しかし、その出てきた言葉を反省しても後悔などしない。それは気取った言葉でも何でもなくどうしようもない感情だったのだ。

「タダヤス君の言う事は分かる」

 それは認めた上で浅葱はなおもこう言った。

「でも、私に伸びしろなんて……」

 まだ言う浅葱に思わずくつくつと笑う。

「忠泰?」

 いきなり笑うとてっきり機嫌悪そうに顔を顰めるかと思っていた。しかし、彼女は思っていたのとは違う表情になる。何がそんなに可笑しいのかと物語る。

「いやいや、何言ってんのさ。僕はいろんな人にいろんな事を教えてもらったよ」

 老若男女を問わず、直接を話をしなくとも本やテレビを通じて学びを与えられる事があった。

「でも僕に"魔法"なんて"学び"を伝えてくれたのは藤吉が初めてだよ。それなのに自分に何も出来ないなんてありえないよ」

「……そうだね」

 そう言って、浅葱は椅子から立ち上がり、両手を上げてぐーっと、伸びをする。

「勉強、してみよっかな」

 そう言って再び椅子に座ってドリルをペラリと開く。

 忠泰の言葉で完全に肚に落とし込めたとは思えないが、少しは気が晴れたのかもしれない。

 いつか、彼女の中で納得ができれば良いのだが……、

「そうだ、自由課題は"魔法の指導法"にしようか」

「良いんじゃないかい」

 もっとも、学校に提出などできないだろうが。

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