第2話

 平城忠泰へいじょうただやすという少年は、いわゆる「孤児」というものだった。

 とある雪の日、赤子の彼は平城邸の門の前に捨てられていたらしい。

 そんな「いかにも」な状況で、平城忠泰という人間は「産まれた」のだ。

 だが、平城忠泰が16歳の冬。忠泰の祖母ーー平城セツは年越しを待たずに身罷った。


 そんな事を考えているうちにぼーっとしていたのか、腕時計を見れば一五分は経過している。そんなに急いではいないが、一日や二日で終わるようなちょろい作業ではない。

「いけないいけない」

 無駄な時間を割いている余裕があるわけでは無いのだった。

 平城邸の中にある蔵の中。より詳しく言えばその二階。今日は古びたこの蔵の掃除に充てた日だった。

 平城邸は、約五百坪の土地を寺や城によく見かける土壁が囲い、立派な門が構えている。建物は改装されているが昭和初期に建てられた古い家。

 七月後半、夏休みに入り夏の猛暑が身体に堪える今日この頃。屋内の作業とは言え、エアコンなど常備しているはずもなく、下手すれば風が無いので負担も大きいかもしれない。

 玉のような汗が頬を伝って流ている。作業のためのシャツもジーンズも汗まみれだ。

「おい!忠泰」

 熱中症かもしれないと思って立ち上がろうとした時、蔵に響くほどの大声が忠泰の耳に突き刺さる。怒鳴っている様にも聞こえるが、発した言葉は何を言っても怒っているように聞こえる。五十嵐陽太はそんな風に損な男だ。

「どうしたの?」

「水回りは終わったぞ」

 この様に、気が利いて、気のいいヤツである事は間違いない。

「どうかしたか?」

 いや別に、と言ってから蔵の梯子を下りて階下へ向かう。

 蔵の外で待っていた陽太に駆け寄る。

「悪いね。暑い中。蔵の中で待っててくれればよかったのに」

「いや……、中はもっと蒸してるんだ」

 彼にしてみれば珍しく、言葉の勢いが弱かった。大方、蔵の中が不気味だとか、そんな理由だろう。陽太は意外とこういう所がある。

 忠泰はさして深く追及せず、「そう?」といって母屋へ向かう。

「どこへ行くんだ?」

「冷蔵庫にジュースを冷やしてるからさ。お礼にあげるよ」

 そんなもんいらん、といつも言うので、忠泰は陽太が何かを言う前に走り出すつもりだったが、そんな折に携帯電話の音が聞こえた。

 その隙に台所に入り、コップにコーラを注いでいると、「はぁ!何言ってんだ⁉︎」と、陽太が機嫌悪そうに大声を出していた。

 何かあったのか、とジュースを載せたお盆を持って駆けつけると、電話は最終段階に入っていた。

「分かった。分かりましたよ。絶対にボーナス貰うからな!!」

 と、乱暴にボタンを操作して通話を着るとため息をついた。

「バイトかい?」

「あぁ、急いで来いだと」

 携帯電話と入れ替える様にバイクのキーを取り出した。

 ヘルメットをかぶって顎紐を締める。

「悪いな。今日はこれまでだ。しかも、しばらくは忙しいから来れない」

「こっちこそ、手伝ってもらってばかりで悪い。ところで、忙しいんだったら……」

「忠泰」

 その一言は咎める意思があったのだと、忠泰は思う。怒っているわけではないが、叱ってはいた。

「手伝いは要らん。やる事があるなら自分の事をやれ」

「……そうだったね。世話をかけるよ」

 ならよし、と言ってバイクにまたがりエンジンをかける。小気味の良い回転音が辺りに響く。ブォンブォンと、周囲に二度鳴らしてからアクセルをふかして出発する。

「頑張れよ。当主さん」

 去り際にそんな事を言った。

「当主は止めてと言ってるのに……」

 正式には当主代行だ、といった時にはもう既にバイクは走り去っていた。

 高校生で当主代行。

 それは、深いようで単純な理由がある。

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