9 タイトルを決めよう



 そして。

 まるで現実が掴めない内にあれよあれよと決定していった事実として。


 一つ、長江恭平は二週間後に迫った六月の第二週から、毎週月曜の十九時から二十時・全六回の生放送を一月半程担当する事となった。

 二つ、その番組のパーソナリティは尾張友里香と長江恭平の雑ヶ谷高校一年生コンビ。

 三つ、合格者は、あの場にいた全員。つまり応募者全員が合格した。


「まあ、君達は未成年だし、あくまで仮決定だけど。基本的にはこの方向で保護者の許可を貰って欲しい。それがもらえ次第、契約って事で」


 先程恭平がゲストに迎えたお爺ちゃんこと久野世織さんの息子がオーナーを務めるおかしな喫茶店 『アミーゴ』にて、トントンと資料の下端をテーブルで揃えた村田ディレクターがにこりと微笑んだ。


「それでいいですかね? 藤井プロデューサー?」


 彼が聞いたのは、オーディション終りにふらりとやってきたお姉さん。その言葉で、恭平は向かいに座る彼女がプロデューサーなのだと初めて知った。


「そうですね。それでいいんじゃないですか」


 砕けた感じのスーツ姿の女性が投げやりに頷くのを確認すると、村田Dは一年コンビに向き直って。


「分かっているとは思うけど、番組の目的はあくまでこの街のPRなんだ。そして君達には、同世代のリスナーを広く獲得して欲しいという期待がある。……知っての通り、この街の商店街は歳を取った。少し前にドラマの舞台として注目を集めたは良いが、その勢いも泡沫の様に消えてしまった。正直に言ってこの街はもう、ただの『クソ暑い街』という印象でしかない。でも、それは逆に知名度があるとも言える。そこで雑ヶ谷内外の若者の耳目を集め、この街に人を呼び、商店街に再び活気を取り戻すのがこの『雑ヶ谷放送局』の役割だ」


「……はあ……」


 繰り出された長話にきょとんとしながら頷いた恭平と、


「お、おいしい……だと?」


 フォークを唇に挟んだまま、隣で驚愕に震えるオワリユリカ。


「おほん。聞いていたかな?」


 ぴくりと頬を引き攣らせた村田Dの微笑みに、恭平はうわの空で頷いて。


「……はあ」

「……ふん、調子に乗るなよ。百円のシュークリームだって値段相応においしいんだからなっ」


 何故かシュークリームに向かって囁きながらパクリと頬張る尾張ユリカ。


「おいこら、若者よ」

「あっ、は、はい。聞いてます」

「聞いている。要するにこの一つ二百五十円の高級シュークレェムをリスナーに売りつけろという事だろう?」


 ぐさっとシューの帽子にスプーンを突き立てたユリカに、ぴくりと眼鏡Dの瞼が動く。


「へえ、出来るのかい?」

「簡単だ。まず、私が私のラジオで絶賛する」

「ふむ。それで?」


 身を乗り出した村田Dに、自信満々の腕組みをしたおかっぱ少女は。


「――以上だ!」


 高々と顎を上げた彼女の隣、恭平は上品にフォークで差したシュークリームをもぐもぐとやりながら。


「……君がどこのセレブだよ」


「はん、ならばそこにセレブが大好きな白い粉でもぶっかけてやればいい」


「おお成程。その薬が末端二百五十円ならお得だね」


 軽く乗っかった恭平にピクリと瞼を震わせて、口端の白いクリームをぐいっと拭った小柄な彼女は。


「さっきからうるさい。邪魔をするな、長江恭平」

「うるさいって……一応君の相方なんだけど」


「念を押しておくが、お前が泣きながら頼むから仕方なくなんだぞ。私は基本、人と喋るのは苦手なんだからな」


「はは。どうやらその様だね」


 正面で頷いた村田Dの真顔っぷりに、偉そうにふんぞり返っていた尾張ユリカはうぐっと呻いてふてくされた。


 そうしていそいそと手帳型のケースを取り出してスマホをいじいじやり始めた彼女を見て、村田Dは恭平に苦笑を向けた。


「というわけで、君達にやってもらうのは、十代をメインターゲットに、この商店街を中心とした雑ヶ谷全体の魅力を紹介する『情報バラエティ番組』なんだ。ゲストトークも予定してるし、番組を聞いた人が『いつか行ってみたいな』とか『この街で何かやってみたい』と思える様な楽しい放送を目指していくつもりだ。名付けて『雑ヶ谷放送局・街の魅力を万遍なく伝えるマンデーナイト』」


「ん?」「ん?」


 どうだと言わんばかりに告げられた番組名とそのキャッチコピーに若者二人の顔が上がる。


「ちょ、ちょっと待てディレクター。まさかその名前は、決定事項なのか?」


「いやいや、まさか。さすがにその駄洒落はきつ――」

「決定事項だ」


 きらり眼鏡を輝かせて頷いた大人の前、高校生達はドスリとソファを叩いて立ち上がった。


「撤回しろ! 今からでも遅くない! その薄い頭を下げて撤回するんだ!」


「俺で良ければ一緒に謝ります! 多少協力するんで、ネーミングライツを買いましょう!」


「そうだ! それでも駄目なら訴訟しろ! 絶対に勝てる! 何故ならこの国の憲法に駄洒落は使われていないからな! つまりきっと行間で駄洒落を禁止しているに違いない!」


「憲法なら仕方ない! 投票権を持たない無力な俺達は、涙をのんで駄洒落番組名を改正しましょう!」


「とやさー!」


 拳を突き上げシュプレヒコールを上げる若者達に、村田Dは苦笑して。


「まあまあ、駄洒落って言うのは古来から日本語に備わっているまかないの様なものだからね。駄洒落かよ、と引っかかって貰えれば御の字さ。あと髪の話はやめてもらえるかな」


「だからと言ってセンスが無さ過ぎる! 万遍マンデーて! 後付けしたのが見え見えだ!」


「そうだそうだ! 十代は『万遍』なんて言いません!」


 必死で駄洒落を否定する若者達に、人生の先輩は溜息をこぼして。


「……あっそ、じゃあセンス溢れる十代のマンデー駄洒落を聞かせて貰えるかな?」


「マッ……?」


 駄洒落はマストなのかよ! と言いかけた恭平の横、はっと息を飲んだユリカは。


「……ま、マントヒヒ………とか」


 となぜか恥ずかしそうにもじもじしながら。


「どうしたんだ尾張さん! 何をひよってるんだ!」


 突然怪気炎を消した反抗の同志に、恭平は忸怩たる思いで拳を振った。

 すると同志はひそひそ声で。


「だっ、だってそんなの全部下ネタに聞こえるだろーがっ! お前達は女子高生に何を言わせる気だ!」


 彼女が発した剛速球に、紅茶を飲んでいたプロデューサーが激しくむせた。


「なっ、そもそも女子高生はそんな発想しないから! つうかその流れだとこっちがやりづらくなるでしょ!」


 しかし現役女子高生職人は、両手を腿に置いたままほんのり恥ずかしそうに俯きだんまりを決め込んでいる。そんな二人に、すちゃりと眼鏡を構えたディレクターは冷たい視線で。


「じゃ、マンデーマントヒヒナイトってことで良いのかい」


「……や、やむをえん。それでいこう」


「得るって! まだ得られるって! 俺達は何だって得られるんだよ尾張さん! このままじゃマントヒヒの番組みたいになっちゃうでしょ!」


「わ、私がヒヒなら、それで、別に……」


「『と』!? マンと!? 絶対嫌だっ! だったら俺もヒヒの方が良い!」


「バカバカ! お前がマンなら特に意味は出ないだろうが!」


「だからそのニュアンスを出すなって! お前……それラジオで絶対言うなよなっ!」


 憩いの場である喫茶店で直球の下ネタを投げ続ける女子の人生を見るに見かねた恭平が指を差して注意を与えてやったものの、彼女は耳を塞いでじたばたと。


「うるさいうるさい! 言うなと言われると気になっちゃうだろーがっ!」


 すると、なんなんだよこいつと引き攣った恭平の向かいから、パンパンと軽く手を叩く音。


「はいはい、そこまで。悪いけど、実際番組名は変わらないよ」


「何故だっ!」「何でですか!」


 同時に振り向いた男女に苦笑いを浮かべた村田Dは肩をすくめて。


「言った通り、これは半分行政が絡んでる企画だからね。そこの会議を通した番組名を、こっちで勝手に変更するのは難しいんだ」


 わかるだろう? と隣で呆れた顔を浮かべるプロデューサー女史をハの字眉毛で見やった彼は、ゆっくりと万遍マンデーの二人の顔に視線を戻し。


「あと、そういう下ネタもあまり本番では言わない様にした方が良いね」


「うむ。だから私は言わないようにしたのに、この発情期丸出しの男子が――」


 心からそう思っている顔でアイスラテのストローを口にしたユリカを無視して、恭平は。


「それも、行政が絡んでいるから、ですか?」


 ディレクターは首肯。


「大きく言えば、そうなるね。君達の好きな深夜ラジオの聴取層ならがっちりリスナーの心を掴めるだろうけれど、やっぱり下ネタは受け付けない人も多いんだよね。で、君達に託された『町興し番組』と言うモノは年代や男女、果てはセンスの幅までも広くとるべきだと思う。というか、そう言う番組にしていくつもりだ。勿論君達のトークに魅力があれば一番だけど、しっかりゲストの応対もして、商店会や行政機関からも信頼される番組にしたいんだ」


「『万遍マンデー』で、ですか?」


 半眼の恭平の指摘を受けて、陶芸ポーズで朗々とビジョンを語っていた眼鏡青年はへの字口。


「だから、それが折衷案なんだ。僕だって心から素晴らしいタイトルだとは思ってない。溢れる感動ウエーンズデーと、ちょっと不思議なフライデー……それと、万遍マンデー。役所が出してきたタイトル案の中でこのセットが一番マシな組み合わせだったんだよ」


「……そう、ですか」


 百歩譲って感動と『うぇ~ん』が掛かっていても、不思議なフライデーはもう駄洒落ですらない。大人も色々と大変なんだなあと頷いた恭平の右隣、唇にストローを咥えていたおかっぱ頭は、


「えぇ~」


 とテンション低くうめきながらアイスラテをブクブクと泡立てている。


「まあ、仕方ないよ」

「だって~、タイトルは大事だろ~が~」


 机に顎を乗せた同級生の意見には賛成だけど。


「俺もそう思うけど、こればっかりは仕方ないって。ウエ~ンズデーよりはいいんじゃないか」


 なだめに入った恭平を、背中を丸めた尾張ユリカがぎろりと睨み付けた。


「ふん。大人はいつだってそうだ。番組名は駄洒落にしろとか、お前にあの学校は無理だとか、あのおじさんと遊んじゃいけませんとか、お前の様な子供体型にジャージを巻いた春巻き女がウチのお店で何を買うんですかぁとか。そんなのばっかりだ」


 いーっと唇を突き出した少女の髪からぴょこんとはみ出た左耳に。


「だったら、お洒落になるしかない。そう言う店のルールなんだから、そうしないと」


「……言っておくがお前のその黄ばんだ麻シャツ。パリなら犯罪になるダサさだぞ?」


 頬杖の上で首を傾げ半眼で言った女子高生に、恭平はそうじゃないと首を振って。


「あのさ、確かにこれは行政とかPR委員が仕切ってるダサいタイトルの番組だけど。それでも、正直お客さんは皆この服を見に来てるんだ。ぼくらみたいなマネキンを見に来る人なんて、一人もいない。だからまずはこのダサい服で――万遍マンデーでやれるだけやってやればいい。少なくとも、もう裸じゃないんだし。だから、次こそ納得のいく服を選べる様に、今は。」


 何せ本番は二週間後。村田Dは他の曜日だって担当しているらしいし、『行政』とのパイプでもある。あと何回打ち合わせが出来るのかもわからないのに、すでに決定しているタイトルで揉める時間なんてもったいない。


「勘違いしちゃ駄目だ、尾張さん。最初に番組があって、俺達がそこに応募した。自由にやりたいだけなら、家で勝手にやってりゃいい」


 ストローを鼻先に当てたまま『だから、私は別に……』と下唇を突き出す女子の視線と、熱くなってしまった照れくささをくしゃくしゃっと誤魔化しながら。


「つまり、ええと……俺は、出来る限り面白いラジオをやってみたいんです。だから、皆さん。よろしくお願いします」


 と村田ディレクターと相方と、それから無言で頬を引き攣らせているプロデューサーに向かってぺこりと頭を下げてみた。

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