8 面接を受けよう②


「……えっと、みなさん、こんにちは。長江恭平です」


 半ばやけっぱちの様な覚悟を込めた恭平は、取りあえずぺこりと頭を下げた。

 ――自分だけが受かった所で、『かんざしさん』無しじゃ面白く出来ないんだから。せめて。これ位は。


「ええっと……」


 で、何を喋ろうか。何か気付いた事とか? だめだ。いきなりすぎて、頭がちっとも回らない。


「はいはい、こんにちは」

「っ!」


 隣でにっこり笑って頭を下げてくれたおじいさんに、これ幸いとばかりに食い付いて行く。


「今日、お爺さんもオーディションにいらしたんですか?」


「ええええ、そうです。何しろ引退してから暇なもんでして。なにかやってみようかなあと思っていた所に」


「募集を見て応募した、と」

「ええ――」


 のんびりした彼の喋りに質問を繰り返しながら、必死に会話の取っ掛かりを探していく。

 誰かが言っていた『トークは戦場だ』とか言う言葉を頭の端で思いながら、相手ゲストの隙を探る探る。


 ええっと、どこを広げる? どんな風に? 何が聞きたい? 何に興味がある? というか、まずは何をしたらいい? あのラジオやその番組のパーソナリティ達は、まず何をしてた?

 ああそうだ、決まってる。ゲストの紹介だ。


「引退なさったということですけど、何かお仕事を?」


 考えている間も、口は動く。動かさなきゃいけない。会話をしないと。できるだけ簡潔に、分かりやすく、この人を誰かに紹介する感じで。


「はいそうです。坂上の喫茶店を長くやってましたわ」


「喫茶店? 坂上の喫茶店って言うと、あの何だか良く分からない店ですか?」


「はは。そうですよ、私の頃は甘味処だったんですが、息子夫婦が喫茶店にしましてね」


 朗らかに笑ったお爺さんに向かって、思わぬところから迫撃砲が飛んで来た。


「あ、知ってます! あの変な『ゴコール』ですよね?」


 小柄なもしゃもしゃ先輩の声に、恭平は頷く。この街で、割と有名な部類に入る店だ。坂の最上部にある、全国チェーン『ゴコール』の看板を堂々と表に出しながら独自の制服とメニューを持つ謎の店。


 その瞬間、情報が恭平の頭の中でスパークした。


「シュークリームが有名なんですよね!?」


 かつて放送されたドラマと共に盛り上がった雑楽坂ブームの頃、あちこちの雑誌にも載ったシュークリーム。あの謎の喫茶店が有名な理由。


「ええ、そうでございますね。昔っからこさえてる物で決して洒落たもんじゃあないんですが、ご好評を頂いてるようですねえ」


 よし、これで立ち位置が決まった。人気のシュークリームを持つ店の御主人をゲストに迎えた昼帯ラジオだ。


 なら、どうする?


 その時間ならゲラゲラバラエティはむしろ下品に聞こえるだろう。変に茶化したりしない方が絶対いい。心がけるのはゲストによる興味深い話とエスプリの効いた適度な笑いだ。

 だが残念ながら噂のシュークリームの現物は無いし、過去にそれを食べた事も無い。ついでにエスプリとやらもお目に掛かったためしは無い。


  だから。


「すごいですよね。学校帰りに店の前を通ると、いっつも売り切れましたって札が出てる」


 斜めに褒めつつ考える。食べ物なんだから、どうしたって味の感想が欲しい。

 

  頼む、援護だ! 撃ってくれ!


 願いを込めた視線で女子をちらり。

 が、先輩方はにこにこと楽しげな笑顔のままで、面白ブリーフを脱ぎ捨て戦場を駆ける少年兵の姿を眺めるばかり。


 おい!


 と胸の中で叫ぶ。分かるだろ、と。嘘でもいいから、ここはスイーツ大好き女子の振りをしてあのシュークリームを褒め称えてくれと強く思う。でも、口にはしない。


 ああいう《明るい系》の女子グループに嫌われるのは学校生活においてやってはいけない事だと経験則で知っている。避けられるまではギリOK。むしろ気楽。だが嫌われてしまえば途端に教室はしょっぱくなる。だから、なるべく喋らないようにして時々弄られる位のポジションが丁度いい――じゃ無くて――


 トーク!!!!


「はいはい。買えなかったお客様には申し訳ないんですけどね、何しろ店の者で手作りしてるもんですから。そうそう作り置くわけにもいきませんで」


 ……しまった。


 ラジオなのにとても申し訳なさそうな顔をしたお爺ちゃんを見て、恭平はちょっと焦った。『人気がある』のは凄くいいけど、『いつも売り切れで買えない』なんて宣伝としては間違いだ。

 ならば、そんな売り切れ必至のシュークリームを確実に買う方法を伝えなければ。


「えっと、予約とかって出来るんでしょうか?」


「ああ、はい。出来ますよ。店に電話を頂ければお取り置きも承りますし、前の日に言って頂けるとこちらとしても助かりますなあ」


「もしも当日になってしまう場合でも、予約は出来ますか?」


「まあ、平日ならだいたい昼過ぎくらいまでに、休みの日は朝の内にご連絡いただければ大抵はご希望に添えるかと思います」


「成程。平日なら昼過ぎ、休日は朝の内と言う事で。まあ、でも出来れば前日に電話を入れていただくと――?」


「助かりますなあ」


 ほんわかとした彼の人柄がにじみ出る様な台詞で空気が緩む。その言い方が気に入った恭平も『助かりますなあ』と真似をして笑いながら。


 あとは、あと、何を聞けば――?


 というか、味だ。味と見た目。他のシュークリームとは違う所とか、聞いている人が『おいしそうなシュークリーム』の絵を描ける言葉が欲しい。

 せめて『検索してみようかな』と思わせる位のひっかかりを。

 喉が渇く。ぺろりと舌を出して唇を舐めたけれど、湿った感じが全然しない。

 ああ、そうだ。ホームページとかはあるのかな?

 ていうか、お店の名前聞いたっけ?

 ああ、くそ。考えている間なんかないのに、こんなに頭を使うなんて。


「ええっと……」


 とにかく何か喋らなければ、と口を開きかけた瞬間だった。車座になった老若男女の向こう側、机の上の電話が『ピロロロ!』と大きく鳴った。

 思わずそちらを見た恭平と、村田慎之助の目が合う。小さく首を振って立ち上がった彼の無言の声を『続けて』という言葉で受け取った。


 早く来い。一人じゃ外枠をなぞるだけで精一杯なんだって。


「ええと……ご主人はラジオがお好きという事ですが、普段はどんなラジオを聞くんですか?」


 仕切り直しに話題を変えた瞬間、ゲストの名前すら頂戴していない事に気付いて胸の内で舌打ちをする。今更聞くのは失礼すぎる。さっきの資料に目を走らせるが、生憎応募者の名前は書いていない。


 そう言えば村田さんが名前を呼んでいた気がする。変わった名前だった気がするけれど、悲しいかな覚えていない。


「そりゃあもう、今は一日中つけてますな。朝から夜まで、家にいる間は聞くとも聞かずとも流しておく感じですな」


 奥様も――と出てきた言葉を喉で押さえる。奥さんと二人三脚で店を繁盛させた話が聞きたいが、この御歳だ。万が一にも湿っぽくなったらよろしくない。なので口先で切り替える。


「ご家族と一緒に聞かれるんですか?」


 息子さん夫婦がいるのは確定してる。その人たちが甘味処を喫茶店にしたと言っていた。

 時間を昼帯に設定したため、恭平はリスナー層をご年配として描いていた。だからお孫さんとか家族話はウケると思う。


「そうですなあ――」


 しかし、情報が少なすぎる。

 ああくそ、全然面白くない。面白くできない。どうしたらいい。何を話せば。


 そのとき、ふいにトントンと小さな音がした方に視線を向けると、電話を切った村田青年が『あと二分』と書いた紙を挟んだボードを持って無表情に立っていた。


 あと二分。

 時計を見る。時間を示す長針は、1の辺り。


 ……1!?


 三十分位喋ったつもりが、まだ五分。


 あと二分が、遥か遠く思えた。


「最初は私の趣味だったのが、今では家内の方が熱心に聞いておりまして、たまにメールも送っている様ですな」


「え? ラジオに送ってるんですか?」


「ええ。恥ずかしながら、私の事なども送っているようです」


 薄い頭を撫でて照れくさそうに笑ったお爺さんに、恭平は喰い気味で。


「すごいですね。奥様は結構読まれたりするんですか?」


「ええ、なにやらスペシャルウェークとやらにあちこちのラジオに送って、お米券なんかを頂いては小躍りしております」


「あはは、凄い。職人じゃないですか」


「はは。家内もそう言ってます。私は職人だから、と」


「いや、すごい。実は僕も何度かラジオに送った事があるんですけど、採用されたことはないんですよ」


「ほえ、そうなんですか」


「ええ、しかもスペシャルウィークは競争率高いのに――」


 かんざしさんがいれば――という思いと共に、一般的深夜ラジオリスナーの常として投稿職人に憧れを抱く男子の心をぐっと飲み込む。

 目の前の御主人が投稿する側の話にはあまり興味を持っていない様だったから。


『遊びじゃない。仕事、仕事』と頭の中の銃火器を切り替えた恭平は。


「あれですか? やっぱりラジオを聞いていて、これは奥様のメールだなっていうのは分かるモノなんですか?」


「あはは。まあ、そうですな。聴いていて他の方のを『おや?』と思う事もありますが、名前を隠していても家内のモノが分からなかった事はありませんなあ」


 言って、ご主人は照れくさそうに笑った。


「えー、すごーい! 羨ましいぃっ」

「なんか理想の夫婦って感じ」

「決めた、あたし大学行ったら絶対モテる!」

「ハイ無理~」

「なんだとぉ~?」


 きゃっぴきゃぴな女子高生アシスタントのノリに照れるご主人ゲストを横目に、恭平は『もうあいつらには期待しない』と心に決めて時計を見上げた。


 村田さんが示した時間まで、あと一分。あと一分で来るのかな。あと一分で、どれくらい喋れる? 分からないけれど、やるしかない。噛み合わなくても、つまんなくても、せめて明るくテンション上げて。今までだって、そんなのたくさん聴いて来ただろうが。


 見様見真似ならぬ――何て言うのさ、ラジオの場合。


 と。


 照れくさそうに撫でまわすご主人の薄い頭の向こうから、ドタドタドタッと激しい足音。

 直後、ダダバーンッとノックと同時にぶち開けられた扉からぶわっと小さな塊が飛び込んできて。


「す、すみませんっ! 遅れて、申し訳ありませんっ! お、おっ、おわっ……」


 と、ぜえぜえはあはあ言いながら、ぴしっと小さな土下座を決め込んだ。


 ぜえ、ぜえ、はあ、はあ……んぐっ……。


 小さくつばを飲み込む音と同時に顔を上げた彼女は、怯える様な目でそ~っと辺りを窺うと。


「はい、尾張さんね。今日は、どうして遅れたのかな?」

「あ……地下てっ」


 と今にも口から飛び出そうになった言葉をぐっと奥歯で噛みしめて、それからふっと悪い笑みで恭平を睨みつけて。


「……地下帝国が攻めてくる夢を見ていました」


 立ち上がると、小柄なのが良く分かる。百五十センチちょっと位。地味な色味のリュックを背負い、耳から顎のラインに合わせてカットされた黒髪に薄紫のジャージが良く似合うボーイッシュでシャープな顔立ち。

 そして。


「……結局寝坊じゃん、それ」


 疲れ切った笑みの恭平に、フンッと鼻を鳴らした彼女は。


「違う。が、それでもいいだろう。私は決して言い訳をしない人間だからな」


「……ん?」


「ん?」

「ん?」


『何言ってんのお前?』という顔の恭平と『何かおかしな事を言いましたか?』という顔で見つめ合うユリカを見て、村田青年は少し笑った。


「オーケー。君が尾張友里香さんね。で、尾張さんは恭平君とのコンビを希望するって書いてあるんだけど、君もそれでいい?」


 いたずらっぽく笑った村田慎之助に、恭平は慌てて。


「あっ、はい! そうです。不本意ながら、それでいいです!」


「おい待て。私はそもそもお前が泣き土下座で頼むからだな――」


「まあまあ、いいじゃないか」


 応募フォームにその事を書くのをすっかり忘れていた恭平とその顔を指さすユリカの間に、責任者の青年が割って入った。


「良くないっ! いいか、私は別にラジオなんかに興味は無いのに、そいつに弱みを握られ脅されて、無理矢理一肌二肌脱がされてだなっ!」


 ギャーギャーと己のやる気の無さを熱弁するユリカに苦笑していた恭平の肩を、ぽんぽんと叩く柔らかい手。振り向けば、小柄な先輩がむふむふと笑いながら。


「ねぇねぇねぇ、もしかして二人って付き合ってるでしょ?」

「あ、いや――」

「んなわけあるかぁっ! この色ボケパーマッ!」


 それが我が校の先輩だとは露知らず、ブチ切れた少女の手から放たれた汗染みハンカチがシュワシュワパーマの素敵なおフェイスに炸裂したある日の午後。雑ヶ谷の蒸し暑さを加速させる蝉の鳴き声がジーワジーワと窓から流れ込んでいた。


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