第6話〔5〕黒き怪草
緑色を基調としたディアンドル風のメイド服は割とあたたかく、仕事着というより民族衣装だった。
メルヴィル家で着ていたエプロンドレスも良かったが、こういう味のある服もなかなかいいものだ。
ステラはこの日、ランプリング伯爵に付き添って東方にある軍の施設を訪れていた。
彼の側仕えを始めて5ヵ月になるだろうか、新しいメイド服にも、新しい仕事にも、何とかなじんでいた。
もっとも、持たされる革のかばんは片手でも持てるものが一つのみ。
各地を転々とはしていたが、主人はもっぱら訪ねた先で談笑するのが常で、メルヴィル城でこなしたような仕事と呼べそうなことはほとんどなかった。
ステラの主人、武器商人のランプリング伯爵はドワーフ族だ。
頭のてっぺんがはげ上がり、ハーフリングのステラと同じくらいの上背ながら、筋骨隆々とした体格が茶色いスーツの上からでもよく分かる。
杖を突いていて、わずかに腰折れの老齢ではあったが、足取りはしっかりしていた。
彼がこの基地へやって来たのはあいさつ回りが目的だったのだが、あいにく先方が留守をしていて、すでにもう帰ろうとしているところだった。
その帰り道でのこと。
事務所から引き返した2人が駐機場にさしかかると、つどった兵隊らが何やら
ランプリング「アレンビー侯爵のご子息じゃよ。
こわがることはないからの」
異様な気配に気後れを起こしたステラを気づかって、主人はふと立ち止まって言った。
出口につながる連絡路から、そちらをながめる。
四角く整列した兵士たちと向かい合って、隊長と思しき一人の男性が吐く息をまっ白にしながら声を張り上げていた。
彼らは誰も、はしばみ色の飛行服を身につけていた。
アレンビー「いいですか、今から行う我々の作戦はとても重要な任務です。
間もなく日暮れですが、遂行の機会は今しかありません。
心してかかりなさい!」
【オオッ!】
白髪の長身、アレンビーが気合をかけると、兵士たちが応えた。
ランプリング「おやおや坊っちゃん、そんなに殺気立ってどうされたのかの?」
アレンビー「ああ、これは伯爵、ごきげんよう。
父は留守でしょう」
伯爵が声をかけると、アレンビーはこちらを振り返って返事をした。
ランプリング「ほっほ、残念じゃがの、折りが悪かったみたいじゃわい。
それより、この部隊は何かのぅ?」
アレンビー「出撃ですよ。
近くの城を爆撃してくるだけですので、そんなに手間はかかりません……フヒヒッ」
ランプリング「ほう、それはおだやかではないのぅ。
いったいどんな凶状があって爆撃を受けるのじゃろうの、その城は……」
アレンビー「いやなに、監査をこばむメルヴィル家に、ちょっとしたおどしを仕かけるだけですよ」
ステラ(……!?)
主人の倍ほどもある男の口からもれた言葉に、ステラは青ざめた。
ランプリング「しかしの、軍用機の爆装はしっかり数えられておるじゃろう?
お父様のおらん間に容易には持ち出せぬはずじゃが?」
アレンビー「父君は今ここにはいない。
従って、今はボクがこの基地の最高責任者ですよ。
それに、空から
まあ、城壁を少しけずるくらいにはなりますが、死人が出るほどではありませんよ」
ランプリング「なるほど、飛行部隊を動かすほどの成果となればよいがのぅ……」
アレンビー「ええ、監査を拒否するほどの何かを、城主が隠しています。
今日、あの城に行って、ぞっとしましたよ。
亜人ばかりがひしめいて、まともな姿の人間が一人もいない。
ホールに彼女らがずらっと並んだ光景などは、狂気じみていて背すじがひやりとしたほどです」
ステラ「…………」
その男の話を聞いているうちに、ステラの胸に恐怖がじわりと広がっていった。
アレンビー「メルヴィル家が何をたくらんでいるのかはさだかではありませんが、大人しくなったあとでゆっくりそれらしい物を探す予定です。
本国に秘密にして、こそこそと謀略をめぐらすなど、あってはならないことだ、断じて!」
ランプリング「おお、ほっほっ、勇ましいことじゃわい」
アレンビー「罪人を処断し、国を救ったとなれば、ボクも英雄の仲間入りです。
いつまでも子爵などに甘んじてはいられないのですよ……」
男はにぎりこぶしを持ち上げて、野心家の顔をして息まいた。
隊長が弁舌をふるっている間、誰一人としてぴくりとも動かずに整列し続けている兵隊たちもまた、異様だった。
ふと、アレンビーの三白眼がこちらをぎろりと捉える。
ステラは思わず悲鳴を上げそうになったが、声を押しとどめつつおじぎし、視線を外しておいた。
アレンビー「ところで、見かけない助手ですね……」
この言葉で、彼女はおじぎをしたまま顔を上げづらくなった。
彼もまさか、今から爆撃しようという敵地の出身者が、こんなに近くにいるなどと夢にも思っていなかっただろう。
知っていれば、そんな話を聞かせてはいなかったはずなのだから。
ステラは身の危険を感じた。
もしここで自分の正体がばれてしまったら、何をされるか分からない。
亜人のメイドとひと度気付かれるようなことがあってもいけない。
とにかく、自分とメルヴィル家という言葉が結びついた時、彼が見逃してくれるとはとても思えなかったのだ。
全身から、さっと血の気が引いた。
ランプリング「ああ、孫じゃよ」
ステラ(……!)
ランプリング「この歳になると、素性も知らぬ者をやとう勇気がなくてのぅ。
ステラじゃ」
それは主人の機転だった。
アレンビー「では、キミも……ドワーフ族」
ランプリング「まあ、そんなところじゃ。
何か気に入らんのかの?」
アレンビー「いえいえ、めっそうもありません。
皆さんよく勘違いをされるのですが、ボクはただ亜人というだけで特別あつかいを受けるような種族が嫌いなだけなのです。
伯爵のような自身の力だけで成功をつかみ取った方はたとえ亜人でも、ボクは尊敬しますよ。
……いつか飛び越える目標にできる……フヒヒッ」
ランプリング「わしは自分の力だけ、というわけではないのじゃがね」
アレンビー「おっと、そろそろ行かなければ……。
では伯爵、ご
急に話を切り上げて、アレンビーは隊列のほうへもどった。
アレンビー「さぁ、発進です!
皆さん、気合を入れなさい!」
兵隊たち「アイアイサー!」
気合のこもった返事をして兵隊らが回れ右をし、向こうに並んだそれぞれの戦闘機へ駆けてゆく。
ランプリング「おいで、ステラ」
ステラ「はい……」
主人は明らかにそれまでより足早になって、早ばやとその場を立ち去った。
やがて戦闘機のエンジンがかかり始め、辺りはたちまちプロペラが回る音でかしがましくなる。
ちらりと振り返ってみれば、晴れ間の見える夕焼け空に連なって飛び立ってゆく十数機もの単葉機の後ろ姿。
ランプリング「“あれ”は純血派で野心家じゃ。
出世のためじゃったら亜人を殺してもよいと考えておる」
前に視線をもどすと、同じく振り返って戦闘機の発進を見届ける主人がいた。
彼がそこで話をやめたので、それから2人は騒々しい中を連絡路の先へ向かって無言で歩いていった。
そうして駐車場へたどり着くと、乗ってきた1台のオートモービルの後部座席に乗り込む。
主人が運転手に目的地を告げると、こちらもすぐに発進した。
ランプリング「基地を出たら、近くでお茶にしようかの。
ついでにそこで電話を借りればよいじゃろう」
ステラ「……!」
車内でひと息ついたところで、ステラが今一番したかったことを主人が提案してくれた。
ランプリング「ほっほ、さっきはとっさのことじゃったが、本当の孫のように思うておるのは本心じゃ。
それに、味方を攻撃しようなど、全くもってばかげた話じゃて。
彼は地位や権力にとりつかれておる。
そのために、アステル坊っちゃんを踏み台にする気なのじゃよ。
すぐにメルヴィル城へ電話して、空襲を知らせなさい。
わしも、わしが売った武器で同じ国の民が傷付くのは、はなはだ不本意じゃからのぅ」
ステラ「はい、ありがとうございます!」
車はエントランスゲートを通過して基地の外へ出た。
雪をかぶった山々の上を、列をなして飛んでゆく飛行機。
それらを車窓越しにながめてステラは、戦争が始まってしまったのだなとひそかに恐怖し、くちびるをかんだ。
決して予断を許さない状況下ではあったが、リリィの容態が一応の落ち着きを見せたので、アステルは彼女をメイドたちにまかせて地下室の様子を見に行くことにした。
リリィの部屋をあとにすると、早足ぎみに地下へと向かい、作業員たちがあわただしく作業するその地下医療室をおとずれる。
ムスリカ「アステル君、問題が起きた……」
アステル「……!
問題……というと?」
常に発電機が低いうなりを上げている室内へ踏み入ってゆくと、計器をにらみつけていたムスリカがこちらを見つけて言った。
ムスリカ「いや、むしろ問題が解決したと表現すべきか……。
もしかすると、リリィをあのまま最後まで変異させたほうが、良いのかもしれないのだよ」
アステル「な……何ですって?
それじゃあ、リリィは……」
突然の提案に、アステルは動揺してとげとげしい声を上げそうになった。
すぐに自制して何とか平静を取りもどしたが、それでも彼は説明をせがむように先生のそばまで詰め寄った。
アステル「リリィは、いったいどうなるというのです……」
ムスリカ「今までは、体内にある亜人の遺伝子や細胞だけを破壊するように調整してきたが、この方法では残すべき遺伝子もただではすまない。
だが、もし亜人の部分が体外にせり出し、リリィ本体を囲んだ状態でデコーダーを浴びせることができれば、彼女への影響を最小限におさえられるかもしれない」
アステル「…………」
ムスリカ「リリィの状態を見て思ったのだが、彼女の場合はどうやら変異と言ってもそれまで体内に収まっていた亜人の部分が体外へ露出するだけのことらしい。
どうなるかはまだはっきりと分からないが、完全にクモの姿となったあと、彼女はそのクモに取り込まれて同化してしまうかもしれないし、もしくは、クモの部分だけ分離して、彼女は人間として解放されるかもしれない。
まあ、楽観的な推測だがね、ここまで来て確かなことが何一つ言えないとは、どうにも情けない話だ……」
先生は自信に満ちた口調で論じたものの、最後のほうは
確かに希望のある話に聞こえた。
仮に、両者の立場が逆転してクモの中にリリィが閉じ込められる形になれば、それだけデコーダーの光も容易には彼女に届かないということだ。
しかし、変異が終わってリリィがどうなるか、危険な賭けだった。
それに、できれば変異など起こる前に彼女を救いたかった。
事ここに至っては、もはや無理なこととは知っていたが。
ムスリカ「時間はかからない。
私としては、そのようにデコーダーを調整しておきたいのだが……」
アステル「…………」
選択する余地は、なかった。
アステル「分かりました。
では、先生におまかせします。
リリィを、救って下さい……」
ニア「アステル様……!」
言い終えて、開けたままだった戸口に突然ニアが現れ、至極急き込みがちにこちらを呼ばわった。
ニア「アステル様、たった今、ステラから連絡がございました!
アレンビー侯爵領の軍基地から爆撃機の大群が飛び立ったそうでございます!
彼女が言うには、ナーシサス・アレンビー子爵が指揮をとり、この城を爆撃しようとしているとのことでした……」
アステル「ば……爆撃!?」
とてもにわかには信じられない話に、アステルは彼女が言ったことを整理するのに苦労した。
内容をかみくだく間に鼓動が早まり、自分の体温が一気に上昇してゆくのが分かる。
アステル「どういうこと?
アレンビー大尉がここに爆弾を落としにやって来るってこと!?」
ニア「はい、そのようでございます。
ステラがランプリング伯爵にしたがって東方の基地へおとずれた際、それを聞いたと……」
ムスリカ「アステル君……!」
ニアの
その呼び声にアステルは気付かされ、すべきことを理解した。
アステル「ニア、城内の者たちを地下へ、
兵士たちを兵舎の中へ避難させて!」
ニア「かしこまりました……!」
出した指示に即答し、すばやく反転してニアが去る。
アステル「ここは安全です。
先生は仕上げを急いで下さい」
ムスリカ「君は……?」
アステル「リリィを連れて来ます……!」
それだけ言い置いて、アステルも部屋を出た。
アレンビー侯爵領といえば、はるか東方の地。
しかし単葉機なら30分もかからないだろう。
その爆撃機がどれほど前に飛び立ったのかは分からないが、リリィを背負って地下室へ逃れるまでの余裕はあってほしい。
メイド「アステル様!」
アステル「奥の部屋へ……!
医療室以外の部屋へ行って」
1階への階段を昇った所で、知らせを聞いたメイドたちがさっそくやって来る。
アステル「止まってはいけないよ。
大丈夫、みんな入れる」
始めはまばらだった彼女らも、じょじょに増えてうす暗い長廊下にあふれた。
もうすぐ日暮れだった。
アステル「落ち着いて移動するんだよ。
地下にいれば安全だから」
人の流れを避けつつ声をかけ、アステルはリリィの部屋を目指した。
どうしてこんな事態になったのだろう。
理由は分かっている。
ナーシサス・アレンビーの要求を受け入れなかったからだ。
朝、非礼にも無断で飛行場に侵入し、見当違いの推論をぶち上げ、言いたいことだけ言って帰っていった男の要求を。
まさか大尉に
しかしそれでも、自分の態度が城のみんなを危険にさらすことになってしまったというわけだ。
胸の奥が、怒りと後悔で熱を帯びる。
心臓が暴れるように鼓動する。
手足も震えている。
メイドたちの避難があらかた完了し、再び人の流れがまばらになると、そこで初めて不気味なうなりを耳が捉える。
【ゥゥゥゥゥ──……ゥゥゥ】
アステル「……!」
かすかではあったがまぎれもない、レシプロ飛行機のプロペラの遠音だった。
アステルは駆け出した。
余裕などなかった。
爆撃機はすぐそこまで来ていたのだ。
リリィの部屋の前までたどり着き、急いで開扉して駆け入る。
【ガチャッ……】
アステル「リリィ……ハッ!」
室内へ踏み入って、彼は驚いた。
彼の目に飛び込んできたのは、うす暗い部屋の中ほどにあって、ぬめりと光る黒い何者かの姿。
クモになり損なった巨大なかたまりが、ベッドから
それを見習いメイドの4人が捕まえているか、あるいは懸命に運び出そうとしている最中だった。
アステル「リ……リィ……?
リリィ……なのかい?」
モモ「アステルさまっ……!」
デイジー「アステルさま!」
少女たちが口々に、助けを求めてあるじを呼んだ。
リリィ「みんっ……な、は……はなれて……
離れてぇ……!」
かろうじて聞き取れたリリィの声は、クモだった何者かの腹部から発せられたらしい。
だが、リリィであった者がのそりと身を起こすと、すでに彼女の姿はなくなっていた。
おそらく内部に閉じ込められたのだ。
その者の腹には彼女と分かるほどにはうっすらと、手足を丸めた少女の姿が、こぶとして浮き出ていた。
ルナと見習いメイドたちが後ずさりしてそいつから距離をとる。
城医者のクインシーや他のハウスメイドたちはいないようだ。
それにしてもどのような手順を踏んで、そのような姿形に行き着いたのかが分からなかった。
見ていると、頭上高く持ち上げられた2本の長足が、傘が開くように左右に広げられてゆく。
それはどうやら、まるでコウモリの翼のようだ。
床に横たわっていた特に長い長足が、まるでヘビの尻尾のようにうねり、
さらにその反対側の長足の先端には、まるでトカゲの頭のようなふくらみができていた。
アステル「ああ……こんなことが……」
目の前の光景に、衝撃と困惑でなす
プテロナラクニス。
古い言葉で“翼”と“クモ”を意味する。
だから彼も、そのように理解していた。
全くの思い違いをしていた。
クモなどではなかったのだ。
リリィの背を突き破って現れたもの、8本のクモの足だと思っていたものは、
2本は前あしに、
2本は後ろあしに、
2本は
そして2本は、尻尾と長首に。
肉体はたくましく、ぬめりと光る黒いうろこにおおわれている。
翼は大きく、それぞれの先端が広やかな部屋のすみとすみに届きそうだ。
淡い燭火に照らされて、そこにある巨大な
おとぎ話に登場した、たけだけしい飛竜の姿だった。
えりかざりを有し、かぶとのようになった頭部が下を向いて口を開ける。
獰猛そうな牙が見え、よだれにまみれた舌がのぞく。
【ハッ……ハッ……ハッ……】
生まれたての獣のように細かい呼吸をくり返し、長首から背中を通って尻尾の先まで達する
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