第6話〔4〕出で来病葉

 

 

 

 

 

 メルヴィル城の地下にある地下室のひとつには、2年間におよぶ研究の成果が詰め込まれている。

 

チェストほどの大きさの計算装置が壁ぎわにひしめき、大小2つの操作盤と幾本ものケーブルでつながっている。

 

部屋の中央に設置された腰高の作業台、その上に固定された機器こそがジーンデコーダーだった。

 

 形状としては突撃銃に近いが、銃口が無い代わりに先端が投光器のようになっている。

 

グリップの引き金は、これに電気を通して発光させるためのスイッチだ。

 

放たれる光はもちろん電磁波。

 

それを対象、つまりリリィに浴びせかけ、彼女の中にあるクモの遺伝子や細胞のみを破壊する計画だった。

 

 助手として白衣とゴーグルを身につけ、機械類を操作する城仕えのメイドは4人。

 

極秘の研究であったため、限られた者しかいない。

 

アステルはムスリカとともにこの部屋へ訪れ、現在ジーンデコーダーの最終調整を行っていたのだった。

 

 

ムスリカ「発電機の調子はどうかね?」

 

 

助手「安定しております」

 

 

 奥で低いうなりを上げ続けている発電装置をさし示してムスリカが言った。

 

助手の一人、ヒツジのツノを生やしたクヌム族の亜人が返事をした。

 

 オートモービルほどの大きさの発電機からも幾本かのケーブルが伸び、それぞれの機器へつながっている。

 

そのすぐそばに置かれた箱はジーンデコーダーの動力源となるバッテリーというもので、これだけ個別に発電機とつながって充電中だった。

 

 

ムスリカ「では、実際に作動させてみよう。

サンプルをセットして」

 

 

 また一人の助手がムスリカの指示に応じて棚からシャーレを取り出し、作業台までやって来る。

 

彼女はピンセットを使ってシャーレの中のシートをつまみ上げ、ジーンデコーダーの向いている方向にある木製スタンドにクリップで固定する。

 

シートにはリリィの体から採取した細胞のサンプルが付着させてあった。

 

 

ムスリカ「皆、ゴーグルを忘れないように」

 

 

 自らも装着しつつうながしたムスリカにアステルがならうと、全員保護ゴーグルを着けた姿で作業台から距離を取った。

 

これでジーンデコーダーの発光部分と細胞サンプル、その先の防護壁が一直線に並ぶことになる。

 

 

ムスリカ「7,5秒間照射してみよう。

5秒前からだ、いいね?」

 

 

 助手たちの配置を確認し、腕時計を見ながら身構えてムスリカが言った。

 

操作盤を前にした一人が、試射用のボタンに指をかける。

 

 

ムスリカ「5、4、3、2、1……照射」

 

 

【カチッ……パバチッバチッ!】

 

 彼の合図でボタンが押され、ジーンデコーダーが息を吹き返したみたいに強烈な光を放つ。

 

機器とケーブルの結合部から火花が飛び散る。

 

同じ発電機を共用している室内の電灯がちかちかと明滅する。

 

 ジーンデコーダーから照射された光はサンプルを白く染め上げ、向こうの防護壁に白い大円を描く。

 

 

ムスリカ「……5、6、7・停止!」

 

 

【カチッ……ウゥゥ──…………】

 

 きっちり7,5秒後に停止ボタンが押されると、ジーンデコーダーの光と電灯の光が同時にたち消える。

 

少しの停電を経て明かりが復旧し、機器がもとの落ち着きを取りもどした。

 

 試運転は成功のようだ。

 

 

ムスリカ「……よし、もうゴーグルを外しても大丈夫だろう」

 

 

 ゴーグルを外して、ムスリカから慎重に作業台に近付いてゆく。

 

光が直撃したシートがしゅうしゅうと音を立てて白い蒸気を発生させていた。

 

 

ムスリカ「……それでは、サンプルの状態を見てみよう……」

 

 

声『アステルさまっ!』

 

 

 彼がシートに手を伸ばそうとしてすぐ、ドアの向こうから声が聞こえた。

 

アステルが戸口近くの者に開扉を命じると、開かれたドアからモモが現れた。

 

 

モモ「アステルさま!

リリィさまが、リリィさまが……しんじゃう!」

 

 

アステル「!?」

 

 

 息せき切って告げる少女に、アステルは面食らった。

 

 

ムスリカ「リリィが……!?」

 

 

 同じく声を上げたムスリカと見交わして、2人とも凍りつく。

 

 

モモ「せなかから、いっぱい出てて、それで……それで……!」

 

 

 戸口でひどく動揺してモモが言ったものだから、室内にたちまち不安が広がった。

 

 

ムスリカ「行こう、アステル君。

みんなは続けてくれたまえ……」

 

 

 先生にうながされて、アステルは彼とともにすぐさま部屋を出た。

 

小走りで前を行くモモに足早についてゆく2人。

 

階段を昇り、1階の長廊下を進む。

 

 地下室での作業はまだ少し残っていたが、万全の態勢でのぞめるほどの余裕はもしかしたらないのかもしれない。

 

 

声『アアアアアッ!!』

 

 

 奥から聞こえる悲鳴。

 

リリィのものだと気付いた時には、3人とも駆け出していた。

 

冬だというのに、アステルの顔にはうっすらと汗がにじむ。

 

 途中でモモを追い越し、アステルがまっ先にリリィの部屋のドアを勢いよく開けて駆け入った。

 

 

アステル「リリィ!」

 

 

リリィ「アアアッ!!」

 

 

 目に飛び込んできた光景に、彼の背すじがにわかに凍る。

 

ベッドの上で四つんばいになって絶叫しているリリィ。

 

彼女の背中からベッドをはみ出して突き出る8本の黒い長足。

 

今もまだその内の2本が突出する最中だった。

 

 それらは透明の体液にまみれ、ふとんや床のじゅうたんをしとどにぬらしていたが、不思議と血らしきものは一滴も見当たらない。

 

とうとう始まってしまった。

 

少女の体内に蓄積された亜人の部分が、おさえきれず体外へとあふれてきたのだ。

 

 どのタイミングで彼女の命が絶えるのかはまだ分からない。

 

しかしこのままでは4歳でこの世を去ったリリィの兄、マルタゴンの二の舞だ。

 

心ではよく理解していても、あまりの惨状にアステルはすべきことが思い付けなかった。

 

 これが、プテロナラクニスという翼を持った巨大なクモの亜人の変異というものだった。

 

 8本の長足はリリィの背を突きやぶり、その足先が床についたところで変異が止まった。

 

一本一本は長さが不ぞろいで節くれ立っていて、まさしくクモの足のように放射状に伸びていた。

 

ズロースのみを身につけたリリィ自身の手足からも、無数の黒い肉芽が生じて肌をおおい、浮き出たすじがまるで命を誇示してでもいるかのように、力強く脈動していた。

 

 

ムスリカ「変異が……止まったのか?

ど……どういうことだ、これで終わりなのか……?」

 

 

 先生も少女の身に起こっていることに説明がつかないでいる。

 

ベッドのフットボードに両手でつかみかかって首を伸ばし、リリィが何か胃液らしきものを床へ吐瀉としゃした。

 

 

リリィ「げほっ、けほっ……けほっ。

はぁぁっ、はぁぁっ、はぁぁっ……」

 

 

アステル「いいよ、吐いて……全部吐いていいよ」

 

 

 とても苦しそうに息をするリリィに近寄って、頭をなでつつやさしく声をかけるアステル。

 

こんなことくらいしか、彼女にしてやれない自分がもどかしい。

 

 

ムスリカ「いや……おそらく変異は続いている。

変異体が大きすぎて、一度に変異できないでいるのだ……」

 

 

 ベッドの周囲を行ったり来たりしてリリィをながめ、ムスリカが落ち着きのない声で言った。

 

 

ムスリカ「アステル君、これは推論なのだがね、このペースだとおそらくあと数時間でこの子は完全に人ではなくなる。

今は体内で外殻の部分が作られているのだと思うんだ。

それを次の段階で体外にせり出し、大グモの形に組み立てる仕組みなのだろう。

しかし、妙だ……。

リリィの兄は変異の途中で亡くなったそうだが……。

リリィの場合は充分に成長していたということか……」

 

 

 彼はリリィの背中の、クモの足が突き出た根もとを注視し、触診しながら論をまとめた。

 

8本の長足が合わさるすき間から、次に現れるのだろう部位らしきものがわずかにのぞいていたのだ。

 

 

ムスリカ「アステル君、君はこの子についていたまえ。

私はもどって、デコーダーを仕上げてくる」

 

 

 口早に言い置いて彼は退室していった。

 

部屋に残ったアステルではあったが、正直なところ本当にもうどうしていいか分からない。

 

彼女のそばにいて、少しでも彼女のために今できることがないかと思案してはいるのだが。

 

 

リリィ「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 

 リリィが落ち着きを取りもどしつつあったので、アステルは彼女をベッドへゆっくりなおした。

 

ジャスミンがモップとバケツを持ち出して、ルナとともに床をそうじし始める。

 

デイジーがぬれタオルでリリィの口もとをきれいにぬぐう。

 

リリィがフットボード側を向いてうつぶせになるかっこうだったので、ポピーがまくらをこちらに移動させる。

 

 幼子たちはとてもよく仕事をこなしてくれていた。

 

 

リリィ「おにい……さま、お兄さま……」

 

 

アステル「何だい、何でも言って……」

 

 

 か細い声で呼びかけられて、つとめておだやかに返事をするが、内心はおだやかではいられなかった。

 

リリィの母フリージアは、息子マルタゴンのこの姿を見て、気が狂ってしまったのだろうか。

 

 

リリィ「はぁ……はぁ……テーブル……」

 

 

アステル「……?」

 

 

 苦しそうな息でリリィが、顔をまくらに伏せたまま言った。

 

 

リリィ「テーブルの……上に……」

 

 

 そばのモモがはっとして、ナイトテーブルの上にあった物を持って来る。

 

突然それを差し出されてアステルは、とまどいつつそろそろと受け取った。

 

 

リリィ「そこに、書いてある物……お願い、お兄さま……」

 

 

 一枚の紙切れだった。

 

手もとで広げて目を通すアステル。

 

 

アステル(…………)

 

 

 てっきり食べたい物でも書いてあるのだろうと思っていた。

 

しかしよくよく見ると、そこには“モーフィン”や“ニトラゼパム”などと言った不穏な名前が並んでいるだけだった。

 

おおよそ12歳の少女の口からは聞けそうもないものばかりが10項目ほど。

 

リリィらしい丁寧な字で書かれてあるそのメモに、アステルは刹那に胸の奥をえぐられるのだった。

 

 

アステル「……できない」

 

 

リリィ「どうして……?

街の……お薬屋さんに、あるでしょ……?」

 

 

 まくらをきゅっといだいて、刺すような目つきで片目をのぞかせるリリィ。

 

 

リリィ「電話をして……今すぐ、持ってくるように……言って。

だって、みんな……ダメだって……言うんだもの……」

 

 

アステル「これは……だね?」

 

 

 おそらく薬学の本でも読んだのではないか。

 

すでにひそかに、これらの物を用意するようメイドに命じたこともあるのだろう。

 

結局、誰一人として拒否しない者がなかったのだ。

 

 そうして彼女は最後の手段として今、この紙切れを従兄あにに渡したというわけだ。

 

 

アステル「どういう目的なのかは知らないけど、この要求には応じられない……」

 

 

リリィ「…………」

 

 

 こちらの返事を聞き取って、リリィは至極くやしそうに目を閉じた。

 

見習いメイドたちが不安げな顔でなりゆきを見守っていた。

 

 目を閉じたまま、再びリリィが言う。

 

 

リリィ「では、ナイフを……ちょうだい。

大丈夫よ、リリィは、わ……」

 

 

アステル「あぁ……リリィ……だめだ、弱気になってはいけない……」

 

 

リリィ「お願いよ、お兄さま……包丁でもいいの……」

 

 

アステル「……だめだ」

 

 

 とても苦痛そうに訴えるリリィに、アステルも目を伏せて首を振った。

 

 

リリィ「…………」

 

 

 少女は真横を向く形で泣き出しそうな顔をこちらに現し、すぐにもどしてまくらへうずめた。

 

 

リリィ「リリィは……2才だったけど。

おぼえてるの……」

 

 

 声をしぼり出すようにして、リリィは語り始める。

 

 

リリィ「ドアのすき間から部屋の中を……のぞいていたの。

クモの足を背中から、生やして……ベッドであおむけに寝ている……のは、マルタお兄さま。

そばにしゃがんで……彼を見つめているのは、お母さま。

お母さまは小びんに入った水を、そっと口にふくみ、そして……

そしてお兄さまとキスをした……。

最後のキスを……。

2人のくちびるが離れると……お母さまは。

ああ……お母さまは天井を見上げ……、

”……飲みこんだ……」

 

 

アステル(…………)

 

 

 ずっと首すじの寒気が消えない。

 

少女の打ち明け話に見え隠れする真実は、変わり果てつつある少女を前にして聞くには、あまりにも恐ろしかった。

 

 

リリィ「ずっと考えていたの……。

お母さまが、マルタお兄さまの死のショックで頭がおかしくなっただなんて……ウソ」

 

 

 シーツをにぎりつけるリリィの声が、じょじょに険しさを帯びてゆく。

 

 

リリィ「本当は……お母さまはマルタお兄さまと、

いっしょに死のうとしたのよ……!

小びんの中身は毒薬だった……!

でも……でも、自分が飲んだのは、死ぬには足りなかった……!

死ねなかったけど……毒は脳をこわすにはじゅうぶんだった……。

そうよ……お母さまは毒薬のせいで頭がおかしくなってしまったの!!」

 

 

アステル「…………」

 

 

 彼女は今まで、ずっとそのことを考えてきたのだろうか。

 

10年もの間、胸の中にひた隠しにし、兄の死と正気を失った母の真相に向き合い続けていたというのか。

 

 

リリィ「次は……リリィの番……」

 

 

 語りきって、再びおだやかな声音を取りもどしたが、リリィの肩は小刻みに震えていた。

 

 

リリィ「だけど……アステルお兄さまを……、リリィのお母さまのようには、させない……!

リリィは一人でできる、してみせるわ。

だから……お願い……、

………………?」

 

 

 胸がどうしようもなくしめつけられる思いだった。

 

呼吸をするのに、肺が受けつけない感覚だった。

 

 くやしかった。

 

彼女をここまで追い詰めてしまった自分がくやしくてたまらなかった。

 

アステルは自分の非力さをくやみ、ふがいなさをくやみ、しかしそれでも、リリィに答えなければならなかった。

 

 

アステル「リリィ、聞いて……。

私とした約束を、おぼえているかい?」

 

 

リリィ「……ええ、おぼえてる。

でもいいの、もういいの……もう、じゅうぶんだから」

 

 

 彼女がどれほど懸命に死を受け入れる覚悟を決めていようと、アステルはそれでも、そのかぶりをそっとやさしくなでながら、伝えなければならなかった。

 

 

アステル「そう、その約束だ。

今、君を救うためにパレンバーグ先生や城のみんながすごくがんばってくれている。

私の考えを信じて、力を尽くしてくれているんだ。

でも、君が私を信じてくれないと、

私は君を救うことができない……。

あの日の約束も、君への恩返しも、果たすことができないんだ。

もう少しなんだ……あと少しだけ、どうか待ってほしい……」

 

 

リリィ「…………」

 

 

 こくなことだとは承知していた。

 

こんな姿をさらしてまで生き長らえろなどと、あるいは死んでも構わないなどと、誰が言えた義理でもなかった。

 

 幼き日のリリィがでんごんゲームと言ってうれしそうにアステルの望みを聞いたのは、変異にもがき苦しみながら成功するかどうかも分からない実験まがいの治療法に付き合わされたかったためでは決してなかったはずだ。

 

そもそも恩返しなど、ただの独りよがりでしかないのだから。

 

 

リリィ「……分かったわ」

 

 

 リリィは、まくらの端から涙でうるんだ瞳をのぞかせた。

 

 

リリィ「リリィ……怪物になる……。

8本足のおっきい怪物になって、それから、アステルお兄さまをいじめる悪いやつを、やっつけてやるわ……!」

 

 

 それがせいいっぱいの空元気だったのだろう。

 

リリィは演技と分かるほどにひどくたのもしげな顔をして言ったが、言い終えた途端に涙が両の目からあふれた。

 

 

リリィ「でも、どうしてクモなの……?

どうしてネコじゃなかったの……?

ツノが生えていてもよかった……!

子ぶたのほうが、ずっとかわいかったのに!!」

 

 

 彼女はとうとう声を荒らげて、泣き声まじりに叫んでいた。

 

 

リリィ「背中から出たのが、ようせいみたいな羽根だったら、とってもすてきだったのに!

クモはいや……!

クモだけはいやよ……!

こんなに気持ち悪くておそろしい生き物なんて、

大っきらい!!」

 

 

 まくらに深く顔をうずめ、しくしくと泣き出すリリィ。

 

今はもう虫のような黒い肌となっている彼女の肩を、アステルはこわごわとなでてやることしかできなかった。

 

 

リリィ「アステルお兄さまが好き……大好き……。

お願い……リリィを、

きらいにならないで……。

お願い……。

おねがい…………」

 

 

 

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