穏やかな不安

日曜日だというのに朝早くに目が覚めてしまった。東向きの窓から差し込む朝日は秋になってもまだまだ強く、休日の睡眠をも邪魔をする。

隣の部屋の繭子を起こさぬようそっとシャワーを浴び、コーヒーを淹れてパソコンの電源を入れると、京香先生からメールが届いていた。


「今月分の原稿と写真を添付いたします。お時間がありましたら、お庭へどうぞ。柏木京香」


京香先生の「ハーブライフ」は自分が受け持つ自然生活雑誌に創刊から連載している人気連載記事の一つだ。身近なハーブを使った料理やインテリア、ホームグッズの作り方を掲載している。今ではカリスマ主婦と称され、記事をまとめた本を刊行すれば必ず売り上げの上位を競う。


――お庭へどうぞ


いつもの京香先生の誘い文句。「お庭」というのは先生の仕事場を兼ねた自宅にある、小さなハーブ園のことだ。

身体の中心に言い表せないような刺激がうずうずと走りだした。


添付の原稿内容をしっかりと確認し、同じく添付の写真の修整を終えたところで丁度良い時間になった。

隣の部屋のドアをそっと開けると、まだ眠っている繭子の匂いが満ちている。本当ならば愛おしく抱きたくなるのだろう、夫婦なのだから。

でも僕は、僕達はそうではない。

穏やかな暮らしに、穏やかに不安が棲んでいる。ずっと。


繭子は子供のように大胆な寝相で、小さな寝息を立てている。華奢な身体とゆるいウェーブの短い髪。薄い目蓋と長い睫毛はクルクルとよく動く明るい瞳にしっかりと蓋をして、繭子を休ませている。

毎日元気な子供達を預かる保育士の繭子。どちらが子供なのかわからないくらい単純で、よく笑い、よく怒り、よく泣いて、子供達に負けないくらい毎日をエネルギッシュに生きている。

だから休日くらいはしっかりと休ませてやりたい。繭子の部屋を朝日が邪魔をしない西側に、僕の部屋を東側にしたのもそれが理由だ。


ベッドから落ちてしまっている毛布を拾って繭子に掛ける。

「出掛けるよ」

寝顔にそっと声をかけ、テーブルの上に「夕方には帰ります」とメモを残して家を出た。



小さな駅の改札を抜けるとローカルな風景が広がる。舗装すらされていない砂利道をしばらく歩いていくと、田園風景の中に京香先生の洒落た白い洋風の家が見えてくる。

「KASIWAGI」と木に彫られた表札の脇の石段をいくつか上り、低く重い鉄製の庭門をギィィと開くと、足元で陶器製のウサギが三匹並んで出迎えてくれる。

一般の住宅ならもう二軒は建てられそうな広さの庭には、いくつもの種類の花やハーブが隙間無く植えられ、時々風に乗ってむっとするほどの強い香りが庭を包む。

小さな石畳を辿り庭を進むと、赤紫の花をたくさんつけた背の高い枝が現われた。たしかジギタリス、先生が好きな花だ。その隣に同じような形の枝が重そうに白い花をたくさんつけていた。赤いビニールの紐が根元近くに結ばれている、おそらく目印なのだろう。


その向こうに薄いオレンジ色のシフォンのワンピースが見えた。

「おはようございます」

声を掛けると、そのオレンジがふわりと揺れた。

「あら、直哉くん。おはようございます。いらっしゃいませ」

京香先生は摘んだばかりの鮮やかな黄色い花を、こんもりと山のように籐籠に入れて胸に抱えている。

「こちらへどうぞ」

ふわふわと揺れる薄いオレンジ色のワンピースと、サラサラと揺れる栗色の髪を追って、白いテラスに入った。


「雨が降る前に摘んでおこうと思ってね。マリーゴールドがたくさん咲いたのよ」

京香先生は捲くった袖からしなやかに伸びる白く細い腕で、摘んだばかりのハーブを小分けにし、手際よく紐で束ねていった。モデル出身かと思うくらいの先生のスタイルの良さと上品な顔立ちや雰囲気は、カリスマと呼ばれる一因でもあるだろう。

僕はテラスの隅の木製のスツールに腰掛け、しばらくの間先生がハーブを整理する様子を見ていた。ここは小さな温室も兼ねており、鉢やプランターに植えられた小さな木やハーブが並んでいる。開け放たれたガラス戸から風が入ると急にスパイシーな匂いに襲われ、小さなくしゃみを一つした。

「あら、気がつかなくてごめんなさい。ここにいると強い香りが気になるでしょう?どうぞ部屋に上がっていて」

先生に促されるままテラスを抜け、家の中に向かった。

家の中央の螺旋階段を上がった正面の部屋は、ドアも窓も大きく開け放たれたままで、心地よい風が入ってくる。先ほどの強い匂いも、ここまで追ってこない。

部屋の壁にある大きな銅製の額縁の中は、色鮮やかなハーブの押し花が飾られている。一昨年までこの額縁の中には、先生と二度目の夫との結婚式の写真が飾られてあった。


その写真が外された日、僕は初めて先生を抱いた。


しばらくすると冷えたハーブティーのグラスを白いトレイにのせ、先生が部屋に入ってきた。グラスを小さな籐のテーブルに置き、伏し目がちに先生は言った。

「直哉君、結婚されたそうね」

白っぽい生成り地のソファーに腰掛け、先生は僕の目を見ずに続けた。

「編集長から聞いたのよ。それも一年も前にだなんて。どうして言ってくれなかったの?」

お喋りな女性編集長だからいずれは先生の耳に入るだろうとは思っていたが、特に答えを準備していなかった僕は、迷いながら答えた。

「申し訳ありません。最初から周囲の人に知らせるつもりは無かったんです。式も挙げないし。でも編集長には知らせないと、一応僕も会社員だから、扶養とか、社会保険とか、色々」

「そうよね、結婚って色々大変よね。それで…」

先生は俯いていた視線を上げ、そっと確かめるように僕の眼を見た。

「私とは、もうサヨナラかしら」

ドキリとした。でも僕は首を横に振る。

「サヨナラなんて、僕は」

「あら、いいの?これは不倫よ」


不倫。

ずっと胸の片隅でくすぶっている疑問。「不」ではない「倫」とは何だろう。


「僕達の結婚生活はいつまで続くか分からないし」

「あら、どうして」

「僕達…」

その先は言えなかった。そんな僕を気遣ってくれたのか、先生はそれ以上訊かなかった。


「奥様は保育士さんよね、編集長が教えてくれたわ。以前「女の職業特集」で取材した方だって」

「あ、はい」

「保育士さんなら将来お子さんが出来ても安心ね」

「それは…ありえません」

「あら、どうして?」

「僕は一度も妻を…繭子を抱いたことが無いんです」

先生は黙って冷たいハーブティーを口にした。

「だから、結婚生活もいつまで続くのか」


決して仲が悪いのではなかった。繭子を愛している。誰よりも大切に想っている。けれど繭子を想う気持ちが強ければ強いほど、繭子に触れることができなくなる。

付き合ってから結婚した後の今まで一度もセックスが無い関係なんて、それ自体がおかしい。人間の本能に反している。

けれど繭子を抱けない、抱いてはいけない。抱いてはいけないという、自分でも根拠の見つけられない思いにさいなまされる。


僕にとって繭子は大切で、かけがえの無い存在で、だから一生一緒にいたいと思い、だから結婚した。

恋人として付き合っている間がプラトニックでも、それはいい。でも結婚しても変わらなかった。時間を経ればますます抱くことに抵抗をおぼえた。それは繭子も同じなようだ。

だから二人でそういうシチュエーションを極力避ける。兄妹のように戯れ合って遊んでも、同じベッドで眠ったり、肌を見せ合うようなことは決してしない。

しかし性欲が無いわけではない。僕は健康な一人の男だ。家庭の中で解消されない欲求は外へ向かうしかない。

だから僕は。


これでいいのか。

いいわけがない。

僕は、僕達は、変だ。


「なんとなく分かるわ」

先生は半分ほど飲んだハーブティーのグラスをテーブルに置いた。

グラスの中の大きな氷がカランと音を立てた。

「私ね。最初の夫とは、結婚して間もなくセックスレスになったの」

先生は大きく開け放たれた窓の外に見えるハーブ畑を眺めていた。

「直哉君も知っているわよね。フォトグラファーだった最初の夫」


僕が先生の記事を担当しはじめた頃。

先生は既に結婚していて、仕事でここに伺うと夫婦はいつも一緒だった。雑誌に載せる写真は必ずご主人が用意してくれていたし、絵に描いたようなおしどり夫婦で離婚なんて信じられなかった。

その原因がセックスレスだったなんて。


「私ね、どうして夫が抱いてくれないのか理解できなかったの。責め立てても優しかったから、あの人。ごめんねってそれだけ。

なんだかそれじゃ私、自分がまるで淫乱女みたいに思えてね。悲しくて、恥ずかしくて、苦しくて、耐えられなかった」

「それで離婚されたんですか」

「あの人が私を抱けなくなったのは、私を男と女を超えて本当に家族だと思ってくれたからなのにね」


――男と女を、超える…。


「直哉君はその、繭子さん?きっと出会った時から家族なのね」

「そうだとしても、僕にはそれが普通には思えなくて」

「そうねえ、難しいかもしれないわ。私も理解できなかったことだもの。」

先生は僕にもハーブティーを飲むように勧めた。口に含むと、甘くさわやかな香りが喉を下りた。しかしそれは妖しい香りでもある。僕はそれが何かを知っていた。僕のグラスの氷もカランと鳴った。

「直哉君、ご実家に女の子の家族はいる?」

「妹がいます」

「その妹さんとセックスしたいと思う?」

「思いません」

「それと同じなのよ」


故郷の家族を思い出した。

故郷の、といっても東京から電車で二時間ばかりの海のそばの小さな街だ。子供の頃は素もぐりや磯釣りが好きで、夏になると毎日自転車で海に行った。

その度、妹は付いてきた。

我儘のくせに寂しがりで怖がりで面倒臭いけれど、妹の好きな貝殻を毎回のように一緒に探した。

妹は集めた貝殻をきれいに洗って乾かして、菓子の空き箱に入れてあった。箱の上には紙が貼ってあって、そこには妹と僕が貝殻を持っている絵が描いてあった。

恥ずかしくて、可笑しくて、可愛くて、嬉しかった。


繭子は妹と同じなのか。

いや、違う。

でも。


頭の中が混乱した。

繭子は今まで出会ってきた女性とは確かに違っていた。

男と女が一緒に居る時に起こる、特有の気分の高揚は少なかった。けれど代わりに落ち着きと安心感があった。

穏やかな結婚生活は男と女の高揚する感情や気分の上には無い。落ち着きと安心の上にある。そう思ったから、繭子とずっと一緒に暮らそうと思った。

けれど本当に僕は繭子を愛しいと思っているのか?楽だから選んだのではないか?


「恋ってねえ、成長しても愛には進化しないのよ」

窓際にいくつも吊るしてあるハーブの乾燥具合を確かめながら、先生は言った。

「二度目の夫は最初の夫と正反対の人でね。セックスの無い恋や結婚は存在しないって言っていたわ。でもそれってどうなのかしらね。

結局、二度目の夫とはどんどん冷めていってしまい、また別の意味でセックスレスになってしまったの。彼の言うとおりセックスの無い恋や結婚なんて存在しないのなら、もう駄目ってことでしょ。前の夫にはセックスの無い愛があった。そのとき思ったの。恋と愛って、別物なのかもしれないって」

「では、僕と繭子は何なのでしょう。それから、先生と僕は」

ふふふ、と先生は笑った。

「何なのかしらねえ。私にはまだ答えが見つからないの。でも、確かなこともあるわ」

先生は僕に顔を近づけた。

「直哉君は男で、私は女」

すでに先生の眼は普段とは変わり、妖しい空気を醸していた。

「愛は無いほうがセックスができるの」

僕は知っていた。僕と先生が飲んだあのハーブティーには麻薬効果があることを。

先生が外国で入手して品種改良した、ここにしかないハーブ。庭のジギタリスの隣に植わっていた白い花。赤い紐の目印。

それが先生のキッチンにある「白昼夢」と書かれた瓶に入っている乾燥ハーブだということ。


―――楽しみましょう。


それはいつもの合図。

先生は僕の前に立ち、シフォンのワンピースの小さなボタンを外した。

オレンジの花びらが舞うようにワンピースはふわりと先生の足元に落ち、白く透き通る肌は窓から差し込む陽差しに晒され、ますます白く浮き上がる。サラサラと栗色の髪が揺れ、白く柔らかな手が僕の頬を包んだ。

唇が重なると「白昼夢」のせいで既に普段の三段くらい上にある僕の意識が燃え始める。先生はどんなハーブとも違う匂いがした。その妖しい匂いで僕は我を失う。

世界が白い。それは部屋の壁や天井の「白」なのか、目の前にある肌の「白」なのか。

「楽しみましょう。もっと、もっとよ」


――もっと。

誘われるままに、僕は先生の上に跨る。

この時間も、部屋のあちこちにあるハーブも、先生も、僕も、白く眩しい。世界の全てが白い夢の中に溶けていく。

心の中の全てのブレーキは解除され、欲求はジェットコースターのようにみるみる登り、そして思うがままに欲すれば思うがままに満たされた。現実にはありえない欲求とありえない満足だけが白い世界に存在していた。先生と僕は気を失うまで欲し、気を失うまで満たされ続けた。

遠くなる意識の中で、遠くに繭子の姿を見た。何も無い白い世界の向こうの色鮮やかな世界で、繭子はにっこりと笑って立っていた。



改札を抜けた初秋の街は夕方の風が吹き始めても、じっとりと汗が滲む。

染まり始めた西空の朱色は、白い夢が名残る頭をクラクラさせた。空の朱色は夢から覚めた現実に罪悪感を与える。まるで赤鉛筆のバツ印のようだ。

手にさげた小さな紙製の手提げ袋には、先生の作った乾燥ハーブが入っていた。「奥様とリラックスしたい時に飲みなさい」と用意してくれたブレンドハーブティー。

おそらくあの「白昼夢」が入っているのだろう。その真意はなんとなく想像がついたが、今は考えたくなかった。

きっと僕はこのまま何事も無かったように家へ帰り、ドアを開け、繭子に「ただいま」と言い、何事も無かったように夕食をとる。時間は普段どおり流れていき、薄らいでも残る僅かな疑問と罪悪感は穏やかな不安となって日常に蓄積していく。


繭子を心配させないよう、遅くならずに帰るため足を早めた。駅を出てから家までの近道は、駅前の古い商店街を通り抜けることだ。商店街には、よく繭子と買い物に来ている。夕飯の買い物客でにわかに活気づいた商店街に、香ばしい油の匂いが漂う。


「揚げたてコロッケー!限定百個はこちらにお並びください」

繭子の好きな山田精肉店のコロッケだ。呼びかけにわらわらと列を作る人だかりに僕も混じった。

「直哉―!こっちー!」

前方から声が聞こえた。見ると列から横へひょこっと顔をを出して、繭子は手を振っていた。

「繭子も買いに来てたのか」列から出て繭子の隣についた。

「だって、今朝の新聞にチラシが入っていたから。今日はカレーコロッケの日なの。限定百個」

コロッケを待ちながらニコニコと笑う繭子を見ていると、先刻までの出来事は本当の白昼夢に思えた。現実ではないのかもしれない。しかしそうではない証拠に、手に持つ袋には京香先生のハーブが入っている。

「わあ、京香先生のハーブ?」

繭子は嬉しそうに袋を覗き込み、くんくんと匂いを嗅いでいる。時々先生のところから持ち帰るハーブを、繭子は料理に使ったり、お茶にしたり、手作りの石鹸に混ぜたりと使っている。


「ねえ直哉、コロッケ何個食べる?アタシは今日二個食べて、明日はポテトコロッケにしようかな。」

繭子が話すたび、短いウェーブの髪が揺れた。後ろ髪が少し濡れている。いつもより多いまばたきに、付け睫毛をつけていることに気が付いた。

「繭子、どこかに出掛けていたのか」

「うん、ちょっとね」

繭子は表情を変えず、コロッケの列の先を見ていた。


繭子もどこかで白昼夢を見ていたのだろうか。

そう思っても僕の中に嫉妬は現れず、繭子が白昼夢の中で幸せであってくれたらいいと思った。


「あっつ」

揚げたてのコロッケは新聞紙に包まれ、年老いた精肉店のおかみさんから手渡された。

「いいねえ、いつも仲良くて。また買いに来てちょうだいね」

「うふふ、ありがとう」

繭子はおかみさんに手を振った。空が薄暗くなりつつある商店街に、涼しげな風が吹きはじめた。


「仲良しって言われちゃった」

繭子は嬉しそうに、恥ずかしそうに、コロッケが包まれている新聞紙をごそごそと開き、歩きながら新聞紙の端を切って、カレーコロッケを一つ包むと僕に手渡した。

「はい、超揚げたて」

繭子は同じように自分の分も作り、夕暮れの商店街を歩きながら二人でハフハフと食べた。


優しい時間。

それは僕が一番大切だと思うもの。

京香先生が言うように、恋とか愛とかに答えは無い。だから世間一般と違っていても僕が正解だと思うなら、僕と繭子の関係は正しいと思いたい。

きっと僕達は間違ってはいない。


商店街を抜けると、幾人かの幼い子供が空き地で薄いピンクの花を摘んでいた。その花の形にドキリとする。丈は低く色は薄いピンクではあるが、白昼夢とよく似ている。

「あ、桃月花」

繭子は空き地に入り子供達とその花を摘み始めた。僕も少し遅れてその後をついて空き地に入った。

「綺麗でしょう。夕方になると花が開くの。昔、実家の近くによく咲いていたのよ、懐かしいなあ」

繭子が摘んだ一番大きい花を子供達が欲しがったので、繭子は快く子供たちの小さい桃月花と交換をした。

「本当はね、桃月花って名前はアタシが勝手に付けたの。昔流行っていた『桃月花』って歌のジャケット写真の花がね、これに似ていたんだ」

こちらに戻ってきた繭子は振り返って保育士の顔になり「暗くなる前にお家に帰ってね」とにっこり笑って子供に手を振ると、子供も「はーい」と笑顔で手を振り返した。

「繭子は本当に子供が好きなんだな」

「そうよ。だから保育士になったんだもの」


少し深く息を吸った。

「なあ、僕達の子供を欲しいと思うかい?」

繭子も少し深く息を吸い、首を横に振った。

「ううん。だってアタシ、保育士だから」


「そうか」と笑い、僕はふうっと息を吐いた。

「そうよ」と笑い、繭子もふうっと息を吐いた。

無理な目的を作るのではなく、きっと僕達はこうやって呼吸を合わせていけばいい。


空き地の上で僕は「白昼夢」の瓶を開け、中身を捨てた。空き地の雑草の上でそれは妖しい匂いを放ち、一瞬あの白い世界に引きずり込まれそうになる。息を止め、匂いが周囲に拡散して薄まるのを待った。


「どうしたの?何で捨てちゃうの?」

「いいんだ。これは本当は身体に悪いんだよ」

繭子は不思議そうに僕を見ている。


繭子が手に持つ桃月花が、繭子の短い髪と共に夕暮れの風になびいている。

空にはいつの間にか現われていた月が、淡く、ほんのりピンクに滲んでいた。



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