エゴイスチック スイーツ

アリスガーデンに行きたい、と言った。

深い理由は無い。ただ単に今週から春限定の「スプリングプレート」が店のメニューに加わるからだ。

「そこじゃなきゃ、駄目?」

「駄目っていうか、先月末に二人分の予約を入れてあるから」

そう。と祐樹は言い、週末の行き先は決まった。

それが「最後」だと、アタシはわかっていたけれど。


でも、それとこれとは別。余計なことは考えたくない。

アタシは「スプリングプレート」が食べたい。



店は完全予約制なので、超人気スイーツカフェとはいえど混雑はしていない。オーダーも予約の際にしてあるので、店に入ったら案内された席に座るだけだ。

店に足を踏み入れた途端、甘い香りが「もっと奥へいらっしゃい」と手招くように漂う。足を進めると「アリスガーデン」の色鮮やかなスイーツを映えさせるために作ったような白を基調にした上品な空間が広がる。まるで小さなお城みたいだ。


案内された席に着くと、間もなく二人に「スプリングプレート」が運ばれてきた。季節限定のプレートは四季ごとに内容が変わる。今は春バージョンで、「スプリングプレート」の名の通り、春らしいミニスイーツが数種類並べられている。

形も彩りも美しく、まるでフラワーアレジメントのようだ。

定番のショートケーキは、ゼラチンの薄い膜を着た綺麗な形のイチゴがお姫様さながらに生クリームの上に座っており、ラズベリーのタルトはミントの羽を付け、白くて丸いミルクとキャラメルのプリンは、黄色い砂糖菓子の花を抱えてピンクの小さなマカロンを背負っている。


――なんて愛らしい小さな世界。

――眺めているだけで幸せ。

――口に運べば、更に更に幸せ。


「綾子さあ、そんなに甘いもの好きじゃないだろ?何でこんな豪華なもの注文するの」

さしてスイーツに興味の無い祐樹が、ラズベリータルトのミントの羽根を指でむしりながら訊く。

「どうせこれだって、全部食べないだろ」

そう、アタシは甘いものが苦手。スイーツも含めて。

でも嫌いではない。砂糖やバターは身体に合わないらしく、沢山食べることができないだけだ。

きっとこのプレートの上のスイーツを完食したら、確実に明日、胸やけを起こすだろう。

だから見た目に綺麗な美味しそうな部分だけを食べる。ショートケーキのイチゴとクリーム、タルトのラズベリー、ピンクのマカロン。

美しく彩られ、形作られた小さな世界をフォークで切り崩し、一番綺麗で豪華な部分を独り占めする。それを口へ運ぶ。


――美味しい。

――幸せ。

――なんて贅沢なんだろう。


でも、スポンジケーキやタルトの台は食べない。これらは高級スイーツの付き添い程度のおまけだ。完食できずに選ぶのであれば、贅沢な部分を贅沢に味わうだけでいい。それは当然のこと。


「全部は食べない。綺麗で美味しいところだけを食べるの」

自分で言う通り「綺麗で美味しいところだけ」を食べているアタシを、ウンザリという表情で祐樹は見ている。

「そういうところが嫌いなんだって、言いたいんでしょ」

祐樹の顔がウンザリから図星に変わった。


そう。

アタシは何に対しても同じだ。スイーツだけじゃない。勉強も、仕事も、遊びも、友達も、食べ物も、音楽も。

綺麗で美味しいところだけが欲しい。

そして面倒臭いことや、怠くてウザいことは避けたい。

そこで苦労をしたら、せっかくの美味しいところも不味くなってしまう。


それはきっと、恋愛も同じ。


「あのさ」

祐樹はグッとアタシの目を見た。本題だろう、これから祐樹が話すことは。

「結局、綾子は俺との関係もスイーツと同じだろ?お前は美味しいところだけ欲しいんだ。俺の事が好きなわけじゃない」

来た。反論の準備は出来ている。

「それは違う。嫌いだったら付き合ったりしない。美味しいところって言ったって、祐樹に何がある?すんごいお金持ちとか、超イケメンとか、SEXがすこぶる上手いとか、そういうのある?」

プライドを傷付けるセリフを店の中で言った。周りに聞こえるかもしれないのに、わざと。

怒るでしょ、怒ってよ。

でも嘘じゃない。好きだよ、祐樹のことが。


けれど祐樹は怒らなかった。溜息をついて、冷静に答えた。

「確かに俺には何にも無いよ。でも綾子が欲しいのは金とか、見栄えがする男とか、気持ち良いSEXじゃないだろ」

祐樹はまだ熱いブラックコーヒーを啜った。

アタシはいつもブラックで飲むコーヒーに、ブラウンシュガーを二つも入れた。

「綾子は恋愛も、綺麗で美味しい部分だけが欲しいんだよ」


 そうかもしれない。そうなのだと思う。

 でも、祐樹を好きな気持ちに嘘は無い。


「そうかもしれない。でも祐樹のことは本当に好きなのよ。そこは否定しないで。アタシの――」

――アタシの気持ちの全てを、理解っている訳ではないでしょう?

そう言いかけたが、それを祐樹は制した。

「そういうのさ、『都合の良い関係』って言うんだよ」


この空気を無視して、品の良いウエイトレスが祐樹のカップにコーヒーを継ぎ足した。

「ごめんなさい。でも本当にそんなつもりないの」

「じゃあ俺が今、綾子にプロポーズしたらどう思う?」


――無理。

そう思って、自分でも驚いた。

でも無理。どう考えて無理。そんな大変なこと出来ない。


「無理って思っただろ」

「だって、もっと楽しいことしたい」

コーヒーを啜ったが、ブラウンシュガー二個はやはり甘すぎた。

「もっと楽しいことして、幸せな気分になって、そうしたら沢山祐樹のことを好きになれる。沢山好きになったらもっと優しく出来て、もっと可愛くなれて、そうなったらもっともっと祐樹にアタシのことを好きになってもらえるでしょう?

でも結婚って大変じゃない。楽しいことばかりじゃないじゃない。自分の親だってそうだったし。働いて、忙しく生活して、きっと楽しいことは減る。そうしたら喧嘩もするかもしれないし、お互いの気持ちも冷めてしまうかも」


「綾子は」

 祐樹は表情を変えず、アタシの食べ残した皿の上のスイーツをフォークで指した。

「そのスポンジ部分とか、タルトの台とか残すだろ」

 豪華な部分だけを食べられ、取り残されたスイーツの残骸は何ともみすぼらしく皿の上に残っている。

「スイーツだけじゃないけど、味っていうのはトータルしてわかるものじゃないの?

作っているパティシエだって、スポンジやタルト台も食べてもらうことを前提でイチゴやラズベリーを合わせているんだろ。一部だけを食べて本当の味なんてわからない。

恋愛だって人生だって同じだよ。楽しい部分だけ味わったって、本当の幸せはわからないと俺は思う」


「だって」

甘すぎるコーヒーを啜った。

「アタシ、全部食べると胸やけするんだもん」


祐樹は自分の皿の上のスイーツを無言で完食し、勝手に継ぎ足されたコーヒーも飲み干した。

「俺から連絡するつもりは、もう無いから」

祐樹はテーブルの端の会計用の小さなバインダーを掴むと、足早にレジへ向かった。

アタシは一人、みすぼらしい皿の上のスイーツの食べ残しと共に残された。



――どうして。


アタシは間違っている?

たぶん間違っている。他の人から見たら。

でもこうしていることが、アタシが考える「幸せ」に一番近いこと。

自分も幸せで、祐樹にも幸せになってもらえる方法。


――だと、思っていたのに。


涙がポタリと、膝の上に落ちた。



いつもなら食べ残すスイーツを全部食べて、甘すぎるコーヒーを飲み干した。

泣くのを耐えていたせいか、味はよく分からない。


――明日、絶対胸やけを起こしちゃうよ。


そして胸やけが治ったあとはどんな感じなのか、どうしても想像できなかった。


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