第2話

 コルクで出来たダーツの的が壁に立てかけられていた。

 普通の居酒屋。

 お座敷。

 私は斉藤くんをチラリと見てみた。

 斉藤くんは左右を見渡す。どうやらダーツで度肝を射抜かれているようだった。

 しかししかし、参加者たちはそんなことお構いなしに、各々に割り振られた席へと座ってゆく。

 私も斉藤くんも案内係の先輩に導かれ席に着いた。

 席は対面式の四列、「二」の字型になっていた。

 私は素早く左右を確認する。別に、好みのタイプの女性をいち早く見つけようなどと不埒なことを考えているのではない。私はA型人間として、気を使う場面に遭遇した際、慌てなくて良いよう事前に情報を収集しているに過ぎない。なので、それらの情報に女性のあれこれが含まれていたとしても、それは邪な心から発したものではないとご理解いただけることと思う。

 そして情報収集の結果、私は左に四席隔てたところに飛びきり見目麗しい女性を発見してしまった。なにも血眼になって探したりはしていない。周りの男どもの視線を追った結果である。

 斉藤くんも私の視線の先に気付いた。我々は視線を交わしあい、頷いた。

「それではー、えー、時間が来てしまいましたのでー、えー、新入生歓迎コンパのほうをー、えー、始めさせていただきます。えー、それでは最初に当サークルの代表から、えー、挨拶を」

 上級生の幹事が立ち上がり、そんな開式の辞を述べだすが、ほとんど誰も聞いていない。それにしてもやたらと「えー」を連発する人だ。きっと彼はA型に違いない。同じA型人間として私は親近感を持つように心がけた。

「えー、失礼。えー、代表のほうが、えー、遅れておりましてー、えー、まー、取り合えず乾杯しましょうか? えー、それでは当サークルのマネージャーに乾杯の音頭を取ってもらいますー」

 突然指名されたマネージャーだとかいう先輩が立ち上がり、二言三言挨拶して乾杯、そしてそのまま歓談へと雪崩れ込んだ。




 両手で包むようにジョッキを持つ。美味そうにビールを飲む。グラスを口から離す、薬指でそっと唇の端を拭う、その仕草がとびっきりチャーミングだった。

 私はなんとか彼女の話を聞こうと、耳をそばだてた。彼女の声は張りがあってよく通ることもあるが、どうやら周りの男どもも彼女の話に聞き耳を立てているのだろう、この雑然とした空間でもそれなりに聞き取れる。

 聞き耳なんぞ立てずに、彼女に近寄れば良いではないかと考えるのは愚者である。実行するのは勇者である。

 彼女にその気があると周囲に知らしめる蛮勇は身を滅ぼす。これは私が二十年近い歳月をかけて得た価値ある教訓である。

「――それで三雲さんは……」

 蛮勇を潔しとするイケメンが彼女に話しかける。

 ふむふむ、彼女は三雲さんというのか。

「へー、地元なんだー」

「そう。それに女子高だったから男の子がいるのって新鮮」

「女子高出身? ポイント高いよ、三雲さん」

「え~?」

 肩をすくめるようにして笑う三雲女史は、清楚で清純で清冽で清流で清廉潔白で……とにかく! 私の心を鷲づかみである。私の日本語がおかしい? おかしいと分かる程度の日本語であるならば何ら問題ない。問題ない以上、それはおかしくはないとも言えるではないか。

 そんなことはどうでもよい。

 彼女の声をもっとよく聞きとるため、耳の穴に挿して使えるパラボラアンテナ状の物体はないかと周囲を窺っていると、見ず知らずの先輩がビール瓶を持って私の傍らに座った。

 どうやら一年生たちに順番にビールを注いで回っているらしく、直前まで相手をしていたらしい斉藤くんが私にコップを差し出すようにと身振りで示してくれる。

 私は一旦、集音機のことは断念し、半端な量のビールが残るコップを差し出した。

 正直、それどころではなかったので、さっさと移動してもらうべく、私は挨拶もそこそこにお酌してもらったコップ一杯分のビールを瞬時に飲み干し、コップを先輩に手渡し、先輩の持つビール瓶を奪い、返杯のためにコップにビールを注いだ。

 どうやら返杯は想定外だったらしく、先輩は少しばかり慌てた。が、文句も言わず私の注いだビールを飲み干してくれた。

 コップを奪い返し、ビール瓶を突き返し、先輩にお引き取り願おうとしていると、忌々しい単語が私の耳に入ってきた。

「えー、血液型聞いていい?」

 イケメンは話を広げるべく、そんなことを言い出す。

 また血液型か!

 私は憤りを覚えた。何ゆえ、こんな席にまでそんな話題を供するのか。何ゆえ、こんな席でまで私は責め立てられなければならないのか!

「そんな個人情報、いきなり聞くの~?」

「じゃ、当ててみせるよ。……う~ん、AB型?」

「ヒ・ミ・ツ」

 三雲女史はウィンクしてみせる。おぉ、心拍数が上がるではないか。

「違う? じゃ、O型? それも違う? A型っぽくないし……ビ」

「は?」

 突如、三雲女史のスイッチが入った。

「なに、今、Bって言おうとした?」

「え? え?」

 イケメンがうろたえる。

「ちょっと心外」

「あ、あのゴメン。なんか気に障るようなこと言っちゃって……」

「別に気になんて障ってないわよ?」

 発言内容とは裏腹に、かなりの恫喝モードである。

「だ、だよね」

 イケメンも反応に困り、視線が泳いでいる。

「だいたいさ、B型って協調性ないし、自分勝手だし、デリカシーないし、良いところなんてないでしょ!?」

 !!

 私の体温が低下する。

 三雲女史の発言の一つ一つが猛毒を滴らせ、私の鼓膜をグサグサと突き刺し、あまつさえ心の臓さえをも短冊切りに切り刻もうとする。私は余りの衝撃に呼吸をするのを忘れ、短冊切りされた心臓を動かすのも忘れるところであった。危ういところで私はそれを回避した。

 しかし、イケメン、君はなぜ彼女の暴言を止めない!? イケメンは三雲女史に逆らうことは死を意味すると悟ったのだろう。完璧な追従モードで、なにを言われようとも肯定している。結果、三雲女史の発言内容はトンデモ度を増してゆく。

 その一つ一つをここに収録しても良いのだが、それを罷り間違って判断力の弱っている人が読んでしまっては大問題である。ましてやB型の人が読んでしまったら卒倒してしまう。私がその場で卒倒せずに済んだもの、偏に不断の精進の成果である。

 なおも三雲女史によるB型欠席裁判が続いている。

「って言うか、B型の人ってデリカシーないよねー。だからかなぁ~、わたし、B型の人とは合わないみたい」

 二十二度六分まで低下していた私の体温が上昇に転じた。

 B型の人間を前に、それだけ悪口を言える貴女にデリカシーがあるのか!?

 否、そちらこそデリカシーがないではないか!

 三雲女史、貴女こそB型であろう。

 ティッシュペーパーなどはババババッと何箱も投げつけるのであろう。

 なんという破廉恥な娘であろうか。

 貴女に、己の血液型がBであると判明したときの私の悲痛が分かるのか?

 己の血液型を知ってしまったがために人生が谷底ばかりになってしまった私の苦悩と懊悩を、貴女は想像出来るのか!

 私の三雲女史に対する淡い想いは、水に濡れたトイレットペーパーよりも綺麗サッパリと溶けて消えていた。

「そうそう、それにB型って空気読めないよね」

 もはや私の忍耐もここまでである。この後、この場の空気がどうなろうと私の関知するところではない。周囲の方々が引いてしまったとしても、それは私がB型であるからではなく、空気を一切読まない三雲女史の所為なのである。私はここまで耐えに耐え、溜めに溜め込んだ怒りを言葉に変換し、悪意を込めて放流した。

「三雲さん、B型でしょ?」

 三雲女史の糾弾が周囲を沈黙させていたためだろう、意外とはっきりと聞こえたらしい。三雲女史だけでなく、イケメンも発言者を探して周りを見回す。

 私は席を立ち、三雲女史の前まで進み出て腰を下ろした。斉藤くんが私を抑えようとして失敗し、枝豆の小鉢を持ったまま私の隣に腰を下ろす羽目になる。先輩は私と斉藤くんを見送った。

「先ほどから愉快なお話が途切れ途切れ聞こえておりまして。盗み聞きしたみたいで申し訳ない。最初に謝っておきます。で、三雲さんのB型に対する独特の見解、実に興味深い。私も常々B型の人間に対しては思うところがありまして……協調性がなく自分勝手でデリカシーがなく空気も読めない……あれ? しかし、それはすべて貴女にも当てはまりませんか? ということで、三雲さん。貴女はB型ですね」

 断定してやった。

 しかし――

「……なっ、なっ」

 ん? 想定していなかった動揺。これはもしや!?

 トンデモな説ではあるが、ヒトラーは己の出自を闇に葬るべく民族浄化などという蛮行を実行したと聞く。

 三雲女史は、己の身体を流れる赤血球の一粒一粒に刻まれた「B」という刻印を拭い去るために、必要以上の情熱と言葉数を持ってB型人間を否定していたのではあるまいか?

「なに言ってるの!? とんでもない言い掛かりよ! 証拠は? 証拠言ってみなさいよ!」

 三雲女史は立ち上がり、女優のような仕草で私に指を突きつける。

 言い掛かりは汝であろう、三雲女史。

 三雲女史の剣幕に、さしものイケメンも口が挟めないらしい。オロオロしている。痛快である。

 しかし私の沈黙を揶揄と取った三雲女史は、顔を真っ赤にして抗議しつづける。

「待ちなさい! あなた、なんの権利があってわたしを貶めて、そのうえ辱めるわけ? え!?」

 その言葉そのままお返ししよう。何の権利があってB型である私を貶め、辱めていたのか。

 しかし、B型人間である三雲女史にとっては全く慮外のことであるようだ。

 周囲は確実に冷めてしまっている。この沈黙、この静寂、このワンダーランド。みんながみんな、私と三雲女史を交互に見比べているではないか。そして、みんながみんな私に非難の視線を送ってくる。

 甚だしい誤解である。しかし私は決して挫けない。なぜなら、私の身体を流れる赤血球には「B」と刻印されているのだから。

「どうなのよ!」

「証拠? んー、そうですね、今までの言動すべてが証拠と言えば証拠かな」

「……――――!!」

 おまえの父親は経済学者だと謗られたような憤りをもって、私の目を睨み据える三雲女史。

 うーん、怖い。

 どれくらい怖いかというと、隣の斉藤くんが枝豆を殻も取らずに飲み込んでしまったほどである。斉藤くん、大丈夫か? 食物繊維が豊富であろうから明日以降、君は健康になるに違いないと私は己を納得させた。

「そもそも私は不利だ。悪魔の証明をご存知か?」

「なによソレ!」

「有罪であることを証明するより、無罪であることを証明するほうが難しいとされているのだよ」

 我ながらどうしてこうも偉ぶった、回りクドい、かつ残念な物言いしかできぬのか。私は私に絶望し、あまつさえ絶望のあまり殻付きの枝豆を致死量まで嚥下したくなった。しかし、食物繊維で健康になるやもしれぬので私はそれを実行しなかった。

「どこの誰だけ知らないけど、絶対許さないから……!」

 三雲女史は綺麗な顔を険しくさせる。見目麗しいがために、より一層冷淡な感じがする。

 おかげで私はちびるところであった。

「HAHAHAHAHAHA! 元気な一年どもだな!」

 腹回りの貫禄では西郷隆盛も青ざめるような男がなみなみとビールの注がれた特大のジョッキを片手に闖入してきた。

「あ、ブッチョ」

「ブッチョ?」

 私は条件反射的に聞き返していた。

「部長だよ、遅刻してた代表」

 先ほど私にビールを注いでくれた先輩が応えてくれた。

 サークルなのに部長。これ如何に? 私は首を傾げた。

 そのブッチョなるサークル代表は左手を腰にあて、持っているジョッキを左から右へとゆっくりと動かす。薙ぎ払うような仕草である。そしておもむろにジョッキを呷った。かつ、一気に呑み干した。見事な呑みっぷりである。少なくとも沈黙を別の沈黙にすり替えてしまう程度には。彼は呑み干したジョッキを私の疑問に答えてくれた先輩に突きつけるように手渡すと、急に周囲を睥睨する。怒りの表情、怒りの腹の肉、怒りの雰囲気。先ほどのHAHAHAHAHAHAはなんだったのであろう? と思うくらいの視線である。

 しかし一転、ブッチョは三雲さんに微笑みかける。

 場の空気が突如緩んだ。

「三雲さん、よくぞ来てくれた! 君には一番期待している!」

 落ち着いた声と態度で三雲女史を真正面から見つめ、そんなことをサラッと言ってのける。さしもの三雲女史も私に対する怒りと怨念を一瞬忘却してしまったようだ。途端に恥ずかしそうに目を伏せて、

「そんな……一番だなんて」

 などと満更でもない様子で呟く。

 そんな三雲女史を見回したあと唐突に振り返り、

「その屁理屈と嫌味ったらしい台詞回し! すばらしい!」

 ブッチョは私の肩をバシバシバシバシ、バシバシバシバシと叩く。

 実に痛い。

「これくらいの個性と元気がないと役者はつとまらん!」

「役者……?」

 ここは演劇サークルだったのか、と私はその時初めて知ったのであった。







 斉藤くんの強い要請もあり、私はこの演劇サークルに入ることになった。言っておくが、野心あってのことではない。年少者である斉藤くんたっての願いとあれば無碍にはできないではないか。つまり、そういうことだ。

 入ってみると、あろうことか三雲女史が当然のようにいるではないか。

 幸か不幸か、あのときのイケメンはいなかった。

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