魂の章

下界①

 人生最悪の夜が明けた。


 鉄格子の隙間から光が射している。

 多分、朝なんだと思う。


 結局昨日は一睡も出来なかった。


 いっそ『寝て起きたら悪い夢でしたぁ』なんてオチであってくれたらと思ったけど……。


 現実は、眠ることさえ出来なかった。


 結果、覚めぬ悪夢はまだ続く。


 それと、眠れなかった原因はもう一つ。


 どこからともなく聞こえてくる話し声。


 何を話しているのかは分からない。

 その程度のザワザワ。

 だけど妙に気になる。


 とにかく沢山の話し声と、沢山の気配を感じた。


 遠いようで近い。

 何とも言えない距離感と、まとわりつくような耳障り感。


 気味が悪い。

 本当に気味が悪い。


 私は一晩中冷たく硬いベッドの上で膝を抱えていた。


 朝になりその声は消えたが、とても嫌な気分だ。


「もう、帰りたいよ……」


 ポツリと呟いた時、カチャリと鍵の開く音が聞こえた。


「未魔、行くぞ」


 リタは、ベッドの上でピクリとも動かない私に向かってそう叫んだ。


「未魔っ!今出て来ないと今日一日ココで過ごす事になるぞ」


 リタの意地悪な言葉は、私をベッドから引きずり下ろすのに充分な効果を発揮した。


 下を向いたまま部屋の入口に向かう。


 そして、リタの前で立ち止まり上目遣いで見上げる。


「そんな顔すんなよ」


 少しは悪いと思っているのだろうか?

 私の目を見ようともせず視線を外す。


 そんなリタを見たら、ちょっとだけホッとした。


「ほら……行くぞ」


 この言葉、昨日から合わせて一体何度耳にしただろうか。


 私は唇を尖らせると、ほっぺたを小さく膨らませた。

 今空気を抜いてしまったら、泣きそうだ。


 センターを出て右へ。

 太陽ではない何かの光の中、私はある事に気付いた。


「……黒スーツ」


 私の目の前を歩くリタは、死神のユニフォームである黒スーツを着ていた。


「今頃?」


リタがフンと鼻を鳴らす。


「やっぱりそっちの方が死神っぽいね」


 私がそう言うと、リタは呆れ顔で、


「それ見えてんの未魔だけだろ?ぽいもぽくないもない。それに、昨日の今日だろ……着ないわけにはいかない」


と不満げに言い、少しだけ歩調を早めた。


 着いた先は、昨日あのトマト女を引き渡した門の前。


 リタは門の前にいる黒スーツ男から数枚の紙を受け取ると、パラパラとめくり中を確認し始めた。


 どうやらアレがと言うものらしい。


「今日の分だ」

「分かってる」


 リタは無愛想にそう言うと、リストをクシャリと丸め胸ポケットに突っ込む。


「リタ……お前、おまけ連れてくつもりか?」


 門番男はそう言いながら不安げに私の方を見る。


 しかしリタは臆することなく、チラリと私に目をやると、


「7日間は俺の自由でいいんだろ?好きにさせてよ」


と言ってニヤリと笑った。


「否、しかし」


躊躇ちゅうちょする門番男を無視したまま、


「行くぞ、未魔」


と言って歩き出す。


 行き先は多分、私が昨日までいた世界。


 光の入口へと向かう黒スーツ達に紛れ、高校の制服姿の私。

 多分、超目立ってる。


「何で私も一緒に行くの?」

「いいからっ!飛ぶぞっ」


 結局私の質問は、いつもほとんど受け付けてはもらえない。


 光の出口からキレイに下降を始める死神達。


 しかし私の足は止まってしまった。


 飛べると頭では分かっていても、実際この高さから飛び降りるってのはかなり勇気がいる。


 でも、リタ行っちゃったし……どのみち行かなきゃまた引っ張られるに違いない。


 私は覚悟を決めると、目を瞑ったまま初めの一歩を踏み出した。


 何てことない。

 別に落ちないし……大丈夫。


 私はそう自分に言い聞かせると、ようやく目を開けリタの姿を探した。


 えっと……黒スーツばかりで全く見分けがつかない。


 あちこちへと散らばって行く黒スーツ達。


 ヤバい見失った。

と思った瞬間、体がグイッと引きずられた。


 やっぱりか。


 その後どうにか体勢を立て直し、何とかリタの所まで辿り着いた。


 そこは大きな病院の上空。

 リタは周囲をグルリと見回すと小さく溜め息をついてから、


「未魔はそこにいて」


と言い残し、外壁をすり抜け病院の中へと入って行った。


 6階立ての4階部分。

 右から2つ目の窓。


 何が行われているのだろうか?

 否、想像はついている。


『魂葬』


 誰かが亡くなって、親族が涙している中、リタはあの儀式を行っているに違いない。


 10分程して、リタが黒い紐を持って戻って来た。


 紐の先には人間。

 とても品の良さそうなお婆さんだった。


「大往生だとさ」


 リタはそう言うと、お婆さんを連れてグングン天へと駆け上がって行く。


 私も遅れないように空を走り、昇り、下り、時には引きずられ……。


 それを何往復しただろうか。


 下界の空は夕焼けに染まり、人々は心なしか急ぎ足。


 あちこちにネオンが点き始め遠くの空に夜がやって来た頃、


「これで最後」


そう言い残してリタが消えた。


 暫くして戻って来たリタの紐には、10歳位の女の子が……繋がっていた。


 ふわふわと浮かぶ少女を連れ私達はうえに昇る。


 無感情な少女は、まるで風船のよう。


 光の入口を抜け、鉄の大扉へと向かう。


 魔界は既に黒い闇の中。


「園田瑞穂11歳。午後7時23分死亡。死因、絞殺による窒息死」


 そう言ってリタが少女を引き渡す。


「確かに」


 門番はリタの差し出した黒い紐を受け取ると、鉄扉を開け少女を中へと送った。


 風船少女は、吸い込まれるように扉の奥へと消えていった。


「終―了―っ!」


 そう言いながら、首をぐるぐると回しネクタイを緩めるリタ。


 仕事を終え、晴れ晴れとした表情。


 死神は毎日こんな仕事をしていて嫌にならないのだろうか?


 一日に何人もの人の死に立ち会い、気分が滅入ったりはしないのだろうか?


 それをリタに問いただすと、


「何で?人間ってそう言うもんなの?」


と、不思議そうに首を傾げた。


 そしてリタは教えてくれた。


 あの大扉の向こうには人間が輪廻する為の施設があり、そもそも人間の死は、生まれ変わる為の一行程であり、悲しい出来事ではない……のだと。


「だから未魔も死んだってまた生まれ変わるんだぜ」


と、軽く言う。


「嫌だよ。生まれ変わるってことは、私が私でなくなるってことなんだよ」


 そう反論してみるが、


「でも、魂は未魔じゃん」


と、またもお気楽発言。


「そうかも知れないけど!でもそれは、人間的に言うと別人だよ。そんなの……嫌だ」


 そう言ってはみたが、死神のリタと人間の私とでは、この問題に決着はつきそうもない。


 諦めて喋るのをやめると、


「じゃあ、俺の仕事は見てて辛かった?なら置いてけばよかったな、センターに……」


 そう呟いたリタをみて分かった、私がセンターを嫌がっていたから、あそこから連れ出してくれたのだと。




「ほら、ぼぉっとしてないで行くぞ!」




 リタはそう言うと、右手を軽く挙げ前方を指差す。


「どこに?」

「飯」



また、あのBAR?



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