一番の友達

 夏のヘリオディスは涼しく、過ごしやすい。

 特にこの医療センターは、清涼な空気と美しい景観の中に建てられていた。知らない土地で不安を感じていたショーンだったが、この医療センターで驚くほど手厚くもてなされ、今ではここが新しい家のようにすら思えていた。


 センターで特にショーンが気に入っている場所は、風が吹き抜ける中庭だ。爽やかな葉擦れの音に、身も心も洗われるような気がした。

 ここで、電子書籍という新鮮な媒体で本を読む。それが、ショーンの日課だった。


 そうして、今の生活に慣れたある日。

 ベンチに腰掛けて本を呼んでいたショーンは、中庭に見慣れない黒髪の少女がいることに気がついた。髪型はベリーショート。病気の治療のためだろうか。自走車椅子に座り、体中を包帯で覆われた姿は痛ましかったが、年は自分と同じくらいに見えた。彼女に話しかけるかどうか迷っていると、彼女のほうがショーンに話しかけてきた。

「こんにちは。突然だけど、ちょっと手を貸してもらえるかな?」

「いいですよ」

 ショーンは、立ち上がるのに手を貸して欲しいということかと思ったが、そうではなかった。

Healingヒーリング

 淡い光が、ショーンの指を包む。

「指、ケガしてたよ」

「ああ、リハビリの時かな。夢中になって読んでたから気づかなかった。それにしても、目、いいんだね。あの距離でわかるなんて」

「ふふん、そうでしょ。視力がよくて得することは多かったよ。ねえ、それは何読んでるの?」

「『無慈悲な女王』」

「へえ、古典!」

 彼女は、目を三日月形に細めて笑った。

 その瞳の色は、とても印象的だった――最近知った、『青い海』の色。

「それはそうと、ありがとう。君、方術使えるんだね」

「勉強してる最中なんだ。あたしの身体、今の医学じゃ歩けるようにもならないんだけど、方術なら治せるかもしれないじゃない。まだまだ未知の力なんてわくわくするでしょ? ……それに」

「それに?」

「あたしが元気に走り回ってる姿を見せて、安心させたい友達がいるんだ。あたしの方からその子のところに駆けて行って、相変わらず頑張ってるね、尊敬しちゃう、でも無理はしないでねって、頭をなでてあげたいの。友達の方からは、あたしに会いに来られなくなっちゃったから……」

「どうして?」

「偽の命令。くわしくは機密事項」

「それは残念だなあ」

 要領を得ない彼女との会話を楽しんでいると、見知った看護師の声がショーンを呼んだ。

「またお手紙、来てますよ。お友達、なかなか筆マメね~」

「ありがとうございます」

 ニコリと微笑むと、看護師はすぐにその場を去った。

「誰から?」

「僕の、一番の友達」

 ショーンは、毒の後遺症に震える手をこらえながら、丁寧に手紙の封を開く。車椅子の少女は、動かせない身体で、その様子を覗き込もうとしていた。

 友人からの手紙はいつもどおり近況を知らせるものだったが、文末に追記があった。


『もう一つの手紙を、宛名の人に届けて欲しい。お前と同じ病院にいるはずだから、悪いけど探してくれ』


 確かに、もう一通手紙が入っている。晴天のような澄んだ水色の封筒に、雲の形のシールで封がされている。

 ショーンは封筒を取り出して、宛名を見た。

「すごく丁寧な字だなあ。ノルドとは大違いだ。差出人の名前なくても、これならわかっちゃうよ」


 『パメラへ』


「聞いたことない名前だなあ。君、知らない?」


 ショーンが振り向くと、車椅子の少女は――泣いていた。

 海色の瞳がゆらめき、大粒の雫をぼろぼろと落としている。

「ど、どうしたの。泣かないで。困ったな……僕、なにかまずいことしたかな」

「ご、ごめんね。あなたは、なにも悪くないんだ。悲しいんじゃないんだ」


 嬉しいんだ。


 その言葉は、木々のざわめきにかき消された。

 肘掛けに乗せられた少女の左手が、懸命に動こうとしている。ショーンは彼女の手をとって、手紙を握らせる。


「あり、がとう」

 涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにした少女は、自分の身を犠牲にしても生きて欲しいと望んだ、大切な友の名を呼んだ。

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双つ月の三界譚 -夢魅せる翼- 遠野朝里 @tohno_asari

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