第25話:化魄④

 霧子たち三人は、稲荷大社を出て、そのまま王子警察署に向かう。

 警察署では、霧子の連絡を受けた鷲尾によって、出動態勢が急ピッチで整えられつつあった。

 正門を足早に通り過ぎると、四階の大会議室に通された。

 そこでは、鷲尾が苦い顔をしながら、霧子たちを待っていた。


「鷲尾ちゃん、状況は?」

「張り込み班からの報告だ、区内の犀聖会系病院から、患者と言わず、医師と言わず、およそすべての人員が、北東総合病院に集まっている」

「全員が……マジかよ」


 鷲尾の言葉に、霧子は緊張する。


「ああ、全ての病院が、もぬけの殻だ」

「野郎、籠城したか」


 もはや、病院内の人間を助け出すことは不可能だろう。

 霧子は、絶望的な溜息をついた。


「こっちの準備はもう整っている、いつでも出られるぞ」


 鷲尾が声をかける。

「分かった。だが、こっちの準備がまだだ」


 霧子はそう言って、表情を厳しくした。


「社長、アタシの霊具は……」


 霞がそう言って、吹絵を見やる。


「大丈夫、菊ちゃんが持ってきてくれるって」


 吹絵はそう言って、霞の頭を撫でた。


「小鉄の呪符と、私のMAC11もか?」


 霧子が訊ねる。


「ええ、全部持ってくるって言ってたわ」


「大丈夫か? あいつ一人で……」


「署の車を迎えに遣ろうか?」


 鷲尾が気を回す。


「……いや、多分すれ違いになるだろう」


 少し考えてから、霧子はそう言って、腕を組んだ。


「菊ちゃん、不思議な道を通るものね……」

 吹絵も、腕組みをして考え込んでしまう。


「やばいですよ、お姉さん。菊さん一人では、屍に対処できません」


 霞が問いかける。


「あいつの能力からして、屍に遭遇しないとは思うが、進退窮まるって事もあるな……K、行ってくれるか?」

「わかりました」


 霧子に呼ばれると、霞はバネに弾かれたように、二階の窓枠から半身を乗り出す。


「菊さん、私の霊具を持っているんですよね? それなら大丈夫、見つけ出せます」

「頼むぞ、K」

「お任せ下さい!」


 霞はそう言い残すと、隣のビルの壁を器用に昇り、建物の屋根伝いに飛び去って行った。


「ねえ、霧子」


 霞の姿を見送っていた吹絵が、霧子に声をかける。


「なんだよ」


 振り返る霧子。


「Kちゃん、稲荷大社で何があったの? 動きが全然違うけど……」

「まあな、何か一つ、吹っ切れたんじゃないか?」


 霧子は、にやりと笑った。


「ずるいわ……私は社長よ? 隠し事はしないで欲しい」


 吹絵は、少し拗ねたような口調で、霧子を見やる。


「ああ、仰る通りだ……だが、いろいろあるのさ、あいつも、私もな」


 そう言って窓の外を見つめる霧子の表情は、晴れやかだった。


「うーん、今日も暑い! お帽子被ってくれば良かったかな~」


 白いYシャツに濃紺のジーンズ、足元をスニーカーで固め、長い髪をポーニーテールに結んだ、動きやすさ重視のファッションに身を包んだ正宗菊が妖檄舎を出発したのは、その数刻前の事だ。

 肩に下げたトートバッグの中には、小鉄が用意した200枚の護符と、二郎がメンテナンスした二挺の小機関銃、そして一振りの短刀が収まっている。


 それは結構な重量ではあるのだが、菊は、意外にも軽やかな身のこなしで街を歩いていた。


「霧ちゃんも、Kちゃんも、これを待ってるからね~、早く行ってあげないと……近道、近道♪」

 そう言いつつも、のんびりとした歩調で、入り組んだ裏路地に入っていく。

「!」


 菊は気配を感じ、ふと、立ち止まる……屍だ。


「おっと、こっちはダメか……屍、増えてるわね~」


 菊は踵を返して、別の路地に入る。


「あれ、こっちにも……こっちもダメ?」


 行く道、行く道の先に現れる、屍の気配。


「やだ、囲まれちゃった……」


 菊の額に冷や汗が浮かぶ。


 ふと、バッグの中の小機関銃を手に取る。

「私にも……いや無理だな~……どうしよう」


 一瞬、武器を取って戦う事を考えるが、霧子の銃も霞の短刀も、扱うのは至難の業だ。

 すぐに諦めると、逃げ道を探したが、行く手にはすべて、屍の気配がある。

 しかも、その数はどんどん増え、自分に向かって引き寄せられてくる。


「困ったわね~……あ、そうだ!」


 必死に考えた末、菊の脳裏に、あるアイディアが浮かんだ。


「菊さん!」

「Kちゃん! おーいKちゃん、ここだよ~!」


 菊が、屋根伝いに飛んできた霞を発見し、大きく手を振る。

 霞が発見したとき、菊は民家の屋根の上にいた。


「菊さん、何故こんな所に?」


 霞が心底不思議そうに問いかける。


「え~と、ね? ここからなら、屍を避けて通れるかなー、と思って」


 菊はそう言って、照れくさそうに笑った。


「それで屋根に登ったんですか……凄いですね」

「いやー、それほどでもないよ~、結局進退窮まっちゃたし」


 その発想の柔軟さに、感心しつつも呆れ返る霞。

 菊は、照れ笑いを浮かべたまま、後ろ頭をポリポリと掻く。


「でもまあ、手間が省けましたか。このまま屋根伝いに行きましょう、菊さん、掴まって下さい!」


 霞はそう言って、菊の両腕を自分の肩に回して、固く握らせる。

 次の瞬間。

 二人の姿が、天高く舞った。


「て、Kちゃん……ちょっと待って、落ちる、落とす!」


 霞の背後で、菊が悲鳴を上げる。


「大丈夫です、アタシを信じて、手を離さないで下さい!」

「きゃああああああああ!!!」


 二人の姿と菊の悲鳴。

 そのすべてが空に吸われ、見る間に小さくなり、街並みの彼方に消えていった。


 王子警察署の4階会議室、その開けられた窓に、二つの影が雪崩れ込んでくる。

 それは霞と、その首にしっかりと掴まった、正宗菊だ。


「到着ー」


 霞がそう言って、額の汗を拭う。

 その後ろで、正宗菊は、ヘナヘナと崩れ落ちた。


「Kちゃん、過激すぎ……私、もうダメ……」

「なんだ菊、だらしないな」


 そんな菊を見下ろして、霧子が呟く。


「霧ちゃんも乗ってみればいいんだよ~、絶叫マシーン軽く超えてるから……」


 菊は、息も絶え絶えに、反論した。


「すみません……」


 霞は、小さい身体をさらに小さくして、頭を下げた。

「それで、頼んだものは?」

「これ、この中に全部入ってる……落とさなかったのは奇跡だと思う……」


 そう言って、菊はトートバッグのジッパーを開けた。


「来た来た、これこれ……なんだ、二郎の奴、ホルスターまで作ってくれたのか

 霧子は、喜々として革製のショルダー・ホルスターを身に着ける。


「うん、ピッタリだ。私のサイズを良く把握しているよ、あのストーカーめ、……鷲尾ちゃん、9パラ、ありったけ寄こせよな!」


 しっくりとはまった装着感に、心からの賛辞を送る。


「正宗先生、お茶を」


 鷲尾が、菊に煎茶を差し入れる。


「あ、有り難うございます……」


 菊は、それを一気に飲み干し、心底深い溜息を付いた。


「それで、菊ちゃん……すぐ動けるかしら?」

「うん、大丈夫」


 吹絵が尋ねると、菊はそう言って笑顔を見せる。


「言っておくが、状況は最悪だ。今すぐカチコミを掛けても、救える人間は殆どいない。菊、お前にやって欲しいのは生きている人間の探索じゃない、全ての人間が屍と化している、その確認だ……できるか?」


 霧子が厳しい視線を菊に送る。

 菊は、一瞬息をのんでから、ゆっくりとした口調で答えた。


「やってみる……でも、助けられる人がいたら? 助けられる人が一人でもいるなら、私は助けた

いよ」


 意志の籠った視線を、霧子に向ける。


「その時は、私が夜叉丸で突入するわ。前には出ないつもりだったけど、今更帰る訳にもいかないしね」


 菊の思いに答えたのは、吹絵だった。

 太刀を携え、神妙な面持ちで菊を見つめる。


「さっきも言ったが、ブランクは大丈夫か?」


 霧子が心配そうに訊ねる。


「まあ……ね、鍛錬は欠かさずやってるし、大丈夫じゃない?」


 吹絵はそう言って、肩をすくめた。


「すごい、社長まで来てくれるなんて、妖檄舎の美女が揃い踏み……超豪華じゃないですか!」


 霞が、興奮してはしゃぎまくる。

 確かに、この面子が揃って戦いに赴くのは、滅多にないことだ。

 だからこそ、万一の事があってはならない。

 自分が戦いの主導権を握らなければ。

 そんなことを考えていると、霧子の顔は、自然と険しくなっていく。


「あの、お姉さん……この戦いが終わったら、聞いて欲しい事があるんです」


 ふいに霞が、話しかけてきた。


「なんだよ、改まって」

「とても、とても大事な事なんです、だから絶対に無理はしないで……戦いは私が引き受けますから、お姉さま方は生き残ることを最優先に考えて下さい」


 霞は真剣な眼差しで、霧子に懇願する。

 真剣な話をすると、すぐに泣きそうになるのが、霞の癖らしい。

 霧子は、そんな霞の頭に手を添えると、ゆっくりと首を横に振った。


「悪いがな、K……いくらお前の頼みでも、それは聞けない」


 そう言って、霞の瞳を見つめ返す。


「この戦いは、私自身の試金石でもあるんだ、私の力が大妖に通用するかどうか……それは、私の生きる価値を問う事でもある、絶対に譲れない一歩なんだ」


 霧子の顔に、寂し気な笑みが浮かぶ。

 その瞳の奥には、固い決意の輝きがあった。


「お姉さん……」

 

 霞は言葉を失い、霧子の瞳に吸い込まれていくような錯覚を覚えた。


「なあに……私とお前が組むんだ、大丈夫だよ、何の心配もないさ」


 霧子が笑いながら、目配せをして見せた。


「だから、さ……」


 そう言いかけて、霧子が、口をつぐむ。


「なんですか……?」

「いや、何でもない、お前の話とやら、楽しみにしておくよって事だ」


 そう言って、霧子は霞の頭をぐしゃぐしゃと揉んだ。


「もう、お姉さん、私は真剣なんですよ?」


 霞がプンと怒って、言い返す。


「私だって真剣だよ、だからここから先、暫くは「おちゃらけ」はなしだ」

「おちゃらけていた訳ではないですよ!」

「分かった分かった」


 怒る霞に、霧子はただカラカラと笑うだけだった。

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