第15話:修錬丹師⑤

 昼も過ぎた頃、3人は北東区王子警察署を訪ねた。

 目的は勿論、避難計画実施要綱の打ち合わせである。

 しかし、通された一室に現れた鷲尾の一言によって、事態は思わぬ方向に転じることとなった。


「避難ができない?」


 三人が三様の、驚きに満ちた声を上げる。


「ああ、仙事特令を具申したんだが、上に却下された」


 鷲尾が、言い淀みながら、事態を端的に伝える。


「そんな、浄山の権限を覆すなんて! いったい誰が!」


 少女は、愕然となり、鷲尾に詰め寄った。

 霧子は、少女の服の後ろ襟を掴んで、それを制止する。


「誰が介入した?」


 静かな口調で、問う。


「犀聖会々長、多島修三。北東区で最大派閥を誇る医療法人の代表だ。入院患者や医療従事者など、移送不可能な人間が多過ぎると、今回の避難計画に異議を唱えてきた」


 鷲尾が、苦虫を噛み潰したような表情で、言う。


「言ってることは、至極まともだな」


 霧子がそう言って、短いため息をつく。


「でも、少し強引過ぎませんか?」


 少女が、不満げに問いかける。


「ああ、避難を優先させろと言うならまだ分かるが、今回の申し立ては避難計画の白紙撤回だ。上としても、部分的とは言え、封印結界の解除は面白くないらしくてな、あっさり折れちまった」

「ち、腰抜けが」


 鷲尾の説明に、悪態を吐く霧子。


「でもまあ、考えようによってはチャンスですかね。揺さぶりを掛けようとしたら、逆に誘ってきた、と」


 少女が言う。


「見え透いているようにも思うがな。大妖ってのは、そんなあからさまな手を使うのか?」


 霧子は、そう言って、懐疑的な表情をする。


「実情には合ってると思います。本気で北東区の魔窟化をもくろんでいるなら、餌になる人間の数は多い方が良いですからね。それをみすみす逃すのは、面白くないだろうと思いますし。それにまだ、敵はアタシが乗り込んでいることに気付いていない筈ですから、敢て正体を晒してお姉さん達をおびきだし、サクッと殺っちゃう気なのかも知れません」


 少女が即答した。

 つくづく肝の据わった子供だ、と、霧子は思う。


「お前、あれだけ派手に暴れておいて、気付かれてないという自信は、何処から来る?」


 霧子が、半ば呆れた様に問いかける。


「ええ、自信ありますよ? だってアタシ、本当は雷撃使いじゃありませんもの。屍を雷撃で倒したのは、お姉さんがやった事にする為です。敵は、お姉さんの事、相当凄い修錬丹師だと思っていますよ、きっと」


 少女は、満面の笑顔で答える。


「ああ、そうかい……」


 霧子は、複雑な心境になった。

 少女のやりたかったことは、分かる。

 自分の力を霧子に見せながら、その存在は隠しておきたい。

 だからこそ、あの戦い方だったのであろう。

 しかし、それならいっそ、自分がやってしまった方が正解だったのではないか?

 自問自答するが、しっくりとする答えが出てこない。


 でもまあ、仕方がない。


 時間は巻き戻せないのだから、このまま進むしかないのだ。

 霧子は、気持ちを完全に切り替えた。


 避難経路確認のために用意した、A2サイズの北東区地図を、会議デスクに広げる。


「鷲尾ちゃん、犀聖会系の病院の数は?」

「20だ、入院可能な病院は、区内に20ある」

「マークしてくれ」


 霧子の指示に応じて、鷲尾が犀聖会系病院の場所を、蛍光マーカーで印していく。


「Kの言うことが正しいとしても、一つ見誤ると、大惨事になるな」


 その数と、分布図を睨み、霧子がつぶやく。


「わ、私が行くよ!」


 ふいに、菊が頭の天辺から出したような声で、叫んだ。


「私なら、聖魔の存在を100%見抜けるから、1/20の確率、看破するよ!」


 決意の固い眼で、一同を睨む。

 少し震えながら、唇をかみしめた菊をおもんばかって、霧子が問う。


「いいのか? 確率は20/20かも知れないんだぞ?」


 菊は、修錬丹師ではあるものの、戦闘に関しては、一般の素人以下だ。

 そういう人間が、戦場の最前線に立とうとしている。

 それは、生半可な覚悟では出来ないことだ。


「うん、やる……病人や子供、弱い人たちを盾にとって、人を喰おうとする化物なんて……私、絶対に許さない。一人残らず、見抜いて見せるよ!」


 菊は、顔を紅潮させ、声を震わせ、精一杯の強がりを見せて、言い切った。

 菊の様子をそばで見ていて、その勇気に興奮する少女。


「菊さん……すごい、外道照身霊波光線ですね!」


 言いながら、菊に抱きつく。


「あはは、Kちゃん、それ、褒め言葉? 全然分かんないよ♪」


 菊が、照れ笑いして応え、少女の頭を撫でる。


「それはもう、全身全霊を賭けての褒め言葉です! アタシも一緒にやりますよ、こうなったら手当たり次第に乗り込みましょう! お姉さん、菊さんを守ってあげてくださいね、倒すのは、私がやりますから!」


 そう言って、少女は自分の胸を、右拳でドンと叩いた。


「いいのか、そんな無計画で……」


 鷲尾が、不安げな表情で、呟く。


「まあな、馬鹿げているよ。でも、前に進まないよか、マシだな。それに、この面子が本気になれば、何とでもなるさ」


 霧子は、口元をキュッと上げて、笑った。


「そうですよ、アタシ達が力を合わせれば、無敵です!」


 少女が鼻息を荒くして叫ぶ。


 そんな少女を、霧子がたしなめる。


「ただし、菊を守るのは、K、お前がやれ、戦うのは私がやる」

「ええー! そんな、私も戦いたいですよ!」


 出鼻をくじかれた少女が、駄々をこねる。


「お前は大妖相手の切り札なんだろ? だったらギリギリまで正体を晒すな、分かるよな?」


 霧子にそう言われると、少女は納得せざるを得ない。


「わかりましたよぉ……」


 少女は、未練を残しつつも、頷いて答えた。


「俺たちも協力するよ。警官隊を総動員して病院を封鎖すれば、3人でやるよりずっと捗るだろう」


 鷲尾も、覚悟を決めた様に進言する。


「頼もしいね、鷲尾ちゃん。さすがは私のチームメイトだ」


 霧子が感心して、鷲尾の肩を叩く。


「市民を守るのは警察の役目だからな、民間企業にばかり任せてはおけんさ」


 鷲尾は、照れながら、恥ずかしげな台詞を口にした。


「鷲尾ちゃんさん、カッコいいです!」

「ホント、カッコいいわね~」


 少女と菊も、鷲尾に熱い視線を送る。

 鷲尾の耳が、真っ赤になった。

 この独身中年、可愛いな……と、3人は思った。


「よーし、それでは行きますか、犀聖会壊滅作戦……大・進・撃!」


 少女が、意気込んで叫ぶ。


「いや、病院の壊滅が目的じゃないから」


 興奮する少女を、鷲尾がたしなめる。


「ホントに、この馬鹿は……」


 霧子は頭痛を覚え、額を軽く抑えた。


「え~、い~じゃない、にぎやかな方が。派手にやりましょ~」


 覚悟を決め、開き直った菊が、能天気に笑う。

 それぞれが様々な思いを抱き、事態は俄かに転がり始めた。

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