第14話:修錬丹師④

 その夜、霧子が喉の渇きを覚えてベッドから這い出すと、下の段で寝ている筈の少女、その姿はなかった。


「なんだ、トイレか?」


 台所に行く途中、トイレをノックしてみるが、応答がない。


「トイレじゃないのか」


 少し気になって、一階をくまなく巡回してみるが、少女の姿は何処にもなかった。


「まさかとは思うが……」


 妖檄舎のメンバーで、この時間に起きている人間は、一人しかいない。


「二郎! Kの奴を知らんか? 連れ込んじゃいないだろうな!」


 そう言って、ドアを乱暴に叩く。


「あのさ、深夜なんだから、ノックは静かにって、社長も言ってるじゃないか」


 メタボ気味の巨体を揺らして、海堂二郎がのっそりと出てくる。


「二郎、Kは来ていないか?」

「Kちゃん? 来てないよ? 霧子の部屋で寝てるんじゃないの?」

「それが、何処にもいないんだよ」


 霧子が、心配そうに眉を顰める。


「じゃあ、あれだ、きっと月夜の散歩にでも行ってるんだよ」


 二郎が、のんきな口調で言った。


「そんな洒落た事をする奴か? なんか嫌な予感がするな……」


 霧子の不安は、ある意味的中していた。


 その朝未明、青森県大間町。

 少女の姿は、小型漁船の舳先にあった。

 腕を組み、仁王立ちして海を睨む少女。


「嬢ちゃん、本当さ船はこごでいいんだが?」


 夜明け前の闇の中、船を出したマグロ漁師、工藤現一さんが、少女に問う。


「はい、もうすぐです、もうすぐ魚群が来ます!」


 少女は、神妙な面持ちで、言い切った。

 青森の海峡に、朝日が昇る。

 それを合図にしたように、巨大な魚の群れが、波を蹴って躍り出た。


「来た、黒マグロ! 大物だ!」


 工藤船長が、興奮して叫ぶ。


「獲りますよ、ロープを!」


 少女は、黒マグロの群れの先頭を泳ぐ一匹に、狙いを定めた。

 ロープを肩に掛け、短刀を口に咥えると、気合と共に、海に飛び込む。

 少女は、先頭を泳ぐマグロ、その200kgの巨体にしがみついた。


「くう! 大人しく、しろ!」


 虚を突かれ、大暴れするマグロの体長は、少女の身長よりも大きい。

 少女は振りほどかれないように、手足を回して羽交い絞めにすると、急所のエラに短刀を突き刺す。

 一回、二回、短刀を突き刺すたびに、流れ出たマグロの血で、海が赤く染まる。

 全身の筋肉を収縮させて、鮪の断末魔を封じる少女。

 やがて、その巨体は、波間にぷかりと浮いた。


「やった! 工藤さん、早く引き上げて!」


 船に添え付けられたウィンチを使って、マグロを引き上げる、工藤漁師。


「いやー、やったな、嬢ちゃん。これでわーが家族、半年はやっていけるよ」


 工藤漁師は、笑う。


「いや、今日はもう一本仕留めたいんだけど、いいですか?」


 少女が、問う。


「別にいいよ、わーも付き合うし」

「ありがとうございます」


 少女は笑って、再び海に飛び込んだ。


「おー、泳いでる、泳いでる」


 水流に逆らうように、泳ぎ暴れるマグロの群れ。次の狙いは、先ほどの半分程度の大きさの、若い一匹だ。


「これなら!」


 少女は、高速で泳ぎ回る鮮魚、その魚体をがっぷり四つに捕らえ、エラを正確に掴んだ。

 力任せにエラを開き、短刀を打ち込む。

 生体機能を奪われた鮪は、数刻狂ったように暴れまくり、やがてピクリとも動かなくなる。

 工藤漁師が、船を旋回させつつ、無力に浮かんだ獲物を、ロープを使って回収した。


「ありがとうございす、こちら、有意義に使わせてもらいますね?」


 工藤漁師が問う。


「だばって、そしたら大きのマグロ、いって何んぼすらんだが? 家で食うさは、でか過ぎらど思んだじゃ?」

「はい! 人類の未来のため、そのすべてを、有効活用します!」


 少女はニッと笑った。


 朝日が高く上る頃、少女は妖檄舎に帰って来た。

 自分の身長ほどもある、特大のトロ箱を引っさげて。


「あ、お姉さん、おはようございます! 良く眠れましたか?」


 少女が屈託なく笑う。


「お前、何処に行ってた?」


 霧子が呆れ顔で問う。


「はい、菊さんを篭絡する、必殺兵器を仕入れに、ちょっと、青森まで」

「青森だぁ? 馬鹿言うな、お前、一晩で東京-青森間を往復なんて、出来るわけないだろう?」


 霧子が、馬鹿にしたように笑う。

 それに対し、少女は真顔で答えた。


「それが出来るんですよ、霊道を使えば」

「霊道?」

「はい、浄山の導師なら、誰でも使いますよ? 基礎中の基礎ですから」

「信じられん……。しかも、その馬鹿でかい発泡スチロールは何だ? そんなもん担いで来たのか?」


 少女が背負ったトロ箱に目をつける霧子。

 少女はふっふっふ、と、得意げな笑みを浮かべ言った。


「これはですねぇ、今朝獲れたての、黒いダイヤです!」

「こ、これは、マグロか」


 箱の中身を空ける霧子、そこには、氷が敷き積めれられた中で、黒光りする巨大な魚体が、燦然と輝いていた。


「はい! 本場大間の、黒マグロですよ! 船の上で活き絞めにしてきましたからね、鮮度抜群です!」

「お前これ、まさか築地あたりで、かっぱらってきたんじゃないだろうな?」


 霧子が、疑いの視線を向ける。


「失礼な、泥棒なんかしませんよ」


 少女は、プンと怒って、言った。


「してたじゃねぇか、初めて会った時」


 霧子が釘を刺す。


「あれは浄財、慰謝料みたいなもんですよ。それに返したじゃないですか」

「私が、な」


 霧子がそういうと、少女はバツが悪そうに、眼を泳がせた。


 そうこうしている内に、二階から、正宗菊が降りてくる。


「はわわ~、なにそれ~♪」


 菊は、少女が持ってきたトロ箱に目をつけると、期待のこもった視線を釘付けにする。


「あ、菊さん、おはようございます!」


 少女が、元気に挨拶する。


「おはよう~、Kちゃん。ねぇ、それ、もっと良く見せて~」

「はい、どうぞ! 菊さんに食べてもらいたくて、獲ってきたんですよ?」


 トロ箱の中身を覗き込んだ菊の表情が、見る間に歓喜で紅潮していく。


「ま、ま、ま、マグロだよー、すご~い! マグロ丸ごとって、初めて見たかも~♪」

「夢みたいでしょう? 100kg級!」


 少女が、尋ねる。


「うん、夢みた~い!」


 菊が、答える。


「じゃあ、早速始めますか、マグロ解体ショー!」

「あ、私、ご飯とって来るね~♪ お酢を混ぜてぇ、シャリにしよう!」


 菊はノリノリで、朝食用に炊いた炊飯ジャーを取りに行く。


「おお、良い考えですね、良い考えですよ、菊さん!」


 少女も、ノリノリで答えた。


「なんか、二人の間に入り込めないね」


 二郎が、ぽつりと言った。


「ああ、不思議時空になってるな」


 霧子が、呆れて答える。


「社長と小鉄、呼んで来ようか?」


 二郎は、比較的冷静だった。多少の事では動じない肝の据わり方は、霧子と一緒だ。


「そうだな、せっかくだから、このまま、みんなで朝飯にしよう」

「あ、霧子も順応したんだ」

「牛の解体ショーより、ナンボかマシだからな」


 霧子が呟く。


「確かに、でも僕は寝るよ。お刺身、夕方食べるから、冷蔵庫に入れといて」


 二郎は欠伸をすると、自室に戻ろうとする。


「分かった、そう言っておく。二人だけは呼んどいてくれ」


 霧子が答える。


「サンキュー、霧子。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ、メタボ廃人」


 二人は、これまで何度やったか分からないほど、ありふれた挨拶を交わし、別れた。


「霧子、Kちゃん、帰ってきたんだって?」


 二郎に呼ばれた吹絵と小鉄が、居間に下りてくる。


「ああ、青森からな、ご帰還なさった」


 少女を尻目に、霧子が答える。


「青森? 俄かには信じがたいな」


 小鉄は、顎に手をあて、訝しげな表情になる。


「基礎らしいよ、浄山の。私も習いたいもんだ、と思うよ」


 霧子が、冷めた口調で言った。


「しかし、この子にかかっちゃ、封印結界も形無しね」


 吹絵が、笑う。


「浄山の導師だからな、子供だけど」


 霧子の表情は、複雑だ。

 確かに、少女の持つ力の一端を見せつけられ、その実力に、驚嘆はしている。

 しかし、少女の持つ力のベクトルが、何とも霧子の知る現実からずれているような気がして、正直、素っ頓狂という印象を持たざるを得ないのだ。

 見ている分には楽しいが、果たして、互いに死線を預けあう闘いになった時に、どれほど信頼できるのか。

 今の霧子には、少女が言った一言、「大妖と戦えば自分は死ぬ。死んでしまう自分の命、その一粒を、救いに来た」という言葉を、信じる他はない、という状況だった。


「人間では届かぬ領域か」


 小鉄が、神妙な面持ちで呟く。


「本当、何者なのかしらね」


 吹絵も、そう言って思案に耽る。


「何者でも関係ないさ。必要最大限の力なら、私も持ってる」


 霧子が言う。


「もう、負けず嫌いなんだから」


 吹絵は、そう言って、笑った。


 そうこうしている内に、どうやら観客約一名のマグロ解体ショーは、一段落したらしい。


「はいはいはい! みなさん、出来ましたよ! 大トロ、中トロ、ほほ肉、尾の身! たくさんありますからね、いっぱい食べてくださいよー、ね? ね?」


 少女が満面の笑みを浮かべて、見事に捌かれたマグロの刺身を、妖檄舎の面々に振舞う。

「うん、いっぱい食べる~♪ ありがと、Kちゃん♪」 


 菊も、満面の笑みでそれに答えていた。


「いえいえ、こんなの、お安い御用ですって!」


 Kと菊、二人の不思議時空が、MAXに達する。


「しかし、これ、デカ過ぎるんじゃないか? まだ2/3も残ってるぞ・・・・・・」


 霧子が、刺身を食べながら、冷静に言った。

 それを聞いて、少女は、フンと鼻を鳴らす。


「ふっふっふ、分かってませんね? お姉さん。マグロは、新鮮な刺身だけでは、100%堪能できないんですよ?」


 少女がマグロ談義に持ち込むことは分かっていた。

 これは霧子による、彼女流の助け舟、菊を篭絡するための、詰めに至る布石だった。

 案の定、霧子の一言を受けて、Kは得意げに語りだす。


「例えば赤身は漬けにて、兜と鎌は豪快に焼いて、目玉はトロンと煮込んで、剥身は叩きにしてトロロやオクラと和えて、と、可能性は無限大です。そして、マグロの真の醍醐味、それは・・・・・・」 

「それは?」


 菊が、ぐっと引き込まれる。


「それは、熟成! マグロはですねぇ、熟成させることで、更に旨くなるんです!」

「そうなの~!」


 驚嘆のため息を漏らす、菊。もはや完全に、マグロの虜だ。


「でも、それには時間が掛かって、今すぐには、食べられません……残念、本当に残念です」


 ここが肝心。

 少女は、心から残念な表情で、潤んだ瞳で、上目遣いに菊を見つめる。


「いや、だったら、私、時間の方をどうにかするし!」


 菊は、反射的に叫んだ。


「本当ですか?」


 かかった! 少女の表情が、パッと明るくなる。


「うん、うん、本当! 何でもするよ!」


 ノリノリで答える、菊。


「じゃあ、霧子お姉さんの頼みも、訊いてくれます?」


 Kは、ウルウルした瞳で、菊を見つめる


「う、うん……いいよ?」


 ここまで来て、菊はようやく、自分が嵌められた事に気付いた。

 しかし、もう遅い。

 菊の脳内にある打算コンピュータでは、霧子の頼みよりも熟成マグロの方が重かった。

 それに、どうせ断っても、社長命令で無理矢理やらされるのだから、ご褒美のある方が得だと判断したのだ。


「じゃあ、菊は私と一緒に、住民避難の検問係な?」


 霧子が、淡々と言った。


「霧ちゃんと一緒か、ならいいかも」


 菊は、少し安堵した表情になる。


「お前は聖魔を見抜けても、倒せないからな、倒すのは私がやる。だから、お前は全力で見抜け」


 霧子が言う。


「分かった、見抜く。でも、Kちゃんは? Kちゃんも居てくれた方が安心だよう」


 少女に、すがるような視線を送る、菊。


「アタシは駄目なんです。菊さんとお姉さんが、住民を逃がしている間に、北東区全土の状況を完全把握する、パス・ファインダーの役目、それをこなすのが、私の使命ですから」

「こいつに聖魔の拠点を探査させて、住民の避難が完了したら、一気にそこを叩く。それが今回の、北東区開放作戦なんだ」

「大丈夫ですよ、菊さん。霧子お姉さんは、通常型の聖魔に対しては、絶対のアドバンテージを持っています。危ない事なんか、微塵もありませんって」

「それは・・・・・・分かってる」


 菊が言って、しゅんとなる。

 菊も、霧子の実力は良く知っている。

 霧子が一緒だったから、今の自分がある、とさえ思っているのだ。

 妖檄舎として、数々の怪魔事件を解決してきたのは、メンバー全員の結束があってこそ、だと。


「もしもの時には、アタシは必ず駆けつけますから、ね?」


 少女が、優しく、言う。


「約束、だよ?」


 菊が、言う。


「はい! 約束です!」


 少女は、笑って答えた。

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