CHAPTER 3 『権謀術数入都式』

act.13 『手荒い歓迎』

 4月1日に始まり3月31日に終わる学都桜花の1年。その最終日は1年を締め括りつつ、新年度を迎えるための準備が行われる。昨日は寮のオリエンテーションや荷ほどきに費やした朔也子さくやこは、朝食を摂ったあと制服に着替え8時半過ぎに迎えに来た車で出掛ける。

「昨夜は如何でしたか?」

 助手席にすわる如月きさらぎが、アクリル板越しに声を掛けてくる。

「たくさん人がいますとなかなか大変ですね。でも賑やかで、とても楽しい」

「色々と不自由もございます。何も入寮なさらなくても……」

 朔也子が寮に入ったことが如月にはどうにも面白くないらしい。ろくに世話も出来ないことが不満なのだろう。

「せっかく桜花に来たのですから、寮で過ごさなくては意味がありませぬ」

「ですが……」

「如月、これはお父様とわたくしで決めたことです。如何にそなたでも口出しは無用です」

 言ってパチンと扇子を鳴らした朔也子は、一呼吸ほど置いて 「それにしても……」 と言葉を継ぐ。

「思った以上に状況は混乱しているようですね。秋の騒ぎも、未だ明快な決着を見ていないようですし」

「あの件は明様が片を付けられたのでは?」

「明さんでも片付けられなかったと申しますより、誰が当たってもあの時点では決着を付けることは出来なかったようです。高子たかいこという障害を取り除かぬ限り」

「高子様がご卒業遊ばされた今、片を付けに掛かってくると?」

「誰ぞ?」

「もちろん柊様をはじめとする自治会執行部の面々です」

「そうであればよいのですが、あの高子がなにも手を打っておらぬとは考えられませぬ。果たして柊たちも自由に動けるものか?」

「それは……」

 朔也子の話に一理ありと、如月は返答に困る。

「媛様」

 それまで黙って2人の会話に耳を傾けていただけの小川青年が、前を向いたまま遠慮がちに口を開く。

「1つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか?」

「珍しいことですね、菜摘なつみがわたくしに意見するなど」

「柊様にはご用心ください。姫様がどの手を使っているかわからずとも、配下を動かしておられますことはすでにご承知とのこと」

 ハンドルを握りながら静かに告げる小川青年の言葉に、朔也子はゆっくりと扇子を開きながら応える。

「菜摘も心配性ですね。でも大丈夫です、柊に知られてもたいしたことではありませぬ」

「柊様が媛様を裏切ることはない、と?」

 如月が尋ねる。

「いずれはわかることですし、公言する必要はありませんが、あえて隠してもおりませぬ。奈月なつきに調べさせていることも、たいしたことではありませぬ」

「出過ぎたことを申し上げました」

 小川青年が詫びる。

「菜摘は奈月のことが心配なのでしょう?

 昨夜、連絡がありました。柊からあれこれと訊かれたと」

 朔也子は少し笑いながら話す。

「なんでも湯に浸かっておりますところを、突然呼ばれたとか。これから柊と会いますから、あまり奈月を苛めぬようお願いしておきます」

 桜花中央通りを走っていた車は、いつの間にか桜花中央公園の外周道路を走っている。大階段と呼ばれる大講堂正面玄関前へと続く階段前を通過すると、ほどなく外周道路を外れてかなりの急勾配を上り出す。そのまま大講堂裏手にある駐車場に到着したのは、寮を出て10分ほど経った頃である。

「……こちらはずいぶんと静かですね」

 ほとんど車の停まっていない広い駐車場を見回した朔也子は、ホッと胸をなで下ろすように呟く。なにしろ第6丹英女子寮前は、昨日、朔也子が入寮した時以上の騒ぎになっていたのだから無理もないだろう

 これはつい先程、寮を出る少し前に理美や順子から聞いた話だが、早朝自主トレをしている運動部員に理美が叩き起こされたのは午前7時過ぎ。運動部でもなければ生徒会関係者でもなく、新入生もそんな時間には入寮してこない。まだ春休みの理美たち新2年生はゆっくり寝ていられるはずの時間である。

「あいつら、朝も早くから押し掛けやがって」

 そうぼやいたのはもちろん理美である。だがそれも2階廊下の窓から見える門前を見るまでのこと。事態の悪化とも言える状況の変化を、理美から報された自治会本部はすぐさま増員を決定したという。

 学園都市桜花生徒自治会本部実行委員会警備部会、通称実備に所属する英華えいか高校は、東区の竺学館じくがくかん、西区の芳正館ほうせいかんと並ぶ実備三強の1校。その統制の取れた強さは実備三強の中でも最高と謳われ、本来ならばこの程度の騒ぎに動員されることはない。だが春休みという状況がその動員を余儀なくさせたのである。

 桜花付属寮は、学生寮のみならず教職員寮も年末年始だけは絶対に閉鎖される。その時と定期考査の1週間程度しか休みにならないのが英華高校の部活で、他校と違い、それこそいつでも動員可能なのである。

 自治会本部の緊急連絡先として登録されている携帯電話は3台。そのうちの2台を、現在副総代代行を務める新3年生の有村克也ありむらかつや竹田敦たけだあつしが預かっているのだが、南区にある山家やまが高生の理美にはどちらも馴染みが薄い。

 1階事務室にある電話の前で、名簿を片手に10分ほど悩んだ理美が有浦を選んだのは、第6丹英女子寮自体が中央区にあることと、すでに英華高生が動員されているからである。

 しかもこれは大正解! 何しろ電話を掛けたのは朝の7時半頃、あとでわかったことだが、竹田はまだ起きてさえいなかったのである。

 今日行われる入都式予行演習リハーサルやその準備に出席する有村は、日課の自主トレを終え1階の食堂で朝食を摂っていた。理美が携帯電話をコールしたのは、まさにその最中のことであった。

 しかも生徒会会長代行の花園寿男はなぞのとしおも一緒である。さらには花園は剣道部部長、有村は空手道部部長である。本来ならば部長と交渉をして部員を確保する必要があるのだが、その手間が掛からない。緊急を要するとして、正式な手続きの後回しも暗黙のうちに了承がとれる。

 時間的にはまだまだ朝練にすら早い時間だったが、9時から始まる練習に備え下級生は1時間前には登校。そのため7時過ぎにはほとんどの部員が起床しており、間に入る面倒が省けた分、速やかに人数を確保することが出来る。

 有村自身は自治会本部で副総代台呼応として全体の統括をしなければならないが、副部長の東山冬吾ひがしやまとうごも当たり前のように朝食に同席。電話の内容に耳をそばだてていた花園と共にすぐさま部員の確保に動き、有村は寮内にいる柊の部屋に向かった。

 さらに竹田を電話で叩き起こすが、寝起きの竹田は電話口でずいぶんな悪態を吐いたらしい。もっとも有村が、そんな戯言に耳を貸すはずもないことは言うまでもないだろう。かくして英華高生のさらなる増員が行われ、第6丹英女子寮前の騒ぎは人数を増やしたのである。

 だが本来ならば女子寮の警備を、男子校である英華高校に要請すべきではない。あとで執行部の独断専横などと代表議会あたりが騒ぎそうだが、取材攻勢の加熱はすでに暴徒化寸前。今にも人数と勢いに任せて英華高生を殴り倒さんばかりである。

 門扉のない第6丹英女子寮門前で立ちはだかり、群がる報道陣を押し止める英華高生たち。実際に殴られた生徒も少なくはないはずだが、彼らの統制は並大抵ではない。東海林要しょうじかなめの言葉を借りるならば、日頃の鍛錬の賜物だろう。

 決して殴り返すことなく、もちろん怯むこともなく与えられた任務を忠実に務め上げる。その鋼の規律と忍耐は賞賛に値するだろう。

 もし動員されたのが英華高生でなければ、おそらく1人や2人、殴り返して事態をさらに悪化させていたかもしれない。その点については、おそらく代表議会も英華高校の働きを認めるに違いない。

 そこまでに状況を抜け出してきたのだから、大講堂裏手にあるこの駐車場の静けさに朔也子が拍子抜けしたのも無理はないだろう。

「こちらは主に理事会や教職員関係者が利用しますから、さすがに遠慮したのでしょう」

 運転席の小川青年が穏やかに話す。もちろん3年生には運転免許を持つ生徒も少なくはないが、駐車場が少なく車庫証明をとるのが難しい桜花島。まして通学に使えるわけでもなく、車を持つメリットはない。

 教職員たちも、車での通勤を許可する学校や施設は少なく、自家用車を持つメリットはない。よってこの駐車場を利用するのは、入都式などのイベントに島外から来る保護者や、普段、島外で生活している理事会関係者くらいなもの。相手が相手だけに、下手に車を間違えたりしては一大事、さすがに好奇心旺盛な報道関係各部も遠慮して、こちらには張り付いていないのだろう。

 それでも自治会はトラブルを用心しているらしく、大講堂入り口には体格の良い男子生徒が数人、肩幅に足を開いて直立している。おまけにその背後にある扉には 「締切」 の札が下げられている。明日の入都式には解放されるのだろうが、予行演習が行われる今日は出入り口を制限しているらしい。

「媛様、柊様がいらっしゃいました」

 ブルーブレイのブレザーに茶系チェックのズボン、私立松藤まつふじ学園高等学校男子の制服を着た柊は、数人の男子生徒と一緒に大講堂横手から早足に現れる。

 一緒にいるのはほんのりと緑色かかった灰色の詰め襟学生服に 「学園都市桜花生徒自治会 私立英華高等学校生徒会」 と書かれた黄色い腕章を付けた男子生徒で、柊と、もう1人、違う制服を着た男子生徒を囲むように歩いている。

 上下共に黄土色でブレザーの丈が長く、立てにずらりとボタンが並んだ私立松前まつまえ学院高等学校の男子の制服。その襟に柊と同じ薄紅色をした桜の徽章を付けた金村伸晃かなむらのぶあきは、やはり同じように桜色をの腕章を腕に付けている。

 一行が車の側に来るのに合わせ、先に車を降りていた小川青年が後部席の扉を開ける。差し出される手を取って朔也子が車を降りると、目の前には柊が、いつものように笑みを浮かべて立っていた。

「おはよう、サクヤ君」

「おはようございます、柊」

 挨拶を交わすと、柊の隣りに立つ男子生徒を見る、

「確か以前にも一度、お会いいたしましたね」

「え?」

 1月の寒い日、入学試験を受けるため桜花島に来ていた朔也子と会ったことをすっかり忘れている金村の間抜けな反応に、柊は 「朝っぱらからいいボケだな」 と彼の耳元で凄む。

「ちょ、ちょっと待ってよ、天宮あまみや! だって俺、媛と……会ったっけ?」

「その節はご挨拶もいたしませんで、申し訳ございません。

 今日も柊とご一緒なのですね」

 その楽しげな様子から、柊と金村を仲が良いと思っているらしい朔也子。もちろんこれは有村の采配で、金村が進んで出迎え役を引き受けたわけではない。それどころか彼が一番やりたくない役である。

「えっとその、言いにくいんだけど、俺、一応天宮のお目付役なんだよね」

 実際に柊がなにかことを起こせば止めることなど出来るはずもなく、それを自覚している非力な金村は自然と苦笑を浮かべる。と、その耳元で再び柊が囁く。

「お前、口は災いの元って言葉、知ってるか?」

 余計なことを言うな、そういう忠告だろうか?

 わざと落とされた柊の声に、一瞬にして金村の背筋を冷たいものが流れる。

 だがその前に立つ朔也子はなにも知らず、のほほんとした笑みを浮かべて2人の上級生を見ている。

「サクヤ君、改めて紹介するよ。

 こいつは同じ執行部の金村」

 背中や脇に汗をかきつつも、上級生らしく挨拶をしてみせる金村。どうにも冴えないその表情が、すっかり威厳を削いでいることに気づく余裕もない。

「このたび、入都式におきまして新入生代表を務めさせていただきます藤林院寺朔也子と申します。宜しくお願いいたします」

 両手を揃えて丁寧にお辞儀をする朔也子に、金村も慌てて頭を下げる。

 予行演習開始時間まであまりないからと柊に急かされるも、案の定、大講堂正面玄関前の広場は酷い騒ぎになっていた。もちろんこちらでも、今にも暴徒と化そうとしている彼ら彼女らを抑えているのは英華高生。

 その数は朔也子にはわからないけれど、ひょっとしたら全校生徒の大半を動員しているのかもしれない。それほどの人数である。

 その善戦を眺めて柊は笑っているが、金村の顔色は冴えない。その理由を自ら口にする。

「これ、何かあれば俺が生け贄なんだよね?」

「当然だろ。俺はサクヤ君を死守。お前のことなんざ、知ったことか」

 今さらなことを言うなとまで言われ面白くない金村だが、柊は容赦しない。

「お前は諦めの悪さで不運を招いているんだ。

 たまには早々に諦めて、後輩にいいところを見せるってのはどうだ?」

「どうせ媛はお前の彼女じゃないか」

「わかってるなら結構。足引っ張ったら俺がお目を殺す」

 柊の脅しを受けて先頭を歩き出す金村。

 そのあとを朔也子と柊が、護衛の英華高生に囲まれるように歩き出す。どうあってもあの騒動の中を通らなければ今日の大講堂には入れない。案の定、すぐさま一行に気づいた報道陣が、その報道魂を加熱させたことは言うまでまでもないだろう。

 彼ら彼女らが着る色とりどりの制服の袖には腕章があり、中央区を示す黄色の他に東区を示す青、西区を示す白、南区を示す赤、北区を示す灰色と、全部で五色。つまり桜花5地区全てから集まっているということである。

 桜花大講堂正面玄関前を埋め尽くす彼ら彼女らだが、辛うじて英華高生が人の壁となって通り道を確保しているも、油断すれば腕を掴まれる距離である。実際、金村などは何度か腕や肩を掴まれ引きずり込まれそうになったほど。

 後ろに押しやられた生徒たちが少しでも前に出ようと押し合う中、リポーター役の女子生徒が飛び出す。彼女はこのまま1番乗りとばかりに取材するつもりだったのだろうが、そうは問屋が卸さない。すかさず駆けつけた英華高生2人の取り押さえられてしまう。

 息一つ乱さず、表情1つ変えることなく女子生徒の身柄を拘束した英華高生は彼女を人垣の中に押し返す。

「桜媛、こっち向いてください!」

「あの! 総代選についてコメントを!」

「邪魔するなよ!」

「そっちこそ、邪魔なんだよ!」

 聞こえてくる取材陣の小競り合いに柊は小さく溜息を1つ。だがすぐ不安そうに閉じた扇を握りしめている朔也子に気づくと、その耳元でそっと何事か囁く。

 そして彼ら彼女らを見て毅然と声を上げる。

「学園都市桜花生徒自治会執行部です!

 本日、ここでの取材活動を行うことは一切許可していません。速やかに解散してください!」

 ところがすぐさま反論の声が上がる。

「横暴だぞ、自治会!」

「知る権利を侵害するつもりか!」

「特定の生徒を贔屓にしていいのか!」

 一斉に 「そうだ、そうだ」 と同意の声が上がるけれど、どの意見に同意しているのかわからなければ、柊もこの程度で怯んでいては自治会執行部など務まらない。

「許可なき場所での取材活動は自治会規約に反します。

 規約は守らないが、その自治会によって守られる報道の自由は主張する?

 権利には義務が、自由には責任がある。高校生にもなってその程度のことも理解出来ないとは笑止千万。

 規約違反により、全員を罰則拘束します!」

 忠告は無視された。そう判断した柊は、規約に則って彼ら彼女の排除に掛かる。

 二度目のチャンスを与えるほど甘くない彼の指示を受け、それまでは人の壁となってその行動を抑えていた英華高生たちが一斉に取り締まりを始める。

 その手際のよさに呆気にとられていた朔也子だが、細い背を柊の手が軽く叩く。

「サクヤ君、行こう」

「はい」

 慌てて応えた朔也子だったけれど、取り締まりに混乱する様子が気になって仕方がない。後ろ髪を引かれる思いで 「ご機嫌よう」 と言い置き騒ぎに背を向ける。

 そうして騒ぎは一応の終息を見るのだが、一部始終を遠目に見ている3人組がある。

「この騒ぎがあと何日か続けば、金村は確実に殺されるな」

 他人事を楽しむ東山ひがしやまはにやりと笑い、花園はなぞのも楽しそうに笑っている。

「奴1人死んでも中央区は有村ありむら、天宮、磯辺いそべの3席は確保出来る。新人を推薦してもいいが、他区に譲ってもいいんじゃないかな? 奴の1席くらい」

 そんな会話を交わす友人たちに3人目の人物、有村克也ありむらかつやは呆れ、言葉の代わりに大きな溜息を吐く。

「しかし派手だな、連中も。この勢いで校内に侵入してくるわけだ」

「ここ1週間で、不法侵入で身柄拘束されたのが8名」

 苦笑を浮かべる花園の返事に、東山は 「多いな」 と呆れる。報道関係各部はどこも総代選挙の特集を組む準備を進めており、英華高校にも桜花中から取材の申し込みが相次いでいる。

 もちろん彼ら彼女らの目的は会長代行の花園寿男はなぞのとしお、自治会執行部役員の有村克也ありむらかつやである。さすがに朔也子のように追いかけ回されたりはしないが、取材陣の本心を言えば追いかけ回したいはず。

 だが英華高校は松藤学園に次ぐ有力校でシンパも多い。所属高生徒会から圧力が掛かるのは目に見えている。それでも果敢に校内侵入に挑んだ不届き者が数名、校内を巡回していた風紀委員に身柄を拘束されている。

 身柄引き渡しの際には必ず相手高生徒会に厳罰を求めているが、これからはそんな不届き者も増えるに違いない。彼ら彼女らの標的ではないとはいえ、役員の1人である東山にも頭の痛い話である。

「風紀の巡回を増やして対応する。必要とあらば、相手高ではなくこちらで罰則を出すことも考えるよ」

「任せる。

 それにしてもっこいな、あの媛」

「隣にいるのが天宮だし、英華うちの連中も大柄なのを揃えたから余計にそう見えるんじゃないかな」

「そうか? あれ150ないだろ? 本当に高校生か?」

 朔也子の身長は148㎝。東山の見立てどうりである。

「卒業したばかりなんだから、まだ中学生と変わりなくても仕方ないだろう」

 それこそつい2週間ほど前に中学を卒業したばかりである。

 まして彼ら自身、身長180㎝以上あり、そんな長身が珍しくない中で生活しているのだから余計に朔也子が小さく見えるのだろう。

「それより、放送報道倫理委員会使って圧力掛けたほうがいいんじゃないのか? ありゃ、間違いなく怪我人が出るぞ」

 珍しく真面目な提案をする東山だが、間違っても自校の生徒を心配しているわけではない。なぜならばかすり傷程度ならともかく、あの程度の騒ぎで骨折などするようでは英華高生は務まらないからである。

「それが執行部の狙いかもね。

 ほら、いるだろ? そういうことをすると、すぐに横暴だとか文句を言う連中が」

 だから執行部もそれを嫌ったのではないかという花園に、東山もすぐに納得する。しかも総代選挙のあとに、自治会執行部役員選挙が控えているともなればなおさらだろう。

「だからって、今さら柔軟ソフト路線を狙ってもな」

 却ってらしくないと東山は有村を見上げるが、彼は無言のまま。代わって花園が応える。

「もちろん優しくしているうちにやめておけよってことなんだろうけど」

「調子に乗ると、あいつらみたいに酷い目に遭うわけだ。

 でも点数稼ぎに罪もない、なにも知らない新入生を生け贄にするのはどうかと思うね」

「藤林院寺朔也子については天宮に一任している。必要があれば天宮が対処する」

 ようやくのことで有村が口を開く。任命したのは竹田だが、この発言から察するに、有村も異存はないということらしい。

 東山より少しばかり背の低い有村だが、英華高校でも剣道部、柔道部に並ぶ強豪空手道部の部長を務める猛者。その袖に付けられた薄紅色の腕章には 「学園都市桜花生徒自治会執行部」 と書かれている。そして襟には校章、学年章と共に薄紅色をした桜の徽章が付けられている。

 もちろん2人の友人は、校名と校章の入った黄色い腕章である。

「天宮ね。どうにも食えない奴」

「食わなくてもいいよ、今回は味方だし」

「あいつさ、わかってて副代代行を克也と竹田に譲ったんだろ? 誰がどう見たって竹田は相応しくないんだ」

「竹田は、自他共に認める算盤だしね。

 今回は謙虚な姿勢と評価しておくが、優秀な奴ほど往々にして自分で墓穴を掘るもんだ。俺たちは良き先輩として、タイミング良くその穴に奴を落としてやればいい」

 3人の中では一番優しそうな顔をしている花園だが、実は一番性格が悪いのかもしれない。その片鱗の滲み出た発言に東山は呆れる。

「この二重人格ふたなり

「獅子は子を千尋の谷に落として鍛えるっていうじゃないか」

 楽しそうに笑う花園だが、東山はウンザリした表情をする。

「あれを今さら鍛えるっていうのか? あの性悪を?

 第一あいつ、英華高校うちの生徒じゃないし」

松葉まつばに突き落とされる方が酷い目に遭うんじゃないかと思ったけど、よくよく考えてみれば松葉と天宮じゃ、どっちもどっちだよな」

「狸と狐の化かし合い。腹が黒すぎて全然勝敗が読めねぇよ」

 東山はお手上げとばかりに両手を挙げてみせる。

「知ってるかい? 松葉って弟がいるの」

「知りたくもない」

 だからそれ以上余計なことを喋るなと言う東山は、話題を変えるように有村を見る。

「黒で思い出したけど、さっき珍しい黒の制服を見たぞ。見るのも久しぶりすぎて、学校名が出てこなかった」

 それぐらい久しぶりの制服を見たと東山は言う。

 82高もある学都桜花では、制服を見ても学校名がわからないなんてことは珍しくもないが、その学校はある一件のため桜花では超が付くほど有名である。新入生ならいざ知らず、在校生で知らない生徒はまずいないはず。それなのに校名が出てこないほど久しぶりにその制服を見たという東山に、花園が続く。

「しかもあの美人は見覚えがあるよ。前の会長の腹心だったんじゃないかな?」

 そこまでは気づかなかったらしい東山は表情を曇らせて口を噤むが、花園は気にすることなく有村に尋ねる。

「自治会は脱退届を保留にしたままのはず。しかも脱退を宣言したのは女学院のほうだ。向こうから進んで、それも予行演習リハーサルの日に自治会本部に来るとは思えないんだけど」

 しかし有村の平常心を崩すことは出来ず、花園と東山は勝手に話を進める。

「克也が教えてくれないなら、金村あたりをトイレに連れ込もうぜ」

「その方が簡単でいいね」

 しかし有村は素っ気ない。

「勝手にしろ」

 見事なまでにあっさりと後輩を見捨ててしまう。

「女学院が今回の総代選挙に絡んでくると、西区の連中はやりにくくなるだろうね」

 西区に同情してみせる花園だが、もちろんそんなものはうわべだけ。東山などはあからさまに吐き捨てる。

「自業自得だ、芳正館筋肉馬鹿どもめ。くたばりやがれってんだ」

竺学館じくがくかんのせいで東区も戦意が鈍るだろうな。徳間とくま女史あたりが火でも噴いて怒り狂いそうだが、こればかりはどうにもならない。

 このまま遺恨を残すか、あるいは共存をとるか。この瀬戸際で、執行部は総代選挙に布陣を敷いたわけだ」

自治会執行部おれたちは道を示すのみ。どの道を選ぶかは各々が決めることだ」

芳正館ほうせいかん然り、竺学館然り、女学院然り、英華高校おれたち然り。

 ま、それが本来の自治会のあり方だからね」

「ところで、府立松林しょうりんかじが来てるらしいな」

 不意に切り出す東山の話に、有村は眉間のしわを深くする。こればかりはかなり不快な話題らしい。

「招待校だ」

 学都桜花は私立校で構成されており、島内に3高ある府立高校は参加していない。

 だが特約が結ばれ、家庭の事情などで転居を余儀なくされる桜花島内府立校生に限って、希望すれば学都桜花付属学生寮への入寮が認められる。つまり転校しなくて済むわけである。

 逆に、住民票を他府県に置く学都桜花生でも、桜花島内私立校からの転入に限って府立高への編入試験受験資格を得られる。もちろん合格すれば編入出来、そのまま学生寮にも残れる仕組みである。

 これはあくまでも、学都桜花は生徒のために創られた都市まちであり、家庭の事情などでその権利が阻害されないよう考えられた桜花理事会の配慮である。

 府立松林しょうりん高等学校新2年生の梶紀夫もその1人で、父親の転勤で家族は北海道へ転居。彼だけが桜花島に残り、現在は中央区にある学都桜花付属第1つくし男子寮で生活している。

 だが府立3高のあいだに交流はほとんどなく、当然のように桜花自治会とも交流はない。桜花自治会からは事あるごとに3高を招待しているのだが、これまで色よい返事をもらえた例しはない。今年の入都式に府立松林高校生徒会が出席の返事を出したのは、おそらく生徒会会長でもある梶の独断だろう。もちろん自分の趣味のためである。

 ただ来賓席に座って見ているだけなんて他の役員には退屈この上ない話だが、梶という会長を選んだ彼らの失策。付き合う義務がある。

 自治会にしても、これまでの慣例に従って招待状を送ったに過ぎず、よもや出席の返事が来るとは思ってもみなかった話。それもよりによって梶紀夫率いる府立松林高校が。有村の眉間のしわが深くなるのも無理はないだろう。

「今、風紀が全力で奴の居所を探している」

 話しているあいだにも深くなって行く有村の眉間のしわに、東山は呆れる。

「目ぇ離すなよ、風紀委員会アホどもめ! この忙しい時に、自分たちで仕事増やしてりゃ世話ないぜ」

 能なしとまで罵る東山は、ゆっくりと腰を上げる。

「そろそろ俺たちも行こうぜ。取材陣マスコミに見つかるとウザい」

 そう言って歩き出すのに、花園と有村が続く。

「俺たちも気をつけておくよ。見つけたら風紀に通報すればいいんだな?」

 花園が言うと、東山が意見する。

「そのまま放り出した方が早くないか?」

 その方が余計な手間が省け、かつ確実だという東山だが、さすがに招待してそれはないだろうと花園は苦笑を浮かべる。

 ところが有村にはよほど不快な話題だったらしく 「好きにしろ」 と言い放った。

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