act.7 『密告者』

 桜花中央区のほぼ中央、桜花中央公園のほど近くにあるゴシック調の校門。右手に運動部が活動する広いグラウンドを見ながら進むと、ほどなく赤煉瓦造りの瀟洒な校舎に突き当たる。

 両側に赤と黄色の花が咲くプランターの置かれた正面玄関を入ると、右の壁には作り付けの靴箱があり、左手には外来者の受付窓口がある。そして正面の、大理石の壁には藤をモチーフにした校章が刻まれている。

 学園都市桜花の創始者、藤林院寺太郎坊法康とうりんいんじたろうぼうのりやすを創立者に持つ私立松藤学園高等学校の本校舎である。

 標準的な丈のブレザーは落ち着いたブルーグレーだが、ボタンが1つしかないのが特徴で、袖口や襟などに紺色の縁取りがある。下に着た白いカッターシャツは学校指定のもので、やはり袖口や襟に藤色の縁取りがあり、藤色のネクタイを襟元に結ぶ。

 ブレザーの胸ポケットにされた刺繍は大理石に刻まれた校章と同じ物で、一般生徒の襟には学年章が1つあるだけ。そして裾に折り返しのある茶系チェックのズボン。私立松藤学園高等学校創立以来の男子生徒の制服である。

 お隣さんといえる英華高校に書状を届けた荒冷稔あられみのるは、徒歩で戻ったところ、本校舎正面玄関前で他校の女子生徒とすれ違う。

 白いブラウスに茶色いカーディガン。ひだの細かいプリーツスカートはあまり制服らしくないが、カーディガンの左胸に校章の刺繍がされている。

 荒冷記憶にもある制服で、すぐに学校名が浮かんできた。少し前から気づいていた荒冷と違い、なにか考え事をしていたらしい女子生徒はすれ違う直前になって荒冷に気づいたらしく、軽く会釈する荒冷に慌てて会釈を返す。

「お帰りなさい、先輩」

 その女子生徒の対応をしていたらしい後輩の五百蔵いおくらが、正面玄関を入った荒冷を出迎える。

 私立松藤学園高等学校新弐年生、五百蔵光彦いおくらみつひこ。175㎝ほどある荒冷より少し低いくらいだから、身長は170㎝前後だろう。物静かな感じの少年だが、口はあまりよろしくない。

 普段、生徒は生徒用の下足室を使っているのだが、年度が切り替わる春休みは清掃や補修のために閉鎖されており、生徒会役員は来客用に借りている正面玄関の靴箱を使用。荒冷は靴を履き替えながら五百蔵に尋ねる。

「今の、榎木戸えのきどだろ?」

 それは人の名前ではない。正しくは私立榎木戸学院高等学校という校名である。

「ええ、生徒会の一条いちじょうさんです」

 特に気に掛かるわけではない風に尋ねる荒冷に、五百蔵もなんでもないことのように答える。

「普通科の生徒か」

「だと思いますよ。会長代行のお遣いです」

 脱いだ靴を靴箱にしまった荒冷は体を起こしつつチラリと振り返るが、すでに一条の姿は見えない。

「先輩の好みですか?」

 澄ました顔で冷やかす五百蔵に、荒冷は 「阿呆」 と返しつつ質問を重ねる。

「わざわざなんの用だ?」

 荒冷が 「わざわざ」 と表現したように、私立榎木戸学院は松藤学園と同じ桜花中央区にあるが、決して隣といえるような距離ではない。おそらく一条はバスに乗ってきたはず。その程度には離れたところにある。

 まして榎木戸学院が前総代・高子の支配下にあることは有名であり、両校の関係も決して良好とはいえない。そのためだろう、五百蔵の対応も素っ気ない。

「佐藤会長代行の伝言を伝えに来ただけです。

 他にもなにか言いたそうでしたけど」

 なにか言いたそうにしていたことに気づいてはいても、気づかないふりをしてやり過ごした。聞く耳など皆目持つ気にはならなかったらしい。

「松葉に取り次がなかったのか?」

「必要ないでしょう。榎木戸に関わるとろくなことになりません」

 おそらく後者が五百蔵の本音だろう。そう思った荒冷は 「ずいぶん保守的だな」 とからかい、思わぬ反撃を受けることになる。

「荒冷先輩、お言葉ですが大事の前です。慎重に慎重を期してなお足りないくらいの時期だというのに、放っておくと松葉先輩も荒冷先輩も、すぐに悪戯心を起こして脱線して困ります」

「俺も同罪?」

 思わぬ後輩、五百蔵の反撃に、荒冷は心外だと訴えるが、五百蔵は 「同罪です」 と冷ややかに返し、先に階段を上り始める。

 本館2階、丁度正面玄関の真上あたりにある教室が松藤学園生徒会執務室になっている。2階に着いた五百蔵はノックもせず執務室の戸を開ける。

「ただいま戻りました」

 そう報告すると 「ご苦労様」 と穏やかに労う声がある。窓辺に立って外を眺めていた男子生徒は、五百蔵に続く荒冷を見て 「お帰り」 と。

文化文藝ぶんかぶんげいの会長代行は帰ったのか?」

 榎木戸学院と同じく、桜花中央区にある私立文化文藝高等学校。その会長代行の表敬訪問は1週間ほど前からの約束で、荒冷が親書を届けに出掛ける前に先方の訪問があった。

「結構長尻だったよ」

 どんな会話が交わされたのか、不在だった荒冷にはわからないが、なんとなく松葉の苦笑で察する。

「ご機嫌伺いに名を借りた腹の探り合いか。どいつもこいつもよくやるよ、どんだけ腹黒いんだか」

 荒冷は部屋の中央、対面するように置かれた机の1つに着く。その斜め向かいの席にすわった五百蔵は、机の上で閉じられたいたノートパソコンを開く。

「いよいよ新学期が始まるからな。みんな不安なんだろう」

「それで榎木戸はなんの用だったんだ?」

 改めて尋ねる荒冷に、パソコンのキーを叩く五百蔵は少しばかり面倒臭そうに 「そうでした」 と応える。

「会長代行に訊きたいことがあるから、榎木戸まで来て欲しい。都合のいい日は何時いつか? という用件でした。

 なにを訊きたいか確認しましたが、それはわからないそうです」

 一度切れる五百蔵の報告に、荒冷は 「で?」 と先をせっつくように促す。

「用があるならあちらからで向くのが筋です。面会の予約を勧めておきました」

「榎木戸となんの話だよ?」

「ですから存じません。松藤の会長代行を呼び出そうなんて、図に乗りすぎです」

 相手が榎木戸学院ということも気に入らないのだろうが、一番五百蔵の気に障ったのはその点らしい。荒冷はにやりと笑う。

「裏央都・松藤を相手にずいぶん大きく出たものだな、榎木戸も」

 するとそれまで会話に参加していなかった3人目の男子生徒、松葉がいう。

「所詮は虎の威を借る狐だが、榎木戸はそんなことにも気づいていないと見える。なにかお仕置きでも考えた方がいいかな?」

 私立松藤学園高等学校新参年生・松葉晴美まつばはるみは、女名だが性別はどこからどう見ても男。身長に至っては180㎝くらいある。現在、卒業した桑園真寿見くわそのますみ前会長の代行として、同高生徒会の全権を掌握する人物である。

「考えるのは結構ですが、度の過ぎたおふざけは慎んで下さい」

「五百蔵はご機嫌斜めのようだが、どうかしたのか?」

「どうもしません」

 少しばかり強く返される五百蔵の言葉に、2人の新参年生は顔を見合わせ、互いに苦笑を浮かべる。

「そうそう! 入都式のプログラム、見たか?」

 不意に話題を変える松葉に、五百蔵はなんでもないことのように 「見ました」 と答えるが、荒冷はやや投げ遣りに答える・

「見たよ、府立松林しょうりんだろ?」

 それを聞いて、五百蔵もすぐに記憶をたぐり寄せる。

「確か招待校ですね?」

 だが彼はそれがどういう意味なのかよくわかっていない。わかっている新参年生の2人はそれぞれに反応を見せる。

「なんで府立が来るんだよ? それもよりによって松林」

「他だったらいいのか?」

 ふて腐れる荒冷に対し、松葉はそんな彼の反応を楽しんでいるかのよう。そのためにわざわざ話題を振ったのではないかとさえ思えるほど。

「他だったらいいね、どっちでも」

「でも多分、他の2校は応じないだろうな」

「松葉先輩は、府立松林だから応じたと言うんですか?」

 2人の先輩の話がわからず尋ねる五百蔵に、松葉は 「ああ」 と明快に答える。その意見には荒冷も異存はないらしい。

「だって、そこはなぁ……」

 なにか言い掛ける荒冷だったが、その語尾は溜息に消える。

 私立高校で構成される学園都市桜花だが、桜花島内には3校だけ公立高校がある。その1校が府立松林高等学校だが、あくまで学都桜花には属さない。府の教育委員会が、学都の創始理念とその教育方針をよしとしないためである。

 だが府立高生でも、条件さえ満たせば学都付属学生寮への入寮を認めるなどの特別な約束が交わされており、全く交流がないというわけでもない。桜花自治会にいたっては、学都桜花行事に府立高を招待するなど積極的に生徒同士の交流を図ろうとしてきたが、これまでに色よい返事があった例しはなくその努力は報われずにきた。今回府立松林高校が招待を受けたのは、桜花自治会創立以来初めてのことである。

「自治会の招待なんて社交辞令みたいなものなんだが」

 苦笑交じりに松葉が言うと、荒冷は口を尖らせて返す。

「でも来るって言ってるんだろ、府立松林は」

「出席って返事が来た以上、招待した側から断るわけにはいかないだろ?」

「そりゃそうだけど、府立松林ってあいつだろ?」

 露骨に嫌悪感を顕わにする荒冷に、松葉は声を上げて笑う。

「盗聴魔・梶紀夫かじのりお

 その名は五百蔵も知っている。桜花自治会本部風紀委員会の要注意人物簿ビンゴブックに名を連ねる最上級トップクラスの問題児で、自治会全高に指名手配されているほど。彼が特定の場所に現れると、必ず風紀委員会に通報されるなど自治会から毛嫌いされている人物である。

「ですが出席するのは生徒会役員だけでしょう? 一般生徒は関係ないと思いますけど?」

 それこそ荒冷の心配は杞憂ではないかと五百蔵は平然としているが、それは彼が知らないだけ。頭痛を堪えるように額を押さえて深く息を吐く荒冷に代わり、松葉が、それはそれは楽しそうに話す。

「五百蔵は府立松林の生徒会長を知らないんだな」

「さすがに名前までは……」

 戸惑い気味に答える。この1年、松藤学園生徒会で情報収集を担当していた彼だが、膨大な情報を確実に管理するため、自治会に参加しない府立高校はカバーしていなかったらしい。

 荒冷は先程の意趣返しとばかりに告げる。

「梶紀夫」

「盗聴魔・梶紀夫が生徒会長ですか?」

 告げられた府立松林高等学校生徒会会長の名に、五百蔵は驚きを隠せず、無意識に声を高くする。

「そう、その梶紀夫。あいつ、お前と同級だっけ?」

 後輩の反応を楽しむように松葉は笑いながら応える。

「1年で生徒会長ですか?」

 1年生で生徒会長に就任するなど、学都桜花では絶対にあり得ないこと。だから五百蔵は、盗聴魔の異名を持つ梶が会長であることと同じくらい驚くけれど、荒冷は溜息交じりに 「府立なんてそんなもんだよ」 と。

「生徒会顧問団っていう先生たちがいてさ、全部決めてくれるわけ」

「決めるといっても、毎年やることは全く同じだが」

 荒冷の話を捕捉する松葉は、せいぜい日程をカレンダーに合わせて変更する程度だという。

「で、生徒会役員は先生たちが決めたことを言われたとおりにするだけ」

「それって、中学生と変わらないじゃないですか」

 自治会でいえば、執行部の決定を実行する本部実行委員会の役割である。但し自治会は執行部も本部実行委員も、全員が同じ高校生。そしてこの組織を創り出したのも同じ高校生である。

「だから府教委は、桜花内にある府立3高が学都に参加することをよしとしない」

 荒冷のつける結論に五百蔵は納得したように大きく頷く。

「つまり桜花の教育方針とは真逆なんですね」

 生徒の自主性を重んじるのが学都桜花だが、府教委は生徒を管理したいらしい。明らかに双方の教育方針は異なっている。

 そしてこの両者の間に割って入るのが、藤林院とうりんいんという権門であり、この島の所有者である。そもそも project method は藤林院が行う多くの事業の1つ、教育関連事業の一環なのである。

「梶がなにを考えて招待状の出席に丸をつけたかは知らないけど、いい迷惑だ」

「社交辞令とはいえ招待は自治会の名前でしているのですから、執行部でなんとかしてくれるんじゃないですか?」

 そうでなければ困るという五百蔵に、荒冷は 「甘いな、お前」 と苦笑する。その後を松葉が受ける。

接待役コンパニオンとかいって風紀を監視につけるだろうが、盗み聞きをされるのは各校生徒会俺たちだ。執行部が気にするとは思えない」

 いつも多忙を極める自治会執行部役員。その周囲には警護だけでなく常に各種委員会の役員たちがついて回り、部外者どころか各校生徒会会長ですら約束なしには近づけない状態である。

 それこそ執行部は府立松林高校からの出席の返事を知らないかもしれないし、知らなくても風紀委員会が絶対になんとかする。なにしろ総代選挙を控えたこの状況下での失策は、風紀委員会の首を絞めかねないのだから。つまり風紀委員会が監視下に置いた梶を執行部役員に近づけるなど、絶対に許すはずがない。となると梶の食指が狙う相手は決まってくる。

「災厄対処は各校任せですか」

 なんとも無責任な話だと五百蔵は溜息を吐きながら、止まっていた手でパソコンのキーをたたき出すが、ほどなく再び止まる。そのことに気づいた松葉が声を掛ける。

「何かあったのか?」

「その忙しいはずの執行部のことですが、天宮あまみやは昨日、外泊だったようですね」

「なんだ、その情報は? あいつのコアな追っかけか?」

 荒冷は冷やかしと皮肉を込めて問う。

 桜花自治会執行部旧年度役員の1人である、私立松藤学園高等学校新弐年生の天宮柊あまみやひいらぎ。去年の新入生代表として入都式の舞台に立って以来、その優秀な頭脳に加え、端麗な容姿から校内外でも人気が高い。学年こと違う荒冷と松葉だが、当然直接面識もあり話したこともあるが、その胡散臭い作り笑いがどうにも信用出来ず好きになれない。

「執行部の追っかけ掲示板みたいなところですけど、まず間違いないでしょう。行き先は不明ですが、書き込みの中には同寮もいるようで、ちゃんと外泊届けは出ているそうです」

「そりゃそうだろ。無断外泊なんてした日には……」

 言い掛けた荒冷だったが、なにかを思いだしてにやりと笑う。

「出来ないだろ? 天宮って確か、第五卯木うつぎじゃん」

「英華の花園さんとか、自治会の有村さんもおられるところでしたね」

「男子寮最悪の魔窟。そんなところで無断外泊なんてした日には、どんなお仕置きされるか……」

 わかったものではないと、荒冷は首をすくめてみせる。

「そういえば天宮の同室って藤真ふじまでしたよね? 無断外泊なんて、許すはずないか」

 荒冷と話しながらも忙しくキーを叩いたりマウスをクリックしていた五百蔵だったが、不意にその手が、目と共に止まる。窓辺に立ったままの松葉がそれに気づき 「どうした?」 と声を掛ける。

「あ、はい。その第5卯木うつぎでちょっとした騒ぎがあったようです。内々に処理されたようですが、空き巣騒ぎ……ってことでしょうか。これは?」

 どう表現していいのか迷う五百蔵。その穏やかならざる話が気になったらしく、松葉も窓辺を離れ、五百蔵の後ろに立ってモニターをのぞき込む。遅れて席を立った荒冷も、部屋の中央に置かれた机の塊を回り込み、同じように腰を屈めてモニターをのぞき込む。

「……天宮と藤真の部屋が荒らされた? どこの痴女の仕業だ?」

 またまた冷やかし半分に皮肉る荒冷だが、五百蔵はやや呆れたように言い返す。

「ただの痴女ならいいですけどね。

 これって黒薔薇派の仕業じゃないんですか?」

「それぐらいわかってる!」

 やや語気を強めた荒冷は五百蔵の頭に握った拳を落とす。

「とはいえなにが目的だ?

 まさか総代選挙に向けて天宮の弱味でも探そうなんて、頭の悪いこと考えてるわけじゃないだろうな?」 

 どう考えてもリスクのほうが高いという荒冷は、屈めていた腰を伸ばして腕を組む。

「確かに。部屋を荒らしたぐらいであの天宮の弱味が掴めるわけがない」

 それこそそんな簡単に天宮柊の弱味が掴めるのなら、とっくに自分がやっていると松葉は冗談めかして言う。

「パンツでも盗んでオークションに出すか?」

 またまた茶化す荒冷だったが、これはやぶ蛇であった。思い出したように五百蔵が言う。

「荒冷先輩、期末考査テストあたりで消しゴムなくしませんでしたか?」

「テスト中になくなったよ!」

 落としたのは覚えているのだが、試験監督に拾ってもらおうと思って周囲を探したが見つからなかったのである。おかげでそこから間違えることが出来なくなり、ひどく苦労したとぼやくのを聞いて松葉も五百蔵も呆れる。

「先輩、ご存じないんですか?」

 なにが? という顔を向ける荒冷に、隣りに立つ松葉が後を受ける。

「試験監督は予備の鉛筆と消しゴムを持っていて、言えば貸してもらえる」

 本当に知らなかったらしい。瞬時に変わった荒冷の表情が事実を物語る。そんな荒冷を無視するように、松葉は五百蔵に尋ねる。

「で、なくなった荒冷の消しゴムがオークションに出ていたとでも?」

「出ていました。

 ちなみに今回は俺の仕業ではありません」

 クラスどころか学年も違う五百蔵には、わざわざ盗みに行くのは難しい。まして通常授業期間中ならともかく、ほとんどの生徒が教室にいたままでいることの多い考査期間中となるとまず不可能だろう。

 だが前科があることを自覚しているのか、五百蔵は自ら潔白を口にする。

「いくらで落札されたんだ?」

「1200円ですね」

「使いかけの消しゴムとしてはまぁまぁな値段かな?」

「そんな物を落札する奴の気が知れませんね。これで落札者が男だったら末代までの語りぐさですよ」

「気持ち悪いから止めてくれ」

 言って松葉は隣の荒冷を横目に見る。

「値段云々っていうか、違反行為だろっ? 俺、その出品者に消しゴム譲ってないし!」

 明らかな窃盗行為だという荒冷に、五百蔵は 「跡で風紀委員会から被害届もらってきますから、書いて下さい」 と冷ややかに言う。消しゴム1つで……と普通なら思うところだが、この出品者は荒冷の私物を勝手にオークションに出して利益を得ている。明らかな違反行為であり、手数料を考えても1000円前後の小遣いを得ており、味をしめれば再犯も有り得る。今回きちんと処罰しておくべきだろうともいわれ、荒冷は 「自分で取りに行く」 お情けなさそうに肩を落とす。

「ちなみに前に出品した桑園先輩の髪ですけど、上限の1万円で落札されました」

 同額1位の落札者が複数いたが、一番最初に1万円を提示した人物に落札されたという。大方の予想通り、その落札者から譲ってもらおうというのか、自治会のオークション運営委員会には落札者の問い合わせが相次いだという。

「俺の消しゴムは桑園先輩の髪に負けたってか」

「負けてよかったじゃないか」

 落胆する同級生を慰めるように、松葉はその肩を軽く叩く。

「まぁ勝ってもあれだしな、あの人には」

 そう言って荒冷が気を取り戻すのを待って、松葉も、大幅に脱線した話を本題へと戻す。

 余談だが、パンツなど下着類は出品出来ない規定になっている。

「五百蔵、この件は情報収集を継続。

 但し松藤生徒会おれたちが興味を示していることを、外部に悟られるな」

 冗談めかしたまま言う松葉に、五百蔵は 「そんなヘマはしません」 と生意気を言う。

「それで肝心の天宮はどこに行ったんだ?」

 私立松藤学園高等学校新弐年生、天宮柊。届けを出しているとはいえ、どこに行ったのかやはり気になるという荒冷。

 すでに同室の藤真貴勇ふじまたかいさおから、空き巣被害について連絡がいっているはずだからすぐにでも戻ってきてもおかしくはないが、未だ彼の帰島の報は入っていないと五百蔵は言う。

「島を出ているはずだから、今頃はラッシュの中だな」

 松葉は楽しそうに笑いながら言う。すでに2年を桜花で過ごしている新参年生の彼には、この程度のことはわざわざ連絡橋を見に行かなくても予想が付くというもの。ついでに行き先にも心当たりがありそうなので荒冷が訊いてみる。

「京都まで、媛君のお迎えに行ってるんだろ?」

「媛君って、藤家の? なんで天宮が?」

 率直に尋ねる荒冷に、松葉はなんでもないことのように答える。

「あいつさ、藤家となにか関係があるんだろ? 前総代を下の名前で呼び捨てにしていたのは有名じゃないか。

 それに松前まつまえの理事をしておられるお祖父さんと、うちの理事長は古い友人だって話だし」

 松前学院は松藤学園と同じ桜花中央区にあり、学都桜花最古参校の1つ。その理事長の名前が天宮葵茜あまみやきせん。天宮柊の祖父である。

 そしてこの私立松藤学園高等学校、及び南区にある私立松藤学園涉成しょうせい高等学校の理事長は藤林院寺善三郎とうりんいんじぜんざぶろう。藤家と天宮、この両家のあいだには親密な関係があると一部で噂されているが、もちろん一部の噂である。この情報自体知りうる立場にいる人間は限られており、松藤学園生徒会は知りうる立場にある。故に 「裏央都うらおうと」 と呼ばれる。

「お家同士のことには関わりたくないね」

 言って手をヒラヒラさせながら自分の席に戻りかける荒冷だが、荒冷と松葉、どちらにともなく掛けられる五百蔵の言葉に動きを止める。

「それともう1つ、不審な情報が寄せられています」

 言ってキーボードを叩く手を止めた五百蔵は、やや早口にモニターに映し出される文面を2人の先輩に伝える。

「これは……裏は取れていないのですが、本日午前、我が校の制服を着た女子生徒が西区の紅梅こうばい女学院を訪問、とのことです」

 先程の情報もそうだが、メールで寄せられたものを五百蔵がHPなどの書き込みを見て裏付けをとっているのだが、この情報についてはどこにも書き込みがされていないらしく、検索をかけてもヒットしないという。

 すぐさま表情を変えた荒冷は、再び五百蔵の肩越しにモニターをのぞき込む。その横で腕組みする松葉は 「やれやれ」 と余裕を見せ、先を促すように声を掛ける。

「情報はそれだけか?」

「目的は不明ですが、門前で大立ち回りをやらかしたようです。怪我人なども不明ですが、添付された写真で女子生徒は特定出来ます。弐年の新宮にいみやさんです」

 モニターをのぞき込んでいた荒冷は目を細めてその画像を確認するが、解像度の荒い写真は、被写体との距離が離れていることもあって判然としない。

「お前、これでよくわかるな」

「同級生ですから。それに新宮さんは背が高くて、結構美人で有名ですし」

 本当に結構な美人なので学年の違う荒冷でも顔や名前は知っているが、どう見ても送信されてきた写真では判別出来ない。これで五百蔵がわかるのは、本当に同級生だからだろうか。

「弐年の新宮といえば本部実行委員か」

 独り言のように呟く松葉に、腰を屈めてモニターをのぞき込んだままの荒冷は応える。

「腕章はちゃんと付けてるみたいだが、こういうことに松藤うちの生徒を使うなよ、執行部め。絶対他校よそから誤解されるって」

「わざとやってるんじゃないですか? 松藤うちに対する嫌がらせ。あの執行部なら考えそうです。

 それに新宮さんって、天宮の親戚ですから」

 どこか人を寄せ付けない冷ややかな雰囲気などそっくりだと五百蔵は言うが、どういう親戚なのかは知らないらしい。

「新宮さんを呼び出して目的をただしますか?」

 それこそ今からでもという五百蔵のお伺いに、松葉は思案する。

「……うん、どうかな? 呼び出したところで、目的を知っていると思うか?」

 暗に思えないと、その表情や口調が語っている。つまり新宮左近にいみやさこんを呼び出したところで、松藤学園生徒会が得る情報はほとんどない。逆に松藤学園がこの情報を得ているという事実を自治会側に知られてしまう。これはどう考えても割に合わないだろう。

 おまけに自治会本部実行委員として仕事をしている最中なら、相手が在籍校の生徒会とはいえ、彼女は呼び出しに応じないだろうとも松葉は言う。それには荒冷も同意する。

「自治会は人材に不自由はしていないが、今は人手不足だ。シフトでお勤めが入っているなら、優先権は自治会むこうにある。

 入っていなくても都合よく断る理由に使ってきそうだし、所詮使いっ走りは使いっ走りだ」

 つい少し前、お隣の英華高校を訪問した際、その言葉を使って花園や東山の追及を逃れてきたばかりの荒冷である。

「だが執行部の目的は気になる。情報戦では松藤学園うちに負けるのを読んで、別の手で出し抜こうって腹かもしれん」

「考えられることは幾つもあるが、自治会復帰を餌に、女学院に取り引きを持ちかけたんじゃないかっていうのが俺の中では最有力なんだが?」

 自分の考えに対して意見を求める松葉に、荒冷は 「取引?」 と怪訝な顔をする。

「そう。あくまでも俺の推測だが、執行部は総代選挙を前に例の失策がある。つまりあまり余裕がない。

 そこで女学院に自治会復帰を促すというもっともらしい理由を付けて近づき、利用しようって腹じゃないか? 女学院としても、いつまでも現状のままでいいとは思っていないだろう」

 モニターを見ていた五百蔵は黙って2人の上級生の話を聞いていたが、ここでようやく自分の意見を述べる。

「利用なんて、それこそ女学院を怒らせるだけではありませんか? そうなれば自治会復帰の可能性は完全になくなります。

 それとも執行部は、完全に女学院を脱退させることで懸案を解決しようと考えているのでしょうか?」

 もし自治会が本気でそんなことを考えているとしたら、ひどく乱暴だともいう五百蔵に、松葉は困ったような顔をする。

「それはどうだろうな? 多分執行部も女学院も、完全な自治会の脱退は考えていないと思う。元々脱退届の保留を提案したのは執行部で、それを代表議会ペンタグラムが支持して前総代を黙らせた。その邪魔者がいなくなった今、女学院を自治会に復帰させれば西区に大きな貸しを作れる」

「確かに仰るとおりです。女学院の件は、半年以上保留になっている自治会最大の懸案です。これを無事解決出来れば、執行部はこれまでの汚名をいくらか返上出来ます」

「もちろんそれだけじゃない」

 笑顔で言う松葉。その腹の中にある推測に、先に気づいたのは同じ新参年生の荒冷である。

「執行部役員選挙か。今のメンバーは中央区が松藤うちの天宮、磯辺、英華の有村、松前の金村。東区が瑞光ずいこうの柴、北区が星風せいふう一高の竹田、南区と西区は不在。

 女学院の件で西区の顔を潰し、少しでも次の役員選挙を有利に進めようって魂胆か。相変わらずやり方が汚い奴らだな」

「用意周到というべきだね。

 席は2つ空いている。そこに入る分には問題ないんだろうけどな」

「ですが荒冷先輩のお考え通りなら、南区にもなんら手を打つ必要がありませんか?」

 すでになんらかの手を打っている可能性を疑う五百蔵だが、2人の上級生は 「必要ない」 と声と意見を一致させる。

「南区は代表議会ペンタグラムすら招集出来ない状態だ。それも自分たちの失策が原因で。総代選挙はもちろん、執行部役員選挙にすら候補をまともに擁立出来るかどうか」

 今の桜花南区に有力な候補者がいたとしても、地区を統一して選挙運動を展開するのは難しいという荒冷に、松葉も 「そうだな」 と同意する。

山家やまがあたりが頑張っているようだが、星風せいふう二高は一高と違って今ひとつ。逢坂おうさかの暴挙を止めるのは難しいだろう」

 現在の代表議会南区は南都なんとと呼ばれる代表校を私立逢坂高等学校が務め、副都と呼ばれる副代表を私立星風学院第二高等学校と私立山家高等学校が務める。

 だが南都の逢坂高校が問題を起こして自治会から代表権停止処分を受けており、自治会内での立場もひどく弱い。

 以前、大評議会で暴走する前総代・高子たかいこと真っ向から対立した北都ほくと光葉舎こうようしゃと副都の朋坂ともさか高校。だがこの時、両校の会長代行として出席していた島根千鳥しまねちどり秋島都波あきしまつなみは、唯一会長が卒業しない副都の星風一高生徒会会長の美作良みまさかりょうが共に戦うことを許さなかった。細かい状況がわからない代行では、旧年度の体制のまま迎える新学期を乗り切られないと踏んだ2人……主に島根……の考えによる判断である。

 だがもとより代表と副代表とでは発言力などに差があり、副都2校では代表の代わりなど到底務まらない。それを思えばあの時の美作の苦衷はいかばかりのものであっただろう。

 そしてだからこそ荒冷ははっきりと 「問題外」 とまで言い切る。その手厳しさに苦笑を浮かべる松葉は、改めてモニターに拡大された写真をのぞき込む。そして 「ところで」 と切り出す。

「この写真、気にならないか?」

 その言葉に促されるように、荒冷と五百蔵も改めてモニターを見る。だがその言わんとしていることがわからず、不思議そうな表情を見合わせる。

「防犯カメラの映像じゃないか?」

 再びかけられる松葉の言葉に、荒冷と五百蔵はすぐさまハッとし、改めてモニターを見る。先に口を開くのは荒冷である。

「女学院からの情報?」

「どうして女学院が?」

 匿名で送信されてきたメールは、紅梅女学院に自治会の使者が訪れたことを報せる内容だが、その目的は明かされていない。

 メールアドレスは自治会から発行されるものではなく、桜花とは関係ない一般で取得出来るアカウント。おそらく使い捨てとして取得した、捨てアカと呼ばれるものだろう。松葉のように添付ファイルの画像を疑わなければ送信者の素性はもちろん、その意図も疑うこともなかったに違いない。

 なにを意図して紅梅女学院は松藤学園に情報をもたらしたのか? 3人の生徒会役員は思案する。

「女学院は、執行部が持ちかけた取り引きがお気に召さなかったとか?」

 荒冷は少し茶化すように、それでいて皮肉な意見を言う。どうやら彼は、執行部が使者として自校の生徒を使ったことがどうしても許せないらしい。

「脱退保留とはいえ、松藤うちに義理立てしているとか?」

 さり気なく松藤学園の特殊な立場を口にする五百蔵に、松葉は 「それはどうだろう?」 と苦笑い。もちろん2人の意見も可能性としてはありだが、松葉は 「保険」 ではないかと考える。

「つまり女学院は執行部を信用してないってことか?」

「現状を招いた経緯を考えれば、そう易々と信用は出来ないだろうな」

 少なくとも自分なら保険の2つや3つは掛けておくという松葉に、荒冷は 「まぁそうだが……」 と言葉に詰まるが、五百蔵は言う。

秋梅の変しゅうばいのへんに関しては、確かに前総代の暴走を止められなかった執行部にも責任はありますが、代表議会ペンタグラムにも諮らず脱退を強行しようとした女学院にも責任があると思います」

 その意見に荒冷は 「お前も厳しいな」 と苦笑いをする。

「だが最終的に、執行部が動いて一応の収束を見たわけだろ?」

「それも一部で憶測が流れていますよね? あの騒動の最中、どうして前総代が現場を離れたのか? 紅梅女学院の近くに黒い高級車が停まっていたとか。

 もちろん総長ご自身が様子を見に来られたとは思いませんけど、でも総長がタイミングよく前総代を呼び出して下さったから現場の指揮に空白の時間が出来た。執行部はそれを知っていたかのように代表議会ペンタグラムを招集していました。これって全部、誰かが手はずを整えたんじゃないんですか?」

 興奮を抑えるように、でも抑えきられず早口になる五百蔵の意見を2人の新参年生は黙って聞いていたが、最後の問い掛けがされると、相談するように顔を見合わせる。そして松葉が答える。

「可能性は幾つもあるが、総長を動かせる人間はしれている。旧年度には総代の他にも藤家の人間はいたしな」

「ですが藤原さんは……」

 旧年度自治会執行部副総代を務めた藤原明ふじわらあきらが藤家の一員であることは、当時、桜花中が知っていたこと。だが彼は理事会連合の総長である藤林院寺善三郎とうりんいんじぜんざぶろうの孫ではない。

 名が示すとおり善三郎は先々代当主の三男で、2人いる兄のどちらかが藤原明の祖父だという。果たして善三郎と藤原明は、直通回線ホットラインで結ばれるほど親しかっただろうか? そのことを指摘しようとする五百蔵だが、言葉半ば、松葉は自分の閉じた唇に1本指を立ててみせる。それを見て言葉を切らせる五百蔵に、松葉は言う。

 昨年の秋、桜花中を揺るがした大事件 「秋梅の変しゅうばいのへん」。現在も桜花自治会最大の懸案として残るこの事件の収束に、暗躍した人物がいたのではないか? そう問い掛ける五百蔵に、松葉は笑って答える。

「その真相は、遠からずわかるんじゃないかな? なにしろご当人がいらっしゃるんだ。

 もちろん当面は観察だから、勝手に接触するんじゃないぞ」

 五百蔵を牽制しつつも、自分が勝手をするんじゃないかと松葉を疑う荒冷は小さく息を吐く。

「話を戻すが、保険ってのは?」

「執行部が女学院に自治会復帰を持ちかけたとして、実際に復帰するのは総代選挙のあとだ。なにしろ前総代の兵隊が立候補を表明している。奴が当選するなら、今度こそ女学院は完全に自治会に見切りを付ける。

 つまり総代選挙を前に復帰を表明するのは賢いやり方じゃない。あの執行部のことだからかなりの勝算あってのことだろうけど、なにが起こるのかわからないのが桜花だ。万が一にも失敗すれば自分たちの首が絞まる」

「つまり松藤学園おれたちを利用しようってのか、女学院は」

 面白くないと言わんばかりの荒冷だが、松葉は平然としたものである。

「可能性は可能性だ。状況の推移を見極めてから断を下すとしよう。

 五百蔵、とりあえず情報提供者にはお礼の返信を。礼節は守らなくてはな」

 くれぐれも情報提供者の素性には触れないように……なんて念を押したりはしない。押さずとも五百蔵も心得ている。事務的に返信メールを打ち始めるのを見て、松葉は窓辺に戻る。

「執行部がどういう取り引きを持ちかけたか? わからない以上、どんな形で女学院が関わってくるかも不明だ。

 だがこの状況で女学院が表舞台に戻ってきたらどうなるか?」

「間違いなく西区は混乱する」

 松葉の問い掛けに、荒冷は少し慎重に答える。

「そう、混乱する。おそらく西区だけでなく、少なからず桜花中が困惑するだろうな」

「まさかと思うが、媛から報道連中マスコミの目をそらせるのが目的?」

「注目の的を複数用意すれば、確かに媛君への注目度も下がるが、その程度でどれほど自由フリーになるかわからないほどの注目度だ。

 もちろんお前の考えもなきにしもあらずだが、だとすればその裏でなにかを企んでいるのは間違いない。

 いずれにせよ混乱が目的なら、女学院を表舞台に戻すタイミングが重要だ」

 より効果的に彼女たちを表舞台に立たせるタイミング。それはいったいいつなのか、3人はそれぞれに考える。

「やっぱ入都式だろうな」

 荒冷は正攻法的模範解答を出すが、斜め向かいの席にすわる五百蔵は反論する。

「それは無理でしょう? 式本番には理事会や組合も参列するんですから。

 まさかそんなところで自治会内の小競り合いなんて演じたら、いい恥さらしじゃないですか。少数ですけど、父兄だって参列するんです」

 よもやあの執行部がそんな頭の悪いことを考えるとは思えない。荒冷もその考えに異論はないらしく、特に意見はしない。かわりにプログラムを見ながら思案する。

「一応女学院の席も用意されてるな。これが全部欠席で空くとなると、さすがに執行部も体裁が悪いだろうな」

「女学院は脱退保留の状態で、完全に脱退したわけじゃない。委員会の会合なんかも全て連絡は入れられているし、向こうから欠席の連絡もあるって言うから手続き上は問題ないことになっている。

 だとすれば入都式も、欠席するとわかっていても席を用意しないわけにもいかないだろう」

 おそらく紅梅女学院から自治会には、とっくに欠席の連絡が入っているに違いないと松葉は言う。

 だが理事や教職員は別組織なので、紅梅女学院理事や職員たちが出席するかどうかはわからない。

「如何に有効に利用するか? あの執行部のことだから期待は裏切らないと思うが、さすがにこれだけの情報では見当もつかないか」

 わざと情報を流出させてみようかなどと悪ふざけを言い出す松葉に、荒冷は少し前に五百蔵と交わした会話を思い出す。そして五百蔵の意見に同意を覚える。

「西区には悪いが、ここは醜態を演じてもらおう」

「悪いなんて微塵も思っていないくせに、松葉先輩もお人が悪い」

「浮き足だって自滅してくれれば万々歳だが、今さら西区なんて相手をしてもな」

「この執行部の企みは見て見ぬ振りをしてやるさ。せいぜい楽しませてもらおう。

 もちろん不出来なら……」

 相応にお仕置きでもするつもりだろう松葉の言葉を、荒冷はやや語気を強めて 「松葉」 と牽制する。

「総代選挙を前に、足並みを乱すな」

 度が過ぎれば、同じ中央区からも批判が上がりかねない。そのことを危惧する荒冷だが、松葉は悪戯っぽい笑みを浮かべながら 「わかっている」 と。

「裏央都・松藤の威信にかけて、女王陛下に吠え面かかせてやるよ」

 自信たっぷりに言い切った松葉だが、すぐさま 「ところで」 と言葉を継ぐ。

富士ふじはいつまでそこにいるつもりだ?」

 その言葉にハッとした五百蔵はすぐさま閉まった戸口を見、ほぼ同じタイミングで席を立った荒冷は勢いよく戸を開く。そこには生徒会役員の1人、新弐年生の富士峰子ふじみねこが立っていた。

 まさか気づかれているとは思っていなかったらしい富士は、突然開かれた戸の前で立ち尽くす。

「立ち聞きか? ずいぶん行儀が悪いじゃないか」

 敷居を挟んですぐ傍に立つ荒冷の叱責するような口調に、富士はばつが悪そうに、それでいて 「違います!」 と語気を強めて返す。

「立った今ここに来たんです! それを立ち聞きなんて、人聞きの悪いことを言わないで下さい」

「事実だろ」

 戸口で口論を始めようとする2人だが、松葉に促されて生徒会室内へと場を移す。先に続きを始めたのは荒冷である。

「相変わらず女王陛下の犬は躾がなってないな」

「いくら先輩でも、言ってもいいことと悪いことがあります!」

 ややヒステリックに反論する富士だが、対する荒冷の表情は険しく嫌悪に満ちている。

「言っても問題のないことだ。お前ら、前総代の飼い犬じゃないか」

「失礼です!」

「事実だ」

 返した荒冷は振り返り、同じように責めるような口調で松葉にも言う。

「お前もお前だ! 気づいていたんならもっと早く言えよ!

「気にする必要はない。たいしたところは聞いていないさ」

 松葉が富士の立ち聞きに気づいたのは、彼女が階段を上ってくる足音が聞こえたから。なのに部屋に入ってこないから、戸の外で聞き耳を立ていると思ったのである。

「そうだな、執行部がどのあたりで仕掛けてくるかってあたりからかな、聞いていたのは」

 荒冷のように富士の不作法を責めることのない松葉だが、その穏やかな笑顔が却って富士には恐ろしいらしい。荒冷に噛みついた勢いはどこへやら。強ばる顔を、ばつが悪そうに背ける。

「残念だったな。面白いネタだったら女王に褒められたかもしれないのに。

 お前たちが女王陛下の寵を競っていることは知っているし、常々出し抜こうって腹積もりなのもわかっているが、こんな出所不明、目的不明のネタ、統率の乱れた群れに放り込んでろくなことにはならない。出し抜こうって輩が勇み足を踏んで失敗するのは勝手だが、ネタ元とバレればお前もただじゃ済まない。黙っているのが賢明だろうな」

 もちろんそれでも競争相手ライバルを蹴落とすためこの話を口外しても、それで失敗して富士が高子からどのように叱責されても松葉の知ったことではない。そのことで執行部の企みを阻むことになっても、である。

「そんなこと、先輩に言われるまでもありません!」

「賢明で結構。我が校の生徒はそうでなければな。

 ところで、富士には印刷室に行ってもらっていたはずだが? 終了の報告か? それともトラブル?」

 仕事はどうしたのかと尋ねる松葉に、富士は 「まだ……」 と言い淀む。

「ならさっさと持ち場に戻れ。次の仕事も用意してあるんだ、遊んでいる暇はない」

 自身はボンヤリと外を眺めている松葉だが、富士には休憩すら与えるつもりはないらしい。ひどい暴君のようだが、別に松葉も休憩しているわけではない。次の客人の到着を待っているのである。

「失礼します!」

 そそくさと生徒会室をあとにする富士だったが、戸を閉める際、荒冷を睨んでいくのを忘れなかった。

「相変わらず油断も隙もないな」

 富士が去ったあとに塩でも撒いて清めたいと言い出す荒冷の鼻息の荒さに五百蔵は苦笑を浮かべるがなにも言わず、マウスをクリックして何枚かのデータをプリントアウトし始める。

「どうでもいいさ、富士なんて所詮小物だ。黒薔薇派内じゃ、松藤学園同じ学校の生徒ってだけで前総代に特別扱いされてると思われて新3年連中から疎まれてるらしい。

 もちろんその立場を利用して、それこそ3年連中を蹴落として自分の立場を盤石にでもしようって気概でもあれば別だ。所詮上級生と言っても1歳しか違わないんだ。やって出来ないこともない」

 だが富士は松葉の軽い脅しに簡単に屈するほど単純で短絡。とても大物になれる器ではない。故に松葉の 「所詮小物」 発言は的を射ているのである。

「俺としては、富士のことより文化慶楽ぶんかけいらくの会長代行が来ない方が気になる」

 本日、松藤学園生徒会を表敬訪問する予定の学校は5校。先程帰った私立文化文藝ぶんかぶんげい高等学校の会長代行が4校目で、次の私立文化慶楽ぶんかけいらく高等学校の会長代行が最後の訪問客となるのだが、松葉の言葉に 「そういえば」 と思い出したように五百蔵が壁に掛かった時計を見ると、ホワイトボードに書かれていた予定の時間をすでに15分も過ぎている。

「遅いですね。文化慶楽に問い合わせてみますか?」

 五百蔵から立てられたお伺いに、松葉は 「そうだな」 と自分の腕時計を見ながら思案する。

「あと10分して来なければそうしてくれ」

 同じ桜花中央区にある文化文藝高校と文化慶楽高校は姉妹校である。同じ日に訪問するのなら、いっそ一緒に来ればよかったのになどと冗談めかして言い出す荒冷に、松葉は 「知ってるか?」 と問い掛けるように切り出す。

 ちなみに松藤学園にも、桜花南区に涉成しょうせい高校という姉妹校がある。日頃から交流は行われているが、中央区と南区に所属が別れているため自治会内では行動を共にすることはほとんどない。

「文化文藝と文化慶楽の会長代行は双子の姉妹だって」

 それならなおさら一緒に来ればよかったのにと荒冷は言うが、松葉は吹き出すように続ける。

「これがずいぶん仲が悪いらしい」

 それも普通の悪さではなく、同じ寮の同じ部屋で同じ空気を吸うなんてまっぴら御免とばかりの不仲だと聞き、荒冷は呆れる。双方から部屋替えを寮長に申告しただけでなく、寮そのものを変えて欲しいとまで言ったというから開いた口が塞がらない。

 しかし新入生の入寮を決めるのは、寮を管理する理事会である。寮長権限で出来るのはせいぜい部屋替えまで。そのため2人は今も同じ寮の違う部屋で生活しているらしいが、寮内の廊下で顔を合わせようものならひどく空気が悪くなるのだとか。

 噂に聞いていた松葉は、つい先程まできていた文化文藝高校の会長代行に、さり気なく双子の姉妹のことについて話を振ってみたところ、面白いくらいわかりやすい反応があったという。

 とはいえ松葉は松藤学園生徒会会長代行。機嫌を損ねるわけにもいかず、文化文藝高校の会長代行は、顔を引き攣らせながらもその場を取り繕っていたという。

「お前、性格悪すぎ。

 双子って比べられるっていうから、やっぱ嫌な思いでもしたんだろ?」

「かもね。俺は双子じゃないからわからないが、帰る途中の文化文藝の代行と、ここに来る途中の文化慶楽の代行が道ばたで鉢合わせたらどうなるか? 気にならないか?」

 状況を楽しんでいるとしか思えない表情の松葉は、10分経っても文化慶楽高校の会長代行が訪れなければ文化慶楽高に電話で問い合わせるのではなく、人を使って松藤学園周辺を捜索したほうがいいのではないかと、五百蔵に改めて提案した。

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