act.3 『私立英華高等学校 ー桜花中央区』

 春休みも終わりに近いせいか、この日の図書室解放は利用者が多い。新入生の入寮で騒がしい寮では落ち着かないからと、部活帰りに寄ったかなめだったが、その利用者の多さと、寮と変わらない賑わいに入り口で足を止める。明後日に入都式を控え、今日明日が、新入生の入寮最盛期ピークとなるだろう。

 私立英華えいか高等学校新2年生の東海林要しょうじかなめは、身長175㎝前後。特に太ってはいないが痩せている印象もなく、取り立てて目立つ特徴も無い。重い防具は部室のロッカー室に置いてきたが、素振りの練習をするため竹刀だけは毎日持ち帰る。その竹刀と、汗で汚れた練習着を入れたリュックを背負う彼は、諦め顔で溜息を一つ。そして止まっていた足を校門へと向けて動かす。

ほんのりと緑色かかった灰色の詰め襟学生服は創立以来のデザインで、上着の前合わせがジッパー式のため、折り返しの襟には校章と学年章が並んでいる。大半の生徒が襟のホックを一番上まで留めることを当たり前のように思って実行しているため、他校生には校則と思われているようだが、実際は校則ではなく、ごく少数ではあるが外している生徒もいる。

 ここ私立英華高等学校は桜花中央区にある、学都桜花でも古参の男子校で、武道の強豪校である。

「東海林君」

 正門近くで声を掛けられた要が顔を上げると、他校の制服を着た男子生徒が彼を見て立っている。

 標準的な丈のブレザーは落ち着いたブルーグレイで、1つしかないボタンや、袖口などに藤色の紺色の縁取りがされているなどの特徴がある。胸ポケットには校章の刺繍がされ、下に着たカッターシャツは襟や袖口などに藤色の縁取りがある学校指定のもの。藤色のネクタイは、様々な制服が揃う学都桜花でも珍しい。そして裾に折り返しのある茶系チェックのズボン。これは松藤まつふじ学園男子の制服である。

 英華高校と同じ学都中央区にある松藤学園は歩いて10分ほどのところにあり、お隣さんと表現してもいいだろう。学都桜花最高の偏差値を誇る全国有数の進学校でありながら、武の面では英華高校の良き好敵手ライバルとして競い合っている。

 要に声を掛けてきた私立松藤学園高等学校新参年生の荒冷稔あられみのるは、同校生徒会旧年度役員の1人である。

「今日も部活かい?」

 思わぬところに現れた思わぬ人物に要は驚き、問い掛けに慌てて 「はい」 と答える。

「毎日大変だな」

「いえ、決してそのようなことは」

 実際要は剣道がしたくて、親元を離れて武道の名門校である英華高校に進学したのである。決して低くはない偏差値に苦労はしたものの、それでも彼は英華高校への進学を自ら望み、今、ここにいる。

「荒冷さんも、生徒会と部活で大変ではありませんか」

 すると荒冷は苦笑を浮かべる。

「疲れているところ悪いが、貴校生徒会会長代行への親書を届けに来た。取り次いでもらえるか?」

 如何に生徒会役員であろうと、他校への立ち入りは制限される。荒冷はここで、誰かに取り次ぎを頼もうと待っていたらしい。

花園はなぞの先輩ですか?」

「東海林が帰りってことは、花園ももう、着替えくらい終えて生徒会室だろ? 必ず本人に手渡すよう、松葉まつばにしつこく言われてるんでね」

 松葉晴美まつばはるみは荒冷と同じ松藤学園生徒会旧年度役員の1人で、卒業した前会長桑園真寿見くわぞのますみの代行を務める人物である。

「わかりました。

 どうぞ、こちらへ」

 そう言って要は荒冷を校内へと促すと、正面玄関を入り、受付の事務員に来客用のスリッパを借り、自分は靴下のまま校舎に上がる。生徒用の下足室まで行って上靴に履き替えているあいだ、来客を待たせるわけにはいかないからである。

 そのまま正面にある階段を上がって校舎2階にある生徒会室前に着くと、室内からかすかに話し声が聞こえてくる。控えめにノックをして 「どうぞ」 の声が返ってくるのを待ってゆっくりと戸を引く。そして室内には入らず、戸口で用件を告げる。

「失礼します。剣道部2年の東海林です。

 松藤学園生徒会役員の荒冷さんが、花園会長代行に面会を求めておいでになりました」

「ああ、東海林か。ご苦労様」

 聞き覚えのある声だと笑うのは、入り口正面、窓辺に置かれたパイプ椅子に掛ける男子生徒である。

 私立英華高等学校新3年生、花園寿男はなぞのとしお。制服姿の彼は校章、学年章の他に生徒会徽章の付いた襟のホックをさりげなく留めて服装を正す。剣道部の部長である彼は要の先輩に当たり、落ち着いた雰囲気で後輩の面倒見も良く、校内では同じ新3年生の有村克也ありむらかつや東山冬吾ひがしやまとうごと並んで人気が高い。

 空手道部の副部長で、同じ旧年度生徒会役員である東山は、花園の隣で窓にもたれかかるように立ち要、そして客人の順に見てにやりと笑う。

「噂をすれば何とやら、だな」

「なんの噂?」

 穏やかに尋ねる荒冷を室内に促した花園は、要に戸を閉めるよう指示する。一瞬入室を躊躇した要だったが、気にすることなく話し始める花園に、慌てて中に入って後ろ手に戸を閉める。

「たいしたことじゃないよ。

 それより久しぶりだな、松葉は元気?」

「新学期の準備に忙しくしてるよ」

 花園の挨拶に荒冷が穏やかに応じると、横から東山が 「今川いまがわも?」 と口を挟む。

「現時点では奴も我が校の役員だ。それなりに仕事はしてもらってるけど、報道マスコミがうるさいから校外そとには出さないようにしてるよ」

 答える荒冷は 「当然だろう」 と言わんばかりに首をすくめてみせる。時の人である今川基春いまがわもとはるを知らないのは、おそらく学都桜花の状況を知らない新入生くらいなものだろう。

 次期総代選挙に絡めて荒冷に絡む東山だが、荒冷はそれを穏やかにいなす。ハラハラしながらその短い遣り取りを見守った要は、ひっそりと心中で 「さすが裏央都うらおうと松藤生徒会」 と荒冷に軍配を上げる。

「そりゃ松葉としちゃ、余計なことは喋らせたくないだろうからな」

「ずいぶんと嫌われたもんだ」

「それで用件というのは?」

 話の切れ目に再び花園が口を開くと、荒冷は封筒を差し出す。表には 「私立英華高等学校生徒会 御中」 と達筆で書かれた事務用の茶封筒で、裏には 「私立松藤学園生徒会」 と書かれ、生徒会徽章で封緘がしてある。

「松葉からの恋文ラブレターね」

 花園の肩越しにのぞき込む東山の冷やかしに、荒冷も軽く冗談を返す。

「楽しい逢い引きデートのお誘いだよ。もちろん東山も一緒にどうぞ。

 生憎とうちは、今川を同席させるつもりはないけど」

 すぐさま東山も 「いや、それは頼まないから」 と返す。

「返事は近日中に。もう時間が無いからな」

「だったらもっと早く動けよ! この亀!」

 口の悪い東山に荒冷は苦笑を浮かべながら返す。

「まさか断ったり袖にはしないだろう? うちの松葉は結構な大物上玉だ。付き合って損はない」

 これまたすぐに東山が 「身内が言うな」 と突っ込み返す。

「そりゃ確かに顔はいいけど」

 いった彼はすぐさま 「ああ、頭も良かったか」 と付け足すが、荒冷はさらに 「性格もね」 と付け足して東山に 「あいつのどこが?」 と不審の目を返される。

 用を済ませた荒冷は、長居は無用とばかりに踵を返す。要はそんな彼を校門まで送ろうとする。

「ああ、東海林」

 生徒会室を出る荒冷に続こうとした要を、花園が呼び止める。

「話があるから、荒冷を見送ったら戻ってきてくれるかな?」

 てっきり部活のことかと思った要は 「わかりました」 と答えて生徒会室をあとにするが、戻ったそこでとんでもない話を切り出されることになる。


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