CHAPTER 1 『サクラサク ー学園都市桜花』

act.1 『私立紅梅女学院 ー桜花西区』

 桜花西区にあるバス停留所の1つ 「紅梅女学院前」 でバスを降りた女子生徒は、春休みにもかかわらず制服を着ている。

 紺色の縁取りがある落ち着いたブルーグレイのブレザーは丈が短く、ボタンは1つだけ。その胸ポケットには藤の花房をデザインした校章の刺繍があり、袖には桜色の腕章を付けているが、これは制服の一部ではない。学校指定のブラウスは白で、藤色のネクタイを結ぶ。

 丈が短めのジャンパースカートは明るい茶系のチェックで、プリーツが彼女の歩みに合わせて波立つ。大通りを外れて延びる坂道を登り切ると、その力強い歩みを阻むが如く冷たい鉄の門扉が固く閉ざされていた。


 私立紅梅女学院高等部

 私立紅梅女学院中等部


 石造りの門柱にはそう掲げられている。

 春休みとはいえ、学都桜花のほとんどの学校は部活動などのため校門を開放しているが、同校の門は固く閉ざされている。もちろん廃校ではない。

 手入れの行き届いた前庭には同校の校章でもある梅に木が植えられ、本校舎正面玄関までの並木道を作っている。校門前からグラウンドも見えるのだが、そこに生徒の姿は全くなく、まるで休校のようにひっそりと静まり返っている。

 だが人の気配は確かにある。

 招かれざる突然の訪問者を警戒し、息を潜め、その様子をどこからか窺っている。門前に立った女子生徒もその緊迫感にも似た気配を察し、様子を探るように切れ長の目を周囲に巡らせる。

「何者っ?」

 突然静寂を破り、勇ましい声を上げながら2人の女子生徒が現れる。ともに袴に鉢巻きという出で立ちで、制服姿の女子生徒の鼻先で

手にした長刀を交差させる。

 もちろん本物ではない。模擬刀である。それも練習用の模擬刀らしくかなりの痛みが見られる。

 だが制服姿の女子生徒は、その切れ長の目で一瞬早く彼女たちの姿を捉えており、動じることなくその動きを観察している。

 身長165センチ前後の痩身で、艶やかな黒髪を肩に届かない程度に切り揃えた理知的な美人である。

「その制服、中央の松藤まつふじ学園だな? ここは西区ぞ。勝手な真似は西都せいとの不興を買うぞ」

 1人がやや気負った口調で問う。

「ご忠告、痛み入る。

 なれど心配無用。如何に西都とて、我ら松藤に楯突いて無事に済むとは思うておるまい」

 よってこの状況が現在の西都・槇原まきはら高校の耳に入ろうといっこうに構わないと言い放つ女子生徒に、袴姿の女子生徒は苛立たしく呟く。

裏央都うらおうとの威光を傘に着おって、名乗りもせぬとは無礼な!」

「貴殿らこそ、これはなんの真似だ?」

「質問しているのはこちらだ!」

「速やかに名乗れ!」

 声を荒らげる袴姿の女子生徒2人だが、制服姿の女子生徒は依然動じることなく冷ややかに返す。

「人に名を問う時はおのれから名乗るもの。その程度の礼節もわきまえぬか?」

「黙れ!」

 問答無用とばかりに声を荒らげた1人が、一度引いた模擬刀を、その先端を制服姿の女子生徒に向けて突き出す。威嚇のつもりだったに違いない。

 だが制服姿の女子生徒は動じることなく細い目でその動きをしかと捉えると、軽く身をかわしつつ柄をつかみ、次の瞬間、握力に任せて砕いてしまう。

「争いに来たわけではない。貴校代表に取り次がれよ」

「出来ぬ!」

 もう1人が声を上げつつ、手にした模擬刀を一度引いて構え直す。

「では力ずくで通るとしよう」

 制服姿の女子生徒もまた、ゆっくりとした所作で身構える。

「松藤学園弐年、新宮左近にいみやさこん、参る」

 名乗りを上げた刹那、その右足が動いたと思った次の瞬間には相手の懐深く踏み込んでいた。

 模擬刀を構える女子生徒は慌てて後退するが、時すでに遅し。繰り出される右の拳が眼前に迫る。

「待て!」

 鋭く掛かる制止の声に、左近の拳が女子生徒の鼻先でピタリと止まる。そのまま目だけを動かして見やれば、固く閉ざされた門扉の向こうに、またしても袴姿の女子生徒である。しかも今度は3人。その先頭に立つ1人が言葉厳しく質す。

「これはなんの騒ぎか!」

 早足に近づいてくるのを見て、左近はゆっくりと拳を引いて収める。

「その制服、松藤だな? 何者ぞ?」

「人に名を尋ねる時はおのれから名乗るもの。先ほどから、貴殿たちはその程度の礼儀も持ち合わせぬと見える」

 後輩が後輩なら、その指導をしている先輩も先輩だ……とでも言わんばかりの左近に、今し方敗れたばかりの女子生徒と、これから敗れようとしていた女子生徒が口々に言葉を荒上げる。

「無礼者!」

「この方をどなたと心得るか!」

 しかし左近は、それこそ敗者に用はないと言わんばかりに目もくれず、門扉の向こうから声を上げる女子生徒を真っ直ぐに見る。相手も真っ直ぐに左近を見返していたが、やがて門の外で気色ばむ2人の女子生徒に声を掛ける。

「そなたたちは少し控えていよ」

 後輩たちには不満な指示だったが逆らうわけにもいかず、その手に持った模擬刀を下ろして口を閉ざす。それを待って、女子生徒は改めて左近を見る。

「失礼した。

 私は紅梅女学院高等部3年の野々宮静ののみやしずかと申す」

「学園都市桜花生徒自治会本部実行委員、新宮左近。

 自治会執行部からの書状を届けに参った。貴校代表に取り次ぎ願いたい」

 突然のことに動揺も顕わに互いの顔を見合わせる校外の女子生徒2人だが、校内にいる2人は静と同じ3年生なのか、顔を強ばらせるように驚きを堪え、判断を仰ぐべく、無言で静の横顔を見る。だが静もまた驚きを、隠そうとして隠しきられず、すぐには言葉が出てこない。

 流れる沈黙に、左近は返事を促す。

「如何した?」

「……失礼した。

 自治会執行部からの書状と申したか?」

 静は少し慌てるように、声を喉に詰まらせつつも返す。

「左様。

 無論貴校にも都合があろう。不都合であらば出直す」

 もちろん左近も、現在の紅梅女学院が置かれている立場と状況は理解しており、それらを含めて 「不都合であれば」 と表現したわけで、もし開門がかなわなければおとなしく引き下がる。

 無用な争いをする気はないという彼女に、静は胡散臭げな視線を投げつつも思案する。

 左近が袖に付けた桜色の腕章、それは桜花5地区それぞれを表す5色とは一線を画す桜花自治会を表す色であり、自治会章たる桜の下には 「学園都市桜花生徒自治会 本部実行委員会」 の文字がある。本部実行委員を動かせるのは、本部実行委員会と自治会執行部役員、そして桜花総代だけ。

 だが現在、桜花総代は黒薔薇の女王・高子たかいこの卒業を以て空位。

 本部実行委員会も、委員長代行が独断でこのような形の使者を遣わすことは認められておらず、自治会執行部に諮らなければならないはず。

 つまり書状をしたためたのが本部実行委員会であろうと、執行部の意向を少なからず汲んでいることになる。もちろん本当に執行部がしたためている可能性もあるが、その場合、実行委員会が介入出来るのは使者の人選のみ。

 いずれの形にせよ自治会からの使者であることは間違いないようだが、なぜこの時期に自治会執行部が紅梅女学院との接触を図るのか、その思惑を計りかねていた。

「……その書状とやらは、如何なる目的あるものか?」

 わからなければ訊くしかない。警戒を緩めず尋ねる静だが、問われた左近はふっと鼻で笑う。

「愚問だな。使者に過ぎぬおれにそれを訊くとは」

 ただの使いっ走りがその内容を知るはずもなく、知る必要もないことを左近は知っている。指示を出した人物は彼女に口止めをしなかったけれど、この役を務めたこと自体口外無用であることも彼女は知っている。今の桜花において、紅梅女学院と接触することはそのぐらい危険視されているのである。

「確かに愚問だな。

 そもそも自治会が、今更我が校になんの用があるというのだ」

学都桜花で 「秋梅のしゅうばいのへん」 と呼ばれる大事件が起こったのは去年の秋。すでに半年が経過しており、それを静は 「今更」 と言うけれど左近は冷ややかに言葉を返す。

「今更とは可笑しなことを申す。未だ以て貴校は自治会傘下ではないか」

「戯れ言を申すな!」

 敷地内から上がる声に、1対5ならば勝ち目もあると校外の後輩も気色ばむが、静は手振りで4人を鎮める。

「使者殿には監視を付けさせていただくが、よろしいか?」

「如何様にも」

 役目さえ果たせれば多少の不自由は問題ない。もとよりすんなりいくとは思えない役目である。監視程度で済むならば、さっさと役目を終えて報告に戻りたいのが左近の本音だろう。

 その返事を受け、静は同輩と後輩に告げる。

「開門!

 自治会からの使者が参った旨、会長代行に伝えよ!」


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