PARTⅡの10(18) 一徹の助け舟

 表参道の駐車場に車を入れたあと、大浜は山岡にエスコートされてオフィス・クレシェンドの社長室に入った。


謡、奏、田川の三人もあとについて中に入った。リュックを背負ったヒカリも一緒だった。


 オフィス・クレッシェンドの二代目社長、磐船いわふね達彦たつひこは年のころ四十代半ば、


 高価な紺のダブルのスーツを着こみ、髪の毛はオールバックに決めたパッと見はイカつい感じの男性なのだが、


 ネクタイは派手な花柄で、両手の4本の指には大きな宝石を入れた豪華なデザインの指輪をめていた。


 彼は不意の来客達の顔をチラチラと見て、


「ヤダ大浜ちゃん、悪い子ヨォネー、姿くらましちゃってえ。どうしたのヨォーお、随分、付き添いも多いしー」


 と柄に合わないオネエしゃべりでまくしたてた。


 謡も奏も田川も、山岡と大浜の「ヨォネー」がなんだかわかって吹き出しそうになったが、こらえた。


「まあいいわ。立ってないで、みんな、座りなさいヨォネー。あーたのこと、心配してたのヨォネー」


 何故か、彼は人に目を合わせるのではなく、指輪と目を合わせながら会話するクセがあるようだった。


 磐船は自分の指輪を嵌めた指を眺めながら、広い社長室の角にセットされた応接セットのソファをすすめた。


 みなで、角にLの字型にセットされたソファに座った。


 ドアがノックされて二十代後半と思われる美人の女性社員が「いらっしゃいませ」と人数分のコーヒーを乗せたお盆を持って中に入ってきた。


 謡は、田川が彼女を見て緊張の面持ちになったのを見逃さなかった。


 女性社員は「失礼します」と言って目を伏せながら応接セットの大理石のテーブルの上にコーヒーを並べ、それからヒカリを見て目を丸くした。


 その間に磐船も応接セットに移動し、部屋の中側に置いてある一人掛けのソファに腰を下ろした。


 女性社員がコーヒーを並べおえ、ヒカリに目を奪われた直後、田川が意を決したように彼女に話しかけた。


「小枝子、元気なようだね」

「え?」


 彼女は顔を上げて田川の顔を眺め、次の瞬間、震えながらきびすかえして早足でドアに向かって歩き出した。


「あら、小枝子ちゃんたら、どこ行くのヨォー?」


 顔を上げて叫ぶ磐船を無視して、彼女はドアのノブに手をかけた。そのあとを田川が追い、二人は姿を消した。


「どうなってんのヨォー?」

 肩をすくめる磐船に向かって、大浜は言った。


「あの人達は夫婦なんです。放っておいてあげて下さい。それより、私の話を聞いていただけますか?」


「何よ、仕事中だというのに、あの人達ったら。


 まあいいわ。確かにあんたの方が大事よ。で、どうするのヨォネー、あんな取り返しのつかないことしちゃって?


 あんたのキャスター生命はもうおしまいよ。でも、やりようはあるわね。


 この際、スキャンダラスなセクシー女優に転身しなさいヨォネー。そしたら案外今までよりもずっと売れちゃうかも。


 開き直って、ハダカでもなんでも晒しちゃいなさいヨォネー、あんたの生きる道、それしかないわ、ね、みんなもそう思うでしょ?」


 どぎついことを言う時も、彼は指輪をチャラチャラ鳴らしながら、それらに目を落したままだった。


――こいつサイテー、しばいたろか!


 山岡の中に怒りが沸き起こったが、彼はかろうじてそれを抑えた。大浜は冷静に口を開いた。


「タレントとしての私は今日死にました。今後キャスターであれ、女優であれ、タレント活動は一切できません。


 契約を切っていただきたくて、きょうは参上したんです」


 磐船社長はこぶしを作って両手の指輪をガチャガチャぶつけながら、


「ちょっとお、冗談はあさって言ってヨォネー。あんなことしてタダでやめようなんて、絶対に許さないわヨー。


 あーたネー、いきなり降板してうちは大損害なんですからネー。


 せっかくいいお金になるコマーシャルの話も決まりそうだったし、次はニュースプライムタイムのキャスターにって話だってあったし、


 そうなったらギャラもうんとアップするはずだったのに。


 辞める前に損害を全部、現金で穴埋めしてもらうわよ」


「穴埋めって、どの位?」


「そうネー、実害三億ってとこかしらネー。あと慰謝料二億って感じで、合計五億円、さっさと払いなさいヨォネー」


「そんなの、払えるわけありません」

「だったら、言うこと聞いてセクシー女優になるしかないわヨォネー」


 磐船は下品な笑いを浮かべながらそう言った。


 その時、いきなり壁側にあるもう一つのドアが開いて、


「黙れ、達彦、お前、なんてこと言ってるんだ!」という大きな声と共に、紋付袴もんつきはかま姿の小柄な老人が闖入ちんにゅうしてきた。


この会社の創業者で初代社長にして現会長の磐船いわふね一徹いってつだった。


「お、お父上、でかけたんじゃ? いらしたの?」


「いらしたの? じゃあない。忘れ物を取りに戻って、全部聞いたぞ。お前、わしがいないと思うと、そういうことを平気で言うんだな」


「あ、あ・・・ごめんなさい」


「あやまるなら、大浜君にあやまれ。大体、大浜君を発掘はっくつして面倒を見て来たのはわしなんだぞ。


お前には彼女に偉そうなことをとやかく言う資格はないんだ。さあ、あやまれ!」


「大浜さん、先ほどは、失礼な事を言ってすみませんでした ・・・」


 達彦は辛うじて一瞬だけ大浜の方を見て、彼女にあやまった。しかし、一徹はまだ許さなかった。


「それに、聴いてれば、金、金、金、金のことばかりじゃないか。わしは夢を育ててそれを分かち合いたくてこの会社を興したんだ。


 そのことを忘れてるんだったら、社長を替えてもいいんだぞ。


 わしが筆頭株主ひっとうかぶぬしだということを忘れるな。不愉快だから、出てけ。本当に反省するまで戻ってくるな」


 達彦は指輪を見たまま、すごすごと社長室を出て行った。一徹は大浜に頭を下げた。


「大浜君、済まない、全ては仕事にかまけて達彦をかまってやれず、あんなおカマにしてしまったわしの責任だ」


「そんなことありません。どうぞ頭を上げて下さい」


「いや、去年から今年にかけて病気をして気弱になってな。


 忙しくて子供のころのあやつを構ってやれなかった罪悪感もあって、会社を任せたのが間違いだった。


 あやつがわしに隠れていろいろせこいことや姑息こそくなことをやるところがあるのは承知のうえで社長にしたのも、


 教育すればなんとかなると考えてのことだった。


 だが、わしが甘かったようだ。あやつがあそこまで腐ってたなんて、きょう初めて知った。


 まあ、あやつのことはわしがなんとかするとして、もう一つあやまらなければならないと思っとる」


「なんのことですか?」


「石原のことさ。彼を君に紹介したのもわしだったから、責任を感じている」


「石原さんとのことは、私がばかだったんです。でも、もう目が覚めましたし、お陰でベストパートナーが誰か、やっとわかりました」


「それは誰のことだい?」


 大浜は山岡を手で示して、

「この人です、私のために処分覚悟で石原さんを殴ってくれたんです」


「おお、よくやってくれた。わしも石原に会ったら迷わず手を出していただろう。


 全く息子といい、石原といい、裏表のある人間は大嫌いだ。で、結婚するのかい。そのためにうちを辞めるのかい?」


「まだ結婚までは話が進んでいません。さっきこの人がベストパートナーだと気付いたばかりで。


 でも、私はこれからの人生を一緒に歩みたいと思っています」


 そういう大浜の隣で、山岡は照れくさそうに頭をいた。


「そうか、わかった。でも、とにかくタレント稼業からは足を洗いたいんだな?」


「そうです。この先どうなるかわかりませんが、今はそれが私の正直な気持ちです」


「よし。じゃ、円満退社えんまんたいしゃということで、退職金も払おう」


「え、そんな ・・・」


「いや、受け取ってくれ。バカ社長の無礼な振る舞いに対する会社からのつぐないという意味でも。


 わしは君の素直で純粋で頑張り屋なところにれて面倒を見たいと思ったんだ。その気持ちは今も変わらない。


 好きな男と好きなように生きてくれ。いい仲間もいるようだし、安心して送りだせるよ」


「ありがとうございます」

 大浜キャロラインはぽろぽろと大粒の涙を流した。自殺しないでよかったと心から思った。


 彼女は山岡の手をとってギュッと握った。山岡も握り返した。


 磐船一徹は、謡の隣にいるヒカリに向かって、


「ところで、君は、座敷わらしじゃあないかな?」

 と尋ねた。


「うん」ヒカリはうなずいた。

「見えるんですか?」謡は一徹に尋ねた。


「ああ。まさか、ここで会えるなんて ・・・。それにしても、本当に久しぶりだ」


「前にも会ったことがあるんですか?」


「ああ。最近火事になった金田一温泉の旅館に泊まった時にね」

「桂泉荘ですか?」


「そう。まだ若かったころのことで、その後この仕事を始めたんだが、成功したのも彼のお陰だと思っとるよ」


「そうだったんですか?」


「ああ。ところで、君は昔合った、あの座敷わらしかね?」

 一徹はヒカリに尋ねた。


「うん、まあそうであって、そうでないような ・・・」

 ヒカリはそんな風に答えた。


「それって、どういうことなの?」

 奏が尋ねるとヒカリは答えた。


「おじさんが昔会った座敷わらしは、中身は同じだけど、姿と魂はぼくのだいぶ前の代のそれだと思うよ」


「へえ?」


「座敷わらしはね、不幸にして死んだ子供のうちからもっともふさわしいと思われる子の生前の姿と魂に座敷わらしエネルギーが入って生まれるものなんだ。


 そうやって生まれた座敷わらしは自分を見ることのできる人間を幸せにすることによって功徳を積み重ねていって、


 十分功徳を積んだ暁には次の座敷わらしにバトンタッチして成仏するんだ。


 また、望めば成仏する代りに人間の子供として幸せな家族の一員として生まれ変わることもできるんだ」


「なるほど」


「そういうわけで、座敷わらしエネルギーはいつの時代も不変だけど、代が変われば姿と魂というエネルギーの器も変わるんだよ。


 それで『そうであって、そうでないような』って言ったんだよ」


「そうか、わかった。ありがとう。ところで、大浜君と山岡君、君たちはこれからどうするつもりなんだね?」一徹は二人に尋ねた。


「そうですね、どこか一緒に身を隠すことのできる場所でもあればなんて、あたしは考えてるんですけど」と大浜は答えた。


「彼女のマンションや実家はマスコミにマークされてるでしょうし。そうすると、とりあえずはぼくのマンションとか実家とか ・・・」 と山岡は言った。


「わしは都心から車で二時間ほど行った人里離れた場所に別荘を持ってるんだ。


 そこならまず絶対に人目につかないし、管理人のおばちゃんが買い物なんかもしてきてくれるから。彼女は口が堅いし。


 こんなことがあったあとだから、大浜君は山岡君としばらくゆっくりそこで過ごしたらいい。どうだろうか?」


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

「よろしくお願いします」 

 二人は頭を下げた。


 謡の携帯が鳴った。田川浩一郎からだった。


「今、小枝子と一緒です。いろいろ話して、よりを戻そうかということになりました。


 彼女、クレッシェンドの社長に気に入られていたようで、


 でも、どうも彼はいわゆる両刀使いのようで、『今度の休みに二人で旅行しましょうよ』と誘われて困っていたそうで、


ちょうどいい機会だからこの際クレッシェンドもやめると言っています」


「そうですか」


「それと、小枝子、きのうの夢にヒカリ君らしい座敷わらしが出てきて、


『ほんとは別居中のご主人を愛してるんじゃないの? 素直になったら』って言われたそうです」


「ほんとに?」


「ええ。実は小枝子も桂泉荘の火事のニュースを見ていて、あの記念写真に映ったヒカリ君が見えて、


そ れで『謡さんに連絡しなくちゃ』と思って局に電話して、局の男の人に電話番号を伝えておいたそうなんです」


「そうだったんですか? 」


旧姓きゅうせい眞鍋まなべを名乗って連絡したそうですから。とにかくそれで、さっきヒカリ君を見て、びっくりしたそうです。


 まだ小枝子といろいろ話すことがあるので、今はこれで失礼しますが、またゆっくり報告します。


 大浜さんに私がお礼を言っていたと伝えて下さい。


 屏風岩で会わなかったら私はあそこで死んで、小枝子とよりを戻すようなことには決してならなかったでしょうから」


「わかりました」


 電話を切った謡は大浜に田川からの伝言を伝えた。大浜は、


「お礼を言いたいのはあたしの方です。あそこで死んでたら、こうはなってないんですから」と言った。


「それじゃ、ここは全てわしに任せてくれ。


 口の堅い男女の社員二人にも君たちのお世話をさせて、着替えや寝巻など必要なものは全て揃えさせて届けさせるから、君たちはこのまま行きなさい。


 家から持って行きたいものがあるのなら、鍵を貸してもらえれば、それも社員たちに取ってこさせるから」


「ありがとうございます」

 二人は一緒に頭を下げた。


 そんな二人を見て、謡は『ああ、よかった』と思った。


 だが、このような身近な愛情問題はともかく、世界はますます危機的な方向へと突き進んで行くのだった。


 謡はバッグから「座敷わらし仲間リスト」というタイトルの書いてあるリストを出して確認してみた。確かに、眞鍋小枝子という氏名と電話番号があった。

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