PARTⅡ

PARTⅡの1(9) おとうさんの告白

 謡が武蔵野のマンションに戻ったのは午後九時半をすぎていた。


 戻ると東南アジアから戻ったばかりの父、天波高志が祖母の粟乃とリビングでくつろいでいた。


 時代遅れのマッシュルームカットに無精ヒゲを生やした高志は風呂上りのビールを飲んでいた。


「おとうさん、おかえりなさい、仕事、どうだった?」


「ああ、今回の出張で更に沢山の社会意識の高い出資者や協力者を増やすことができたよ」


 高志は子供のころからナマケモノというあだ名があった。


 あの、南米のジャングルに生息していて、一日の大半を木にぶら下がったまま寝て過ごす習性のある動物のナマケモノから取ったあだ名だ。


 どこかのんびりとリラックス感のある性格や、動作もそうだが、顔もちょっとタレ眼でおっとりしたハンサムなナマケモノという感じで、


 しゃべるのも基本的にはゆっくりのんびりまったりだった。


 もっとも、今の仕事を始めてからは、世界でただ一頭の「忙しいナマケモノ」となってしまったのだが ・・・。


「それはよかったわね。乾杯しましょう。おばあちゃんも一緒にね」


 謡は食器棚からグラスを二つ持ってきて、一つは粟乃に渡し、一つは自分が持って、それぞれのグラスをビールで満たして三人で乾杯した。


 高志は市民起業きぎょうバンクという、三年前に自分で起業した事業を地道に広げつつあった。


 もともとは国内の主婦や学生など、普通の銀行だったら融資ゆうししないような人たちで、


 福祉や介護や環境やリサイクルなど社会に役立つ小規模事業の起業を志す人たちに、


 上限五百万円までの資金をごく低利ていりで場合によっては無利子むりしで融資するのが事業の基本だった。


 通常の銀行が融資に際して土地や建物などの担保たんぽを取ることを条件とするのに対し、市民起業バンクは担保を取らない。


 その代わり、お金を借りたい人達に、自分の起業したい事業にたくすビジョンや思いや実行すべき具体的プランなどを書かせる。


 その作文を審査しんさして融資するかどうかを決定する。


 融資した相手にはきめ細かくコンサルティングを行い、その人の事業を軌道きどうに乗せるために最大限に必要なバックアップを行う。


 その結果、これまでのところ市民起業バンクには貸し倒れが一切ないという奇跡的な実績を誇り、


 大銀行に比べたら圧倒的に規模は小さいものの、


 出資者・協力者も内外で増えつつあった。


 最近では、ある一流経済誌の【日本の優良銀行】という特集でも【これからの世界のモデル銀行】として紹介されたことがあった。 


 高志は今その市民起業バンクを東南アジアの各国でも本格的に展開するために飛び回っていたのだ。


 そろそろニュースプライムタイムのはじまる時間だった。


 謡はリビングのテレビをつけ、家族三人でニュースを見た。


【JBC敵対的買収問題収束。JBC、CIFの支配下に】


 のニュースがトップだった。


 また、大浜キャロラインの記者会見のニュースも流れ、キャスターの大里衿子おおさとえりこ謝罪しゃざいした。


「このような不祥事ふしょうじについて、当社社長の佐藤勝男が明日記者会見を開いて皆様にお詫びいたします。


 私共、今後決してこのような不祥事のないように襟を正して参りたいと思っております。本当に申し訳ありませんでした」


 謡は何かシラけた気分で見ていた。


 というのもさっき山岡が「実は大里衿子も某重役の情実じょうじつ人事だという、かなり確度の高い噂があるんだ」と言っていたからだった。


 それにしても自社ネタをトップの大きなニュースとして二つも立て続けに報道することは非常に珍しかった。


 JBC敵対的買収収束のニュースについて、高志はこうコメントした。


「こういうマネーゲームには必ず裏でシナリオを書いている者がいて、大体そういうシナリオの想定範囲内の結果に収まるものなんだよ。


 少なくともこれまではね。


 しかし、これからはそんな、人間が描いたシナリオには収まりきらない、想定外のことがどんどん起こるだろうね。


 裏に居る奴らがマネーゲームで儲けたお金をアジアやアフリカや世界の貧しい人達のために使うならまだしも、そういう発想を彼らは決して持ちえないんだよな。


 いつも言ってるけど、戦争だってなんだって全てマネーゲームのために彼らが仕掛けていると言っていいと思うよ。


 あ~あ、マネーゲームは地球を滅ぼすってこと、彼らに気づいて欲しいけど、無理かな」


 そして大浜キャロラインの記者会見のニュースについてはこう言った。


「ほら、この間俺の仕事の取材で来てくれた時にじかに話したけど、その時『この子、謡と同じで素直ないい子だな』って思ったよ」


「ああ、あの時、そう思ったんだ?」


 大浜と食事した時に謡は「おとうさんの仕事は?」とたずねられて市民起業バンクのことを話した。


 それを聞いた大浜は「これからの社会を先取りした素晴らしい仕事ね」と感激し、


 早速自ら取材してゼロアワーニュースでその最近の活動を紹介してくれたのだった。


「ただ、彼女は孤独で支えがなくて、その分迷いがあったんじゃないかな。


 怒りも感じただろう。嫉妬も覚えただろう。


 だからって、こういう会見を開くなんて、それこそ何か彼女の意志を超えた力にやらされたんじゃないかって、


 根拠はないけど、そんな風に俺は感じるけど、謡はどう思う?」


「あたしもそう思う」

 

 謡は『やっぱり、おとうさんはくもりない目で見てわかってる』と思った。


 まだニュースプライムタイムは続いていて、大里キャスターが次のニュースを読みはじめた。


「では、次のニュースです。先日、岩手県の金田一温泉で座敷わらしの宿『桂泉荘』が火事で全焼したニュースをお伝えしましたが、


 今晩八時過ぎ、


 同じ金田一温泉を中心とする東北地方一体で同時多発的どうじたはつてきに、座敷わらしが出ると言われている宿や座敷わらしをまつった神社が火事になり、


 更に、座敷わらしを祀ったほこらなども同じ時刻に破壊されました ・・・」


 謡はびっくりして、「え? そんな ・・・」と思わず声を上げた。高志も粟乃も、ニュースに注目した。


「・・・ 地元警察によれば全ての火事と破壊は組織的な犯罪行為の可能性が大である、とのことで、


 現在火事現場の消火作業と並行して警察が捜査を開始しています。


 私どもの番組の調べによれば、どうやら座敷わらしに関係のあるスポットの全てがターゲットになった模様です ・・・」


 いつも温厚なナマケモノタイプの高志が、

「ひどい。許せない ・・・」

 と怒った顔をした。


「おとうさんは、座敷わらしに相当思い入れがあるみたいね? あたしもそうだけど ・・・」


「そうなんだよ。ちょうどいいから話すけど、俺は座敷わらしにはとてもお世話になってるんだ」


 謡はびっくりして尋ねた。

「おとうさん、座敷わらしを見たことがあるの?」


「ああ、そうだよ。さっきかあさんから聞いたんだけど、謡はこの間桂泉荘で火事にあって、その時座敷わらしを見たんだって?」


「ええ」


「実はね、とうさん、桂泉荘に独りで泊まったことがあったんだよ。あの【座敷わらしの間】にね。


 で、その晩、満月の晩だったんだけど、布団に入って眠って座敷わらしの夢を見て、


 目が覚めたら窓際に白い着物を着ておかっぱ頭をした子供がいたんだ」


「座敷わらしね」


「ああ。満月の月明りを浴びて、幻想的に美しく輝いていたな。


 なんか心が洗われるような、それでいて何故かひどく切ない気分がこみ上げて来て、


 気が付いたら俺はポロポロ泣いていたよ。


 泣きながら近づいていこうとしたら、すうっと消えてしまったんだ」


「そうだったの ・・・」


「そのあとだよ、東京に戻ったある晩、座敷わらしが夢に出て来たんだ。


 彼は、多分男の子じゃないかと思ったんだけど、彼は夢の中で黙ってすたすたと歩き出した。


 俺が『待ってよ、どこ行くの?』と声をかけても停まらない。


 しかたないからついて行くと、いつの間にかどこかの宝くじ売り場にたどり着いてて、座敷わらしは売り場を指さして消えた」


「買えってこと? それで三億円を?」


 謡は、高志が宝くじが当たって得たお金を元手に市民事業バンクを起業したことは知っていた。


 が、その当選に座敷わらしがからんでいたという話は聞いたことがなかった。


「ああ。次の日、初めての道をぶらぶら散歩してたら夢で見たのとそっくり同じ宝くじ売り場があった。


 それでサイフをのぞいたら、一枚やっと買える分のお金しか入ってなかった。


 でも、座敷わらしは幸運をもたらしてくれるというから一枚で十分と思って買ったら、三億円当たってしまった。


 早速それを元手に今の仕事を始めたら、沢山の人達の支援や協力も得られてうまく行ってしまったんだよ。


 金があったら絶対やりたいってずっと思ってた夢だったから ・・・」


「そうだったの、初めて聞いたわ。おばあちゃんは?」


「あたしも初耳だよ」


「すまん、機会があったら話そうと思ってたんだけど ・・・ 


 それに、なんか軽々しく話してはいけないって、そういう気がずっとしてて、


 宝くじが当たってからすぐ忙しくなったこともあって、


 今まで話せなかったんだよ」


「わかった、怒ってるわけじゃないから。ね、おばあちゃん?」

 謡が同意を求めると粟乃は「もちろん」とうなずいた。


「よかった。


 実は市民起業バンクで融資を受けることを希望する者を審査する時も、


 この人にお金を融資して大丈夫かどうか迷った時は目を閉じて深呼吸すると、座敷わらしが現れて教えてくれるんだ」


「ほんとに?」


「ああ、微笑む時は融資するけど、微笑まない時はそうしないようにしてるんだ。


 そういうわけで、座敷わらしにはひとかたならぬ恩を感じてるんだ」


 高志はそう言ってグラスに残ったビールを飲み干した。


 家族三人がゆっくり話すのは久しぶりだった。謡は座敷わらしが見えた人間の電話リストを出し、父親に示した。


「ほら、この銀金レイ子って、例のあたしのおかあさんと同じ名前よね」

「こういう字を書くことは確かだ」


「この人、おかあさんかしら? 同姓同名の別人かしら?」


「さあ、彼女にも座敷わらしが見えたんだったら、画期的なことかも。


 でも、可能性はある。なんせ俺にも謡にも縁のある人間だからね」


「おとうさん、こういう話になったから教えて欲しいんだけど ・・・」

「なんだい?」


「一度聞いてみたかったんだけど、おかあさんてどんな人で、どういう風におとうさんと出会って、どういう風に別れたの?」


「ああ、俺もいつかちゃんと話そうと思っていたんだよ。オーケー、話してあげよう。お前ももう大人だからな ・・・」


 そう言って高志は話し始めた。

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