第32話


 一区から三十六区を縦に繋ぐ、新東京道1号線をランドクルーザーが疾走した。張り詰めた早朝の空気を震わせるように、サイレンが轟き、赤とブルーの非常灯が回転する。

「沢木、ほんとなのか!」

 助手席の久保が大声で叫んだ。

「絶対ビンゴだよ! 科捜研には先に連絡してある!」

 沢木と久保は十八区の官庁街から十区の三十番シャフトへ急いだ。午前中の浅く差し込む光源にコントラストを描く環境河川沿いのキセノンアークランプが飛ぶように背後に流れていく。

 沢木はハンドルを操りながら言った。

「奴は変装してたわけじゃなかったんだ」

「金髪と黒髪か?」

「そう。そもそも別々の、良く似た二人なんだよ」

「何だって?」

 久保の声が裏返った。沢木が続けた。

「奴らはイカれた旧合衆国自由主義者の親子で、オヤジは成田で死んじまったジョナサン・リクター」

「あの公安部の取り調べ中、自害した奴か?」

「息子は自動車事故で死んだって話がこれまた真っ赤な嘘でさ、おまけに奴ら、双子ときてる」

 久保が唸った。

「一卵性双生児か? なるほど。顔認証システムのアルゴリズムが苦手なパターンだな」

「上手く騙されたよ」

 久保が言った。

「変装のせいで逆に俺たちは一人だと勝手に決め付けたわけだ。ということは奴らは交互に一人がシャフトに残り、もう一人が月基地へと帰ってたことになる」

「ストレートの黒髪の変装でな。システムに破壊工作するには十分な余裕だろ?」

「……ということは?」

 沢木は眉根に皺を寄せ、ハンドルをきつく握り締めた。

「奴は三十番シャフトに必ずいる」

 そこで車載無線がコールした。久保がすばやくスピーカーフォンに繋いだ。

「こちら125号車」

「沢木と久保か?」

 科捜研の一等特殊技術職員、平賀義信の声だった。

「あいよ」と、久保。

 平賀は少々神経質になっているらしく、かすれ声で早口にしゃべった。

「お前らか?」

「そうですよ。で、どうでした?」

 沢木は待ってられないという口振りで単刀直入に聞いた。

「館内のCCTVでくまなく調べてみた。お前の言う通り当たりだな。金髪の北上真悟がうろうろしてるよ。我が目を疑ったね。あいつは誰だ? 幽霊か? 月で死んだ奴はどうなってる?」

 沢木は口元を歪めると、にやりと笑った。

「よっし。間違いないな。奴は今、どこです?」

「0・8Gステージの作業通路にいる。『サーティーズ』の真上だよ」

「ショッピングモールの真上か。入管パスの限界エリアだな。なるほど。メンテナンスの作業パスだとトーラス居住区には出られないわけだ。直ちに急行します。奴を拘束するぞ」

 平賀は面食らったような声を上げた。

「どういうことなんだ、説明くらいしてくれよ」

 沢木は遮るように言った。

「平賀先輩、取り合えずバックアップの要請。頼みましたよ」


 沢木と久保を乗せた機動警邏車は、直径一キロメートルを超える三十番シャフトのエントランスを巡り、180のE搬入口から侵入した。

 傾斜路に差し掛かった折、一瞬上向いた沢木は、ホログラムの(空)へと消える巨大な円筒が研ぎ澄まされた刃のように青空に煌めくのを目撃した。

 搬入口は一般フロアには顔を出さずに、六基のカーゴエレベーターの内側、制御ダクトの最下層部に繋がっていた。大型の作業車両の並ぶ巨大な駐車スペースを回ると、外周の車列の端に止めた。

 沢木と久保はすばやく車を降りると、後部トランクから装備を取りだした。

 チタン合金製の大型トランクが二つ。

 開くと黒いゴムスポンジの間仕切りに収まった突入セットが顔を出した。二人は無言のまま慣れた手つきで点検した。治安管理局の紺の活動着の上からタクティカルベストを着こみ、手足の防護パッドを装着する。フェイスガード付ケブラーヘルメットを被るとプリズムレンズを調整し、ヘッドセットを起動させる。

「応援は? どうなってんだ?」

 久保がぼやいた。沢木は左腕のパッドに付いたコントローラでコマンド入力すると、科捜研の平賀を呼び出した。

「平賀さん、バックアップはどうなりました?」

 パリパリというデジタルノイズ越しに平賀の声が戻って来た。

「要請は掛けたぞ。……あー、最寄りの七十二分署から向かってるんだが、今、十二号線が事故渋滞してる。少々掛りそうだな」

 久保が舌打ちした。

「くそっ、他に手隙の奴らはいねえのか?」

 沢木は首を横に振った。

「主要な分隊は、百人単位で月に救援に行ってるんだ。こっちは手薄で残り滓しか残ってない」

 久保は不安そうな声を上げた。

「どうする? 沢木?」

 沢木はトランクから9ミリの自動拳銃を取り上げると装填を確かめ、カイデックス製ショルダーホルスターに詰めた。

「月の兄弟が死んだんだ。奴はすぐにでも行動に出るぞ。待っちゃくれないさ」

 沢木は箱型の小型SMG(サブマシンガン)を選ぶと、ショルダーストラップで肩に吊るした。コッキング・レバーを引き、初弾を薬室へ装填する。

「俺たちで、やっつけようぜ」

 装備を抱えた沢木と久保は、放射状に並んだ作業エレベーターに向かうと、L8bケージに乗り込んだ。管理局員専用のルートである。平賀の送ってくるナビ・インフォメーションが、金髪の北上真悟の居場所を二人のプリズムレンズに表している。

0・8Gステージの、F作業通路。

 ショッピングモール『サーティーズ』の最上階の真上を、シャフトを輪切りにする格好で一周する空調・配電用のメンテナンス・ルートである。3Dでレンダリングされた見取り図の中にオレンジ色の光点が移動している。この光こそ北上なのである。良くはわからないが、奴はこの場所に滞留し、何かを作業中だ。

「止まってるみたいだな」

 平賀の声がヘッドセットに響いた。沢木はディスプレイに浮かんだ見取り図を眺め、記憶を辿った。

「平賀さん、そこ、何かターミナルとかありませんかね?」

「ちょっと待て。……ハハン、拡張用の終端処理ターミネーションだな。ここからならメインシステムにもアクセス出来る」

「なるほど。メンテナンス作業とは考えたもんだ」

 久保が顔色を曇らせた。

「それって、まずくねえか? 普通?」

 沢木もうなずく。

「危険なプログラムを注入中かもな。やばいじゃん?」

 二人はF作業通路に到着し、小型SMGを構えた。

 エレベーターの扉が開き、闇の中へ足を踏み出す。周囲は真っ暗だ。十メートルほどの間隔を置いて、LED照明が心細い光を放っている。

 沢木が小声でぼやいた。

「何でこうも、バックヤードってのはどこも暗いかね?」

 久保はSMGのフラッシュライトを点しながら答えた。

「(月の王冠)は超大型インフラなんだぜ。生活空間の明かりだけでも天文学的なケタの経費だ。バックヤードまで構ってらんないの」

「天文学的ねえ。てえと、どのくらいなんだ?」

 久保は曖昧に咳払いした。

「さあ、良く知らねえけど、高いに決まってるさ。……その差額が俺たちの給料かもよ」

「納得。だったら仕方ない」

 薄明かりに壁のケーブルやダクトがぬらぬらと反射して浮かび上がった。

 ひどい湿気だった。

 余剰水蒸気を循環させるダクトに、どこか亀裂でも入っているのだろう。差し渡し八メートルほどのトーラス型通路は結露で湿り、天井から雨漏りのように滴っている。フロアには薄い水溜りが続き、そこに落下する無数の水滴の木霊が、立体的に反響していた。

 ヘッドセットには平賀の送って寄越すナビゲーションに、オレンジ色の光点が近付いている。後五メートルほど進むと、曲がった通路の内径側に見えるはずである。

 沢木は無言で久保にコールサインを送り、二人は身をかがめてSMGを構えた。足元の水溜りが騒がないよう、慎重な足運びでにじり寄る。

 見えた。水蒸気に滲む小さな青い光。

 バッテリー電池付ヘルメットのヘッドランプの明りだった。白い大きなビニールシートの覆いがライトに照らされ、ハロウィンのお化けの扮装のように揺れている。

 壁面からは保護パネルが取り払われ、拡張ターミナルが引き出されていた。そこに身をかがめ、水滴が当たらないようビニールシートを被ったまま作業を行っているのだ。パネルをキー操作する微かなクリック音が届いて来た。

 沢木の合図で二人は一気に接敵した。

 足元の水溜りをコンバットブーツが蹴散らし、飛沫が舞う。二人の構えたSMGのフラッシュライトが真っ直ぐにビニールシートを照らした。

「北上真悟、テロ防止国際条約特別措置法違反容疑で拘束する!」

 沢木が大声で警告を発した。

 ビニールシートは動きを止め、息を殺した。半透明のシートの背後で人影が揺れている。沢木は続けた。

「いいか。ゆっくりと両手を上げるんだ。こっちに見えるようにな」

 沢木と久保のSMGは揺らがず、シートに狙いを定めていた。シートは無言のまま、その場に立ち尽くしていた。

 動きはない。

 沢木と久保は慎重に接近した。その時、微かに鼻を鳴らす音を聞いた気がした。

 小馬鹿にしたような鼻息だった。

 次の瞬間、ビニールシートが空中に舞った。二人の頭上に降りかかり虚を突かれた。意外なほどに重いシートが二人の身動きを奪う。

 久保が咄嗟にSMGの引き金を引き、九ミリ弾三六六 m/s(メートル毎秒)の連射がシートを貫通した。作業通路に耳を聾する銃声が轟く。大慌てでシートの束縛から逃れた二人だったが、時既に遅く、遠く視界の彼方に走り去る北上真悟の後ろ姿が見えた。

 悪態を吐く、久保。

「くそっ、ドジった!」

 沢木が急き立てるように叫んだ。

「言ってる場合か。追え、追え!」

 三人の男が立てる足音が通路の中を廻った。

 ディスプレイのモニタリングが暗視増幅に切り替わり、二十メートルほど前方をリードして走る北上真悟の後ろ姿が見えた。二人はSMGを手にダッシュした。しかしながら水溜りに足を取られ、思うようにスピードが上がらない。バックパックを背負っただけの北上の逃げ足は驚くほど速かった。

「何者だ、あいつ? すげえ健脚!」

 沢木が息を切らせながら怒鳴った。

「若いんだろ!」と、久保。

「馬鹿言え。俺たちもそんな歳じゃねえよ!」

 そこで平賀の声がヘッドセットに届いた。

「どうした、逃がしたのか?」

 久保が声を荒げた。

「うるせえなあ。ドジったんだ!」

「だから今、追跡中!」と、沢木。

 平賀はごくりと呑みこむと言った。

「オーケイ、わかった。とりあえず走ってくれ。だが、モニタにも注意しろよ。もうすぐ出口だ。奴は入管ゲートに向かってる」

「『サーティーズ』に降りるつもりか?」

「やばいな」

 目の前に光が差し込んだ。F作業通路の出入口が開いたのである。その先は0・8Gステージに繋がっている。北上は、外へ走り出た。

 デニムパンツにスニーカー、チェックシャツが見えた。

 沢木と久保も後に続いた。緑掛った明るい照明に目がくらんだ。作業通路内とは打って変わって空調の行き届いた、乾いた空気だった。ブロー成型された塩化ビニールシートの床材がブーツの靴底にマッチし、二人のスピードが上がる。

 ライトグレイとイエローでまとまった通路の先に六列並んだ入管ゲートが見えた。往来の一般市民が並んでいる。

 おっと、まずい。

「北上、そこまでだ。止まれ!」

 北上はバックパックを降ろしながらゲートに並んだ市民の列に割り込んだ。押された大男が怒声を上げた。

「このガキ、ちゃんと列に並ばんか!」

 大男が北上に手を伸ばした瞬間、詰まった射撃音が走り、その肉体が背後に吹っ飛んだ。

 呆気に取られる沢木と久保。

 至近距離から発射された弾丸は大男の剣状突起右下方より侵入、第六、第七肋骨を粉砕し、胸郭内を効率よくダメージした後、横隔膜と肋間筋をえぐり出し、背中に大穴を開けた。倒れた男の身体の下にねっとりとした血溜りが広がっていく。

 北上の手にはPDW(Personal Defense Weapon)が握られていた。5・7×28mm弾を実装した小型アサルトライフルである。北上が天井に向けて短くフルオートで打ち込むと悲鳴が上がった。まとまっていた市民の列は蜘蛛の子を散らすように崩れ、一斉に逃げ出した。

「まずい、仕留めるぞ!」

 沢木が声を上げ、北上を狙ってSMGを掃射した。

 北上は咄嗟に通り掛った若い女を捕まえ、盾にした。沢木の発射した九ミリ弾が胴体に命中する。 腹直筋から外腹斜筋が弾け、女は声もなく崩れた。

 北上は振り向き様、沢木と久保に向かってPDWをフルオートで薙ぎ払った。

 二人は鍛えられた反射神経で勢い良く柱の陰に飛び込んだ。砕けたスレート石材が礫となって辺り一面に飛び散った。

 北上はゲートを守ろうと集まって来た警備員三人を躊躇なく射殺した。

 鳴り響く非常警報の最中、北上真悟は入管ゲートを潜り、0・9Gステージに踏み込んだ。扉の先に消える瞬間、一度だけ北上は後ろを振り返った。

 沢木は柱の陰から、その顔を捉えた。

 北上の姿はまさしく早乙女の描いた絵、そのものであった。

 プラチナブロンドの巻き毛の少年は、天使のように微笑んでいた。

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