第31話


 朝から各テレビ局は昨晩の第一月面基地爆破事件の話で持ち切りだった。

 羽瀬バイオマテリアル・リハビリテーション研究所の職員用フードコートでは、大勢の職員が食事の手を止め中継に見入っていた。

 その中に、早乙女一也の姿もあった。

 広く間取られた大型の窓ガラスから、並んだテーブル席に朝の光が差し込んでいた。その窓際の後ろ寄りに座り、シリアルの浮いたボウルを静かにスプーンで掻き回している。

 早乙女の食事パターンは相変わらずのものだった。正確に定められた組み合わせを、決まったルーティンで、決まった量、食する。火曜日の朝は、シリアル、玉子焼きに、リンゴジュース。奇妙な組み合わせだがここに来て以来、それを変えたことはなかった。

「一也君、どうかした? 浮かない顔ね」

 葵 洋子は自分の盆を手に、早乙女の前の席に着いた。

 ここのところ、早乙女一也の治療の進展により、彼の食事場所が患者専用のブースから、こちらのフードコートに変更になっていた。なので、葵も彼と一緒に食事に付き合うことにしたのである。

 治療に進展があったとは言え、食事内容に影響はない。早乙女の自閉症スペクトラム的こだわりは、嗜好へと格上げになったようだ。

 早乙女はシリアルを掻き混ぜる手を止めると、無表情に葵の顔を見詰めた。

「月の事件は多分、関係してますよね」

 葵はコーヒーマグを口に運びながら静かにうなずいた。朝から容疑者の顔がひっきりなしにテレビ放映されているのである。人相書きを描いた自分が、無関係であるはずがない。早乙女はそれを理解しているのだった。

 この時ばかりは葵も、早乙女の治療が進んでいること後悔した。

「あなたが心配しなくていいのよ。あれは治安管理局の仕事で、あなたは彼らに協力しただけなんだから。……沢木さんたちは、大丈夫かしらね?」

 葵の言い訳がましいコメントに早乙女は抑揚のない声で返した。

「犠牲者のリストに二人の名前はありませんでしたよ」

「そう。なら安心」

 早乙女はスプーンをフォークに持ち替え、無意識に玉子焼きを突き崩し始める。

「わかってます。わかってるんですが、でも、……大勢の人が巻き込まれた」

 早乙女の声は震えていた。

「僕があの絵を描かなかったら、昨日あそこにいた人達は死ななかったはずです」

 葵は言葉を呑んだ。少し考えてから注意深く口を開いた。

「それは、そうね。でも、先延ばしになっただけなのよ。いずれ、誰かが巻き込まれたわ」

 早乙女は小さく痙攣するように身を震わせ、

「先延ばし? そう、ですか? 昨日居合わせた人達はツイてなかったと? 死は必然だから?」

「あのテロリストは自爆を覚悟でそこにいたのよ。そう、だから、やっぱり必然だわ」

 早乙女は渋い表情で沈んだ声を発した。

「死ぬことが自分の一番の目標だなんて。そんな人はどんな気持ちで毎日を送るんでしょうね?」

 葵は首を横に振った。

「さあ、わからない。人それぞれに信念や哲学は違うからね。ひょっとしたら、とても充実したものかもしれない。最後には、自分の想いを達成出来たわけだし」

「……」

 そこで早乙女は口をつぐみ視線をテレビに向けた。葵も振りかえって、それにならう。画面はちょうど、容疑者の少年の顔が大写しになったところだった。

 ストレートの長い黒髪。丸みの際立つ童顔、透明感のあるアングロサクソンの肌色、そして目尻の切れ上がった大きな眼。

 北上真悟と名乗る、十九歳の少年は、見紛うことなく早乙女の描いた絵にそっくりだった。

 ただ、葵もふと思うところがある。

 一也君が描いた少年の絵は金髪だったわ。巻き毛のプラチナブロンド。

 変装かしら? どっちが変装なのか、わからないけれど。

「彼じゃない」

 唐突な早乙女の言葉に葵ははっとした。

「え?」

 早乙女は真剣な眼差しでテレビを見詰めていた。

「僕が描いたのは彼じゃないと思います」

「どういう意味? 何を言い出すの、一也君? 一也君が責任感じることないんだよ。どうであれ、彼は爆弾を月基地に持ち込んだテロリストなの。同情の余地なんかないわ」

 早乙女はゆっくりと首を横に振った。

「そういうことじゃないんです。純粋にあの黒髪の人は、僕があの0・3Gステージの通路で出会った人物じゃないってことです」

 葵は早乙女の顔をじっと見詰めた。自分には確信がある、そんな表情だった。

 (サヴァン症候群)特有の直感像による記憶。早乙女の完全記憶能力が違いを指摘しているのである。

「それってどういうことなの、一也君?」

 早乙女は首を傾げた。

「さあ。わかりません。ただ言えることは、テレビに出ているあの人じゃなくて、もう一人良く似た人がいるってことです」

 葵はそこで閃いた。

 つまり、犯人はまだ他にいるってこと? 

「洋子さん」

「はい?」

「食事が終わったら0・3Gステージに行ってみましょうよ。僕は周りの様子から記憶が鮮明になることがあるんです。あの場所に行けばひょっとして、……何か忘れていることがあるかもしれない」

 葵は早乙女の意外な提案に内心驚いていた。

「今日は火曜日だけど、……散歩は夕方からでしょ?」

「ちょっとしたイレギュラーですよ。僕も日々進歩してますから」

 そう言って小さく微笑んだ早乙女の姿が、葵の目には妙に大人びて見えた。


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