* 2 *

「あれっ、和哉かずや

 聞きなれた声へ向き直ると、男子が美術室に入ったところで立ち止まっていた。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔で。


 クラスメイトの、小谷野こやのしゅう

 筋肉質で180センチの長身。彫りの深い容貌ようぼう。会えば、一度で覚えてしまう。

 スポーツをやるのに最適な体型。

 しかし、美術部所属。


「どうしたの?」

 オレがいる窓際まで近寄ると、学校指定の鞄を近くの机に置きながらかれた。


 ……どうしたの?


 その質問で、数十分前の出来事が脳裏によみがえり、苦々しくなる。

「……いや……ちょっと」

「呼び出されたんだ」

 オレの表情と、ハンカチで押さえた頬を見て、小谷野は理解する。

「お気の毒さま」

 感情のこもらない声であっさり言う小谷野に、

「ウルサイ、脩」

 更に苦虫を噛みつぶしたような顔になる。

 本音で話せる数少ない友人は、そんなオレを面白そうに静観している。


 物腰の柔らかいところは、入学した頃のまま。


 ―――1年前か。




 確か、入学して1週間がたった頃だった。


 学校の帰り。

 駅ビルに入っている本屋に立ち寄った。

 その日は、好きな推理作家の新刊発売日。

 初めて入った店内は慣れていないから、居心地の悪さを感じる。

 用を済ませて、早く店を出たかった。

 新刊コーナーは、わかりやすい場所にあった。近づき、平積みの本をざっと眺める。

 目当ての小説に手をのばして、すぐさまその手を留めた。


 視界の中に、同じようにのびた腕が停止していた。

 しかも、同じ小説に向かって。


 目線を上げる。

 同じデザインの制服がまず目に入った時。

「確か…森井くんだよね。同じクラスの」

 柔らかいしゃべり方。

 その言葉で、目の前にいる相手を注視する。

 柔道かラグビーをしていそうな体格。短く刈り上げた髪は、まさにスポーツマン。目鼻立ちのくっきりした顔。

 記憶にあった。

「えっと。小谷野くんだっけ」

「そう」

 喜色きしょくを含んだ語気で、彼は頷く。




 ―――それが、小谷野脩との初めての会話。


「ごめん」

 唐突に謝られて、目をしばたく。

「何が?」

「…考え込んでいたから」

 小谷野の返答で、オレが黙ったことを気にしていたんだと思い至る。

「あぁ。別のこと思い出してた」

「そう」

 小谷野と初めて会話した時のことを思い出していたと、気づかれたくなくて適当ににごすと、相手はあっさりと返す。


 妙に、気まずい気分。


 消し去りたくて、とっさに口を開く。

「それより。ちゃんと活動してよ、美術部」

 無意識に出たのは、切実な願いのようだ。言葉にしたら、自分でも同意した。

 また呼び出されて、見られたくない場面を誰かに見られるのは、二度とごめんだ。

「ちゃんと活動しているよ。活動自体は部員の自主性に任せているけど、ね」

 小谷野は仕方なさそうに肩をすくめる。

「自主性、ねぇ」

 とても都合のよい単語に聞こえて、生ぬるい心持ちになる。


「ところで。名本さん、見なかった?」

「さっきまでいたけど、急に出ていった」

 名本さんの名前に一瞬固まりかけたが、何とか平静を装って答える。

「あっ、そうなんだ。おかしいなぁ。急用あったのかな」

 独りごちる小谷野を口を出さずに見守っていると、

「……ま、いっか」

 最後には勝手に納得していたから、放っておいた。


「俺もう帰るけど、和哉はどうする?」

 小谷野に視線を向けると言うが早いか、すでに鞄を持っていた。

「はっ?! 部活は?」

 面食らって、問いただす。


 このまま帰るなら、何しにここへ来たんだよ。


「まぁまぁ。今日はいいや。それより、このまま本屋に行くけど、どう?」

「……行く」

 脱力しつつも、首を縦に振る。


 名本さんといい。

 小谷野といい。


 今日は、マイペースな人間に縁があるようだ。

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