* 36 *

 第1校舎の東階段を1階分だけ上がり、廊下を左に曲がる。

 4階東の突き当たり。

 美術室の扉を開けると、熱気が室内から流れ出る。中に入ると、電気のついていない部屋に人の気配はなかった。

 落胆らくたんする自分の心がありありとわかる。


 ――拍子抜け、だ。


 蛍光灯けいこうとうのスイッチを押して、明るくなった室内を歩き、窓際まで行く。窓を開けると、夕方の涼しい風が部屋の熱を取り去ってくれる。

 窓に寄りかかって、遠くを眺める。

 目に浮かぶのは、この窓枠にもたれる名本さんの後ろ姿。

 じっと、一心不乱に見つめる姿。


 ――もう帰ったのだろうか?


 しかし、室内に入った時の感じは、ずっと無人で閉め切ったままの状態で、長く人が不在だったことを物語っている。

 誰もいない美術室はひっそりかんとしていて、居心地が悪い。

 ここに来れば、名本さんに会える。

 そう思っていたから、肩かしをらったようだ。


 ――それとも……避けられてるのか?!


 そう思いたくないのに、悪いことが徐々に首をもたげてくる。

 自分の感情を伝えるのを、早まっただろうか。


 ガチャ…と、金属がぶつかるような音に、意識が戻る。大きく聞こえたのは、室内が静かなせい。

 近くで聞こえた音の出所でどころに視線を動かすと、美術準備室の戸が開き、坂上先生が顔をのぞかせていた。

「何だ。森井和哉か」

「何だは、こっちの台詞せりふですよ。どうしたんですか」

 だれた口ぶりの美術教師に言い返す。

「美術室の電気がついたからな。気になって見に来た」


 ――ちゃんと、先生やってる。


「そうですか……」

 名本さんが来なかったか、聞いてみようか。頭の隅をかすめるが、実際尋ねようとすると尻込みした。

「俺は、職員室に行くけど、帰る時は戸締まりと電気消してけよ」


 ――ちゃんと、教師だ。


「はい」

「頼む」

 指示に頷いたオレに、坂上先生はそれだけ言うと、準備室に通じるドアを閉めた。

 静寂せいじゃくの戻った美術室で、また窓の外を見た直後、西の方の空に目を引かれる。


 地上近くは夕日の色が混じった青。その上の空は、黄色を帯びた紺。

 見たことのない色合いに、目を奪われる。


 ――名本さんと一緒に見たかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る