第2話 西武門

「じゃあキーはB♭メジャー、12小節ワンコーラスでいくよ。

最初は、俺、次が秀人、修のドラムソロを入れて、武、俺の順番で。」

「ワン、ツー、スリー、フォー」


プレハブ小屋の部室では、健作たちがライブに向けて練習をしていた。

グラウンドの片隅に建つ部室の窓は、真っ暗な闇の中に煌々とした輝きを放ち、心地よいスイングの響きが聴こえてくる。


練習が終わると、トランペットを吹いている一年後輩の秀人が話しかけてきた。

「健作先輩、お疲れ様でした。

 今日は先輩のアルトサックス、切れが違いますね。なんかノリノリだったけど、何かいいことでもあったんですか?」

「ああ、秀人もなかなか良かったじゃないか。この調子でライブ頑張ろうぜ!

 ところで、お前の学部の同級生で『黒木』って子知ってるか?」

「えっ、黒木ですか。知らないわけじゃないけど・・・黒木がどうかしたんですか?」

「あっ、いや今度のライブ聴きにきてくれるんだ。」

そこにドラムを片付け終わった修が口を挟んできた。

「健作、ひょっとしてあの廊下ですれ違った子かい?」

「ああ、そうなんだ。この前駅でばったり会ってさ、ライブのこと話したら聴きにきてくれるって。」

「そいつぁいいや、楽しみだね。」

「さぁ、帰ろうぜ。明日も早いしさ。

あれ秀人、さっきまでの元気はどうした?!」

「あっ、いや何でもありません。ちょっと用事があるんでお先に失礼します。」

秀人は挨拶ももどかしく鞄を手に取ると、小走りで出て行った。

「秀人のやつ、急にどうしちゃったんだ? 変なやつだなぁ。

健作、ちょっとだけ付き合えよ。飯でも食っていこうぜ。」

「ああ、いいよ。どこに行こうか。」

「うん、駅の反対側にちょっと小洒落た店を見つけたんだ。」

「了解!!」


部室を出ると、二人は駅に向かって歩き出した。

「健作、実は俺さぁ、気になってる子がいるんだけど、お前みたいにライブに誘うことも出来なくてどうしたらいいか困ってるんだ。」

「なんだ修、お前らしくないなぁ。お前のたたくドラムスみたいに力強くてテンポよくポンポンポ~ン♪て、誘っちゃうんだよ。」

「そんな簡単に言うけど、なかなか・・・おっと、ここ、ここだよ。」

山小屋風の洒落た建物の入り口には観葉植物が並んでいて、「西武門」と書かれた木の看板が軒からぶら下がっていた。

「『セイブモン』? おい修、ここの店の名前、何て読むんだ?」

「ああ、これは『ニッシンジョウ』て読むらしい。なんでも沖縄と地名とか聞いたけどな・・・おれも詳しくは知らないよ。」


扉をあけると、カウベルがカランカランと鳴り、中にいた店員が振り返った。

「いらっしゃいませ・・・あら修さん、こんばんは。今日はお友達とご一緒なの?」

「ああ、われ等がリーダーの健作だよ。」

「はじめまして、健作です。」

「よくいらっしゃいました。私は智子です。よろしくね。」

ショートカットでちょっとボーイッシュな感じが笑顔とよく似合う。

「こちらへどうぞ。修さんはいつものね。健作さんは、どうしますか?」

「ああ、俺も修と同じもので良いや。」

「了解しました。しばらくお待ちください。」

芝居がかった敬礼をすると智子は厨房に入っていった。


店内にはウィンダムヒルの癒されるようなアコースティックサウンドがかすかに流れていた。

「おい、修! おまえ、何時の間に『いつものやつ』なんて頼めるくらいの常連さんになっちゃったんだ? ひょっとして、さっきお前が言っていた気になる子って・・・」

「ああ、そうだよ。あ・の・子!!」

ちょっとはにかみながら修は答えた。


修は、フロアに置かれたテーブルとテーブルの間を、智子が颯爽と料理を運ぶ姿をボーっと眺めている。健作が修の肩を掴んで揺さぶると、はっと我に帰って健作に照れ笑いを浮かべた。

「おい修、あんまりジロジロ見ていると、変態かと思われて嫌われちゃうぞ!

折角だからちょっとライブの打ち合わせしようぜ!」


2人はライブの打ち合わせをしだすと熱が入り、料理を運んできた智子が後ろに立った事に気がつかなかった。

「はい、お待ちどうさま。南インド風ダールチキンカレーです。」

運ばれてきた料理からは、湯気が立ちカレーと香辛料のいい匂いが漂ってくる。

智子は料理を置くと、修が声をかける間も無くすぐに他の客に呼ばれて立ち去った。

「健作、これなかなかいけるんだぜ。」

「おいおい、そんなことよりいいか、食い終わって皿を片付けにきたら、ライブのチケット渡すんだぞ!」

「ああ、わかったよ。」


二人は普段とは打って変わって黙々とカレーを平らげると、智子の姿を探して店内を見渡した。

「お食事はお済みですか?」と、智子はまるで計ったようなタイミングで現れた。

「あ、ああ、とてもおいしかったですよ。修のやつ、こんな素敵なお店もっと早くに教えてくれたらよかったのに!」

「ありがとうございます。それじゃあ空いたお皿片付けさせていただきますね。お飲み物はいかがですか?」

「おい、修!」と言って、健作はテーブルの下で修の足を蹴飛ばした。

「あ、あの・・・俺アイスコーヒー。」

「おいおい、違うだろう・・・」

「健作さんは何になさいますか?」

「あっ、お、俺はホットコーヒーお願い。」

「今お持ちしますね。」

智子は厨房へと戻っていった。

健作は修の耳たぶを引っ張って顔を引き寄せると修の耳にささやいた。

「おまえ、違うだろう、何やってんだよ!! いいか、コーヒー持って来たらチケットをちゃんと渡すんだぞ!!」

「あ、ああ。」

修はしょげかえってうつむいてしまった。

修には心臓の鼓動が数えられるような時間がジリジリ過ぎていくと、突然智子の声で現実の世界に引き戻された。

「はいお待ちどうさま、ホットコーヒーどうぞ。」

智子は健作の前にホットコーヒーを置くと、修の隣に回ってアイスコーヒーを置いた。

「あ、あの・・・、智子さんジャズなんて嫌いですよね。」

「おい修っ!」と健作は声を上げると「あ、いや智子さん、俺たち一緒にジャズバンドやってるんだ。」と取り繕った。

「あの、今度の土曜日の夜ライブやるんだけど・・・これチケットです。」

修は、智子の返事を待たずにチケットを差し出した。

一瞬智子は驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻ると、

「はい、土曜日はマスターの都合が悪くてお店お休みだから、伺います。」と言って、チケットを受け取った。

「えっ、ホント!! やったぁ」と修は、思わず声を上げると、他の客から何事かとにらまれてしまった。


コーヒーを飲み終えると、挨拶もそこそこに健作は修の腕をつかむと扉をあけて、外に出た。

「おめでとう修。まずは成功だな。・・・あれ修、せっかく誘ったのに何さえない顔してるんだ?」

「健作は、典子さんが来てくれるか心配じゃないのか? なんか、智子さんが本当に来てくれるのか心配になってきちゃったよ。」

「なぁんだ、そんなこと心配してもしょうがないだろう。とにかく、いい演奏しようぜ。じゃあな。」

「ああ、お休み。」

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