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「……あー」


 身体に纏わりつく気持ち悪さで目が覚めた。全身が汗で湿っている。季節が夏ということもあって寝汗も多いのだろうが、きっとそれだけじゃないんだろう。


 それにしても、あの夢の中の早見の表情はなんだったんだろう。今までもあんな顔をしていたのだろうか。でも、何であんな顔を? 俺と早見には何の接点もないはずなのに。いや、待て。これは夢だ。そう、現実じゃない。これも俺の夢が勝手に描いたことの一つなのかもしれない。そうだ、そうに違いない。でも――


「……うえ、気持ちわる」


 いやいや今は考えている場合じゃない。この汗だくの体をなんとかしないと。


 俺は枕元の目覚まし時計のタイマーを解除して、起き上がった。時間は午前六時十八分。普段よりも起床時間が早いけれど二度寝する気分にはなれない。


 俺はゆっくりと背伸びをして、それから服を脱いだ。逸早くこの湿って体に貼りつくような服を脱ぎたかった。俺は服を脱いで下着姿になった後、脱いだ服を持ちながらタンスから下着と学校の制服を取り出して風呂場に向かった。


「あー、暑いし気分は悪いしで最悪の朝だ。……まあ、いつものことなんだけれども」


 もしかして夏休みの間もこんな目覚めを繰り返すのだろうか。それは嫌だな。明日からやっと待ちに待った夏休みが始まるというのに、こんな調子じゃ気楽に満喫できないじゃないか。


 俺は脱衣所に着替えを置いて、下着も脱いで裸になると脱いだ服をまとめて洗濯機の中に放り投げた。そして、風呂場の戸を開ける。


 今日は一学期の終業式。明日から夏休みだ。

 気分を入れ替えなくっちゃな。




「えー、明日から夏休みだが、いいか、気を抜くんじゃないぞ。この時期に勉強をしないと他の奴らに差を――」


 終業式が終わり、その後のホームルームでクラスの担任がなにやら話をしている。どうせ夏休み中の注意事項とか、夏休みの課題とか、そんな話なんだろう。俺は頬杖をつきながらテキトーに聞き流していた。そんなことよりも、俺は今日見たあの夢――早見の顔の表情がどうしても忘れられないでいた。なんだかんだで頭の中にこびりついたあの表情を俺は消去できないでいた。初めてみた早見の顔。あれは、なんだったんだろうか。


 あれは……俺の望み、なんだろうか。ずっと無表情な早見に殺されてきたから、それが嫌だと思っていたから、俺は早見にあんな表情をさせたんだろうか。でも、俺の望みを夢が叶えるのだとしたら、そもそも俺はあんな夢自体を見ることがないんじゃないだろうか。そうだ、そのはずだ。じゃあなんで俺はあんなものを……。 

「鑑君」


 あの早見の表情が俺の望んだものでないとするならば、今まで早見はああいった表情をしていたという可能性がある。俺が今日まで気付かなかっただけで――でも、そんなことがあるのだろうか。たしかに俺は今回で初めて俺に刀を突き刺した後の早見の表情を見た。でも、いくらなんでも注意深く見なくとも、ちらっと視界に早見の顔が入れば分かるものじゃないだろうか。


「ねえ鑑君」


 じゃあ今回初めて早見はあの顔を? 何で今更。それに、なんでいつも見ている夢のその部分だけが変わっているというんだろう。……いやいや、ちょっと待て俺。これは夢の話だぞ? なんでこんな真剣に考えているんだ。早見の表情なんてそんなに気にする程のことじゃないだろう? なんとも思っていないただのクラスメイトなんだから。そうだ、そうだよ。早見はただのクラスメイト、俺が気にする必要は全く――


「ねえ鑑君。聞こえているの?」


「へっ? は、早見⁉」


 目の前に早見透華がいた。

 俺が頬杖をついている机の前に早見は立っていた。


「な、なんだ早見⁉ 俺に何か用か⁉」


 俺は慌てて席を立ってしまった。……ビビりすぎだろ、俺。どうもあの夢の所為で俺は早見に苦手意識を持つようになってしまったらしい。


「ホームルーム。とっくに終わっているわよ?」


 早見にそう言われて周りを見ると、掃除当番の生徒達が箒や雑巾などを持って教室を掃除していた。もう掃除の時間になっているようだった。


「……あ、ああ。なんだ、そういうことね。わかった、理解した。ありがとう。それじゃあまた。また、二学期に」


 俺は鞄を持ち、後ずさりしながらそういって教室を出ようとした。だから俺ビビりすぎだって。ほら、早見もわけわかんないような表情をしているじゃないか。ほぼ無表情だけど。いや何を言っているんだ俺は。冷静になれ。


「……そうね、また二学期に会いましょう、鑑君」


「お、おう! じゃあな早見!」


 俺は早見に手を振り、それから教室の扉に手をかけて扉を開いた。ふー、やっと帰れる。明日から夏休み。存分に自堕落な生活を送って過ごそうじゃないか。そうそう、気分を入れ替えないと。俺の好きな言葉だ。



「気を付けてね」



「え……?」


 早見が、


 後ろにいる早見がボソッと何か言ったような気がしたが、俺はわからなかった。


 振り向いて見てみると、早見は窓の向こうを見ていて、こちらを気にしている様子はない。


(気のせいか……)


 俺はそう思って教室から出ていった。


 最近、あの夢の所為で早見のことが気になってばっかりだ。早見にしたら気持ち悪いだけだろうし、夢のことを気にするのはやめよう。どうせ夢だ。現実にはありもしない妄想。気にするだけ無駄なんだから。そう、無駄無駄。だから――もう気にするな。


 俺はそう心に決めて、廊下を歩いていった。

 大丈夫。夏休みが終わる頃にはこの程度の悩み、解決しているだろうさ。




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