4

 思いの外長い時間、バイクは走っていた。俺は振り落とされないように必死に女性にしがみつきながらも、何処に向かっているのかを考えていた。女性は暫く隠れられる場所があると言っていたけれど、どんな場所なんだろう。廃墟とか廃屋とか、そんな場所くらいしかイメージできない。


「……ここまでだね。ここからは歩くよ」

 バイクはスピードを緩め、ゆっくりと動きを止めた。


「……ここは?」


 女性にしがみついていた俺は手を放して顔を上げ、辺りを確認する。辺りの景色はトラックに追いかけられていた時の住宅街とは打って変わって鬱蒼とした森の中だった。日も沈みかけていて、夕暮れのオレンジ色の光が木々の合間を縫って差し込んでいた。


「ここからちょっと歩いた先にね、とっておきの隠れ家があるの」

 女性はバイクから降り、ある方向を指さす。


「隠れ家?」


 俺もバイクを降りながらそう訊いた。隠れ家なんて言葉は日常生活では滅多に聞かないワードの一つだ。イメージが湧きにくい。やっぱり廃墟廃屋くらいのイメージくらいしか出てこない。


「そう、隠れ家。――なんだかワクワクしない?」


「いや……別に」


「……そう。鑑君ならわかってくれると思ったんだけどなあ。まあ、仕方ないね」


 女性は肩を落として残念そうにそう言い、ヘルメットを外した。ヘルメットの下の素顔は――若かった。声からして若い女性ではあるんだろうとは思っていたけれど、その予想をさらに上回った。年齢的には下回った、と言うべきだろうけれど。そう、彼女の顔はとても若々しく、俺と同年代同世代であろう顔立ちをしていた。女性、というより女子だった。


「ふう、やっぱりつけっぱなしは苦しいや。……ん? どうしたの? 私の顔に何かついてる?」


「いや……なんでもない」

「気になることがあったら何でも言ってもいいんだよ?」

「気になること……」


 気になることは――多すぎる。今のわけのわからない状況、なんで俺の命が狙われているのか。西条先輩のことや早見のこと。山ほどある。でも、何から訊けばいいのかわからない。


「まあ、とりあえず歩きながら話そっか。時間が勿体ないし」


 女子はそう俺に促してヘルメットをバイクのシートの中に直した。そしてハンドルを握ってバイクを押す。俺と女子は歩き出した。ひとまず隠れ家とやらに行くみたいだ。


「とりあえず、鑑君が今とても危険な状況にいることは、言わなくてもわかっていると思う。現実ではあり得ないような出来事が目の前で起こっていることを、理解できていると思う。それを踏まえた上で聞いてほしいことがあるの」


「聞いてほしいこと」

「そう――あのね、鑑君はね、『死神ゲーム』という儀式のターゲットとして今、命を狙われているの」


「し、死神ゲーム?」

「死神ゲーム。――鑑君はさ、死神という存在については、知っているよね?」

「し、死神って……あれだろ? 死者の魂を回収する、大きな鎌を持った不気味な骸骨……的なやつ」


「まあ、イメージ的にはそうだね。死者の魂を導く存在、かな」

「その死神が、なんだって? ゲーム? 死神が何かするのか?」


「いや、死神がゲームをするわけじゃない。私達が、ゲームをするんだ」

「……え?」


「死神ゲーム。それは、死神に成る為の儀式。死神候補が集まってその中で誰が死神に相応しいかを決める儀式なんだよ」


「死神を、決める儀式」

「そう。死神を決める儀式。死神候補、それは司者と呼ばれるんだけど、その司者達の中で一番早くターゲットを殺せた司者が死神になれるんだ。そして、死神になった司者は人間の生死に関する望みを叶えることができる。だから司者達はターゲットを殺しに狙いに来る」


「そしてそのターゲットが――俺」

「そうなの。だから、鑑君は司者と戦わなくちゃならない。自分が殺される前に、司者を全員――殺さなくちゃならない」


「――は」


 ははは。


「ははははは」


 俺は笑っていた。死神ゲーム? 死神になる為の儀式? それで俺が狙われている? なんじゃそら。到底信じられる話じゃない。今時、ドラマでももっとマシな設定が作られるだろう。滑稽だ。笑える。――でも、俺のこの笑いは嘲笑の笑いではなかった。乾いた笑い。無理して出した笑い。だって、もう今はそれで笑える状況じゃ、ない。西条先輩を早見に殺され、謎の男に左腕が飛ばされるまで焼かれ、巨大なトラックに追われ、目の前でロケランをぶっ放す奴を見た俺は、もう笑っていられる状況じゃ、ない。


「なんだって? 俺がそんな無茶苦茶な状況にいるって? なんだそりゃ。なんだそりゃ。俺が、俺が――何をしたっていうんだ。俺が! なんで! そんなのに巻き込まれなくちゃいけないんだ⁉ 俺が一体何をしたっていうんだよ!」


「それは」


 女子は言う。


「それは――運が悪かったから。としか言えない。ターゲットは抽選で決まったはずだから」


「……運が、悪かっただって? そんな理由で、そんな理由で俺が⁉ そんな理不尽が! あるって言うのか⁉」


 俺は叫んだ。叫んでもどうにもならないことはわかっている。でも、それでも、叫ばずにはいられなかった。嘆かずには、いられなかった。


「……納得できないかもしれない。承服できないかもしれない。でも、どうしようもないの。始まってしまったものはどうしようも。ない。でもね、これだけは言わせて。鑑君は殺させないよ。私が守ってみせる。最後の時まで――私が守るから」


 女子はそう言った。力強い、言葉だった。くそっ、格好いいなおい。それに比べて俺は……無様だ。格好悪いにもほどがある。


「……悪い。取り乱した。こんなことを言ってもどうしようもないのに。こんなことを言ってもお前――貴女には面倒なだけなのに」


「ふふっ」


 女子は笑った。


「貴女って、貴女って。今更どうしたの? 急に畏まっちゃって」

「い、いやその……今更ながら『お前』は失礼かなと思って」


「いやいや、いいよいいよもう手遅れなレベルだし。それに、同い年だしね。呼び捨てでいいよ」

「呼び捨て……」


「――? あ、そういえばまだ名前言ってなかったねごめんごめん。私の名前は巳尺治愛。えーっと、名字が十二支での蛇の『巳』に尺度の『尺』に傷が『治る』と書いて巳尺治。下の名前が普通に『愛する』の愛だよ。それで巳尺治愛」


「巳尺治。珍しい名前……だな」

「そうだね。中々ない名前だからすぐ覚えてもらえるよ。覚えてくれない人も、いるけどね」


「……? そりゃそうだろうけれど」

「ともかく、私の名前は巳尺治愛。巳尺治愛だよ。宜しくね、鑑境谷君。気軽に巳尺治って呼んでね」


「じゃあ、そうさせてもらうよ、巳尺治。そして俺からも、宜しく。巳尺治がいなかったらもう死んでたよ。助かった」

「そうだよ。私がいなかったら死んでたんだからね。もっと私を褒めるべきだよ」

「謙遜の心が一ミリもないっ⁉」

「ふふっ」


 巳尺治はまた小さく微笑んだ。けっこう可愛い――いかんいかん。今はそんなことを考えている場合じゃない。


「……ん、鑑君、着いたよ」


 巳尺治は俺にそう言った。俺は正面を向く。


「――え?」


 俺の目の前にあったのは、小屋だった。それほど大きくない、小ぢんまりとした家屋。キャンプ場にあるような小屋をさらにコンパクトにしたイメージ。これが、隠れ家?


「ここに……隠れるのか?」

「そうだよ。……といっても中に隠れるわけじゃないんだけどね」

「え? それってどういう――」

「こっちにきて」


 巳尺治がくいくいと指で手招きしながら誘導する。どうやら小屋の裏側に何かあるらしい。


「こっちに何があるんだ?」

「見たらわかるよ」

「……?」


 小屋の裏側に来たが、これといって気になることはなかった。何かがあるわけでも、何もないわけでもない。ただ小屋の壁が見えるだけだった。


「えーっとね。ここら辺だったはず……」


 バイクを止めて巳尺治は地面をまさぐりだした。そして、地面に目当てのものを見つけたのか「あったあった」と言いながら地面に向かって何かをした。スイッチでもあったのだろうか。その途端、地面が唸りだした。


「な、なんだ?」

「動かないでね、下手に動くと危ないよ」

「?――っ⁉」


 穴ができた。先程までただの地面だった場所に大きな穴が空いた。軽自動車なら軽く呑み込みそうな巨大な穴。そんな穴が小屋の裏側にできていた。


「ここに入るよ」

「ここ……って、地下に行くのか?」

「そうだね、けっこう暗いから足元に気を付けてね」


 巳尺治は再びバイクを押しながら穴の中に入っていった。見た感じそこまで傾斜は急ではないみたいだ。俺は巳尺治の後ろについて穴の中に入った。


「暗いな……。ところで、この穴は開きっぱなしなのか?」

「いいや、そのうち閉まるよ。だからあと少ししたら真っ暗になっちゃうね」

「なっちゃうねって……。電気は通ってないのか? 危なくないか?」

「あはは、冗談だよ冗談。電気は通ってるよ。扉が閉まれば自動的に点くようになってるからそれまでは我慢だね」

「……そうなのか、わかった」


 それから暫く降りていると電気が点いた。まだ薄暗いけれど少し明るくなったので周りを見てみると、なんというか、イメージとしては炭鉱の通路みたいな道だった。天井から電球がポツンと一つだけ吊られていて、それが何メートルか毎に配置されている。横の壁はごつごつとした岩肌のようなものがずっと続いていて、地面は緩い下り坂になっている。


「どうどう? 雰囲気出てない? これはワクワクするでしょ?」


 巳尺治が振り向いて得意げにそう言った。……どうも巳尺治は探検だとか冒険だとか、そういうものが好きな女子らしい。俺とは感性が合わなそうだ。


「……いや、なんというか、怖い。いつになったらこの道は終わるんだ?」

「……」


 巳尺治の顔が固まった。


「巳尺治?」


「……なんでもない。そうだよねーそりゃ人の好みなんて変わるもんだしねー。でも、でも少し残念かなあ」


 巳尺治は前を向いてそう言った。……? 巳尺治が一体何の話をしたのか俺にはわからなかったけれど、機嫌を損ねたのは間違いなかった。巳尺治に合わせた方がよかっただろうか。でも実際こんな場所は怖いしなあ……。


「――そろそろかな。着きそうだよ。ほら、もう扉が見えてる」


 巳尺治は指を指した。その先には鉄製であろう大きな扉が見えた。あれが入口なのだろう。


「あれが、隠れ家」


「やっとゆっくり休憩ができるね。私もさすがに疲れたよ」

「俺も……。色々なことがあったからなあ」


 二人ともゆっくりと溜息を吐いていた。そして、気が抜けてしまったのか体が急に重くなる。くそっ、安心するにはまだ早いぞ、俺。あともう少し頑張るんだ。


「よし、開けるよ」


 扉の前まで辿り着くと巳尺治はそう言って扉に近寄った。扉には仰々しい程の大きい四角い箱が取り付けられていた。おそらくあれがパスワードか何かを入力して扉のロックを解除する機械なんだろう。巳尺治はそれに右の掌を押し当てた。ぴぴっという機械音がして扉は徐に開きだす。


「さ、鑑君。入ろ」


 巳尺治が手招きをした。俺はそれに促されて足を前に出す。正直、不安はあった。扉の向こうに俺の命を狙う奴がいるかもしれないし、もしかしたら巳尺治がその内の一人で俺を騙してここに連れてきたのかもしれないし、色々と考えることはあった。でも、俺は巳尺治を信じることにした。疑ったところで状況が変わるわけではないし、それに、巳尺治は俺を助けてくれた恩人だ。疑うだけ失礼で、疑うだけ恩を仇で返すことになる。それはしたくない。


「……っ」


 眩しい光が目に飛び込んできた。中はさっきの通路よりも明るいみたいだ。俺は思わず腕で光を遮った。明るい照明の光。まるで建物の中にいるかのような、明るさ。


「――ここが、隠れ家」


 光が馴染んで直視できるようになった時、俺の目に映ったのはホテルのロビーのような光景だった。広くて明るくて、そして綺麗さっぱりとした雰囲気がある。ここが地下であることを忘れてしまいそうだ。


「おお……なんか、すごいな。こんな所があったのか」

「あった、というか、頼んで作ってもらったんだけどね。いい出来でしょ? けっこう気に入っているんだー」


 俺と巳尺治は中に入った。すると、扉がまたゆっくりと閉まり始める。


「えーっとね、右の通路の一番奥の右側の部屋が鑑君の部屋だよ」


「そんなに部屋があるのか?」

「あはは、無駄に大きくしちゃったからね。でもそんなに部屋があるわけじゃないんだよ。色んな部屋を近くにかためちゃったから多く感じるだけで、実はそんなにないんだ。ちなみに鑑君の部屋の隣が食堂で、お向かいが男子浴場ね」


「オッケー。わかった。ところで、俺が右の通路ということは巳尺治の部屋は左にあるのか?」

「そうだよ。……気になる?」


「いやいや、訊いてみただけだよ」

「と言いつつ本音は? 隠さなくていいんだよ?」

「訊いてみただけだって!」


「もう、素直じゃないなあ。健全な男子ならそこはとりあえず破廉恥な質問をするべきだと私は思うよ」

「命を狙われている状況でそんなことができるほど俺の心に余裕はない!」


「こういう時にこそ女子のおぱんつの色を訊くものだよ」

「巳尺治の中の男性イメージが酷い!」


「ちなみに今日の私のおぱんつの色は白だね」

「やろうともしてないセクハラが成立してしまった⁉」


「これで鑑君は私のおぱんつの色が何色なのか悶々とせずにいられるわけだ」

「お前のその性格の扱いづらさに悶々としそうだよ!」


「えっ、……いやその私の性格に性癖を見出されても困るよ?」

「そういう意味で使ったわけじゃない!」


「あはは。鑑君が元気そうでよかったよ。でもシモの方は元気にしちゃダメだよ。私はそこまでお世話できないからね」

「女子がシモの世話なんて言うんじゃない!」


「元気だからといって夜這いは駄目だよ。ちゃんと自分で治めてね」

「駄目だ! 巳尺治の暴走が止まらない!」


「あはは。いやー鑑君って面白いね。ここまでツッコミができるとは思ってなかったよ」

「俺も巳尺治がこんなギリギリアウトなボケを突っ込んでくるとは思わなかったよ」


「……さて、じゃあ今日はここまでにしようか。疲れちゃったしね。寝なくても大丈夫な体にはなっている筈だけれど、まだ慣れていないしね。一晩休んでからにしよう。死神ゲームについての話はまた明日するね」

「……わかった。明日訊こう」


「じゃあ、これで解散! あ、何かあったらすぐに部屋まで来てね。静かに夜這いしたい気持ちはわかるけれどそれは抑えてちゃんとノックはするんだよ」

「とりあえず巳尺治の中での俺の信用が零なのはわかったよ。何かあったら報告ね。わかったわかった」


「よし、ではこれにて!」


 巳尺治は軽く手を振って左の通路へと向かっていった。……巳尺治があんな下ネタを発して笑う奴だとは思っていなかったけれど、でもそれは俺の緊張を解すためだったんだと俺は思う。色んなことがあって疲れが溜まっていた俺を気遣ってのことだと思う。……本当に情けないな、俺。このお礼はまたいつかしないと。また、いつか。


「疲れたし、寝るか。俺の部屋は右の通路の一番奥の右側……だったな」


 俺はそう言って、右の通路へと向かった。


 短い間だったけれど、色んなことがあった。


 そして、これからも多くの出来事があるだろう。


 何が起こるかわからない。何が起こっても不思議じゃない。でも、それでも俺はきっと戦わなければならないのだろう。


 ――今度はただ叫ぶだけじゃなくて、ちゃんと巳尺治の力にならないとな。


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