10.幕は引かれ
「……は? なに言ってるんだよ。意味分かんないよ。説明しろっ!!」
虚空を殴りつけるように吐き捨てる。分からないことしかなかった。誰でもいいから、救いの蜘蛛の糸を垂らして欲しかった。
「じゃから、言うておろう。そのギターが全ての元凶じゃ」
「なんだって?」
もうヤケクソと言わんばかりの疑問に、ねねは続ける。
「そのギターもまた古物、長じて物の怪と化しておる。大した年月ではない故か、半ば怨念に近く実体すら持たぬ。ヒトに化生した我ほどではない。……が、其奴。特別に人の執着を操る力を持っておるようじゃな」
「執着を、操る……?」
――何ていうか……無関心なんだ。どっかでボタンを掛け違えた感じでさ
氷緒の言葉が思い返される。
「その女、孤独ではなかったか。お前様だけがその女と親身になれたのは何故じゃ? 我が憑いて守っておるのはお前様だけじゃからのう」
「孤独……」
――学校や家にいたら、その名の通り、噤むしかない
彼女が、友達といるのを見たことがなかった。影が薄い女の子だと、自分自身も思っていた。聞きにくいことだし、と触れないようにしていた。
「執着心は人の欲望そのものじゃ。弾かれ、奏でられたいという自身の執着が異形と化し、他人のそれをも欲しがるようになる……我にも、分からんでもない感情じゃな。人の心の執着を操れるなら、そこな男子のように増幅してやることも可能であろう」
最近、勇之助は妙に氷緒を気に掛けていた。その時から、今日この時のチャンスを窺っていたのだとしたら。
「よく弾かれ大事に愛でられ、力が増しておったようじゃ。まぁ、増したと言っても所詮はこの程度じゃな」
「……なんで、持ち主の氷緒が襲われたんだ」
ねねは一拍を置き、小さく嘆息してから続けた。
「本来、持ち主が襲われることはないのじゃが。お前様達があまりに相互い執着するようになって、嫉む心があったのかもしれぬのう。……それもまた、分からんでもない。奪われるなら殺すまで、とな」
そんな手前勝手な理由で、氷緒が傷物にされかけたのか。淡々と語るねねの言葉に、泰宏はまたも別種の怒りが湧いてきた。
そして、氷緒のギターのネックを握りしめ、立ち上がる。
「こいつが……」
諸悪の根源。そう思って、彼はできるだけ上段にギターを振りかざした。
しかし、そこで思いとどまって一旦おろした。壊すのは簡単だ。だが本当に、それでいいのか。氷緒が心ここにあらずな状態であるのをいいことに、勝手に破壊してしまうなど。
たとえこのギターがどんな存在であっても、同時に、彼女の心の拠り所という事実も消せはしない。ツグミの声を――消せはしない。
「迷うな。迷えば決意が鈍る。初撃で決めよ」
ねねが発破をかけてくる。
それでも腕が動かせずにいると、
「壊してくれ。そのギター。泰宏、くん」
氷緒、だった。
彼女はうつろな目で、自身の着衣の乱れを直すでもなく、ぼそりと言った。
「……氷緒」
泰宏の声は震えていた。だって、彼女の目が泣いていたから。この冬の数日で何度も彼女の笑顔を見たが、泣き顔を見るのは初めてだった。
今のねねとの会話を、氷緒が聞いて理解していたわけではあるまい。彼女にねねは見えない。
だと、いうのに。
「壊そうとしてたんだろ、ギター。ヤケかい? こんなものさえ無ければわたしがこうはならなかった、とでも?」
「い、いや……」
「隠すこたないよ。いい機会だ……わたしには出来ない。泰宏くん、頼むよ」
ねねの言葉を聞いたからこそ、泰宏はいま、ギターを破壊するべく手にかけているのだ。ならば氷緒の場合は、何を根拠にそんなことを言うのだろうか。
なおも訥々と、無表情のままに彼女は告げる。
「ずっと、思ってた。何となくわたしには分かるんだ。そのギターは普通じゃないって。だから、なんだよ。弾くのにこんな場所を選んだのはさ」
「……え」
「親類からそのギター貰って、弾くようになってさ。上達するのが、とても楽しくて。もっともっと、色んな曲を覚えたくて仕方なかった。……でも、それからなんだ、父さんと母さんが……おかしくなって」
「……」
「周りの人達も、何だか素っ気無い感じになっちゃって。だのに、ギターは手放せないんだ。やっぱり、それが無いとわたしは自由でいられないと思い込んでたから。楽しかったから。おかしいって、分かっていても。負の循環だったんだ」
そこで改めて、彼女は引きつった笑みを浮かべた。淡くランタンに照らされたその顔と目が合う。うっ、と泰宏の口から小さな悲鳴が漏れた。
「起こってしまったものは仕方ない。勇之助くんのことも、責めないでやってくれ。……いつかやらなきゃって思ってた。でも、泰宏くんと会えたからね。また、ズルズルと引き伸ばしてしまったのさ」
「やめろ。氷緒、そんなこと言うな……」
「こんなオカルト、信じないかい? 今だけ頼むよ。持ち主のわたしが一番分かってるつもりだ。一生のお願い、ってやつさ」
そこまで彼女は言い切り、さぁ、とでも言うように視線で促してくる。
「ほれ、お前様。あの娘も言っている。決断の時じゃ」
「……氷緒」
泰宏は何も言わず、しばらくギターを持ったまま立ち尽くして――ややあって、再びそれを上段に振り上げた。そのまま取り落としそうになる両腕の震えを、抑えるので精一杯だった。
チラと、横目で氷緒を見やる。
「チェリーサンバーストカラーっていうんだ、その夕焼けグラデーション色。やっぱり……綺麗だね」
そう、氷緒が言い終わるのを待ってから。
「いくよ」
「……うん」
かつて、英国の一世を風靡し、世界にその名を羽ばたかせたパンクバンドがいた。そのベースギターを担当した男は、演奏によるあまりのテンションの高まりからか、持っていたそのギターを思い切り地面に叩きつけて破壊している。
その様子は写真に撮られ――名曲、ロンドン・コーリングのジャケットを飾っている。
氷緒がその話をしてくれたのは、いつの演奏会だったか?
そんなことに思いを馳せながら。
泰宏は、ギターを激しく地面に叩きつけ、破壊した。
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